Red Rain (Malayalam/2023)をDVDで。
近年快作を連発してホラーの第一人者になりつつあるラーフル・サダーシヴァン監督のデビュー作。低予算で製作された本作が興行的に失敗したあと2022年Bhoothakaalamまで沈黙した。何とも言えない奇妙な映画。2001年に実際にイドゥッキで起きた、赤い雨の降雨と火を吐く何かが空を横切った事件に想を得ている。科学者が恩師の孫娘、弟分の青年、2人のイタリア人とともに、侵入禁止の山中に分け入り、恐怖体験ののちに地球外生命体と邂逅するという物語。ドラマとしてはダメダメで、101分しかないのは途中で資金が尽きたからなのかと疑わざるを得ない。科学者の行方不明の弟のエピソードが宙ぶらりん、道行の意図も不明。道中の沿道での不気味なあれこれも雰囲気を盛り上げるだけで終わっている。邂逅後を端折りすぎ。シャーリの顔が怖い。地球外生命体がチャチ。しかし冒頭パーラッカードでの不可思議な火柱が空を横切るシーンの予兆に満ちた描写は見事。途中からフッテージものの技法が挿入される。無音や、生活音の一部だけを抽出するような音響処理も含め全体としてホラーの作り。
Avihitham (Malayalam/2025)をオンラインで。
Padminiでほほうと思ったセンナ・ヘグデ監督の最新作。僅か100分超。カーサラゴードのど田舎カーニャンガードが舞台。家を離れて泊まり込みで働くことの多い宮大工の男の妻が隣家の男と不倫をしている(ただし女の顔ははっきりとは見えない)のを目撃した近所の男が、宮大工の家に恩義がある仕立て屋にそれを打ち明け、次の夜には2人で張り込み、疑惑を確信に変える。そして2人は不倫妻をとっちめなければならぬという使命感に燃え、夫やその父の棟梁などに知らせ、さらに多くの人とそのことを共有することになる。この間のPonmanでもそうだったけど、「スーパーマンでも聖人君子でもない、欠点もあるカタギの一般人」の許容範囲がどう考えても日本人よりも広い。そういう意味でマラヤーラム語映画の世話物は怖い。ただまあ、限界集落ヴィレッジ・ホラーにもなりえる素材を本作はギリギリのところでコメディーにしている。カーニャンガードは調べてみれば景勝地もあるエリア。舞台となる家を取り囲むのは緑豊な自然だが、美しさよりは田舎の退屈さの方が印象に残るようになっている。
Padakkalam (Malayalam/2025)をオンラインで。
現地で評価が二分された面白い例。学園を舞台に、黒魔術を使い学内政治で優位に立とうとするキレ者教授と、そのライバルの色々問題を抱えた教授、黒魔術の場を偶然覗いてしまった冴えない奥手の学生と仲間たちが繰り広げる三つ巴騒動。魔術遣い教授から呪物を盗み出した学生が呪物に手を加えるとボディスワップが起きてさらに混迷する。学園物との組み合わせとか新機軸はあるが、昔から連綿と作られてきた黒魔術映画のバリエーション。ボディスワップが3人の男の間で起きるという設定により芝居を見る楽しみが増幅し、シャイフッディーン、スラージ、サンディープ・プラディープがそれぞれに上手かった。特にシャイフッディーンはもう少し注目しようと思った。怪異の起きるロジックは、科学的にはもちろん、劇的必然性もなく、ストーリーを動かすためだけにあるご都合主義のでたらめだけど、とりあえず笑えたし、スワップが起きてからも借主が酒を痛飲すると体の元の持ち主が急性アルコール中毒で倒れるるなど全く意味不明。ラストシーンで「何を期待してるんだ、第二部はないぜ」というのが笑えた。
Ponman (Malayalam/2025)をオンラインで。
知人が激賞と聞いて。先日再見のMangalyam Thanthunanenaに続き、金の宝飾品へのオブセッションを描くものだった。冒頭のコッラム讃歌は面白い。KUBOの世話物に特徴的だが、ヒロイズムを体現した登場人物がおらず、誰もが強欲・虚言・自己中心・暴力などの欠点を持つ一般人なのだが、その許容範囲がどう考えても日本人よりも広い。借りたものをごまかして返さないという時点でヒロインの一家は極悪サイコパスだと思うが、決定的な罰は与えられない。見る文化人類学だ。ラテン・カトリック家庭での持参金をめぐるハードコア・コメディー。結婚式出席者が祝い金を出す習慣や、ダウリの金製品ブローカー業は初めて知った。三分の一ぐらいから登場するアジェーシュは見かけはともかく、超人ヒーロー然として不敵な笑みを絶やさず、肉体的に優位な相手に対しても仕掛けたり挑発したりするが、いざ戦いになると全然強くない。不敗のスピリットだけがある感じ。マラヤーラム語映画はコメディーの体裁で一般人に潜む獣性を淡々と描く。 極悪島のロケ地はMunroe Thuruthu。
