もっと見る

Mahavatar Narsimha (Hindi/2024)を川口スキップシティで。 

観客は自分を含め9人。トレーラーの作画のヘナヘナさ加減で期待値最低ながら、勉強と思って見た。ホンバーレなせいかKGFやサラールを彷彿させる構図あり。明らかに子供向けではあるんだけど、ディティが夫を誘惑する場面から始まっていた。作画はこれまでに見たどの印度アニメよりも精緻で特に戦闘シーンは良かった。日本アニメの、風景はどんどん油絵になっていくのに人物だけが平たいというのと比べると、むしろこっちのほうがいいかも。しかし人物の顔はインドによくある不思議なデフォルメと陶器感。しかも階段の上り下りのような人間の当たり前の動作がロボットみたいにカクカクしている。ヒラニヤカシャプが自ら神であると宣言し、ヴィシュヌ派・シヴァ派の対立には蓋をするナラティブ。イメージで鮮烈だったのはブーデーヴィの造形と、ヴィシュワルーパム、そしてその後のプラフラーダの陶酔のシーン。最後にシシュパーラだったか何だったかが画面に出て、続編を暗示。それからアホービラムに始まるナラシンハの名刹が5~6(パキスタンのものも含む)紹介されていた。

Mayurakshi (Bengali/2017)をオンラインで。 

ウィッシュリスト解消計画の一環で観たけれど、そもそも何でこれをリストに加えたのかがもう思い出せない。国家映画賞ベンガル語最優秀作品賞を獲ったというぐらいのディスクリプションしかない。俳優陣は豪華だけど、文芸的なあまりに文芸的な一本。老耄を扱った作品ならば、GBSMやAstuなどの方がもっと刺さるものがあった。もちろんショウミットロ翁の芝居は見事で、芝居じゃなく本当にこんななんじゃないかと不安にさせるほど。もちろんブンバも。しかし、演技力も確かでいい脚本を呼び寄せる力も持っている実力派なのに、見ていてときめきのない俳優っているもんだというのを再確認。アメリカに住むバツ2男が、老父の加減が悪いとの知らせにコルカタに一時帰省する。かつて歴史学の教授だった父は明らかに認知症の症状を示し、執拗にモユラッキに会いたいと言う。それはかつての愛弟子で、息子の嫁にしたいと彼が熱望していた女性だった。このようにサスペンス要素は敷かれるが、劇的展開はなく、モユラッキは現れず、周囲の人間模様が描かれるだけ。「明日は明日の風が吹く」で終わるのだ。

Nizhal (Malayalam/2021)をオンラインで。 

本作公開の頃から忙しくなりすぎ新作を追えなくなり恨みのこもった一作。これを機に失われた3年のウィッシュリストを潰したい。主演2人の何やら沈痛な面持ちのポスターが気になり、同時にKUBOのふざけてんのか?というマスク姿もあって不可思議だったけれど、そういうことだったとは。コッチの裁判所に努めるベービが、知人の知人の子供が休暇明けの作文でリアルすぎる殺人事件の詳細を書いたという話を聞く。その知人の依頼で子供に会ったベービは本格的な調査に乗り出し、そのシングルマザーとの付き合いも生まれる、という話。ホゲナッカルの滝のシーンまでは非常に良かった。独特の雨の使い方も見事。しかし真犯人がゾンビみたいに登場するところからは急にバタバタしだしてロジックが追い付かなかった。つまり腰砕け脚本なのだが、沈痛なKUBOただ一人がそれを見ごたえのあるものにしていた。にしても彼はここのところスリラーばかりに出過ぎではないかと思った。コッチをたいそうリッチな大都会として描いていた。ホゲナッカルのホテルの設定でThe Tower Houseが使われていた。

