Officer on Duty (Malayalam/2025)をNTFLXで。
バス内でのゴールドチェーン盗難事件でキレのある推理を見せながらも、解決に際し余りに粗暴な手法で問題を抱えていることが示されるシヴァシャンカルCI。彼はしばらく前に起きた家族の悲劇によりトラウマを抱えている。実は彼を襲ったのと同じ悲劇が他の数家族にも降りかかっており、それにより怪死事件が続く。よく考えられたスリラーで、ループホールは、CIも犯人もなぜそんなに簡単に相手を特定できてしまうのかという点ぐらい。王子様だったチャッコーチャンが粗暴な警官を見事に演じるというのがむず痒い違和感をいまだに与え、しかし中年男の身体性や仄かなセクシャリティーまでをも取り込んだ名演技であり、飲み込み難いものを残す。Ariyippuをはじめとした2020年からの傾向。複数いる悪役の個々のキャラクター造形も濃やか。アクションはどこまでもリアリズムで、女・子供・老人も容赦せず、ものすごく痛そうだけどゴアではない。大問題となっている性暴力とドラッグ汚染をうまく組み込んだ。ケーララにおいてゴールドチェーンを持つことの意味合いがよく分かる。
L2: Empuraan (Malayalam/2025)をスキップシティで。
政治から中二病まで色々と語りたくなることの多い一作。本編よりも場外乱闘の方が面白く、そういう意味で必見。監督が役者として関わったSalaarがかなり(そして一部にはKGFが)影を落としてる。ラル様は全出番で無敵のカッコよさでありながらきゃわわでもある。前作ではケーララ政界の寝業師だったけど、今回はなぜかMI6ともコネを持つ国際的な仕置人。でありながらインド国内の不穏な動きにも監視の目を怠らない。ヒンドゥトゥヴァ・プロパガンダ映画の手法で描いた反ヒンドゥトゥヴァ映画とでも言おうか。重々しく唱えられる口上がシュローカではなく聖書だったりする。しかしポリティカル・スリラーと国際謀略アクションのごった煮には宜えない。ジャティンがちゃぶ台返しをしてBJP(相当)と連立すると言った時はPT好きの血が騒いだけど、あれだけいい顔の親父を揃えておきながら別の方向に行ってしまった。マンジュ様はさすがのカッコよさだけどマンジュ様を狙う暴漢のエピソードは先が読めて興醒め。仕上げに香港チンピラの登場でコケた。LCUと合体したらどうか。
Thandel (Telugu/2025)をNTFLXで。
実話に基づく。漁師が外国の海域で拿捕されることは珍しくはないとは思うものの、サウスの場合は多くがスリランカ。しかしそれがパキスタンとなると緊迫度が違う。シュリーカークラムの漁民が本来の漁場を開発により失い、グジャラートまで出稼ぎに行くという状況だけでも社会派となる。そこに方言差別、愛国モチーフ、アーダ―ルカード、憲法307条問題まで組み込んで盛りだくさん。最後のどんでん返しを作るのは例によってインド人の杜撰な事務処理。国旗を辱められるよりはむしろ火にくべよというのは『ロージャー』を意識したものか。Love Storyやカールティケーヤの監督と後から知る。台詞は洒落てるし、ツイストも見事なんだけど、アクションの振付けなどに詰めが甘い。顔のパーツは個々にはいいのにそれが顔の真ん中に集まり過ぎて台無しになってるチャイ太を主人公にして、素朴な田舎者漁師でありスーパーヒーローでもあるキャラクターにするというのはやはり無理がある。カルナ―カランはテルグ語をセルフダビングしたそうだ。恋敵が最後の瞬間に譲るという古典的パターンを久しぶりに見た。
Chhaava (Hindi/2025)を川口スキップシティーで。
