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Mangalyam Thanthunanena (Malayalam/2018)をオンラインで。 

KUBOを潰すため、一度見てるのを忘れ2回目。既視感は時々あったがマ映画あるあるだと思ってた。1回目はずいぶん辛辣なことを書いていて、基本は変わらないのだけど、随分楽しめた。舞台はトドゥプラで時おりコッチ。並外れて献身的な相棒のシャムシュを除き濃厚なクリスチャン社会。職なし・蓄えなし・借金ありという設定はいつものアレで、誇り高い立派なクリスチャン家庭というのが加わる。外の目で見ると、ケーララ人の宝飾品に対するオブセッションがやはり異様で、準貨幣ならばそれとしてドライに売買すればいいものを、やはり装飾品として加工してあるだけに個人的な愛着がついて回り悲喜劇の元となる。どんな貴金属であれ金以外は銀行で抵当にできないというのは初めて知ったが、つまりそれが金への執着の理由か。義父の用意した立派な職業に就くことを拒むのが子供っぽさで、そのネポティズムを甘んじて受け入れるのが大人としての責任の取り方というロジックもカルチャーギャップ。劇終に無理に突っ込んだ感のあるソングMounamはボサノバ風で印象的。

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Pakalum Paathiravum (Malayalam/2023)をオンラインで。 

KUBO目当て。カンナダ語映画のリメイクで、同作はカンナダの戯曲の翻案。その戯曲は英文学作品に遡るらしい。そして映画では南インドの他の3言語圏でリメイクというカ映画の久々の快挙。ストーリーは単純で、中国の説話か何かにあった山中の苫屋に一夜の宿を請うた旅人をその家の住人が襲うというもの。本作の舞台はカルナータカ州境近くの携帯の電波の届かない村で、そこにナクサルモチーフを絡めた。太古の昔に読んだイリフ&ぺトロフの『 十二の椅子』(世界ユーモア文学全集6)並みに後味の悪い結末。悪が誅されるがカタルシスがない。ラジーシャ・ヴィジャヤンの鬼気迫る演技。それに対して、KUBOは神秘的で、影のある謎めいた男として、常に上手を取る存在として現れる(最終シーン以外は)。オールバックで悪い顔をして、セクシーですらあった。後ろに目がついてるんじゃないかというくらいに全てを予測し、心を読み、裏をかく存在なので、最終シーンにももうひと捻りあるかと思ったのだが、超人ではなかった。そもそもあのお宝はどうやって得たものだったのか。

Baahubali The Epicのランタイムが5.5時間だとか、いや4時間以下にまとめたらしい、などという未確定情報を目にして、どっちにしても分割して2回に分けて上映するしかないんじゃね?と思うなど。

Idly Kadai (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

タミル人の姿はほとんどなし。ダヌシュ監督・脚本・主演。手作りとアヒムサーと菜食(聖牛保護も?)を前面に出した反都会・反資本主義の田舎映画に吃驚。次作ではきっとまた血みどろをやるだろうダヌシュが、こういう狙ったテーマを選んだ事で感情移入なく冷静に観た。ウスタード・ホテルとスワデースの合わせ技とのレビューも見たが、ヴィクラマンの人情とバーラティラージャーの田舎ロマンを今日の洗練されたスタイルで再構築したものでもある。TGIKではミキサーの使用を認めない舅を悪者として描き、本作では手作業のグラインド礼讃(作業するのが男であるとはいえ)をするなど、インド映画の広がりを感じる。甘やかされすぎて自我が肥大し無茶苦茶をやった息子を前に、最後に主人公にこいつを殴ってやってくれとか言う親父はかなり能天気。大金持ちの本拠地をバンコクにしたのが新鮮。都会から田舎に行くと都会での大ごとが別世界に思えてどうでもよくなってしまうというあの感覚は分かる。若い頃のシヴァネーサンを演じた役者が良かった。ロケ地はテーニ、ポッラーッチ、マドゥライあたり。

Kuttanadan Marpappa (Malayalam/2018)をオンラインとDVDで。 

配信で見たら字幕の半分ぐらいが飛んでいて訳が分からなかった。終わった後に確認したら何とDVDを持ってた。DVDの英語字幕はきちんと出たが、訳文そのものは怪しげ。Marpappaを辞書で引くと「教皇」だが、意味が分からず、主人公の名がジョン・ポールであることに思い至り(劇中ではジョンとのみ呼ばれる)やっと納得。不実な女性に入れあげて捨てられた男の意趣返しの物語。Ponmuttayidunna Tharavu(1988)を思わせるところがある。アレッピー近郊が舞台でほとんどの人物がキリスト教徒。KUBOあってのテイラーメイドのような物語。水郷が舞台だからやたらと水に落ちるコメディーがある。ソング&ダンスはかなりシュールだけど、本格的に踊るKUBOが見られてお得。シャーンティ・クリシュナのおかんはとても良かった。いつもの好青年役のKUBOだが、ずぶ濡れの半裸や頭髪を気負いもなく見せる。全編レトロだけど、主人公の登場シーンに「これはアッル・アルジュンのテルグ映画か」などのコメントが入るのが現代的か。

