Stranger than Fiction(USA/2006)をDVDで。 

邦題は『主人公は僕だった』。6/20に見たという記録のためだけに覚え書きしておく。もしかしたらやらなきゃならなくなるかもしれなかったトークのために参考資料として取り寄せ。届いたころにはトークはなくなって用済みだったけどとりあえず見た。2時間弱のファンタジー・コメディーだけど退屈。朴念仁の主人公という設定は『North 24 Kaatham』あたりに影響を与えたかも。しかしそこはアメリカ映画なので、お約束のようにラブシーンを入れる。そのヒロインのエキセントリックさ、教授の変人ぶり、すべてがちんまりとしている。最後に主人公が捨て身の献身を行う経緯も今一つ説得力がない。舞台がシカゴだというのは後から知ったが、自分のイメージとは違っていた。どうも某国の映像作家、自分のビデオライブラリーのバラエティーを誇るためだけに見栄オマージュでインスピレーション元を公開する傾向があるように思う。そして国内のより直接的な影響の源泉(この件で言えば2021年のTughlaq Durbar)には意地でも言及しないというのがあるのではないか。

『国宝』(2025)をTOHOシネマズ西新井で。 

屋上シーン以外で気になったのは、「その美貌が仇となる」の名セリフがその後のストーリーの中で活かされなかったこと。それから最終シーンで特器になったのはステージの上の音楽に、現代西洋音楽である劇伴が被さって、何となく情緒的にその場を「回収」してしまうところ。古典系の芸道ものの常套手段(「花、香る歌」とかでもあったな)ではあるけど、やはり好きになれない。原作に忠実に映像化するとなれば連続ドラマになるしかないと監督は言っていたが、ラージャマウリなら前後編6時間の二部作にしていたと思う。オフではペラッペラ、見かけがシュッとしているだけが取り柄というタイプに見えた2人のイケメン俳優が、(韓流並みに)スクリーン上で演技者としてのプレゼンスを示したのは驚きだった。

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『国宝』(2025)をTOHOシネマズ西新井で。 

限定的な日本語字幕付きの上映。ともかく字幕に感謝。長唄だけでなく、舞台化粧の主人公2人を見失いかねない箇所もあったので。慣れてくればこの2人の違いは分かるようになるが、何としたことか、女性キャラが時々分からなかった。特に主人公を長崎から追ってきた幼馴染の女性がなぜ途中からライバルの方とつながるのか、その辺りの描写が不足。原作を読めばわかるのだろうか。様々なレビューが指摘するように、化粧を落としたパートの人間ドラマは限りなく薄い。特にホテルの屋上でのシーンは厨二っぽいありがち感(画家が自分のカンバスを破るシーンに似てるかも)。田中泯演じる女形の人間国宝の台詞がどれもいい。主人公の美貌を呪いと看破するところ、引退後にうら寂れた小部屋で「ここには美しいものが何一つない」と言うところ。それから主人公2人がリハーサル後に舞台上で寝転んで、何かが見ていると言うシーン。これこそが本作のエッセンスと思った。自分よりもはるかに年下で、オフを見ても最近のニーちゃんとしか思えないだろう俳優たちが、スクリーン中ではキチンと仰ぎ見られる存在になっていたことに感銘。

We Are Faheem and Karun (Kashmiri/Hindi/2024)をユーロライブにて。 

第32回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)上映、邦題は『カシミールのふたり ファヒームとカルン』。上映後トークが酷かったことは別のところにぶちまけたので省略。字幕もまあ監修が入ってないのはよく分かった。カルギルにも近いグレズ渓谷で、民間の警備会社から派遣されて検問を行っているケーララ人のカルン。コルカタから帰省して来た現地人ファヒームと知り合い、2人はお互いに惹かれ合い、奥ゆかしいやり取りにより相手がゲイであることを確信して相思相愛になる。二人の間を引き裂くのは宗教の違いではなく、グレズ渓谷という土地を巡る立場と個人史の違い。文芸的なスケッチでありながら、脇役に至るまでの個人のキャラクターを描き分けるのは『I AM』と共通。あとから読んだところによれば、舞台設定と同じグレズ渓谷でオールロケを敢行したという。今年4月のあの事件前だからこそできたことか。そしてやはり舞台設定は19年8月以降のものなんだろうとも。ケーララ人役の彼は本当にケーララ人だったので吃驚。

