Meera (Hindi - 1979)をDVDで。
ヒンディーのバクティものも適当に見とくか、ぐらいのつもりだったのだけれど、これは割と有名作だったのだと後から知った(ただし興収は今一つだったらしい)。監督はグルザール。なのでやはり全般的に知的な指向性。奇跡やダルシャンを一切描かず、むしろ歴史・文学に重点を置いている。ただもう華麗に極楽絵巻と法悦を追求するサウスのバクティ映画とはだいぶ違う。ミーラ―その人の描写にしても、ただもう傍迷惑でしかない頑迷な嫁という側面が否応なしに浮かび上がる瞬間もあって、感情移入を促すような作りになってはいない。同時代人の脇役として大変興味深いのはアクバル帝と宮廷音楽家ターンセンで、特にアクバル帝のキャラクター描写は深みがある。このことによって「イスラームの侵略によって危機に瀕したヒンドゥー諸侯の、宗教的アイデンティティーをかけた抵抗」というありがちなパターンも相対視される。こうした脱慣用句的な世界観が本作を大衆的ヒットから遠ざけたのかもしれない。それにしても妹の自死に至るエピソードは意味がよく分からなかった。後で調べること。
〔Retrospective 18/08/30〕Mahanubavudu (Telugu - 2017)を機内上映で。多分短縮版。
OCD(obsessive compulsive disorder)を患う若者を主人公にしたロマンス&シチュエーショナル・コメディー。そもそもインド人でOCDというのが想像を絶する存在だが、本当にいるのか。いるのだとしたら、毎日が極限状態の生活を送っていると想像されるのだが、そのあたりは映画はサラリと流す。本当に病気の者に寄り添う気がないのは明らか。というか病気と思ってないのかもしれない。シャラヴァナンドやナーニといったビッグバジェット系ではない、別の言葉で言うとアクションやダンスで大向うを唸らせることができない俳優にとって、脚本は本当に命のはずだが、こうした奇をてらった設定にすることで、それがクリアできたと思ってしまうことは多いように思う。そして、その設定が生かし切れずに後半に失速して糸の切れた凧になってしまうのも必然的。でも、奇をてらった系が好きな観客にはそこそこ評価されてしまったりする、その手の困った一本だった。
〔Retrospective 18/09/10〕Ranam (Malayalam - 2018)をPVR Kochiにて。字幕なし。
修羅の街デトロイト舞台の作品と言うことで知り合いと変に盛り上がってた。予告編で気になったイスラーム系の描写は実見したところほぼなかった。色んなレビューで言われてることだが、実際にデトロイトにインド系やスリランカ系が多いのが事実だとしても、それでもなぜデトロイトなのか?というのは残る。ある種の中二病的な「メランコリーやニヒリズムへの憧れ」から、スタイリッシュネスを指向しているのは分かるが、技術が及ばないと感じられるところが多数。ラフマーンの悪役はカッコいいが迫力不足。冒頭のカーチェイス(逃走した先がカープールで、森の中に隠れた格好になる)のシーンの終わりにカメラが引くところ、うまく言えないがともかくヘタ、ヴィジュアルな驚きがない。同じ硝煙系のアンダーグラウンド映画でも、バンガロールを舞台にしたTagaruと比べると、いかにもヴィジュアル優先で無理にこしらえた設定感がぬぐえない。あと、灰とダイヤモンドも若干入ってたな。
〔Retrospective 18/09/01〕Tagaru (Kannada - 2018)をバンガロールSapnaにて。字幕なし。
字幕なしは諦めるとしても、画面が暗く、音が割れてるのはどうにかしてほしいと思った。しかしアンモニア臭のする小屋でこういう映画を見物するのにはある種の旅情があるから困ったもんだ。ストーリーは全然違うにも拘らず、前に来た時に見たMuftiとだんだん境界がつかなくなってしまいそうだ。それにしても、こうした暗く情念的な地獄絵図が延々と続く2時間を楽しみ、ヒット作にしてしまうカンナダ人はやっぱりすごい。むっつり寡黙で腕っぷしの強い私服警官と、短パンの蓮っ葉娘の組み合わせというのは、ありきたりだが、SRKがやると引き込まれる。悪役のダナンジャヤもなるほどいい味がある。