Mad Square (Telugu/2025)をNTFLXで。 

MADの感想に書き忘れたけど、このシリーズ、少なくとも歌詞にはテランガーナ要素があるらしい。たぶんラッドゥはテランガーナ人。ラッドゥはキーマンなのにMADに加わってないのがかわいそう。その父役のムラリダル・ガウダはいい味を出していて、本作で出番が倍増。スニールはタイプキャスト。ナールネ・ニティンは相変わらず活躍は少ないのにポスターで最前面に来てたりする。ストーリー自体は、人気の出たシリーズにありがちな「ゴアの休日」で、主人公たちは既に学生ではない。ラッドゥが結婚式当日に相手に逃げられたのを慰めるために新婚旅行用に予約していたゴアのホテルに3人組と共に宿泊して、ほぼ理由にならない理由でその他の面々も合流して騒いでいるところに、ローカルギャングの取引トラブルが絡んでくるというもの。オルタナ系には珍しく、本格的アイテムナンバーが2つも入る。この監督は女性キャラに活躍させることが苦手なのではないかという疑念。アイテムの2人と言い、駆け落ち嫁といい、顔の見分けがつかない。前作よりもずっと評判は悪いが、ギャグの分かりやすさは増した。

MAD (Telugu/2023)をNTFLXで。 

前情報なしで観たけど、構造は『きっと、またあえる』(2019)と同じ。同作の舞台が超名門大学で、しかも話の聞き手の置かれた状況が洒落にならないのに対し、こちらは「寮の環境が良くないから工科大学をやめたい」という程度で、それに対する説得としての本編は人間同士の直の触れ合いがあってこその大学生活という真っ当なもので安心した。基本的にお馬鹿ギャグの数珠繋ぎで、笑えるかと言えばそれほどじゃないけど、こちらにとっては若者の生態を覗き見るという趣旨なのでそれは構わない。学園群像ものには、そうは言っても一人はヒーロー格としてスポットライトを浴びるキャラクターがいるのだが、本作ではそれが割と控えめで、「男は黙って~」型のバスケ達人として登場する。しかしこのキャラは硬派として登場しながら途中からフニャっとしたものになり、最後に大金持ちの息子と分かる。何じゃこれと思ったら、演じているのがジュニアの妻の弟であるナールネ・ニティンだというのが後から分かり、ああなるほどと思った。それ以外で冒頭に登場する学生の顔に見覚えがあるのだけれど分からずフラストレーション。

今年の独立記念日の超大作2本、 

『War 2』と『Coolie』、どちらも豪華キャストで話題をさらったが、肝心のストーリーが薄くてイマイチというのが批評家筋の評価のようだ。『War 2』はまだ見ていないけど、『Coolie』はローケーシュのこれまでの作品中で最も弱いストーリーだった。とはいっても、主要映画界からカリスマ性と実力を併せ持つスターを満遍なく引っ張ってきたという点で、『ジェイラー』には完全に勝っていた。腐ってもローケーシュ。

メモ:新聞記事スクラップ 

 熱い男の友情が「核」であるだけに、中華圏でも日本でも、登場人物同士をカップルだと妄想して盛り上がるBL(ボーイズラブ)目線のファンは多い。SNSにそうした内容の2次創作があふれる現象についての感想を聞くと、「本当に全く無問題(モウマンタイ)」と笑う。「小説も映画もヒットしたのは、そうした2次創作のおかげでもある。感謝しかない」

──朝日新聞
香港「九龍城砦」、広がる物語 エンタメ業界盛り上げたい 映画ヒット、原作者に聞く
2025年8月14日 16時30分

興収メモ:教皇+トワウォ+侍(6/24) 