Mahapurush (Bengali/1965)をYTで。雑な英語字幕付き。 

2回目。今度はスクリーナーで。雑な英語字幕をそのまま引き継いだような感じ。時間に関するもっともらしい哲学的言説とそれに神秘性を付加するためのハンドジェスチャーがお見事。両手を逆方向にぐるぐるさせるというプロットは、もしかしたら「Pranchiyettan & the Saint」(2010)に影響を与えたかと思った。チャルプロカシュ・ゴーシュ演じるスワーミの頭巾を取った姿は、意外にもよくいるタイプの初老のベンガル人男性のそれで、得難い貴重な瞬間を見た気分。スワーミに対抗する4人の暇な男たち+ノニ教授の、市井の常識人としての真っ当さと、同時にある斜に構えた調子のブレンド具合がいい。ショットの恋路を助けるためにスワーミ追い出し作戦を行うものの、完全に抹殺することは考えない。ああいうもんはなくならないのだとでも言いたげな諦念がうかがえる。4人の男たちの中の司令塔クラスを演じた俳優が印象に残ったが俳優の名前もよく分からず。あの4人が物憂げにダラダラと時を過ごすあの空間が、失われてしまった前世紀の庶民の世界という趣き。

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Kapurush (Bengali/1965)をオンラインで。 

邦題『臆病者』。僅か70分の文芸的一作。よく文芸作品から映像が想像できることがあるが、本作はその逆で、小説の文言が浮かび上がってくるような不思議な感じ。「Kapurush-O-Mahapurush」と括られているのは、単に上映時間が短いものを「合本」したというだけなのか。ショミトロ・チャタルジー、マドビ・ムカルジー、ハラドン・バナルジーの、ほぼ3人だけの芝居。若い脚本家が義理の兄弟のいるハシマラを目指して旅するが雇ったタクシーが故障して立ち往生する。場所は不明ながらシリグリ回廊のシリグリが最寄りの都市。たまたま出会った紅茶プランテーションの農園主に助けられその邸宅で一夜を過ごす。この農園がビハールなのかベンガルなのかよく分からない。農園主は「年に何度か困ったベンガル人を助けることがある」と言う。2人が着いた屋敷には、農園主の妻がいたが、彼女は脚本家の学生時代の恋人だった。表情だけで語らせる回想部分の演出が見事。時代が時代だけあって男性2人がニコチン中毒のように煙草を吸いまくるが、これに意味を見出すのは見当はずれなのだと思う。

Mandela (Tamil/2021)をNTFLXで。2回目。 

In and around rural Madurai-Theni belt you can see sasikumar & gautam Karthick movie posters even though nobody watches those..
reddit.com/r/kollywood/comment

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Mandela (Tamil/2021)をNTFLXで。2回目。 

『Maaveeran』を見た後に再見すると、圧倒的にこちらの方が優れていて、風刺も効いている感がある。シンプルに言うなら、票による信任と引き換えに政治家に要求すべきなのは、個人的な奢侈品や生活用品ではなく、病院・学校・舗装路・街灯であるという教訓。シャシクマールのポスターは南村の次男マディの家に飾られている(シャシクマールのカーストはヤーダヴァまたはその1セクトのコーナール)。村長の家にはペリヤールの額装された写真。郵便局にはアブドゥル・カラーム、後にネルソン・マンデラ。主人公のスマイルは恐らくMGRソングを聞いていて、投票先を問われMGRに1票とうそぶく。海外から呼び寄せられる村人が到着するのはトゥティコリン空港。感想は前回とあまり変わらないけど、ヒロインと村長の2人の妻以外の女衆の存在が気になった。トイレのオープンセレモニーを期待を込めて見つめているのは若い女性たち。また主人公の自殺を思いとどまらせるきっかけとなった深夜3時の物音は、その時間しか安心して用を足せない村の女衆のものだったというのがギャグにならない深刻さ。