Tharangam The Curious Case of Kallu Pavithram (Malayalam/2017)をSunNextで。 

スマホで150分はキツくて、字幕も理解度が低かった。レビューで理解した点多数。プリヤダルシャンの影響が濃厚と評されていて何か懐かしかった。変な神様が使用人としている(?)元盗人の哀訴に応えその子孫を救おうとするらしい。地上ではダメ警官のパッパンとジョーイが仕事でヘマをして停職となり、借金を抱えて追い詰められた彼らは浮気調査を請け負うが、張り込みターゲットの妻は実はより重篤な犯罪に手を染めている人物だった。キーになるのが美術品と遺灰が入ったロケットというのが混乱させる。どちらか一つにできなかったか。その辺りはSwamy Ra Ra (2013)の方が巧み。登場人物は皆、シュールにならない程度に奇妙さを持つ。主人公の相性がパッパンというのはPappan Priyapatta Pappan (1986)からか。交通警官であるパッパンが未婚で同棲中というのが新しい。尻を叩く役のデキる女風のマルが、ある場面から病的盗癖の持ち主と判明するのが笑えたところ。

They Call Him OG (Telugu/2025)を川口市スキップシティで。 

冒頭に流れた政治家パワンの礼讃ビデオ(字幕なし)は、本編ではなく勝手についてきたものらしい。KGFやジェイラーのBGMを無断で使っていてどうかと思った。誰が作ったのか。パワンの黒澤愛や三船愛は知っているけど、1世代若い監督は、おそらくもう少しポップなもの、たとえば『BLEACH』(久保帯人)や『ドラゴンボール』などの影響で日本に親しんでいるのではないかと、見終わった後に若い人から教えてもらった。まあ影響の源が何であれ、あの日本は並行世界のものだが。1970年代の描写にしてからが、なぜかアンバサダーみたいな車が走ってたし。まあ、インド人映像作家に考証の2文字はないのだろう。スジートの嫌いなところは、支離滅裂なものを作っておきながら、金だけはやたらかけていて、杜撰な手抜き仕事をしている意識は自分では多分ないのだろうという点。もちろんそれが強みでもあるのだが。

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They Call Him OG (Telugu/2025)を川口市スキップシティで。 

スジートとは相性が悪いし、PKだし、期待値低めで。敗戦後の日本を支配したヤクザとそれに対抗した侍軍団。ヤクザは侍を皆殺しにするが、一人逃れたのがインド人の弟子オージャス・ガンビーラだった。OGはいいギャングのサティヤ・バーイに引き取られムンバイに赴き、実子同然に育てられるが、サティヤの長男を殺めたことで家を去る。マドゥライの女性と結婚し平穏な日々を過ごすが、サティヤの危機に再びムンバイに現れ対立するギャングたちと武闘し、勝利して去る。筋らしい筋はこれだけ、全編ひたすらパワンのイキり芸と大音響をバックにした殺戮。日本刀を雑に使ったアクションは面白いと言えば面白いが同じ繰り返しが多くダレる。パワンはえらくスリムになっていて、今年のクンブメ―ラーで見た姿とは別人みたいだが、AI加工でもしているのか。しかしパワンの肥大した自我に寄り添ってやりたいことを全部叶えるような監督はさすがにテルグでもあまり残ってなくてスジートは最適解だったかもしれない。一番出番の多かった日本人シンゾー役はタイ人のバイロン・ビショップ。