まあ、ヒンドゥー右翼の皆さんの応援上映を見物するぐらいのつもりで見に行ったのだけど、中身はやはりひでえもんだった。歴史上余り目立った功がなかったらしい人物の生涯を想像で膨らませたストーリーというのはいい。しかし7割がたがゲリラ戦を含む合戦で、残りが宮廷内のいざこざと惨たらしい最期という構成はどうかと思う。全ての合戦シーンがラージャマウリを思わせるものになっていて、しかしただ退屈なのはどうしてなのか。ヴィッキーは演技をどうこうというレベルではなく、ただただ吠えていただけに見えた。マラーターの英雄(だとして)をヒンディー語映画で描くということの意味合いは何なのか。大声で吠えている皆さんに尋ねてみたかった。マラーター民族主義は結構な確率でヒンドゥー原理主義とオーバーラップしてしまい、どうしてああいうウザイものになってしまうのか、専門家に尋ねてみたい。ラシュミカーは確かに合ってない。オチャッピィで抜け目のない感じが抜けていない。アクシャイは評判通り面白いキャラクターだが、もう少し踏み込んだドラマを用意してほしかった。継母も同じ。
ドキュメンタリー『RRR: Behind & Beyond』 (2024)をNTFLXで。
訳あって一昨年ぐらいにラッシュで見せて貰ってたあれの完成形であることを確認。あの時ですら「凄いもん見た!」という感想だったけど、完成したらいっそう価値が増した。1時間36分を思わずメモを取りながら(活用する当てもないのに)凄い時間をかけて見た。黒澤明の言明を待つまでもなく次作についてクドクド語りたがる映像作家はみっともないし、実際に映画祭サーキット以外のインド映画の監督たちはそれほど語らない。SSRはその最たるものだけど、オスカーのプロモーションの余波もあってか、かなり踏み込んで語っている。そのシンプルな力強い「意図」が、ネット上のオタクたちの「解釈・考察」なるものをバカバカしく思わせるような説得力。言われてみればそうとしか思えないメタファーが、なぜ初見で気が付かなかったのか。そして、各シーンに込めたそういうベーシックなコンセプトを、当たり前だが映像作家はキャスト・クルー(特にMD)にはっきりと言語化して伝えているのだ。しかし批評家・観客(自分も含め)はほとんどそれに気づいていいないように思えた。
Maagh (Kahmiri/2022)をイスラーム映画祭で。
拓徹氏の解説付きで。映画自体は謎解き的な面白さを持つ。最初に出てくる無名者墓地に担ぎ込まれた新しい死体は劇中の誰のものなのか、あるいは誰のものでもなく毎日のありふれた情景として移されたのか。墓掘りの爺さんはその後も時々思わせぶりに脇で主役たちを眺めているショットがあった。夫が突然に釈放されたのは、解説によればやはり異様なことなのだった。定期出頭でトラウマをいじられるのも計画のうちか。上官が「土産が欲しい」と言うところ、最初は女房を差し出せと言っているのか、あるいは高価なショールを上納せよと言っているのかとも思ったけれど、後に続く「出世に縁がない」という台詞により、そうではないことが分かる。その出頭の時点でではなく、夫の釈放の時点から密告を強要したものだったのかと推察できる。劇終後のセッションでは昨年来のカシミールを扱った欺瞞的作品とリアルな作品の対比。ひとつ前に上映されたパレスチナに関する作品も前者に分類されるものだったようで、しかし専門家のトークを聞くまではそうとは判断できなかったと拓氏。こういう問題はどこにもついて回る。
Am Ah (Malayalam/2025)を川口市スキップシティで。
なぜこんな無印を?と思ったら、日本在住椰子国人がプロデューサーでクラファンで作った映画なのだそうだ。何というか、全作を見ると無茶してた頃に巡り逢ったC~Z級作を思い出した。しかしあの頃のZ級は酷かったけど本作はC級ぐらいか。何しろ景観美が凄くてそれが救っている面がある。ディリーシュ・ポーッタンはトップノッチの監督だし、脇役だと画面が締まるけど主演になると単調。前半のスリラー的演出は思わせぶりだが後半に繋がらない。母性を美化しすぎるというより、母性をテーマにすれば売れるとでも思っていそうなところが嫌だ。覆面捜査の意味がない。何よりもBGM・ソングが共に騒々しすぎる。これは大減点。ヴァガモン付近のカヴァンダという山は実在らしく素晴らしい。西ガーツ奥地の限界集落で娘と二人だけで暮らす女性の謎を道路建設の予備作業で訪れたエンジニア(実は警官)が解き明かしていくという筋立てだけど、膨らまそうとしたあげくよく分からないプロットを雑に積み上げることになった。大の男が蛭にかまれながら登る山と、子連れ女が軽装で山頂に歩いていく山とは。