Maaveeran (Tamil/2023)をスクリーナーで。2回目。 

インドではこの所スーパーヒーローものでヒットが出ているが、本作もそれに連なるものであるのは間違いない。インドのSHものは一般的なヒーロー映画の逆張りという面がある。まずSHのヒーローの日常はなるべく情けない方がいい。ヒーローは訳もなく強いが、SHのヒーローはえらく複雑な手続きを経ないと強くなれない。これが一般のヒーロー映画なら、「旗を掲げて戦って殺された」父親こそが主人公になるにふさわしい。前回から持ち越した声の正体だけれども、60年(つまり1960年ごろから)・2万話続いたと言われ、オフィスには複数の描き手の肖像も飾られているコミック自体が、年を経た無生物が意志を持つようになるということに思えて仕方がない。欠陥住宅は北インド人労働者のせいにしておくなど、北インド人の存在がかなり目立つ。もともと反中央の気質の強いタミル人だが、伝統的なそれは北インドのエリート層への反発で、多分に理念的なものだったが、ここにきて生身の底辺労働者が大挙して押し寄せる事態になり、やっと実態を持った人間としての付き合いが始まったということか。

Main Atal Hoon (Hindi/2024)をインド大使館で。 

字幕翻訳者クレジットはなかったけれど、明らかに学識経験者によるもので、流麗だった。もちろんコテコテのプロパガンダ映画。しかし東京におけるインド映画上映の多様性という点で凄いことだと思った。紙芝居的な編年体の伝記。少年時代のあがり症から始まり、父と共に学んだ学生時代、RSS・BJS・ジャナタ―党、BJPと組織が成長していく様子を淡々と。ガーンディーを始めとして暗殺や不審死、客死など様々な死が起こるが直接的な描写は一切ない。無責任と思われるか所は、「ゴードセーとかいう奴がガーンディーを暗殺した」と言うところと、アヨーディヤーのモスクに関するアジ演説とその後の「やっちまった…」の軽さ。ネルーからソニアに至るまでの実在の人物のそっくりさんパレード。意外にもモーディーは登場しない。ヴァージペーイーが警戒していたというのがあったからか。特に後半に詩を朗々と吟ずるシーンが多く、文人王の理想のようなものが明滅する。印象的なのはアブドゥル・カラームに極秘に進めさせていた核ミサイル計画で、実験成功を「仏陀が笑った」と隠語にしたところ。

Till We Meet Again (Taiwan/2021)を新文芸坐で。 

原題は『月老』、邦題は『赤い糸 輪廻のひみつ』。ずっと前に見た韓国映画『神と共に』二部作を思い出した。どちらも自民族のためだけの冥界がある。その仕組みが今一つ分かりにくくて、最後の方に行くにつれてところどころ意味が分からないショットが増えて行った。たとえばエレベータの前で来世の再開を約束して別れる初老の男女とか。最初のシーンでのモンスーンにけぶる海辺の町(明らかに地方都市)の風景はまさに台湾映画の悦楽と言えたけれどあれはどこだったのか。落雷で死ぬというのは何となく転生ものを思い出させる軽さ。さらに、冥界に制服があり、規則があり、成績表があり、男女のペアでの共同作業がありetc.という学園もの風のノリは確かに面白い。ただ、自分としては500年前の匪賊が浴びた山の爽やかな風の方に惹かれた。公式サイト以外の情報はかなり少ない。監督インタビューは面白かった。
cinra.net/article/202312-gidde

Maaman (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

観客は30人弱。ティルチのスイーツ製造業の家の息子インバは姉のギリジャを常に気にかけている。教師の姉は結婚後10年経っても子供ができず、肩身の狭い思いをしていたがついに妊娠し男児を授かる。彼は姉に付き添って訪れていた産科医のレーカと恋仲になり、5年もの交際期間の後に結婚する。しかしインバと甥のラッドゥとの間の絆は実の親子よりも堅く、夫妻は新婚初夜を迎えられず、新婚旅行にも行けない。レーカはマドゥライに転勤になり、夫と共に移住し初めて普通の夫婦生活を送り妊娠する。しかしティルチの家ではギリジャがラッドゥをなだめるためインバを亡き者として祀っている。これを知ったレーカとギリジャとの間での激しい口論。姉と弟の間、叔父と甥の間のトキシックな愛執、またやっと授かった子供への溺愛が大家族の中でどのように作用するかを観察する人類学的考察を誘うかのよう。また激情を200%迸らせるタミル的な感性の出力が病院という場で2度も繰り広げられるのもすごい。「その我儘すぎるクソガキを何とかしろ」で終わってしまいそうな話を150分のメロドラマにする文化。