Bhoothakaalam (Malayalam/2022)をオンラインで。 

昨日のBramayugamに感銘を受けたので監督の過去作。これもホラーで、こちらは現代のコッチに住むロウワーミドル家庭が舞台。認知症の祖母の介護をする孫のヴィヌと娘のアシャ。アシャは夫と死別している。アシャは暴発する不安定な精神を母から受け継ぎ医者にかかっている。ヴィヌは薬剤師資格を持ちながら就職できず鬱屈している。祖母の他界後、アシャは鬱気味になり、ヴィヌは家の中に異変を感知する。そこからは古典的とも言えるホーンテッドハウスものになるのだが、演出が巧みで本当に怖い。ただ魅力的なのは、ロウワーミドルの借家のじめついた陰鬱や、母子が衝突し合いながらそれぞれに孤独感を募らせて行くところ。医師に「散歩して気晴らしして、アイスでも食べるのよ」と言われて実行に移す母の寂しい姿。怪異は他界したばかりの祖母が起こしてのか(ならばフレンドリーゴーストだろうから怖がらなくても‥)と見せかけておいて、全然違う怨霊を出すのはズルいけど上手い。境界線上にいる追い詰められた人を演じるレーヴァティは凄いし、非正統ヒーローのシェインもいい。

Bramayugam (Malayalam/2024)をオンラインで。 

ホラーという予備知識のみで見た。舞台は17世紀の南マラバールとテロップが出るが、今日の狭義のマラバールであるらしい。地方領主の宮廷に仕えていた民謡歌手が、クーデタか何かで居場所を失い故郷に歩いて帰る途中で、巨大な廃屋のようなマナに紛れ込み、当主に寝食を提供されるが、そこから出られなくなってしまうというもの。全編モノクロ。低カーストの民謡歌手の歌が清澄で美しい(ソングに字幕なし)。序盤とエンディングを除き、当主と料理人と楽師の3人だけの緊迫の芝居。ヤクシがほんの一瞬アクセントで現れるだけ。怪異の描写に怖さはないが不条理が不気味。特に出立を決意した楽師が暇乞いをすると当主が雨の中無理をするなと引き止める。するとたちまちに土砂降りになり、何日経っても止まないところ。カーストの差別は直接的なエピソードで語るのではなく、観客の知識に任せる。そこで植民地主義勢力もフレームに加え、権力にまつわる哲学的な示唆を含む結末とした。夜叉(ヤクシ)と妖魔(チャータン)はマラヤーラムの怪談やファンタジーのキーエレメントだとの認識が深まった。

Ullozhukku (Malayalam/2024)をオンラインで。 

クッタナード地方、サリー店店員のアジュはラージーヴという恋人がいるが無職で異教徒の彼との関係は親に認められず、名家ということになっているトーマスクッティの家に嫁ぐ。愛もない結婚生活だったが、息子を溺愛する姑リーランマともうまくやっていく。しかし程なくして夫が脳腫瘍で床に伏し、手当の甲斐もなく他界する。介護生活の中でアジュはラージーヴとたびたび関係を持って妊娠してしまう。折しも地方全体をモンスーンの大雨が襲い、床上浸水の中で葬儀の手配をする姑と嫁の間で、隠されたものが露顕する。中流の暮らしをしながら名家のプライドが大きく、しわ寄せを嫁に押し付ける家庭というのはTGIKと同じ。一旦壊れた家族がその中から定形外のものとして再生していくというのかKumbalangi Nightsと共通する。秘密裏に婚外性交渉をもつことと、重篤な持病を隠し嫁をとること、どちらが罪深いか。というか後者が判明した際の嫁の激しい怒りは、「耐用期限の短い不良品を押し付けられた」という身も蓋もないもので、交渉によって決まる見合い婚のすさまじさを感じた。

Varnyathil Aashanka (Malayalam/2017)をオンラインで。 

一連のKUBOを潰すシリーズの中では一番古いけど、例によって荒くれの役作りは完璧。2010年代前半のとっちゃん坊や風から苦み走った中年へのイメチェンはもしかして本作がきっかけだったか。こないだ見たPada (22)やChaaver (23)と同じく悪事を企む集団のリーダー格なんだけど、その悪事がしょぼいので救われる。にしてもマ映画伝統の助走の長さよ。4人組のそれぞれの事情、ダヤランの導入などで1時間近くを使う。しかしシッダールト・バラタン監督の演出は巧みで、飽きさせない(ただ、早く本題に入って欲しい感はあって焦れる)。KUBOがトップでクレジットされるものの、後半からはスーラジが美味しいところを全部さらった。舞台はトリシュール近郊で、北部ではないけど、Eeda(18)やChaaverと同じく2つの政党の激しい対立がバックグラウンドで、実際人死にもでる。辺鄙な場所の宝石店はシュールだが、ケーララならありうる。タイトルロールのTholpavakoothuは実在する芸能。アーティストのクレジットもされる。