2025.11.19現在の日本の映画興収ランキング。
鬼滅・国宝・コナン~と40位までランキング表示。40位の「事故物件ゾク 恐い間取り」が10億円。そこから0.01億円まで並び、インド映画は0.1億円の『KILL 超覚醒』(封切り1週目)だけが書きだされている。ツ社のどんな作品ものってこなかったか。
https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2025/
Andondittu Kaala (Kannada/2025)をオンラインで。
昨日ユヴァを見たから、試しに兄のヴィナイを見ておくかと思ったが失敗した。2時間ないのにダレダレ。どうしようもなく組み立てがヘタ。2021年に撮影開始した(プニートがゲストだった)のが遅れに遅れてやっと今年公開された。田舎の映画館の映写係の息子に生まれた男が、プッタンナ・カナガールに憧れて監督を志望し、大志を抱いてバンガロールに出て、苦しみながら映画監督として独り立ちして成功者になるまでを描く。本作でデビューの監督の自伝的要素があるらしい。お約束の悪の巷としてのバンガロールの描写、愛をめぐる問答、おかんセンチメントもあり。しかし、ヴィナイの生硬な芝居、テーマのふらつき、とってつけたようなカンナダ語礼賛、不必要なフラッシュバックなど、色々酷い。アルジュン・ジャニヤやラヴィ・ヴァルマンの壮絶な人生を読んでいると、作中の苦労などお遊びにしか思えない。ゲストで自身の役でラヴィチャンドランが出てくるが、そのトークショーのシーンがまた長い。唯一よかったのはハーサン県マヴィナケレという設定のロケーション。実際の場所だろうか。
Ekka (Kannada/2025)をオンラインで。
前日のVaamanaがアレすぎたんで、とてつもなく素晴らしく思えてしまう。初めて見たユヴァ・ラージクマールは本作が実質的に第二作目という。見た目はもっさり平凡だが、カンナダの平均値からすると華がある方か。これもまたアンダーワールドもので、田舎からやってきた純朴な若者が大都会バンガロールの洗礼を浴びて、都市の文化や豊かさを享受する前に犯罪組織に絡めとられ、ご都合主義的な身体能力の高さから、たちまち若頭に上り詰めるというもの。多少工夫したのは、田舎でも人を騙すことが横行している現状を描いたこと、ツインヒロインがどちらも冷蔵庫に詰め込まれなかったこと(しかし似すぎて見分けがつかない)か。バンガロールのメインの舞台はシヴァージーナガラか。00年代には一応ヒーロー役だったアーディティヤがキレ者風の警察官としてカッコつけて登場するが、不発気味。最終シーンなんて自分じゃ手を汚さずに主人公の復讐にタダ乗りしてマフィア一掃を図るとか、カッコよくない。ラージクマールへの言及は懐メロソングを流すぐらい。リードペアがベナレスで別れ別れになる理由の説明なし。
Memo:『鬼滅の刃』日本映画史上初の全世界興行収入1000億円突破
公式から。
<日本国内>
観客動員:2604万5587人
興行収入:379億2758万9200円
※7/18~11/16までの公開122日間
<全世界>
累計観客動員:8917万7796人
総興行収入:1063億7056万8950円
※1ドル=145円換算
※11月16日時点
https://x.com/toho_movie/status/1990366525803639274
Memo:『鬼滅の刃』日本映画史上初の全世界興行収入1000億円突破
7月18日の日本での初日から16日までに興行収入379億2758万9200円、全世界で4億7202万550ドル(684億4297万9750円。1ドル145円換算)を記録。日本を含む全世界累計の興行収入が1063億7065万8950円となった。
ちょうど1カ月前の10月17日に、同13日までに、日本を含む全世界で興収が約948億円(6億5400万ドル=1ドル145円換算)累計観客動員7753万人、を記録し、2025年に公開された全ての映画の中で、現時点で全世界興行収入5位となったと発表していた。
https://news.livedoor.com/article/detail/30002922/
Vaamana (Kannada/2025)をオンラインで。