Tourist Family (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

客入りは70人前後だったか。タミル人の姿はほぼなし。128分。スリランカからの経済難民としてラーメーシュワラムの岸辺にたどり着いた4人家族。すぐに警察に捕まるが、次男の愛嬌で無罪放免となる。チェンナイのケーサヴァナガルナガルに落ち着いた一家は、不法入国を悟られないためにスリランカ・タミル方言を出さないよう努めるがうまくいかず、ケーララ人だと偽る。大黒柱のダースは職を探して彷徨いコロニー内の老人の運転手として仮採用される。ダースは家族と喧嘩したり不貞腐れたりすることもある普通の男だが、ゴミをゴミ箱に捨てる、倒れている者には救急車を呼ぶ、身寄りの少ない老人の葬儀に町内の人々を呼び寄せる、などなどを何も考えずに当たり前のこととして行う。長男の、そして大家の娘の、ティーンエージャーの失恋エピソードが相似形で語られ、どちらも大笑いで終わる。一家がケーララ人を詐称することで周りの人々がマラヤーラム語を話すシーンが複数回あり、タミル語世界から見たマ後の響きの呑気さがくっきり分かって笑える。スリランカ方言は全く識別できず。

Ace (Tamil/2025)を新宿ピカデリーで。FDFS。 

YGのボヤキ芸のようなものが上手く効いて途中何度も笑った。KL市警の警察官役の俳優がインド人ともマレー人ともとれる不思議な容貌で(マレー語をまくしたてる場面もあり)気になっていたのだけれど、Denes Kumar(読み方不明)という現地のタミル人俳優とのこと。ともかく本作のKL(賭博場はイポーでの撮影か)は、ソングシーンを除き、趣ある旧市街でもなく、キラキラの高層ビルでもない不思議な生活感ある場所がほとんどだった。VJSは時計の針が数年分戻ったようなスリムさで驚き。クライマックスは何といっても「お前は何者なんだ?」と問われて無言でほほ笑む十数秒のVJSで、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で主人公が庭先で刺客を仕留めた時のあの顔のようなインパクト。ヒロイン2人は似すぎているのが難。アリヴの親戚か何かの役のラージクマールは不発。

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Ace (Tamil/2025)を新宿ピカデリーで。FDFS。 

巨額の借金を電話で申し込む女性。場面変わり、猥褻なビデオを撮られ強請られている女性を助けると見せかけて愛人関係を迫る悪徳警官ラージ。マレイシアに到着したボールド・カンナンを出迎えたアリヴは彼を自分の家に引き取る。カンナンは向かいの家に暮らすルクに惹かれる。最初は迷惑がっていた彼女も、彼女の勤め先でのトラブルをカンナンが救ったことで気を許す。ルクはなぜか複数の仕事を掛け持ちしているがそれは身内のトラブルの処理に多額の金を用意しなければならないから。またカンナンが働き始めた小食堂のカルパナもまた店の存続のために金を必要としていた。彼は闇賭博場でポーカーの勝負をして勝ち進むが、胴元のイカサマで敗れ、ギャングのダルマに借金を負う。そしてカンナンは白昼堂々の現金輸送車襲撃を試み、警察と死闘を繰り広げながらも何とか現金奪取に成功する。KLを舞台にしたヘイスト・アクション・コメディー。しかし分かりやすいKLではなく、半端な郊外感が漂うセッティング。逆にそれが地に足の着いた背景になって、Jungaのあのイタさはなかった。ヒロインよりもYB。