Vidaamuyarchi (Tamil/2025)を川口スキップシティで。
舞台がアゼルバイジャンということ以外何も知らずに臨んだ。12年の結婚生活の末に破局した男女。主人公は妻を実家に送り届けるためバクーからグルジアのトビリシに車で向かうが、道中で故障し、妻をコンテナ車に託して1人になる。故障は簡単に直り、合流先のカフェに行くも妻の姿はなく、敵意ある人々だけがいる。そこから妻を探すための彼の戦いが始まる。米映画『ブレーキ・ダウン』を大体なぞったものだという。ラーマーヤナ的ヒロイン奪還劇に、熟年の離婚というこれまでタミル語映画が扱ってこなかったモチーフを絡めた。ともかくアジットはレーサーだから、アクション映画の中にカーチェイスを必ず入れるように心がけているのか。結構色んな車に乗ってた。アゼルバイジャンはあんなに砂漠が多いのか。コーカサスというより近東のイメージに近く、劇中BGMも微かにアラブ風。現地人はインド人に憎しみを募らせていることを暗示する台詞があった。中盤で妻の仕組んだ謀殺という説明が悪役からされるが、あれは劇終で完全に否定されたのだろうか。空前の現地語使用率で英語字幕必須作。
Tholi Prema (Telugu/2018)をオンラインで。
ヴェンキー・アルトゥーリ監督デビュー作と聞いて。品のいいデートムービーといった趣のロムコム。アンガーマネジメントに問題のある男子と常識人の女子とが恋仲になるが、女子にちょっかいを出す奴への男の怒りの爆発がきっかけで破局。6年後のロンドンで社会人となった2人が再会して同じプロジェクトに取り組むことになり、恋心は再燃するがお互いにすれ違うという話。列車での出会いから始まり地下鉄駅で終わる。パーツは全部使い古されたものだが、洒落た台詞が多い。ワルン・テージは不器用な奴役がハマるが、地が不器用なだけじゃないかとの疑念。こういう作品ならもっと胸がキュンキュンするはずなのにそれがなかった原因がそれ。コカ・コーラのタイアップだったのかもしれないけど完全にヤバい使い方。酒を混ぜたり、缶を袋に詰めて武器にしたり、大丈夫だったのか。ラーシ―は登場シーンのメガネっ子が衝撃的だったが、すぐ後の学園のシーンでいつものOL風の見た目になっているのが宜えない。6年後に変えるべきだった。台詞はところどころ洒落てる。タマンのバラードが珍しく印象に残った。
Lucky Baskhar (Telugu/2025) をオンラインで。
1992年、インドが経済開放に舵を切った翌年のムンバイ。インディラの銀行国有化の大鉈を逃れた民間銀行に勤めるバースカルは、概ねは真面目だったが、貧しい中で妻子を養うため、職場近くのイラーニー・カフェで時間外の業務をこっそり行うなどしていた。確実だと思われた昇進が実現しなかったことで彼の何かが壊れ、銀行から現金を持ち出して密輸の資金として貸し出し利益を得ては元本をこっそり戻すことを繰り返す。やがて念願の昇進も果たし、小遣い稼ぎの不正行為も株式のインサイダー取引なども含み規模が大きくなる。しかし、そうとは知らずに地下社会の大物の資金洗浄の片棒を担ぐことになり、しかもそれが頭取以下の銀行上層部も関与する大型経済犯罪であることを知った彼は、露顕すれば金融危機を招きかねない裏金融から足抜けしようと試みる。家族のための小さな悪事ならば見逃されるというインド映画特有の価値観を前面に押し出した。ただ、同じドゥルカルの悪人ものでも殺人がないのでKurupよりは後味がいい。時代設定も絶妙。見つかるか見つからないかのドキドキ演出が巧み。
Pushpa 2: The Rule (Telugu/2024)をオンラインで。
