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スーリヤ、いいこと言うなあ。 

“We will make them (Bollywood) talk about us by the work we are doing here,” said Suriya when asked if he desires to work in Bollywood. “Of course, it’s a bigger industry and a bigger platform. If I get a chance, I’ll work in Bollywood. But I don’t think we need to go there to prove ourselves,” he added.
indianexpress.com/article/ente

Chak De! India (Hindi/2007)をオンラインで。 

ある作品との類似性を確かめたくて。まあかなり似てた。トラウマ的な出来事があって引退した花形選手が、女子ホッケーのインド代表チームをまとめることになり、メンバーの士気低く、お互いにいがみ合い、何よりも周囲から全く期待されていない寄せ集めを何とかワールドカップに出場させるという話。最初の半分はコーチへの不信感とその克服というモチーフ。その後はチーム内の個々人のエゴの克服に移り、対戦相手との戦術的な駆け引きはちょっとだけ。決勝はPK戦にもつれ込むというのもお約束。(インドでは)比較的マイナーなスポーツを持ってくると収まりがいいように思える。しかし地域ごとに分かれて一つになれないインドを批判するテーマ立てをしながらも、人間的なドラマの主役はアーリヤ系のバックグラウンドの女性たちだけで、北東州人、アーディヴァーシー、テルグ人などはやってます感を出すためだけに取り込まれた印象。SRKは顔をヒクヒクさせることで演技してるように見せる癖が苦手だが、本作ではそれが抑え目で良かった。チームがデリーで食事しに行くのがマックってのに時代感。

The Fame Game Season 1 (Hindi/2022)をNTFLXで。 

一話43~54分のエピソードが8話で一応完結。2日かけて見た・いかにもなボリウッド内幕者風の造り。人気に影が差し始めた熟年大女優、金の亡者のプロデューサーである夫、ヤバいストーカー的ファン、問題を抱えた子供たち等々、お約束に近いキャラが登場するが、巧みな切り替えの手法(Davidを思い起こさせる)で面白く見せる。ボリウッドの芸能一家について大して知らないけど、実在のスターの家(特にSRK家とシュリーデーヴィー家)がどうしたって思い起こされる。まあそれに、「特別なフェロモンを持っていて観衆を魅了したその魔法が50歳を過ぎてもまだ生きているけど、確かに主演作・ヒット作は減っている」という主演のキャラは、シュリーデーヴィー亡き今はもうマードゥリーしかいない。半ば記号となった、慣用句でしかない美貌という点でも。劇中の「一族で所帯をもった女はお前が初めてだ」とヒロインの母が言う台詞が印象的。デーヴァダーシーにあたるカーストの出身ということなのか。種明かしは予想の範囲内だったが、真相と真逆の幾つかのカットはズル。

薬の神じゃない!(我不是藥神、Dying to Survive)〔中国、2018〕をNTFLXで。 

インド関連中国映画ということで気になっていた一本。2014年に起きた実話をもとに膨らました作品。現実には癌患者が自分でジェネリック薬品を密輸したというものだったのを、患者ではない癖のある男を主人公とした。日本の公式サイトが「ニセ薬事件」と書いているのはどうかと思う。ジェネリック薬品を偽薬と言うのは、劇中の悪役であるスイス製薬会社のロジックではないか。インド要素はというと、冒頭からいきなりボリウッドソングで攻めてきた。主人公は怪しげなインド製精力剤を扱う商店の経営者でかなりの屑野郎。そんな男が色々あって白血病患者のために、スイスの製薬会社の治療薬と同じ薬効のインド製ジェネリック薬品を求めてムンバイに行く。そして仕入れた薬をコンテナに隠して密輸。その取引相手のインド人が、変な誇張がなく、しぶとい商売人だが仁義のあるやつとして描かれていた。主人公が変な形でインドに迎合しようとしないところにも好感度あり。資料:blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/3b

ダウントン・アビー(UK、2019)をNTFLXで。 

疲れ気味なので日本語字幕で見たかった。なんとなく名前だけ知ってて、多分流血とかはなさそうということで選んだ。しかし人物関係はわかりにくい。後から調べたら、2010年から5年も続いたTVシリアルのスピンオフだという(ストーリーはドラマの要約ではなく後日譚的オリジナル)。道理で情報不足感、不完全燃焼感があるわけだ。劇中の要所要所で巧みな人物紹介がなされるのだが、それが大体遅すぎのタイミング。連続ドラマを見ていたらスッと入っていけるのだろうけど。1927年の設定だとのことだが、批判精神なく繰り広げられる上流階級ライフを見続けるのは退屈だった。もちろん劇中キャラのそれぞれには愛憎のドラマがあるのだが、スケールが小さい。上流階級以外に語るべき人生はないという作品世界は例えば源氏物語だってそうだけど、20世紀でこれかよという失望。時代劇には、歴史的構造性とヒリヒリした苦味が欲しい。疲れ気味だったのでヌルい話で安らぎたかったのだけれど、これは駄目だと思った。