教皇:11億
トワウォ:5億
侍:10億
x.com/moviewalker_bce/status/1

興収メモ:鯨が消えた入江
劇場公開1週間で観客動員が1万人を突破
x.com/march_film_0303/status/1

Coolie (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

R指定にビビって臨んだが、大したことなかった。チェンナイの集合住宅の主みたいな初老の男が、旧友の葬儀でヴァイザーグを訪れるが、遺児にけんもほろろに追い返される。旧友は殺害されたと推測して犯人探しを始めた彼は、ヴァイザーグ港湾を仕切るギャングのボス・サイモンに接近を試み、その過程で中ボス・ダヤルによって逆に弱みを握られて死体処理の仕事に就かされる。その処理方法というのが小学生の夏休み工作みたいでモヤる。ローケーシュらしい混乱させる脚本。またしても外国に売るための臓器摘出話が出てきて、実際にそういう事件があったのか気になった。サウビン・シャーヒルはほとんどゾンビみたいな役で、ナグを喰う勢い。ウッピはえらくカッコよく見せ場をあてがわれてた。アーミル・カーンはもうちょっとシャープに演出されても良かったはず。過去譚の因縁がよく分からなかった。回想シーンでのラジニとサティヤラージの若作りは上手くいってた。この労働者のリーダー像は何か元ネタがあるのかどうか調べること。スターキャスト過ぎて自重で沈んだ作品。MVPはアイテム出演のプージャー。

我在這裡等你(台湾/2024)をNTFLXで。 

英語題名「A Balloon’s Landing」、邦題「鯨が消えた入り江」。原題の意味は「ここで君を待ってる」。オタク女子の一部からの熱烈な推奨文言と、同時にLGBTQ当事者から「クィアベイティング」だとする痛烈な批判が目に入ったため。蓋を開けてみれば、『イル・マーレ』と似た構造で、男二人、香港と台湾をつなぎ、若干の時空の捩れを含んだ超自然的な空間移動がキーとなるファンタジーだった。張國榮への熱いオマージュも。「やり直し」で不幸な運命を修正するという点ではタイムリーブものの要素もある。そうしたテーマが見えてくるまでの1時間超は少女漫画のBL版のようなふわふわした描写が続く。そもそも作家をやっている主人公があんな中学生みたいなふわふわである点でリアリティーがほぼない。犬のエピソードもご都合主義。事故キスも学園ものコミックじゃあるまいし。90年生まれの監督の鄧依涵は多分そういうものをたっぷり養分にして育った人なのだと思う。劉俊謙はいつも自分がいい角度から撮られることにばかり腐心して演技をしていないように感じられた。范少勳の方が芝居をしていた。

Bagheera (Tamil/2023)をYTで。 

ヒンディー語吹替え版。オリジナル160分に対して127分になっている。アーディク監督作の全点制覇、苦しかった。ミソジニーをこじらせた男がサイコパスとなり、通報アプリを開発して不実な女を殺しまくる。基本的にそれだけ。カットされた30分強はソングだったのか、もう少し丁寧な因果関係の説明だったのか。Sigappu Rojakkal(1978)以来の使い古されどこかで見たようなプロットの連続。そしてやはり一瞬だがアジット萌えのカットがあり。デビュー作では不完全燃焼だったビジュアルにおける極彩色悪趣味、夜の人工照明への偏愛、三次元の実写にマンガ的な効果を付け加えること、ビザール愛好、デモーニッシュな悪ふざけ、沈黙を恐れるかのような高原状態の騒々しさなどなど、GBUでの完成に向かって着実に進んでいることが分かる。メインの時代設定は現代だが、そこはかとなくレトロな感触もある。プラブデーヴァの七変化は、一人の人間の変装だという設定の中で最大限に振れ幅が取られていて、結構巧い。サーイ・クマールは無駄遣い。女優たちのお色気衣装に監督のニヒリズムを感じる。

