『ありがとう、トニ・エルドマン』しゃらくさい。要は園子温。
『ありがとう、トニ・エルドマン』
いくらなんでもお母さん蔑ろにし過ぎだろ!父子を出会わせるための作劇に利用し過ぎ。「葬儀で再会」は古典的な手法なので今更批判してもしょうがないんだが、クソつまらん父子交流を見せられた後であの母の扱いは最低でしょ。
父子の和解と無理解の受容劇やグローバルなビジネスの貧困格差描写にザーメンマカロン&全裸パーティーのアナキーさなど、全てがこれみよがしで野心に満ちててどうでもいい。「ヤバいことしつつも色々考えてるし泣けるでしょ?」とでも言いたげな仕上がりが本当に不愉快。
どんだけ定石を外そうと本作は『フィフティ・シェイズ・ダーカー』の無垢な無神経さには敵わない。
@salo おお!凄い偶然ですね。いや、ほんと泣けますよこれ。怪獣映画ラストの物悲しさに忠実で涙ポロポロ。
『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)』と『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』がDVD化するのか。
『奇形人間』ソフト化よりそっちの方が嬉しかったりしてw
『やくざ刑罰史』のopは本編(傑作だけど)も真っ青の残酷絵巻で素晴らしい。石井輝雄はエロよりモダン・ギャング路線の延長線上にあるこういう作品の方が好き。
クライテリオン盤BD『マルチプル・マニアックス』
『20センチュリー・ウーマン』のアネット・ベニングを見てて何故か本作のディヴァインを思い出したので再見。ボガードになりたっかた母とゴジラになりたかったドラァグクイーン。単なる連想ゲームの域を出ない意見ですけど。
しかし何度見ても泣ける傑作だ…。情夫や情婦(ダジャレじゃない)の絶望的にくだらない会話をダラダラ撮り続けることの崇高さよ!「ザリガニ出てくるまでつまんない」とのたまうやからの愛車を叩き壊したやる!!
テントで観客皆殺し(ちっともグロに傾かないのが何だか素敵)た後に車に向かう場面の異様なまでのカッコよさ。レストアされた16mm映像がドキュメンタリー感を更に強調していて、恥ずかしいこといううとヌーヴェルヴァーグ感が半端ない。ドライヴ場面や路上場面がとにかく最高なのよね、本作。
『結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-』<第3章>「やくそく」
5話に該当するであろう三ノ輪銀の葬儀場面が良い。「犠牲」を納得させるための儀式をここまで徹底して描いているが流石。
「納得」のプロセスが冒頭の検閲済文章と相まってグロテスクな意味合いを帯び、一見感動的なクラスメイトの禁止されている勇者たちへの応援ですら大赦の意向に沿ったものであることを浮かび上がらせているのだからまいる(これは第1章から一貫した描写)。
それに比べると6話はTVシリーズ1話に繋げるための段取り感があからさまに出ててやたらバタバタした印象。意図はわかるが辻褄合わせのための満開バーゲンセール描写はもうちょっとどうにかならんかったのか…。
そのっちからわっしーへのリボン受け渡しも話の都合感があまりに全面に出ててフラグ構築での観客感情誘導に完全に失敗してる。
『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』
変わらなさの象徴として上映前のマナー広告からラストまで存在感抜群のジブリールがとにかく素晴らしかった。全く人間の倫理で過去をとらえていない様子が清々しく、田村ゆかり氏のこの手のキャラの演技アプローチの凄まじさに改めて感服(キルラキルは 針目縫をラスボスにしなかったのが納得いかん)。
つーか本作、ローランド・エメリッヒだよね、ぶっちゃけ。演説パートのクドさとか『インデペンデンス・デイ』だったし。そんなわけで今週の封切作で多分どれよりも“大作”だと思うのでその手の作品が好きな人はオススメ。前日談なんでTVシリーズや原作を読んでなくても大丈夫です(つーか、読んでても固有名詞や世界観はわかりにくい作品)。
『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』
変わらないことの尊さと愚かさを包み込んだ優しくて厳し過ぎる傑作。
「異種族の無垢な存在(だいたい少女の形を取ってる)との交流と犠牲による泣かせ」という劇場アニメ作品がよくとるプロット(トリニティセブンや魔法科高校の劣等生
)を取りつつ、それが内紛する救いのなさをしっかり見つめているのが“幻想殺し”の花田十輝氏と“過剰リアリスト”のいしづかあつこ氏らしい。無論、作家論で見るなら原作(6巻)榎宮祐氏の「強者故の敗北者」への冷徹かつロマンチストな視点も忘れてはならない。
冷酷に仲間に自己犠牲を強いるリクの希望は最後まで叶わずリク自身によって裏切られ、シュヴィは感情を学びリクへの愛を育みながらも最後までエクスマキナの一部としてしか報われず、コローネは傍観者として報われた筈の世界を口惜しさいっぱいに生きていくことを強いられる。
特にシュヴィは育んだ感情すらエクスマキナの一部に回収されることでしかリクの力になれないのが残酷で、それ故にこの作品がカーストの最下位である人間側の物語でありながら人間に肩入れしていないことの証明で、そこが本当に誠実で泣ける。
シネフィル