全く知らない若手俳優ダンヴィール・ガウダが主演。すでに5年以上のキャリアがあると知るが、いいところなし。ぎこちない童顔、表情に変化なし、ダンスも下手、背は高いようなのにそれを感じらせないずんぐりとした体躯、通常ならヒーローにぶちのめされるモブのグンダーの一人でしかないタイプ。ダルシャンに心酔していることを作中でも明示しているが、コネか何かあるのか。ベタベタのありきたりアンダーワールドものでもシュリームラリがやればさまになったかもしれないけれど、このニイちゃんでは無理。2つの対抗するギャングの片方の下部組織で鉄砲玉として殺しなどを常習している男が、対立組織するトップに手をかけ、結果としては自分が属する方の組織もせん滅する。その過程で何回かの捻りも加わっているが、どれもダレダレ。警官・ギャングを問わずアクションの前に長々と決め台詞を口にするスタイル。ダシャーヴァタールから始まり例によって神話からの引用が多い。主人公がなぜ堅気女性から惚れられるのかも説明なし。アチユト・クマールやターラがこのレベルのものにも出てるかと思うとクラクラ。
Grobe Trotterのティーザー&タイトルお披露目式典、
結局最後までダラダラ斜め見してしまった。うむむ、結局神懸かったテイストのものになるのか。マヘーシュを主役にしたお洒落な諜報部員が世界を股にかけてアクション行脚する、いうなればDookuduの冒頭部をパワーアップしたようなものになるのかと思ってたので肩透かし。それにしても、あれほどの盛大なイベント、世界に向けた発信でも、基本的にテルグ語で行うというのに感銘した。そしてまさかのプロジェクタ不調。現場担当者の胃のキリキリを想像してこっちもキリキリ。間を持たすためにあれこれアドリブしてた中で、SSRが明かしたティーザーのリークが衝撃的だった。SNSタイムラインにもイベントが始まったばかりの時点でそのリーク画像を得意げにシェアしてるアカウントがあって???状態だったのだけど、そういうことか。日本語の公式実況twも色々酷かった(スクラーマンとか)。
Dashavatar (Marathi/2025)をイオンシネマ市川妙典で。
何と、本年のマラーティー語映画の興収で断トツのトップだという。そして主演俳優は81歳。スリラーとのタグもつくが、ストーリーは直線的で、隠れていた悪役が最後に分かるなどのツイストはない、民話に近いナラティブ。悪役は最初から分かっていて、コバルトの採掘のために部族の神を祀っている森を伐り崩そうとする彼らと、その地で伝統芸能に携わっている老役者との闘いを描く。爺ちゃんが殺されて息子が奮起してそこに神が降りてきちゃったりするのかと思ってたら、息子が殺され爺ちゃんが復讐するというものだった。舞台はMH州最南部のシンドゥドゥルグ。ダシャーヴァターラとは演目ではなくその地の伝統芸能ジャンルのこと。神(名前を後から調べること)とその守衛の黒豹のいる森。似たような環境破壊問題はラトナギリ県のバルスで過去にあったらしい。最後に環境保護NGOらしき群衆が出てきてコンカンの森を守れと演説するところはやや蛇足感があった。Kantaraでもそうだったけど、ヒンドゥー教大伝統の神とトライブの信仰する神とをイージーに重ね合わせていいのか問題。
Edagaiye Apaghatakke Karana (Kannada/2025)をオンラインで。
投身自殺しようとする若者を止める訳ありげな男。若者は左利きゆえに今の状況に追い込まれたという。詳しい訳を聞きたがる男に若者は詳しい状況を語りだす。高級マンションの19(9だっけ?)階のガールフレンドの部屋に行く。しかしバルコニーで二人で戯れている最中に彼女はよく分からない展開で転落死する。こっそり入室していた男は殺人容疑者になるのを恐れて隣室に忍び込む。しかしそこでは別の殺人が行われていたところだった。あれこれともがいているうちに死体がどんどん増えていくというブラックコメディー。ところどころロジックのつながりが分からない。まず最初のガールフレンドの転落、それに若者と隣室の女が一時的にマンションの外に簡単に出て戻ってくるところ、最後のオチの男の行動(いつからあの部屋にいた?)などなど。左利きの若者がうっかり左手で左の部屋のベルを鳴らしたのが全ての始まりだったというのも分かりにくい。それでも久しぶりのディガントは昨日のアレに比べるとちゃんと見られる顔だし、キモいニループも役にフィットしてた。
Manada Kadalu (Kannada/2025)をオンラインで。
ヨーガラージ監督作は久しぶり。レビューで監督としてオワコンに差し掛かったなどとも見ていたので恐る恐る。まあトータルに言えばオワコンに近かった。ヨーガラージという人は、ヒーロー然とした主役が好きではないみたいで、へなっとした非筋肉系男優をよく使う。今回もそうで、未熟で頑な、世を拗ねていながらお花畑、幼児性の抜けきらないヒーローが、瞳孔開いてるんじゃないかという変なテンションであれこれしでかす。まあそれと、2025年にもなってトライブの扱いはあれでいいのか問題。しかしイメージの連鎖は美しく、特に水滴から大海原に至るまでの水の表現が素晴らしい。また薬草を探して西ガーツに分け入るシーンは『マレナード物語』を思わせた。そしてソングのいずれもが、素っ頓狂なイメージを交えながらも色彩設計や透明な空気感などにおいて優れていた。テーマは医療で、様々な形での癒しが現れる。ただし、最初のほうでの主人公のキレ方でこいつは医療に携わっていい人間じゃないと感じさせるのはマイナス。体だけじゃなく心を癒さなければ人は病から回復できないと言いたげ。