Maaveeran (Tamil/2023)をスクリーナーで。 

北チェンナイのスラムで暮らす一家が立ち退きを求められ、近隣一体共々政府の用意したハウジング・ボード高層団地に引っ越す。新しい住まいに喜んだのもつかの間、住宅は物理的にほころびだす。その住宅は建設大臣ジェヤコディの所有する建設会社が受注したもので、はなはだしい手抜き工事が行われていたからだった。ほころびに対処療法(アジャスト)でやりすごしてきた一家だったが、偶然からサティヤは大臣と対立関係に陥り、命を狙われるようになる。新味も全くないストーリーラインを転がす原動力となるのが「天の声」で、これは60年だか続き、彼がゴーストライティングをする連載コミックのナラティブそのもの。それが怯懦な彼を突き動かして、権力との対決に至らせる。舞台は架空とはいえ、明らかに北チェンナイのスラム。ロケーション、そしてサリターが演じる母親の強烈な存在感がダリト性を強く感じさせるが、SKの色白・長身・スリムがそれを打ち消し、ファンタジー方向に引き寄せる。サティヤと家族、さらには悪役までもがぽかんと上を眺めるシーンのおかしさ。船上の格闘だけが場違い感あり。

WAR2のティーザー見たけど、ウソみたいに安っぽい。ジュニアの誕生日に合わせて急ごしらえだったとしてももうちょっと何とかならんのか。究極的にファンが知りたいのはダンスバトルがあるかどうかじゃないんだろか。

Yashoda (Telugu/2022)をオンラインで。 

不穏な話なんだろうと思って臨み、例によって貧乏人または無名人の体から希少な何かを取り出して大金持ちの我儘を叶えるというものだった。『カルキ』、『HIT3』と同じじゃんと思うけど本作が一番古い。冒頭シーンには叙述トリックがあり、複数の時間が混ぜこぜになっていた。不自然なのは悪役がトリガーに指をかけながら冥土の土産に異様に長いストーリーを親切に喋ってやるところか。あとヴァララクシュミ演じる悪役の最期のところなどもたついた演出。サマンタが豹変して暴れるアクション・シーンはカッコいい。しかし途中とクライマックスとでお腹の膨らみが逆行していないだろうか。弱弱しい妊婦が実は使命を帯びていたというのは『Kahaani』も連想させる。精子の取得を含む受精のプロセスを見せないが、『Vicky Donor』のように買い集めたものなのか。しかしスーパーリッチなセレブへの投与と並び、大衆的な美白クリームにまでセラムを添加というのには説得力がない。山奥のアジトだがネット環境は万全だから、終盤でリモートで相手の大切なものに銃を突きつける仕組みは面白い。

All We Imagine as Light (Malayalam/2024)を試写で。邦題は『私たちが光と想うすべて』。 

それから、今更ながらだけれど、3人の女性がそれぞれの事情から男性に依存せずに生きている。しかしそれはフェミニズムのお手本的な自立のイメージではなく、あくまでも気が付いたらそうなっていたとでも言いう風な「マラヤーリ・ナース・オン・ザ・ムーン」の一人として。一般に保守的なケーララで、なぜ女性看護師の出稼ぎだけはあれほど盛んなのか。

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Retro (Tamil/2025)をイオンシネマ市川妙典で。3回目。 

3回目になっても読み切れない字幕は相変わらず読み切れず。今回は暗闇でメモを取りながら観た。途中には例によってKS特有のおもちゃ箱をぶちまけたようなあれこれがあって目を奪われるが、最後の方に行くに従いシンプルになっていくストーリーに思えた。つまり貶められ虐げられた下層民が指導者を得て決起する革命であり、ブルジョワジー勢力が外から兵力を動員して反撃してきたとしても人民の団結により撃退するというもの。そして現代的に形を変えた植民地主義もそこに重なる。島はインドの暗喩なのではないかという思いはより一層強くなった。「暴力が俺を愛してくる」というのはまさにインドの現代史そのもの。監獄でのパーリがルクミニへの償いとしてしばらくの間自分に降りかかる暴力に対しされるがままの自罰=苦行をしたのに彼女の写真を渡されたところで突然Uターンして暴力で支配するようになる。これと同じことは後半の闘技場でも繰り返される。例の長回しは単に長いだけじゃなく、腕を切ったりする凄い刃傷を組み込んでること。それから、後半のジャダムニ覚醒の海のシーンの美しさ。

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