〔Retrospective 18/09/02〕 Sarkari Hi. Pra. Shaale, Kasaragodu, Koduge: Ramanna Rai (Kannada - 2018)をバンガロールINOX Lidoで。英語字幕付き。
リシャブ・シェッティ監督でかなり話題になってるのと、アナント・ナーグ出演というのとで見に行った。前の日に行ったサントーシュでもこれをやってたんだけど、同劇場名物のカットアウトがなかったのが印象的だった。前半の映像のキラキラした感じはただもう素晴らしく、今年の最高傑作に立ち会っているのではという興奮が抑えきれなかった。マラヤーラム映画Guppiも劇場で観たらこんなだっただろうというエッジの立った風景描写。後半に入り、アナント・ナーグが登場するところで、残念ながら失速。例の二色旗こそ出てこなかったが、わざわざ極小のコミュニティを舞台にして、遠慮なく地域ナショナリズムの雄叫びを上げるための設定だったというのが分かってガックリ。アナント・ナーグとラメーシュ・バットのコメディーの意味も今一つよく分からなかった。しかし現地では大評判。相変わらずの断絶感。
Sudani from Nigeria (Malayalam―2018)をDVDで。
途中で止まる厄介なDVDだったけど、ネトフリで配信してもなおかつDVDにしてくれたのはありがたい。現地公開時に日本のマ映画上映団体が観たいか?というアンケートを取ってたけどあまりに反応がなさ過ぎて流れたものだった。そりゃあのポスターからじゃイロモノとしか思えなかったもの。ただし、この作品、粗筋を文字にすると馬鹿みたいに単純な話で、なんでこんな陳腐でお涙頂戴な話を皆が絶賛するのかは理解できなくなってしまう。これを面白くしてるのは、絶妙な配役と、非スター俳優の演技、それにコーリコード地方のさして裕福でもない家庭とその周辺を描く見事な空気感だと思う。特に主人公の両親のピタリとはまった佇まいが効いている。とことんの善意の人を演じて全く嫌味がない。この監督の演出力は驚異的だと思った。インド映画にアフリカ人を登場させると、それだけで剥き出しのレイシズムが爆発してやしないかと緊張するのだが、それは全くなかった。後から読んだレビューで、7人制サッカーのリーグにアフリカから選手をリクルートするのは現実にあると知り、吃驚。
Maya Bazaar (Hindi - 1959)をDVDで。
これはデータが非常に少ない作品。公開年も多くの網頁が1958年としていたりするが、これはおそらく検閲通過の日付から。検索しても引っかかって来るほとんどが1957年のテルグ版の情報。しかも監督のバーブバーイー・ミストリーは80年代にセルフリメイクもしてるらしい。しかもDVD冒頭に出てくる認証カードには1979年の日付が書いてあり、パートカラーとの注釈もあるのに、本編にはカラーシーンが全くないという混沌ぶり。伝説的なテルグ版と比べてもあまり意味はないが、ヴァージョン違いを見る楽しみは大いにある。クリシュナを演じたマヒパール・バンダーリーはミソロジカルとフォークロアでそれなりに名声のある俳優だったようだが、NTRのあの深みはない。逆にNTRが神話映画デビュー作(当初自分がクリシュナを演じることに全く自信がなかったということだが)で確立したクリシュナ像がどれだけのインパクトを持っていたかを思い知る。チランジーヴィがSri Manjunathaで確立したシヴァ神のイメージについても同じことが言えるか。
Akilandakodi Brahmandanayagan (Tamil - 2018)をYuppflixで。