Anbanavan Asaradhavan Adangadhavan (Tamil/2017)をオンラインで。 

シンブが一番肥えていた頃のもの(ただし翌年のChekka Chivantha Vaanamではあまり気にならなかったが)。全体的にドヨンとかったるい。よくこんなものにシュレーヤーとタマンナーが出演をオーケーしたもんだ。女に惚れて足抜けしようとしたギャングが最後の人仕事で捕縛され、脱獄したのはいいが女のもとには戻らずドゥバイに高跳びしてその地でドンとなる。しかし30年後の彼はチェンナイで暮らしていたところで若い女に惚れる。前半はレトロなマドゥライギャング映画のパロディー、後半はほとんどつながりのない老人と若い女のロマンス。主人公の名前すら変わっている。シンブの弛みきった外見から老人ロマンスに舵を切ったのかと思えるほどだが、終盤に今度は変に風呂敷を広げていって、どうすんだこれと思っていたらPART2の文字が出て引っくり返った。しかしこれは絶対に後半は放棄されていると思う。ストーリーはあり得ないレベルで崩壊してるけど、画面のビジュアルのグラフィックなセンスは色んなものを先取りしてた。

ドキュメンタリーA Night of Knowing Nothing (Hindi/Bengali - 2021)を渋谷ル・シネマで。 

邦題は『何も知らない夜』。何とも茫洋たる1時間43分。夕方5時半からで客入りは30名強か。ドキュメンタリーと言いながらも、おそらくは最初からテーマを決めて計画的に撮ったものではなさそうな、心象風景的な映像と学生運動の記録とが溶けあう、限りなくインディーズ劇映画に近いドキュメンタリー。心象風景と言ってもFTIIの寮での日常をモノクロで撮ったものだったりするのだけれど、『私たちが光と想うすべて』を予告するようなニュアンスのある映像。ハイカーストの恋人が両親により監禁され学校に来なくなった女子学生Lのモノローグが中心だが、恋人の親たちに襲撃されそうになって命からがら逃げた男子学生のモノローグ、JNUの学生運動の記録など、幾つか別の視点も加わり、混然としていて、やはり解題が欲しい。最もダイナミックなシーンは、デモ隊の最前線から警官たちを眺めるところと、学生寮のようなところに警官隊が突入する一部始終を記録したCCTV映像。前日に読了したアルンダティ・ロイと共鳴。

Trisha Illana Nayanthara (Tamil/2015)をYTで。 

ただし粗雑な英語字幕付きヒンディー語版。話がよく分からないところは多分変な編集だろう。シュールなアダルトコメディー(吹きあがる水道管、破ける牛乳パック)で、やはり評判は悪かったみたいだ。アーディク監督の性癖みたいなものは既に萌芽があり、Veeramの上映シーンや、シムラン、変にカラフルなソングシーン、レンガ男に代表される不条理キャラ、GVの音楽等々。しかしGVをヒーローとして2時間見つめ続けるのはキツい。見た目がアレなだけじゃなく、演技も拙い。アーディクにとってデビュー作だし、内容が内容だけにまともな俳優はキャストできなかったのは分かるが。カメオで出てきたアーリヤ―がキラキラ光って見えた。しかし主人公をとことんの屑にしたのに罰を受けるでもなく、かといってピカレスクものの爽快さがある訳でもない。ラムヤといちゃついたことを不用意に漏らして噂を広めてしまうのに彼女の純潔にはこだわり、自身は大酒飲みなのにアディティがパブで遊ぶことは許さない。題名と言いなのと言い無責任な若者のクダをそのまま映画にしたような感じ。

Jalsaghar (Bengali/1958)を渋谷ル・シネマで。 

邦題は『音楽ホール』。平日午後ながら半分程度の入りだったか。ベンガル文学の大家のO先生の指摘で、成り上がりのガングリが主人公に対して呼びかける言葉が最初と最後とで違っているというのがあり、聞き分けようと思ったけどできなかった。貴族階級の没落譚として最も鮮烈に思い出されたのはヴィスコンティの『家族の肖像』(1974)だった。同作が階級全体としての没落とデカダンを描こうとしたのに対し、レイは個人の内部の葛藤、執着、意地を物語る。本作でもまた象徴表現はとても分かりやすい。蝋燭の炎、飲み物に落ちる羽虫、肖像画を這う蜘蛛、風で倒れる舟の置物など。撮影地のNimtita Rajbariは今日のバングラデシュ国境付近で実際にガンガーに面し、現在も遺棄されて凄惨な姿。劇中の音楽は全てムガル宮廷音楽の流れをくむもので、ベンガルのヒンドゥーのザミンダールでも教養としての音楽はそういうものなのか。そしてCharulathaに続き、音楽をフルコーラスで聞かせようとするレイの姿勢も印象的。エッジの立った構図の連続に美術家としてのレイの面目躍如。