Chaaver (Malayalam/2023)をオンラインで。 

KUBOを潰す計画。北部カンヌール地方の田舎を舞台にしたクライム・スリラー。お互いに顔見知りですらない4人のポリティカル・グンダー(ただのグンダーではない)が、党の上層部の指令でチームを組み、ある若者を刺殺する。想定外はその際にリーダー格のアショーカンがけがを負ったこと。地元出身のムスタファは知り合いの医学生アルンを呼び出し、応急手当をさせる。アルンはアショーカンが病院に行こうとしないことを不審に思い口にするが、それによって捕囚状態となる。やがて警察の追跡が始まる。そして彼らは、一面識もない被害者の若者が、政治的な対立者なのではなく、殺害を指示したナンビヤールの娘と恋仲になった低カーストのテイヤム演者だと知る。しかしその時彼らのもとには口封じの刺客が迫っている。ケーララは北に行けば行くほど闇が来い感じがする。恐ろしくエッジの立った映像で、ツイストのない予定調和のストーリーにもかかわらず、引き込まれる。井戸と爆弾のシーンは白眉。テイヤムが夢魔として現れるというのはコテコテだが、アーントニ・ヴァルギーズが演じた若者は良かった。

Sapta Sagaradaache Ello - Side B (Kannada/2023)をオンラインで。 

期待満々で臨み、それを上回ったところと、やや白けたところと。やるせなくも痛ましい、成就の見込みのない恋愛であることは予想通り。主人公は狂気の淵に追い詰められたかのようにも見えるが、本当の狂気に陥ったらドラマは終わるのでギリギリのところで踏み留まらせる。白けたのは定型パターンのギャングの足抜けのための戦いとそこで女を人質にする戦法、娼婦の無垢などのやや慣用的なモチーフとその展開。主な物語の背景は2021年で、多くの人々がマスクをしており、それだけで陰鬱な時代の空気を想起させる。そして主人公はストーカーをするために、コロナ拡散防止システムを悪用するのだ。ストーカー行為を賛美もせず、有効なものとしても描かないが、主人公がそうした行為に駆り立てられていく状況は十全に説明されている、珍しい作例。ヒロインの夫の冴えない男は何と先日のSu From Soの監督兼メイン俳優だった。全編を通じてのハイライトは主人公とヒロインとの再会場面。3分ちょっとの演技を見るためだけでも2部作の意味があった。

Sapta Sagaradaache Ello - Side A (Kannada/2023)をオンラインで。 

ラクシト・シェッティとリクミニ・ヴァサントの芝居だけで引っ張る正調の悲恋もの。富豪に仕える運転手と歌手を夢見る娘。娘のルーツはマンガロールだが、2人はバンガロールにささやかな居場所を見つけて落ち着こうとしている。ある時富豪の息子がひき逃げ殺人を犯してしまう。運転手は35ラークと早期の保釈を条件にその罪を被って出頭し、収監される。ところが数か月もしないうちに富豪の家長が死亡し、約束が宙に浮いてしまう。その裏には富豪の利己的な親族と、先輩格ドライバーの入れ知恵があった。途中から自白を翻したものの時遅く、10年の刑が言い渡される。娘は諦めて別人と結婚し、辛酸を舐めた男が出獄するまで。牢名主みたいだが哲人風でもある囚人を演じるシャラト・ローヒターシュワが訳もなく良かった。ラクシトはかつてないほど線の細い男を造形しており、物理的にも嵩を落としていると思うが、エンディングで見せた10年後の豹変ぶりがすごい。ルクミニはずっと泣いているばかりの役柄ながら全く飽きさせない。さすがヘーマント監督。

Su From So(Kannada/2025)をオンラインで。 

評判に違わぬ傑作。ただし先鋭的フェミニストには気に入らない点があると思う。ホラーとのタグもあるが、基本的にはトゥルナードの田舎コメディー。冒した過ちを糊塗するためについた嘘が思わぬ事態を引き起こし、嘘の上に嘘を重ねるというタイプのもの。一応の主人公ラヴィはシャシクマールがさらに肥えた感じのお人よし。セカンドヒーローのアショーカは、一線を超えてしまうこともあるトンチキな若者で、演じ手の俳優がどうしても知性が滲み出てるタイプの顔なのでどうかと思ったが、何と監督だった。130分ほどのランタイムだが、メインのプロットが出てくるまでの導入が長い。しかしおかしな村人たちを紹介するその部分が全く飽きさせない。特にバーワと呼ばれるアル中親父がヤバい。村のおかしな人間模様といえばマラヤーラム語映画の独壇場のイメージがあったが、トゥルナードものも面白い。そしてケーララよりもカンナダのものの方がより闇が濃く濃密な質感がある。ラージ・B・シェッティのスワミ様はハマりすぎて驚きがない。彼が電話で泣きつく大物の登場を楽しみにしていたが姿を表さず残念。

