めんどりが鳴くとき When the Hens Crow/Haha Kynih Ka Syiar Kynthei (Khasi/2012)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。先日の「禁止」と同じくメガラヤ州カーシの母系制社会を描くが、「禁止」が都市の男性を追ったのに対し、こちらはカーシ丘陵農村部の女性がメイン。母系氏族社会で家は女性から女性に継がれるにもかかわらず、村落政治の場は伝統的に女人禁制というアイロニー。全国農村雇用保障法と情報開示法が施行されたのを機に、州、県や村の政府の恐ろしい癒着と汚職を明るみに出そうとする3人の女性。不備だらけの公聴会を詭弁で乗り切ろうとする男の小役人。ただし、画面には登場しないが、問題となっている地域開発局のトップは女性であることも述べられている。バックで流れる英語の風刺ソングが気になった。
秋のお話/An Autumn Fable/Duphang-ni Solo (Bodo/1997)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。映画祭サイトには「ボド独立運動は武力に転じて泥沼化し、コミュニティは崩壊に瀕していた。それでも毎年秋になるとボドの村々の夜空の下で、音楽、歌、踊り、立ち回りの民俗劇が演じられる」とあるのだが、よほどの知識を持っていないと、パフォーマンスの外にある泥沼の社会状況は感じ取れない。画面には村芝居とそのリハーサル、復興に挺身する80歳のグル、サッカーに興じる少年たちの描写がほとんど。ただし、時おり壊れた橋とか、難民キャンプなどが映し出される。
こわれた歌、サビンの歌/The Broken Song/Sabin Alun (Karbi/2015)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム州東部のカルビ人の古謡を映像化したミュージカル・ドキュメンタリー。カルビ族の宗教はアニミズム的祖先崇拝であるのに、その古謡のひとつにラーマーヤナそっくりの筋書きのものがある(それはあくまでも古譚で、創世神話は全く別にある)。その謡いを再現し、現代の風俗の人々が携帯電話や乗用車までを使って演じる。シンタ、ラーム、ロコンの3人が開拓民として森に入ったという部分が印象的。ラボンの妹サビンはやはり鼻を落とされる。そしてこの古謡が「サビンの歌」と呼ばれるのは、その事件以降の彼女が物語から姿を消してしまうのを憐れんでという説明。ホロリとする。
怪しい彼女(수상한 그녀、2014)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第4回。テルグリメイクであるOh! Babyを先に見てしまっていたが、ほぼ同じだった。インド版の変更点は初ステージでの逡巡を入れたぐらいか。何ということか、20本に満たない韓国映画鑑賞で早くも別作品で見た俳優を認識してしまった。俳優が分かってしまうと予断が生じるから嫌だ。かと思うと、絶対どっかで見てると思ったイケメン系は後で調べると初見だし(顔が似杉)。途轍もなく味わい深い中高年性格俳優と、画一的な若い整形美男美女とで出来上がってないか、韓国映画界。ただ、本作主演女優はその中では個性的な方かも。実際、外見が若い娘で中身が婆ちゃんの演技が最初の方では上手すぎて、変に老けたヒロイン見るのが辛いとさえ思ったほど。ファッションショーの部分は妙にダサかったし。あと、「国際通りで会いましょう」にも出てきたドイツの鉱山事故が、ここでも言及されていたのが印象的だった。音楽は中庸なポップ&バラードなのに、観客がタテノリだったのに若干違和感。孫息子、簡単に音楽性を変更しすぎ。
禁止/Not Allowed/La Mana (Khasi/2017)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。旅行に行った人がよく作るスクラップ帳を映像でやったような、ザッピング+ノイズで表現された40分。今も残る母系制の中で色々悩んだりしてる男たちの話。ケーララの母系制について随分読んだ時、北東部にもあるとだけ耳に挟んだけど、それについて知ることができた。ケーララでは過去の話だけど、メガラヤでは現在も続いているとは。女性が家を継ぐが家長は男性だというところまで同じ。だが家長になれない男も当然沢山いて、そいつらは結構鬱屈してるらしい。その鬱屈をラップに向ける若者もいて、話をしているうちに自然と口をついて出てくるラップが生まれる瞬間をカメラがとらえた部分は非常に貴重なものに思えた。何か全体にすごくクールでカッコイイ。