Charulata (Bengali/1964)を渋谷ル・シネマで。 

邦題は変わらず『チャルラータ』。10年ぶりの劇場での再見。多少知識が増えたのはボンキムとかラム・モホン・ロイなどの名前に聞き覚えがあるということで、しかしキチンと調べなければならない。37歳の夫と23歳の夫の従弟との間で揺れ動く有閑階級の妻の心。妻の持つオペラグラスや突然の強風、ただ一つのシーンでの妻の解け髪などの象徴的意味がよく分かる。1879年という設定を考えれば驚くほどリベラルな夫だが、妻を完全に掌の上で遊ばせていると信じているところ、英国の政界でのパワーゲームに一喜一憂しているところなどは今日の目で見れば哀れと受け取れる描写も。社会評論・社会改革のための言語としての英語と、文芸のためのベンガル語の真っ二つの乖離。Subrata Sensharmaによる衣装は、考証が正確なものなのかよく分からないけれど、ヴィクトリア朝の西欧婦人の普段着である長袖ブラウスとスカートにサリーをルーズに巻き付けたもののように見えて不思議な雰囲気。60年代の映画だから丁寧に覆い隠されているが、ヒロインの性的な欲求不満も微かにうかがえる。

Hero (Tamil/2019)をオンラインで。 

大いに推されて半信半疑で観てダレダレのグダグダになった。「Maaveeran」がよほど名作に思えた。スーパーヒーローと教育問題と、その他もろもろの社会問題をゴタマゼにした2時間37分。何が悪いって、まず悪役にリアリティーがない。なぜそこまで田舎の発明キッズを恐れなければならないのかが納得できるように描かれていない。そして落ちこぼれが適切な指導を受ければ凄いことを成し遂げられるという謎理論。それはどぎつい言い方をすれば優勢思想と言ってもいいもので、人間として生まれたからには何か役に立つことをしないと意味ないという功利主義の無邪気な信奉だ。インドの教育もの映画はだいたいそうだけど、突き詰めるとAmma Cheppindi (2006)のような恐ろしいものになる。役に立つ子がいい子であり、どんな子でも役に立つはずだというのは楽天的すぎ。役に立たない子は存在してはいけないのか。Gentleman (1993)の精神をリバイバルしたかったのは分かるが、中国のおっさんの発明みたいなレベルの技術で衛星もどきを打ち上げるところまでというのは雑過ぎる。

Peter Brook's the Mahabharata (8K) (English/2024)を渋谷PARCO劇場で。 

173分、日本語字幕付き。1988年の舞台上演関係者によるトークで、新築されたばかりのセゾン劇場を一旦全部壊して本作のため火や水を使えるように改装したエピソードが語られ、劇場スタッフが全員アシャの服を着ていた個人的記憶と共に、バブル期の豊かさに思いを致すなど。今回の映画は89-90年のテレビシリーズ(5h18m)の散逸したフッテージを集めてレストアしたものらしいのだけれど裏がとれていない。それと2015年の舞台劇Battlefieldとの関係もさらに調べること。群像劇として奥行きをもって俳優を配置した舞台とは異なり、人物アップが多用され、どうしてもスケールが縮小された感じがする。舞台の方が断然いい。舞台を今見たらどういう感想になるか分からないけれど、映画としては、20世紀の美しい理想主義を遠い目で眺めるような気分。Deathless boyという人物ははたぶん独自のキャラクターなのだけど、かなり中二病臭がする。多国籍の俳優がその母語の影響を隠さない英語台詞が印象的。

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。