Yuddhakaanda Chapter 2 (Kannada/2025)をオンラインで。
アメリカの司法ものなどにある、「法廷はあくまでも法というルールにのっとったゲームの場、うまくゲームをしたものが勝つが、良心に照らしての正義は時には別のところにあり、最終的には神が審判を下す」という発想は逆によくわかる。本作での敵対側の弁護士の考え方がこれに近いものを感じた。もちろんインドの場合、これが野放図に適用されると弱肉強食になってしまうからこそ、一発逆転プロットが好まれるわけだが。だからと言って、弱い側につく法曹家をダイレクトにクリシュナ審にしてしまうのはどうか。
Yuddhakaanda Chapter 2 (Kannada/2025)をオンラインで。
まあ、インドの映画は全部ビジランテと分かってはいるけど、ただもう大衆の留飲を下げるためだけみたいなのを繰り返し見せられるとつらい。特に現在の日本で要人暗殺の裁判が行われているのを脇目で見ていると。R3にしろ本作にしろ何にしろ、造反有理の原則で、実力行使で悪辣な権力者を弑してしまえば理屈は後からついてくる的な作劇が多すぎる。本作の場合、殺害犯が最初から計画して復讐を遂げたのだとしても、それはそれで受け入れられてしまうだろう。もちろん、悪辣な権力者とか機能しない司法制度といった現状のひどさがあるので、そうでもしないと正常化しないという一方の理屈はある。それは絶対に日本の現状と同一視してはいけない部分。そして正義の弁護士が神懸かった状態になるのを神話ともろにオーバーラップさせて肯定的に描くというのは昨今のトレンド。母親役にカーリー女神をやらせなかったのはバガヴァット・ギーターに水を差すからか。熱しやすい大衆の愚かさを描いた「Indian 2」や「Vettaiyan」の興収がイマイチだったのがよくわかる。
Yuddhakaanda Chapter 2 (Kannada/2025)をオンラインで。
6歳の少女が地元政治家の弟で麻薬常習者の男に攫われ、レイプされたうえで放置され、瀕死の状態で発見される。少女はその後2年も昏睡状態になる。聞き込み調査により男は容疑者として拘束されるが、裁判は遅々として進まない。軍人の未亡人である母親は何度目かの閉廷のあと、裁判所敷地内でそばにいた警察官から奪った銃で保釈中の男に向かい発砲して死に至らせる。目撃者多数の白昼の出来事でオープン&シャット・ケースと言われる事案に、法科大を出たばかりの男が立ち向かうという物語。基本的なテーマは裁判の異様なほどの遅さに対する異議申し立てなのだが、そこにバガヴァット・ギーターを持ってきた。最終弁論にクリシュナのセリフが重なり、瞳孔が開いた状態の弁護士がサンスクリット語を口にする。そして裁判で争われるのは最もセンセーショナルな幼女への性犯罪への復讐。母の行ったことの責任能力の有無が問われるが、主人公の弁論は情に訴えすぎる点が多いように思えた。プレ・エピソードとして追突事件で彼が裁判長の家庭事情を利用して勝訴を勝ち取るのと同じ。
Firefly (Kannada/2025)をオンラインで。
シヴァンナの娘のプロデュース作品。ふーんという程度だったけど途中でシヴァンナがカメオで出てきて吃驚。アメリカで働き、4年もインドに帰っていなかったヴィッキー。従兄の結婚式のためマイスールに戻った彼を、陽気な両親は空港に迎えに行く。帰り道のハイウェイのトンネルで、暴走トラックに突っ込まれた車は横転し、両親は死亡、ヴィッキーは3か月も昏睡状態に陥る。眠りから覚めた彼の心的外傷後ストレス障害(PTSD)からの復帰を描く。とはいえ、医学的な描写はほぼなく、ポップでコミカルなタッチで素っ頓狂な主人公の行状が繰り広げられる。監督・脚本・主演のヴァムシ・クリシュナ・シュリーニヴァースは監督としてこれがデビュー。マイスールが舞台でも実景ロケはほぼなく、遊園地的なカラフルなセットを背景に、コミックブック的なおふざけが繰り広げられる。後半には貧しい農夫なども登場するが、変なキャラの一人という程度の位置づけで、リアリティーはあまりない。ただしその妻の口にする台詞がキーとなる。『お気楽探偵アトレヤ』と同じく、ヒンドゥー教徒の墓地が画面に頻繁に表れる。