Om Namo Venkatesaya (Telugu - 2017)の吹き替え版。オリジナルのテルグ版が容易に再鑑賞できるならばこれに手を出すことはもちろんなかったけれどやむを得ず。やはり吹き替えは全体的にチープな雰囲気。特にソングはぐっと落ちる。こういう神話・バクティものの場合、タミル映画であっても結構サンスクリット系の語彙がそのまま使われているんだということが薄っすらと分かる。映画自体としては、知り合いの入っていた「宝塚調」という評言がぴったりはまる。深い深い精神性と、そこでこれを入れるかという様式的な能天気ソングとが入り混じって、まさに大衆のための芸能という趣。劇場での鑑賞時よりも台詞を細かく吟味しながら見ていくと、これは温和な雰囲気の中で展開するバクタと神との出し抜き合いのゲームのようにも思えてくる。なぜ双六なのか、なぜサトウキビなのかなど、象徴として現れる事物をめぐる謎、そしてどこまでが伝承で、どこからが映像作家による創作なのかも調べてみたいものだけど。
Seemaraja (Tamil - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。
SK主演作だから最初から期待値は低めに設定してた。だから大きな失望はないが、となりに座ってたタミル人の兄ちゃんは本当に嬉しそうに笑いながら見てた。現地のボックスオフィスも悪くないものだとのことで、やはり理解できないものに当たった感はある。昔日の栄光を汚さぬように慎ましく生きる旧領主一族の中の若様のトリックスター的行状から始まり、途中でバーフバリのミニチュアが入り、Thevar Maganの線で〆る。SKの通常パックに豪華付録付き特別号完成といったところ。何をやっても心を揺さぶられる瞬間がない学芸会風。やはりRajinimuruganはまぐれ当たりだったのか。カムバックしたシムランについては悪夢を見ているようだったとしか言えない。どんな役でもカメラの前に再び立ちたいという役者魂なのだろうか。悪役は別に構わないが、見せ場のある作品に出てほしいと思った。ティルネルヴェーリ地方だというロケ地は大変に良かった。
『人間機械』(Machines、2016)をユーロスペースで。
東京最終日最終回上映にやっと行けた。モーディーのお膝元で発展著しいグジャラートに、UP、ビハール、オリッサ、ベンガル、チャッティースガル(劇中で挙げられていた地名は多分これが全部だと思う)からやって来て、1シフト210ルピーで働く職工たち。組合ができるとリーダーが殺される。職工たちは会社のトップを知らず、周旋業者が全てを牛耳る。明らかに低カースト&おそらく部族出身者がほとんどの中に、聖紐をつけた人物も交じる。工場内の様子がランダムに映るが、サリー作りのための度の行程なのかが分かるのは半分以下。建て増しをし続けて奇妙な構造になった温泉旅館が無理を重ねて何とか機能してるのと同じようなものを感じる。印象的なのは、製品である布が無造作に床に積み上げられたり、その上で倒れ込むように寝ている労働者がいること。不要な布を燃やしていると思しい大窯も。そして製品にはカバーがされず、大雑把に巻いたままで出荷されていく。つまり外側の2,3巻き分は売り物にならないこと前提のようなのだ。ここにこの工場労働のあらゆる矛盾が凝縮されているように思えた。
Pelli Choopulu (Telugu - 2016)をmersalaayittenで。
画質最悪なものを我慢して観たのだけど、報われる面白さだった。若干の才覚はあるものの、ものぐさが全てを台無しにしてる男子と、「ホントは男が欲しかった」父との間で感情の行き違いを味わい続けてきた女子との間のラブストーリー。ダメ成分含有度の高い男子と、ソフトな抑圧に対して鬱憤を持つ女子というのはテルグのオルタナ系映画のつきもの。2人が出会ったところで大体ハッピーエンドは予測されるのだけど、そこに至る紆余曲折はかなりよく考えられていて、非常に楽しい。レビューを見てみると、gemだとか、breath of fresh air、realisticとか、そんな言葉が飛び交っている。Finally a Telugu film that is smart, sensible and responsibleなんていうのもあって、映画における進歩史観というものについて再び考えることになる。一方で、従来型のメディアの何も考えてないレビューはlack of mass elementsなどと評していて馬鹿じゃないかと。