世宗大王 星を追う者たち(천문:하늘에 묻는다、2019)をNTFLXで。 

昨年韓国文化院のオンライン映画祭で途中まで見ながら、ネット不調で途絶して気持ち悪かった作品をやっと通して観られた。上手い役者と上手い語り口でまとめ上げられた佳品。冒頭いきなり輿が壊れて地面に放り出される王。随身一同は平伏して「このような不吉なことを起こらしめた自分を殺してほしい」と懇願する。まさにかの国の旧体制下での事大主義の結晶のような光景で、これに似たことは劇中でその後も何度か繰り返される。誰も自分が本当に死を賜るとは思っていない。しかし後半のクライマックスでは、主人公は王への忠義ゆえに敢えて自分を反逆者として受刑しようとする。この二つの言葉の対比が鮮やか。世宗大王についてハングルの創設者という以外にはほとんど知らす、豪放磊落な人物と勝手に考えていたが、明国の強圧と統率しきれない宮中の諸勢力との間で困難な統治をおこなった人物として描かれていたのが意外だっだ。独自の暦、時計、文字の創造も、日本では自然発生的に生まれたものと理解しているが、明に従属的な立場にある朝鮮ではこれほどに困難で挑戦的なものであったとは。

Bheemla Nayak (Telugu/2022)をスキップシティで。 

予想通りAKとは別の映画だった。AKでは上層階級の傲慢と被差別階級のルサンチマンとが激突し、揉みあい押し合いを(時おりの引きも交えながら)続けるうちに、戦いの「合理的な」理由はどこかに行ってしまい、いがみあうオスとオスとの闘い、どちらかが死ななければ終わらない不条理の世界に突入していく過程を、徐々に高まる血潮と共に駆け上がっていくのが快感。しかしBNでは最初からPKがヒーローで救世主。「あの時助けていただいた●●です」を導入し無理矢理〆た。それで二人が和解するというのも、分かりやすいが薄っぺらい。そもそもワランガルのMPの息子ダニエルがなぜ部族民の娘と結婚するのか。AKと違いこの男は妻に手を上げることもしない。父も家父長制の権化というよりは単に汚い奴としか描かれていない。それから、ビームラーの出生についての部分はきれいに抹消されていた。彼と部族民との繋がりは過去の人助けと、妻スグナの行う自助支援活動のみだったか。音楽と振り付けは(ラブソングを入れなかったことも含め)非常に良かった。最後の果し合いの場所はどこか。

Valimai (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

それなりに期待していったが、どうも微妙な出来だった。アクションの洪水にアジットの演技が窒息させられている感じがした。中途半端なファミリーセンティメントはそこだけカンナダ映画。アジットの見た目もどうも精彩を欠いていた。そしてともかく悪役が弱い。巨額のコカイン取引をやってるのに、手下のボーイズにはゴールドチェーン強盗をやらせてる元こじらせ系無職の大卒。劇中でアジットに決して少額ではないと言わせているが、薬物で儲けてるならそんな危険なことやる必要ないじゃん。へんな隈取をしてみても悪役の弱さは隠しきれず。権力中枢に入り込んでる中ボスの頭脳系悪役がディネーシュ・プラバーカルというのもミスキャスト。まあただ、アクションは本当に力が入ってた。モトクロでの空中戦(インドでモトクロってどのくらいポピュラー?)、護送車での攻防戦、ごく短い時間ながらチェンナイ市街でのチェイス、それに火花の散る幻想的なアジトでの肉弾戦。Sooryavanshiがパロディーとしてやったことを、ここでは大真面目にやっていた。ただもうヴィノード監督は信用できないわ。