映画の中で動物に暴力が加えられる
なぜ自分にとってこれが気にかかるかと言えば、映画中の動物への暴力に憤ってる人たちが、人間への暴力に対しては割と耐性があるらしいことが見えるから。この不均衡は何なのか。もちろん人間への暴力にも憤るのだが、それによって映画自体を否定することはしていないのだ。何か、ある種の極端なナチュラリストの「地球のためには人類が滅ぶのがいい」という言説と同種のものを感じてしまうのだ。クジラを愛するあまり、伝統漁法でクジラ漁をする人々すらを罵ったりするような、そういう価値観。
森の奥のつり橋/In the Forest Hangs a Bridge (Hindi, Adi/1999)をオンラインで。
アルナーチャル・プラデーシュ州東部のシアン谷ヤムネ川にかかる300メートルの橋を一定年数おきに作り替え続ける4つの氏族の人々を描く。籐が主材料の橋を作るのに使う工具は刃物だけ。共同体の男たちが総出で無報酬で行う。橋は氏族の責任と自尊心なのだとも語られる。橋が渡されることによって、行動範囲が広がり、農作物や狩りの獲物、より進んだ考えがもたらされたという。つまり人々は籐で橋を作ることによって、共同体を紡いでいるのだ。しかし政府の援助によって、材料の一部にスチールワイヤーを使うようになってきている。また、外界で賃労働をして得た金でコンクリートを買えば、時間当たりの労働に対してより良い結果(堅牢な構築物)を得られるではないかと考える者も出てくる。やはりここにも伝統の保存と成員の幸福とが拮抗する北東の状況が現れている。それにしても、伝統衣装で張り切る爺様方が流暢にヒンディー語を喋るのが印相的。エンディングではヘリがシアン谷を数秒で後にする。ドニ・ポロ神に感謝とのクレジット。
新しい神々に祈る/Prayers for New Gods (English/2001)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アルナーチャル・プラデーシュ州の山奥の、部族の精霊信仰に基づいた古式豊かな大祭を見せた上で、町で何が起きているかを見せる。当然だがキリスト教に改宗した人が現れる。この女性の言い分を聞けば、なるほど改宗にも理があるなと単純な自分は思ってしまう。一方同じ都市部で伝統宗教が廃れてしまうという危機感を持った人物が改革と組織化を試みる。ヒンドゥーやキリスト教などの儀式典礼の作法を大幅に取り入れ、神(太陽と月)を図像化して定期礼拝をするようにした。これはもうほどんど新興宗教じゃんという思いも湧きおこるが、冒頭の古式伝統宗教だとて仏教徒のシンクレティズムは許容しているのだ。何が伝統破壊で何が改革なのかという、北東州共通の問題。
ルベン・マシャンヴの歌声/Songs of Mashangva (Tangkhul, Meitei, 2010)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。マニプル州で、伝統音楽を保存し発展させるために孤軍奮闘するミュージシャンの記録。辮髪に民族服でキメながらも、フュージョンも手掛けて、各地の民族音楽祭で披露する。この男と、正調の民謡を歌うステファンという老人との関係は何なのか。キリスト教徒であることは今更やめられないが、教会による伝統音楽への抑圧(20世紀の初頭以降)には断固として戦うという屈折。老人たちが死に絶える前に急いで収集しなければならない。詩の中にとてつもない深みがあるのだという言葉には首肯するしかない。雑談の中でミゾラムにはもう伝統音楽は残っていないと話していたのが衝撃。キースというマネージャー、英語屋さんとして助けるインテリ男、辮髪で学校に通う長男など、寄り添ってくれる人材に恵まれた人であるという気はする。
ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起/MNF: The Mizo Uprising (English, Mizo/2014)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。「ナガランドの胎動」と同じくGov. of India Film Division制作の28分のプロパガンダ映画。プロパガンダとはいえ、さすがに40年近くたって、映像技法は非常に洗練されたものになっている。独立を目指して反政府活動をしていた人々に取材するという驚きの構成。まあ、それもこれも、その人々が投降して和平を結んだからこそなのだが。そもそもの抵抗の発端が1959/60年の不吉な竹の花の開花だというのが凄い。言い伝え通り追って飢饉がやって来たがミゾラムの訴えに中央は迷信と決めつけて対応しなかったことから反乱の狼煙が上がったと。1966年に始まり1974年の和平で幕を下ろした闘争で3000人が死んだというのだが、「田畑が憶えている」を見た後だと感覚がマヒして「たったそれだけ」と思ってしまう。インタビューイーの1人が横山ノック生き写しで吃驚。
田畑が憶えている/What the Fields Remember (Bengali/2015)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。1983年アッサム州ネリーで起きたベンガル人ムスリムの虐殺を扱った53分。アッサムの最大の火種であるベンガル人「不法」移民問題に正面から取り組む。しかし虐殺に関する映像の資料はほとんどなく、本作の多くが現在のネリー村と周辺の自然を長回しで写すのみ。正直なところ焦れるのだが、逆に全く史料が残っていないところが恐怖。それからジェノサイドの対象となった家族の大学生の娘が、自分が追われる側にあるとは思いもせずに、事件前には外国人排斥デモに参加していたというにも戦慄。
ナガランドの胎動/New Rhythms in Nagaland (English/1974)をオンラインで。
Gov. of India Film Division制作の46分のプロパガンダ映画。山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。ナガランドのドキュメンタリーを期待したが、それは全体の四分の一ほどで、残りはナガランドの若者たちがBharat Darshanという国の主催するツアーでメインランドのあちこちを見て回る様子を記録したもの。ナガランドが全然映ってないのだ。しかし1970年代のチェンナイの様子とかが見られたのは思わぬお買い得かも。全体に社会主義国のプロパガンダ映画の作風を思わせるもの。
安市城グレート・バトル(안시성、2018)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第3回。例によってジャンルすら知らずに(カーレースか何か?)臨んで、高句麗時代の歴史大作と知って吃驚。これと先日の天命の城(프리즌、2017)とを併せて観ると何とも言えない。やはり7世紀の戦国ものだとより自由に想像力を広げられるところがあるのだろう。定型的な「戦場の恋人たち」「市民の自己犠牲」などを交えながらも迫力ある戦記ものに仕上げた。「バーフバリ」も真っ青の奇策を凝らした城攻めの攻防は面白かった。それから日本のそれと似ているようで全然違う、あの凛とした半島の山河の描写。遥か大陸まで繋がっているということが、あれほどに山や川の風貌を変えるものなのか。細部までよく考えられた合戦の道行きだが、最後になってシヴァ神の神弓みたいなのが出てきてウケた。
