BD『逃亡者』(1947)
大傑作!原作のアル中神父設定をクソ真面目キャラに改変されたグレアム・グリーンが怒ったのは理解できるけど、何で評価低いのかわけわからん。
ヘンリー・フォンダの神父はグリーンやBDリーフレット解説担当の遠山純生氏曰く「非の打ちどころのないほど高潔な人物」という評価らしいが、自虐的的で儀式用のワインを得るための右往左往っぷりは宗教の知識に乏しい自分には情けなく融通の利かない弱弱しい存在にしか見えず。
これがイライラに繋がるかというう、宗教非合法化の地で逃げようとする度に足止めをくらい、いざ警官たちに捕まると彼らの恐るべきカンの悪さで見逃され釈放されるという深刻なスラップスティックと化して行きメチャクチャ面白い。そこから撮影のガブリエル・フィゲロアからブニュエルの不条理劇を想起させるのは容易く、逆にブニュエルの作品群は思った以上に真面目に「キリスト受難劇の寓話」をやってたんだなー、と改めて気づかされる。
アクションとしても素晴らしくて、警官隊とウォード・ボンド(凄まじくカッコいい役柄)との霧と砂塵の合わさった銃撃戦はスリル満点。酒場の足のショットも絶品!
最終回を経て『オネアミスの翼』やアニメミライ版(アッコとダイアナの構図逆転)に帰結していく『リトリウィッチアカデミア』をスキのない力作と見るか保守的と見るか…。
宇宙に飛び出すことの繰り返しが本当に若手の信じる心を呼び覚ます作用となり得るのか…。
半ばストーリーをクリエイター論への直喩にしすぎたが故の、クロワや教師陣の微妙に宙ぶらりんなラストの立場とリンクして何ともモヤモヤした後味。
『リリカルなのは』の「なのフェイ」再来と言わんばかりのカップリングによる共同作業のカタルシスを引き起こした「ダイアコ」の痛快さが、より大人たちのグラグラした存在を浮き彫りにして複雑な気持ちに。いや、百合的にはホント大勝利なのでこういうことはあんまり言いたくないのだが。
『フィフティ・シェイズ・ダーカー』何もかも空虚で最高!「どうでもいい」って素晴らしい!!
SM描写とダニー・エルフマンのスコアのやる気のなさ(=興味のなさ)が本作を象徴してる。
見事に自分たち以外どうでもいいダコタ・ジョンソンとジェイミー・ドーナンの【独り善がり】な生き様をプレイ内容よりも、ビジネスサクセスストーリーとして見せていくのが如何にもジェームズ・フォーリーらしい(こじつけ)。
障害になる存在は財力(=権力)で次々と一蹴。キチガイ化した従属はめんどうくさいから精神病院に収容だ!ついでに蹴落とした相手の地位も得て島耕作もかくやの出世街道!!
まったく感情移入できないバカップルのイケイケ物語があっけらかんと描かれてピカレスク物を見ているような意味不明の清々しさ。
ヘリ墜落にも無傷で帰還するジェイミーの馬鹿馬鹿しいエレベーター前の絵面に感動すら覚える。
『フレームアームズ・ガール』12話(最終回)。
感動的なのは、フレズも含めて「感情」を得ていくFAガールたちが人間に近づいていくのではなく、FAガールとして「経験」を獲得していく姿を描き切ったこと。
全話通して手描き作画のアップデートを強調した上での、Bパートの3CGライブパートがクオリティも含めてFAガールという轟雷たちの存在とそこでしかなしえない成長を肯定しているようだ。
ここであおという人間の存在を突き放すわけでもなく、家族で親で伴侶のような見守る存在として配置させてるのがまた素晴らしい。彼女の存在がストーリーを深刻さに陥らせないようにしているんだよね。
全体的に『トランスフォーマー スーパーリンク』に、『プリティーリズム・レインボーライブ』、『アイカツ!』、『プリパラ』を経てきた川口敬一郎監督のキャリアと、「あお(人間サイド)は基本的に成長しないというコンセプトを出した赤尾でこ氏、堺三保氏のSF設定(小説版必読)が上手く機能した力作だったと思う。
余談だけど 西 UKOの大傑作SF百合マンガ『となりのロボット』と合わせて鑑賞する楽しみもあるんじゃないかと思った。
『劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女』天才吉田りさこ初監督作!
基地から抜け出した九亜の身の上話という説明パートの演出が絶品!
音楽と天候変化によるあからさまな心情演出に油断してると、達也への九亜の怯えの視線逸らしがラストに繋がり鳥肌必死。ここに限らずサービスシーンを中心にした春休み休暇パートがシーンごとの配分も含めて大変バランス良い。
リーナなどのキャラクターや背景の説明不足(というか予備知識前提)やアクションの少なさに不満が挙がるのは当然だが、水戸黄門の印籠みたいなあの台詞に全てかけた語り口の前には些細な不満。
そもそも、エリカのチャンバラ(すんげーイケメン面見得かますからたまらん)と十文字先輩無双のおかげで個人的にはアクションも満足してたりすんだがねw
思った以上に面白くて良かった。原作やTVシリーズのイデオロギーに引いてる人もギリギリ見れる内容なのも気が利いてる。
DVD『ストーンウォール』エメリッヒ版『真夜中のカーボーイ』。
「ストーンウォールの反乱」を脚色しまくってまで自分を投影したジェレミー・アーヴァインを事件の渦中に存在させたかったローランド・エメリッヒの愚か者っぷりに泣く。
ゲイの危険性を訴える“教育映画”の上映描写を始め身を切るような描写のオンパレードなジェレミーの故郷を出るまでの前半。ここから始めなければ自分の映画にならない、と言わんばかりのエメリッヒの痛切な語り口は舞台がニューヨークに移っても変わらない。マルクス・フェーデラーのくどい色彩に疲れる撮影と共にジョニー・ボーシャンとやるせなく切ない、不信と信頼を行き来する交流劇。
実際はその場にいなかった人物が暴動を先導してしまう問題のクライマックスに不覚にも涙してしまったのは、自分の歴史への無知と無理解が大きいのは確か。
その上で本作を愛さずにいられないのは、エメリッヒの連帯へのああまりに無邪気な信頼とそこに自分の投影を置かずにはいられない傲慢な想いに共感してしまったからだ。「あの時代にいれば…、あの場にいれば…」という願望を自分は完全に否定出来ない。押井守ならわかってくれるはず
@comman 『Fate/Zero』ぐらいからずっとそんな印象ですけどね。惰性で見てる感。
@comman ですよ。
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