Padayottam (Malayalam/2018)をDVDで。 

先日AKを見直してから、ビジュメをもっと見たくなって。160分で確かに長いのだが、3日かかったことで、自分が疲れてるのが分かった。例によって離陸までにノロノロ運転が続くストーリー。ボコボコにされた悪ガキ仲間の仇討のために、トリヴァンドラムからカーサラゴードに出かけていく凸凹4人組の話。州都から始まり、エルナクラムで知りもしない人間の家での結婚式前夜祭に参列し、トリシュール近郊のチャーヴァッカードでは妙な手配師(リジョー・ジョース)に振り回され、カーサラゴードにつくと、仇はマンガロールのギャングのドンの息子であることが分かり、しかもその息子が行方不明、4人組が誘拐したと思われていることが判明する。ドンはトリヴァンドラムで家族を人質に取っていることが分かり、慌てて来た道を戻ろうとする4人組。しかし持ち金をすべて盗まれており…というストーリー。各地のご当地ネタが盛り込まれ、方言での笑いもネイティブには堪らないものなのだろう。ギャングものだが血はほとんど流れない。ビジュメは安定のもふもふ。字幕なしで呑気に楽しめたら、という一作。

Sathyam Paranja Viswasikkuvo (Malayalam/2019)をDVDで。 

ビジュ・メーノーンとサンヴリタのイメージに惹かれて。字幕が雑だった。無闇と登場人物の多い田舎人情譚。話の主筋の輪郭が分かるまでに枝葉のエピソードが延々続くあのパターン。先日観た41とシームレス。特に冒頭に出てくる政治家のエピソードが思わせぶり(とりわけあの無駄に強面のマダムとか)だけど、今ひとつ絡み方に説得力がない。しかし、無茶苦茶なローリーの事故からの、積荷の散乱による村の狂乱、「ハイウェイ」ジェシーの鉄火ぶりとか、連行される主人公たちへの村人たちの容赦ない罵倒のお祭り騒ぎなどなど、色々野蛮なイメージが畳み掛けるように出てくるところからは楽しい。ど田舎の村なのに当たり前のようにベンガル人が出てくるところも興味深かった。サンヴリタは久しぶりに見るなあと思ってたら、カムバックとのことだった。かつての丸顔の瑞々しさは後退したが、苦労人のおかみさんを難なく演じていた。ビジュメはいつも通りの愛くるしさ全開。だらしなくてバカな奴のキャラを衒いなく誇張もなく演じ、最後の泣き笑いの改心が美しかった。

Rang Milanti (Bengali/2011)をDVDで。 

タイトルの意味は直訳だとcolor matchingとなるのだが、劇中の星取表と関係があるのかないのか。DVDをショップで漁ってた時にカウシク・ガングリーの名前に惹かれて買ったが、何とも言えない微妙な出来。昨年見たBrahma Janen Gopon Kommotiに近い、説教テーマをシュールな喜劇に仕立てたもので、これがベンガルコメディーの定型と言っていいのかは、もう少し見る必要がある。現代版スワヤンヴァラのような設定で、一人の女性が親しい4人の男を配偶者としてふさわしいかどうか、10のクライテリアで10点満点で採点して、最高得点者と結婚すると宣言。最後には満点人間などいないという説教で〆るのだが、何か前提から間違ってる。途中では明らかに一番スペックの低い引き立て役に花を持たせていい所を強調し、大穴狙いを予想させながら、決断場面で振り捨て、エピローグでは死んだことになっているのがよく分からなかった。それはそれとして、シャシュワト・チャタルジーやチュルニ・ガングリが織りなす大人の世界のグラマラスな雰囲気は非常に良かった。

Kumbalangi Nights (Malayalam/2019)をYTで。 

公開時にプレビューを書くために山ほど現地レビューを読んでストーリーを事前にほぼ知ってしまったのに、自分自身は旅先の場末館の字幕なし上映で見なければならなかった痛恨作。YTに降りてきて初めて英字幕付きで観た。やはりこれは真っさらで観たかった。そして4人兄弟のバラバラの出自に驚き、終盤のアレに震えたかった。なるほどクンバランギはエコヴィレッジなのか。そして兄弟の住処近くだけが「ゴミ溜め」と貶められた場所で、一家の生業は一応は漁労であったか。それにしてもやはりファハドが凄まじい。肥大した自意識と階級意識の化け物で、でも実際は町の床屋さんという庶民的な職業(グルーミングのプロというのは象徴的だが)。微かに潤んだ目でいつも他人を見下している。猛禽のようにシャープな容貌のファハドが、このねっとりと薄気味悪い男をこれほどリアルに演じられるとは。そして彼が同世代の中のトップ俳優であるという事実に、マ映画界の特殊性が迫ってくる。それに女優の個性的な容貌も。3年前に一度聞いただけの音楽もスッと心に馴染むもので見事。カメラも最上。