戦場のメロディ(오빠 생각、2015)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第2回。韓国版「二十四の瞳」といったら雑過ぎるか。こちらは瀬戸内の島じゃなく朝鮮戦争が背景なので、もちろんいっぱい人が死ぬ。その死亡フラグが立ち過ぎなのが辛い。実在の合唱団がモデルということで、見事な合唱を聞かせてくれるミュージカル映画でもあるのだが、北の将軍様の寵児たちの合唱団を思い浮かべないこともなかった。「国際通りで会いましょう」でも思ったけど、朝鮮戦争中・後の釜山の劇的なことといったら、ベトナム戦勝中のサイゴンに匹敵するかもしれない。主演のイム・シワンは後から調べたらKポップの人で、口半開きタイプのビジュアル系のオフスクリーン姿には全く感銘しないのだけれど、劇中では元文系の軍人(割と強い)を皮膚のようにまとって好演していた。本作での南北のせめぎ合いを見ていると、イデオロギーを信奉して戦った者はそう多くなく、多くがたまたまいた場所で優勢だった方についた(あるいは自分に害をなした者たちの反対側に行った)ということがよく分かる。同じストーリーが北側で成立してもおかしくはないだろうと思った。
Oh! Baby (Telugu/2019)をオンラインで。
タミル語版で見始め、珍しく忙しくて途中で数日放ってあった。後半を見ようとアクセスしたらテルグ語版があったのでそちらにスイッチするというアナーキーな見方をした。なぜかテルグの方が12分ほど長かった。アジア各国で7つのリメイクが作られた『怪しい彼女』のインド版。これをオリジナルよりも先に見てしまったのは良かったのか悪かったのか。サウスのファッションリーダーを自認しているように見えるサマンタのファッションショーとして素晴らしい。オフスクリーンのサムは時に大滑りすることがある(Preetham Jukalkerというスタイリストのせいらしい)のだが、本作では見事だった。衣装デザイナーが誰かは分からず。ハートウォーミングで無害なストーリーだが、結末は折り返し地点で見えていて退屈。2時間36分は長すぎる気がした。神様役のJBは蝦蟇の油売り風。ラストに特別出演のあの人は安っぽすぎてトホホ。ナンディニ・レッディこんなことでいいのかと思わなくもなかったが、若返ったヒロインやヴィクラムの友人役に、トレードマークのガラッパチが出ていたのは良かった。
天命の城(프리즌、2017)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第1回。1636年の丙子の乱の一部始終を描く。南漢城はソウルの南郊にあるが、その厳冬の描写は見てるだけで凍てつくよう。清朝始祖のホンタイジが攻め込まんとする中で、南漢城の臨時宮廷で交わされる和平派の崔鳴吉と主戦派の金尚憲との対立を描く。最終的に崔鳴吉の主張が通り、朝鮮は清の属国となる。金尚憲はラストで自刃するが、史実としては生き残り、波乱の多い後半生を生きたということを後付けで知った。崔鳴吉は李朝の末期までは売国奴という評価だったという。作中で崔鳴吉自身が自分をそのように形容するところがあり、つまりこれは歴史的なヴィーランに別の角度から光を当てる系の作品なのだと分かった。原作があるそうだが、国王を前に二人の大臣が交わす哲学的でさえある議論が白眉。中華と小中華という概念を理解していないと深く味わうのが難しいとは思うが、歴史ものにありがちなエスノセントリズムからは遥かに離れたところにある秀作。そして儒教的文明を武力で蹴散らしたホンタイジの末裔が、やがて中華文明に飲み込まれてその体現者となるというのが歴史の皮肉。
全く同じである彼女(감쪽같은 그녀、2019)をオンラインで。
韓国文化院主催のオンライン「コリアン・シネマ・ウィーク2020」のラスト。タイトルから「怪しい彼女」系のものかと思っていたら全然違って、ティアジャーカー系。舞台は2000年の釜山で、「国際通りで会いましょう」と年代設定は違うものの、やはり貧しさの中の人情が主要なテーマ。2000年という、韓国が既に先進国へのテイクオフを終えた後の時代に、敢えて極貧の家族を設定し、貧しさが空気のように充満していたより古い時代の純情と素朴への、苦さの混じる郷愁を掻き立てる作り。認知症のモチーフはそれほどリアルには描かれないものの、いたたまれない思いをさせるには十分。中流家庭の丸々肥えた子供たちの、年画のようなおめでたい感じが浮世離れしてる。ロケ地となった坂の多い地区は大変気になり、日本語で検索したが出てこない。ハングル検索+英語機械翻訳でやっと南富民洞と甘川文化洞と分かった。韓流って日本で大流行なんじゃなかったのか。困ったもんだ。それから思わせぶりなタイトルの意味するところも今一つ分からず、これはネイティブに聞くしかないかも。