Ghaati (Telugu/2025)を池袋ヒューマックスで。 

レイトで30人弱が入っていたか。またしてもトライブもの。しかもAP/TSでは足りずオディシャーに出張って、そのおかげで新鮮さはある。ワルリー画が出てくる。女傑ものでもある。訳もなく強く、しかも復讐ドライブがかかると最強になる。ヒロインを女神になぞらえたくなるがコテコテは避けたた感じ。それから葉っぱ映画でもある。大昔に見たKoylaのガンジャ・ソングを思い出した。クリシュ監督らしい緊密なプロットと大雑把なテルグが共存。大雑把なのは悪役群。兄弟設定の俳優は本物兄弟みたいに似すぎていて途中で見失った。VPはヒロインのバディとして強すぎず弱すぎずでよかった。アヌシュカのセルフダビングはもしかしたら興行低迷の原因か。これまで声が可愛いすぎて使われなかったという珍しいパターン。ふくよかになったのは役作りのためかもしれない。吃驚したのはラージュ・スンダラムの不思議ちゃん的中年男。その助手の役にはなぜか白子の俳優があてられた。脚本的には、婚約者を殺されるところと、村人を殺されるところ、2段階のトラウマがあるが、後者がうまく機能しなかった。

Neelavelicham (Malayalam/2023)をオンラインで。 

Bhargavi Nilayam (1964)のリメイクであり、1952に出版された短編集の中の「Neelavelicham」の2度目の映像化でもある。1964年の傑作へのオマージュというが、あまり期待しすぎず、すでに筋を知っている物語ゆえの気楽さで見た。旧作とほぼ同じ脚本でソングもアレンジを加えて流用。そういえば旧作は字幕付きじゃなかったから、本作は字幕代わりだ。作家は失恋の痛手を抱えて引っ越してきたと初めて知った。衝撃的な渚での霊との初邂逅シーンは新版では白昼から夜にかわり、しかもふと希死念慮に襲われた作家が海水に浸かり歩き出すという演出になった。どう贔屓目に見ても旧版の方が上だが、そこに至るソング"Ekanthathayude Mahatheeram"の歌詞がすごく良い。英字幕で見る時は、歌詞を追うのを怠りがちだけど、本作の歌詞はどれも良かった。リマ・カッリンガルがいい女優なのは知ってるけど、バールガヴィのイメージじゃない。企画立ち上げ時には恋人役にチャッコーチャンが当てられたが実現しなかったのは惜しい。

Sardar Udham (Hindi/2021)をインド大使館で。 

もう一つ特筆すべき点は、作中ではスポットを当てた描き方をしていなかったが、ジャリヤーンワーラー・バーグ事件で実弾を発射した兵卒はほとんどがインド人だったこと。これは、本作を英国人への忖度でオスカーに出品しなかったことなどよりもずっと重要な、議論すべき点ではないか。それからジャリヤーンワーラー・バーグ事件の回想以外の大半の部分は英国を舞台にしているけれど、緑のイングランドの麗しさや日の沈まぬ帝国の首都の威容は意図的に描かれず、ただもうじめじめとした陰気な土地として表出されていた。また本作は、ヒンディー語で非ヒンディー語圏の英雄を描く映画群の一つとなる訳だが、英国人には英語を喋らせていた。当たり前のことに思えるが、英語とパンジャーブ語に非対照があることになる。

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Sardar Udham (Hindi/2021)をインド大使館で。 

字幕はあの人。タイトルカードに「アムリトサルのウダム・シン」と一瞬出たけど、大使館サイトなどでは原題をカタカナにしたもので通していて、何だこれ感。商船を商戦としたタイポも放置されていた。上映中も20分以上照明がついたり、しょうもない。160分かけて描いたアムリトサル虐殺の報復者の生涯。埋もれたフリーダム・ファイターに光を当てるなら普通はこうするよなという描き方で、逆に改めてラージャマウリの異常さが分かる。体感で20分以上あったと思える歴史的な虐殺とその夜の生存者の救出シーンは、同じことの繰り返しの苦痛を観客に身をもって味わわせるという趣旨か。年号と地名を何度も表示しながらドキュメンタリー的な雰囲気を醸し出し、激烈な暴力の映像で揺さぶりにかかるという映像作法はアグニホートリ監督とも共通するものだけれど、本作にプロパガンダ臭が少ないのは、台詞に品格があり、また影響されやすい単細胞な聞き手役がいないせいか。仇討ちではあってもあくまでも革命の一手段としての暗殺(衆人環視のもとで)にこだわる主人公の陰鬱と微かな狂気の演技は見事。

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