Kurukshetra (Kannada/2019)をYTで。ただしヒンディー語吹き替え版。 

オリジナルより14分も短いのはソングがないから。見通した後で字幕なしカンナダ版オリジナルでソングだけまとめ見という変則鑑賞。それにしてもストーリーを知ってる古典物語を見るというのは、しんさくの鑑賞とはずいぶん違う。なんだかんだで一気見した。小林秀雄の平家物語のあれを思い出すなど。全体としてはムラが目立つが一部のキャストは目覚ましい。MVPはラヴィチャンドランのクリシュナ。ラヴィシャンカルのシャクニはコテコテだが表現力がある。スネーハのドラウパティーも、凌辱のシーンでの全ての男を呪う横顔のカットが良かった。ペラッペラの安いCGは劇場で見たら腰砕けだったかもしれないが、数をこなして慣れた。一方でパーンダヴァの妖の宮殿のシーンは上手いと思った。「クリシュナ使者に立つ」でのスヨーダナ、「バガヴァット・ギーター」でのクリシュナは古典的な謡いの演出。後者ではヴィジュアルもなかなか良かった。アビマンニュはどう考えてもミスキャスト。この役者だけではないが、ムキムキが多すぎて疲れた。古式ゆかしき矢による空中戦も。

Pudhupettai (Tamil/2006)をDVDで。 

無字幕DVDにネットで拾った字幕データを合成して自家製ディスクを作るという手間をかけてやっと鑑賞。7G Rainbow ColonyやKadhal Kondeinと共通のドス黒い心理描写と象徴的な夜の描写で覆い尽くされている。北チェンナイのダリト少年が辛酸をなめ尽くした末に、埋もれていた異様な身体能力を発揮して殺しを行い、政治家の手足となって汚れ仕事と資金調達で重宝されるようになるが、政界のパワーバランスとギャング界の力の均衡の両方を破ったために孤立無援となる。よくあるギャング映画なら、そこで主人公が殺されて終わり、ある種の教訓物語となるところだが、最後にセルヴァラーガヴァンらしい捻りを加えて、これがNGKを予告するものとなっている。特に政治家の二枚舌をどぎつく演出するところが秀逸。最初の方で街に放り出された主人公が、喉の手術をして声が出ない病人を装って物乞いをし、最終シーンではタミル特有のあの政治演説のレトリックや節回し(中身はない)をマスターしているというのは、綺麗に符合している。実在の地名を歌い込んだ最初のソングがいい。

Made in Bangladesh (Bengali/2019)を試写で。 

バングラデシュ映画が映画祭ではなく一般劇場公開になるのは初めてか。社会派でありながら同時にカラフルで楽しい一本。『グレート・インディアン・キッチン』と同じでメッセージはド直球だけど、細部の描写のリアリティーが凄い。直接は関係ない細部のリアリティーがメッセージに説得力を持たせるのだ。たとえば色々な階層の女性たちのまとう衣装。黒づくめのニカブの通行人からスリーブレスのブラウスにサリーを合わせる進歩派の女性まで。役所の無能な女性官僚の着る金糸のダッカ・モスリン・サリー(ジャムダニというのだとすぐ後の教室で習った)が美しかった。それぞれの衣装のニュアンスが奥深い。女性が頭髪を覆う慣習/規範に対する様々な姿勢も一覧される感じで、興味深い。夫は暴力的傾向もある一方で、調理を一緒に行ったりもする。大家の小母ちゃんは相当保守的だが、部屋に閉じ込められた妻を文句を言いながら解放する。ヒロインや仲間は、望み薄な不倫をしている同僚をからかいこそすれ道徳的な非難はしない。作中人物の誰もがファストファッションを身につけていないのも皮肉。

三人姉妹(2016年版)(インドネシア、2016)をオンラインで。 

国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。フローレス島のマウメレにある風光明媚なリゾートホテルでの3人姉妹の恋模様。見始めでははっきりしないんだけど、この3姉妹はクリスチャン。東ヌサ・トンガラ州の87.7%がクリスチャン。主要登場人物の一人がムスリムとクリスチャンの間に生まれたということで、微かにアウトサイダー扱いだった。だけど3人姉妹の父親の名前はクレスナだったりする。あの国ではアルジュンという名のムスリムがいたりするから本当によく分からない。なので、ヒジャブを被るジャワ島のムスリム女子とはまた違う世界が展開している。1992年のフローレス大地震と津波の痕跡もちょっとだけ映るが、設定を十分に生かした観光画像も。ミュージカルとしてはどうかというと、さほど感心しなかった。日頃見ている某国大衆映画のソングとは決定的に何かが違う、つまりハリウッド・ミュージカルを忠実になぞった正統派。この何か違う感じを誰か言語化してくれないか。