Gharana Mogudu (Telugu - 1992)をDVD+YTで。
兄弟リメイクであるMannan (Tamil - 1992)を字幕代わりに見て、その記憶も新しいうちにと急いで観た。しかしDVDは途中で止まり、やむなく画質の劣るYT全編動画で。南インド映画ファン茨の道あるあるだ。タミル版と比較すると、字幕がないにも拘わらずスピーディーな編集で、するすると一気見できた。神話的引用はごく僅かしか見つからず、ストーリーも途中から色々と変えてきてる。母は死なない。エロいソングは増し増し、クライマックスの脱出シーンは度肝を抜くビジュアル、これがブロックバスターになったというのも頷ける。全編においてチランジーヴィに漲るサバルタンなパワーが凄い。街頭での賭けレスリング→掛け金持ち逃げの性悪女追跡→船乗りや港湾労働者が一丸となって群舞という流れは、息子主演のMagadheeraにそのまま引き継がれた。それにしてもこの時代の「高慢な富豪の女を労働者階級のマッチョなヒーローが矯めて従順な妻にする」というフォーマットの破壊力は凄い。HYDが舞台だが有名なランドマークは一切登場しない。
Mannan (Tamil - 1992)をDVDで。
本作はAnuraga Aralithu (Kannada - 1986)のリメイクで、本当は兄弟リメイクであるGharana Mogudu (Telugu - 1992)を見たいのだが、カンナダにもテルグにも字幕がついてないため、テルグ版の字幕代わりにこのタミル版を見た。南インド映画ファン茨の道あるあるだ。前半は恐ろしく退屈で、結局見通すのに3日かかった。しかしラストの1/3の面白さは出色。特に神話に絡めたシーンの入れ方が面白かった。1つ目は悪漢に襲われたヒロインがサリーを脱がされそうになるのを助けるところ、そして2つ目は、母の絶命シーン。主人公の名前はクリシュナン。ヒロインの無茶なキャラ造形も神話の中の人物みたい。しかし誇張の多い展開でありながらも、高慢なヒロインの改心に至る流れにはそれなりのロジックがあって感心した。見終わってネット上に資料などを探していたら、ローレンスが本作をリメイクすることを計画中などという3年まえの記事が複数見つかった。しかしまあ、全編がミソジニーに満ちた本作、ちょっとそれは無理じゃないかと思う。
Koode (Malayalam - 2018)を川口スキップシティで。
アンジャリ・メーノーンらしい美しい、美しすぎてちょっと白ける危険性もはらんだ一作。早く世を去った妹の幽霊が、縁の薄かった兄にだけは見えて(ただし、祖母にも見えていたことを薄っすらと暗示する)、暗い隅に向かっていた兄を陽だまりに連れ戻すというストーリー。なぜ兄にだけしか見えないのかは説明されない。そして、生前乗っていたバンの中と周辺でしか動き回れないとか、病気の苦しみは消えたけど腹だけは減るとか、兄のスマホを使ってネットショッピングはできちゃうとか、ディテールが面白い。不思議少女とまではいかないけど、朗らかで時に素っ頓狂でフレンドリーな幽霊が、自分に気付かない父母や恋人をバンから眺める時のやるせない顔、ラストでの涅槃の微笑み、これらはナスリヤがいなかったらひどく安っぽいものになっていたと思うと、奇跡のキャスティングに感謝しかない。ワンコと鉄道模型はややあざとい感じ。しかしファンタジーだけじゃなく、ペドの叔父とか出戻り娘をいたぶる親族とか、苦いものも交えるアタリがアンジャリ監督の本領発揮だと思う。
Magadheera (Telugu - 2009)をDVDで。