愛のスープ(タイ、2020)をオンラインで。 

国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。テレビドラマみたいな平板でステレオティピカルな棒読み演技、映像的な正面性偏重とご都合主義、つながらないロジック、予測可能なストーリーの99分だが、タイ深南部のムスリム世界を覗くという意味で貴重。パタニ王国のムスリム宮廷の料理人の血を引く女性(料理の腕は大したことない)がバンコクの名門ムラユ料理店に入門してあれこれあり、最終的には店の味に新風を吹き込み、経営者の御曹司と結ばれるというロマンチック・コメディー。ナラーティワート空港が映り、ラストシーンはナラタートビーチ。おぼつかないやり方で調べたが、主要な俳優はすべて非ムスリムの模様。バンコクのブルジョア世界が主要な舞台で、登場人物ほぼ全員がムスリムだが、タイ人でムスリムであること&バンコクで生活していることを意識してる気配は全くないという点で、非常にお気楽。某映画祭で上映されるようなタマではないが、こうしたものが世に出るという事実が面白い。こちらに厳しいレビューあり。coconuts.co/bangkok/lifestyle/

ワンタンミー(シンガポール、2015)をオンラインで。 

国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。星州版の孤独のグルメ。1965年生まれの主人公が幼少期を過ごした団地の取り壊しを目前にして、愛するホーカーを巡り歩き、その厨師にインタビューして人生の歩みを聞き出す。インドレストラン(フィッシュヘッドカレー)と寿司レストランだけが独立店舗で、他は全て中国系かプラナカン系のホーカー。ホーカーの連中が揃って言うのが、休みがないことと重労働であること。ホーカー出店のための初期投資も作中で描かれるのだが、それはそうなるなという感じ。父祖の築いた味を継承したいという熱意から料理に携わる若手も幾たりか出てきたが、子供も妻も信頼せずに、たった一人ですべてを切り盛りする(しかも便利な機械などを極力使わず)初老の店主が印象的だった。正直なところホーカーフードには大したことない味のものも多いのだが、失われゆくものへの哀惜が感じられるグルメ映画だった。エビワンタン麺食べたい。ここに店名を書き出してくれてる人がいた。ありがたい。asiatravelnote.com/2015/08/18/

カンボジアの失われたロックンロール(米・カンボジア/2014)をオンラインで。 

国際交流基金のCROSSCUT ASIAおいしい!オンライン映画祭アンコールにて。カンボジアの20世紀を語ることは、ジャンルが何であれ最後は鎮魂歌になってしまう。驚異の映像に目を奪われながらもひたひたと迫るカタストロフを予測しながら見る。登場した一人が語っていた「下放先では歌手と名乗らず、バナナ売りをしていたと言った。それで命が助かった」という言葉。しかし逆に言えば現在もかの地で「昔はルージュで暴れてた」というのを言わずに暮らしてる者もいるんだろうなと。50~60年代、音楽の風はフランス、キューバ、南米から吹いていたと。そして70年代前半になってアメリカ音楽が圧倒したのだという。しかしどこの音楽が席巻しようとも、結局カンボジア風味にフュージョンされてしまうところが面白い。グラマラスな50年代のプノンペンは幻惑するが、首都の繁栄と享楽の陰で、きっと地方では貧困の中でルサンチマンを募らせていた農民も無数にいたのだろうことが察せられる。「運命に翻弄された悲劇の小国」と某ルポライターが書いた「ダメな国」とが明滅する。

Sur Sangam (Hindi/1985)をDVDで。(1/26) 

Sankarabharanamのリメイク、それもヴィシュワナート自身によるリメイクと聞いて。まだindunaにDVDが残ってたので取り寄せた。この業者だとスピーディー。予想通りの低品質DVDだが、まあ話は分かった。ギリーシュ・カールナードは好きな俳優だし、パンディットとしての見た目の仕上がりは完璧だが、ソーマラージュルの巌のような存在感とは違い、神経質な印象。シヴァ・ソングでは自分で踊っちゃったりしてた。これは逆効果だったのではないか。ジャヤプラダーはもちろん美しいのだが、マンジュ・バールガヴィの古典彫刻の美しさとは違い、あくまでもボリウッド・ビューティーだし、踊りもバラタナーティヤム風だったり、カタックだったり(しかもそれをハレビードで踊ってる)で統一感がない。音楽もヒンドゥスターニーの陶酔的で神秘的な風合いがマイナスに働いたような気がする。娘役はシュリ―デーヴィーかと思ったが別人だった。娘の恋人役はまさかのサチン・ピルガーオカルで吃驚。全体的に早回しな印象。パンディットが得意とするラーガはMalkaunsだった。

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映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

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