これを最初に見てから7~8年は立っているから、その後の経験から感想も違ってくるかと思ったのだが、あまり変わらなかった。何度も繰り返し現れる落下のシーン、あれはどう考えてもスカイダイビングのプロモーション用に撮られた気持~ちイイ(そしてありがち~な)動画から着想されたと思われるのだが、それをこういう場面に使うというのは天才的。それから初っ端の(そして一番の見せ場でもある)ソングBangaru Kodipettaは、初見時はお約束として流してみてたが、引用元である親父様の同名曲と改めて対照して見てみるとやはり感慨深いものがある。返す返すも悪役を丁寧に造形しなかったことが惜しまれる。
この間、ひょんなことからインド映画のセンサー・スクリプトというのを落手して、
実際の映像との照応をつぶさにチェックする機会があった。第一印象は、かなりとっ散らかってるというもの。ト書きと台詞とが整然と分かれていない。そしてやはり実映像とは完全に一致していない。実映像の字幕でモーハンダースとしている(実際の台詞もそう聞こえる)をスクリプトではフェルナンデスとしていたり。あるいは十数行の文章が突然次ページにミス配置されてたり。センサー・スクリプトはそれ専門のライターがいるようなのだが、結局のところ世に出ることがない文章ではあるので(検閲の人間だって全編に目を通すとは思えない)、ライターは実はかなりやさぐれちゃってるのだろうか。映像作品の文章化と言えば楽しそうにも見えるが、誰にもチェックされず(監督や脚本家が一字一句を確認してるとは到底思えない)、誰にも読まれない数十ページに渡る文章を書く仕事というの、どんな気持ちなのだろうか。同じ作業であっても、劇場売りパンフにシナリオ採録をする仕事ならまだニュアンスも違うか。そもそも監督や脚本家が几帳面に台本を作っていれば必要ない仕事ではあるのだが。
Junga (Tamil - 2018)を川口スキップシティで。
VJSにしてはスッキリしない、金の使い方を間違えた系の騒々しい凡作。ニューウェーブの申し子VJSは人気が上昇するにつれて、そのうちコテコテ・ヒーローものをやるに違いないと噂され、だが大体においてそれを裏切ってきたけど、ここで初めて「歌って踊って大暴れ」をやることになったか(全部見てないので断言はできない)。まあ、ヒーローと言っても正義漢では全然ないところは評価できる。ただコメディーにもアクションにもキレがなく、限りなくかったるい鑑賞だった。笑えたのはパリとParrysを取り違える下り、ラーダーラヴィの疲れたギャング組合長、主人公の父と祖父のエピソードか。あと、婆ちゃんもよかった。チョイ役のマドンナはテルグ人という設定で律義にテルグ語を喋ってたな。フランス・ロケ部では、冬という設定なのに女性が半袖とか(男は厚着)、ギャングのアジトがシャンボール城とか、ひと昔前感満載。例によってカーチェイスやってるのに壊すのはゴミ箱だけなんていう遠慮っぷりも。タイガーでダブリンで市街地のトラムを壊しまくったカビール・カーン監督が凄いのか。
『用心棒』(1961)をDVDで。
偶然に始まった夏の黒澤・三船祭りもこれでいったん休止。前世紀に初見した時には思い至らなかったけど、これは時代劇・剣戟のモダニズム化の試みなのだな。洒脱な音楽と切れ味のいい編集とで、スタイリッシュな侍コメディを作るという。そしてヴィジュアル的には、同じころ萌芽し始めていた劇画のヴィジュアルを先取りしている。クライマックスの対決場面で、仲代を中央にした悪役が雁首をそろえる場面などが強烈に劇画を想起させる。絵柄優先の演出の一方で、刀で切られた人間が「痛いよお」と叫ぶようなヘンテコなリアリズムもある。インド映画好きとして眺めると、やはり本作の三船がパワン・カリヤーンを魅了したのであろうことがよくわかる。懐手で顔を顰めながら顎を擦るあの仕草、パワンは時々意識してやってるように思う。絶対に鏡の前で三船の真似の練習してるに違いない。https://eigadon.net/media/O5xdeFgWAZMwcFK_H6Y