横浜港に荷揚げされた怪しいコンテナに満載の密輸紅木。その奥から現れたプシュパは日本の三下ヤクザを相手に暴れた末に取引先の組長と面会して交誼を結ぶ。彼が日本にまで来たのは末端流通に一番近い相手と直接取引して巨額の売り上げを得ることが目的だった。彼を発奮させたのは、彼がCMとツーショット写真を撮るという妻の望みが叶えられなかったこと。ならばCMを差し替えようと考え、政治資金を得て目的を叶える。その後はスリランカに行ったり、異母妹を誘拐から救出したり、大太刀回り。中盤の祭礼のダンスからアクションへとつながる長大なシーンは最大の見せ場で、ヒーローが神と重ね合わせられる、あるいはヒーローに神が降りるというよくある陳腐な演出が、異次元レベルで突き抜けたものとなっている。名前が示すように荒ぶる主人公にはなぜか女性的なものがついて回る。最後の親族との和解でプシュパが泣き崩れるのは、インティ・ペールが幼時から刷り込まれた呪いだったことが分かる。そこで終わりなら綺麗だっただろうが、Rを3つ重ねたいという製作者の意図があるのか。
Radhe Shyam (Telugu - 2022)をオンラインで。
どちらかといえばドン引きに近い姿勢で最後まで何とか見た。インディラー・ガーンディーの非常事態宣言(1975)を予見し、本人の前でそれを言った天才的な手相見のヴィクラマーディティヤ。彼はそれにより危険人物とみなされてインドにいられなくなりイタリアに住む。そして多くの女性を相手に恋の遍歴の生活を送る。ローマで彼が出会ったプレーラナは医師だが、院外では奇矯な行動をとることもある女性。2人はすれ違いの後に相思相愛となるが、プレーラナが余命2~3ヶ月であることが分かる。しかしアーディティヤは手相から彼女が長寿を全うできると断言する。同時に彼は自分は彼女と結ばれることはないと告げてロンドンに発ってしまう。少女趣味・文学趣味・成金趣味・西欧崇拝が一体となってやりたい放題をした感じの2時間15分。様々な方向性を模索していたとはいえ、よくプラバースはこの脚本に承知したものだと思う。幾ら写実主義ではない象徴的な物語とはいえ、この映画のイタリアの描写は、サウス映画のカシミールと同程度の解像度。敢えて言うならSaawariyaと同じ仲間か。
Madha Gaja Raja (Tamil - 2025)を川口スキップシティで。
12年熟成と評判のポンガル映画。田舎で非公式な治安維持活動をしている男MGRが、元犯罪者を狙った暗殺計画を阻止し標的となった男とその娘を匿ううちに娘と恋仲になるが、家族の反対で離れ離れになる。その後彼と3人の幼馴染が恩師の家で再会するが、彼らは皆人生の危機にある。そのうち2人の窮状の元はカルクヴェールという悪徳実業家。彼はメディア・マネー・ミニスター(だったっけ?)という3つのМを意のままにして、今や自身が大臣になろうとしている。MGRが3人組と共にカルクヴェールを懲らしめる一部始終。あまり人死にはないが、ラストできっちりシャツが破ける。アーリヤーのカメオにビックリ。予想通り懐かしい顔がわんさか。マニヴァンナン、マイーバラ以外にも、ニティン・サティヤー、サダーなど最近見ない連中も。死体の二人羽織ギャグは先週のヴェンキーのでも見たばかり。ツインヒロインがヒーローを巡りつばぜり合いをするのも、派手派手の田舎ダンスの舞台ポッラーッチも共通。Veeraを受け継ぐような一夫多妻を暗示する井戸からの引き揚げシーン。
1/19Daaku Maharaaj (Telugu - 2025)を川口スキップシティで。
1996年のアラク渓谷に住む名家の当主クリシュナムールティはMLAの弟の無法を告発する。それに対しMLA一味は報復を試みる。クリシュナムールティの使用人はボーパールの刑務所から密かにダーク・マハーラージを脱獄させ、運転手として館に入り込ませる。その後一度は館を去ったマハーラージだが、再び館がMLA一味に襲われた時に駆け付け、麻薬栽培に手を染めていたMLAらを撃退する。ここまではだいたいKaithiの筋書きか。1992年、マハーラージはダコイトではなくチャンバル渓谷の水問題に取り組むエンジニアだった。違法な鉱山採掘をしているバルワントを処罰するよう彼と妻は県長官のナンディニに進言するが、ナンディニはバルワントの妻だったため、話は筒抜けになり、村人たちは虐殺される。マハーラージは怒り狂って復讐し、そこから彼と生き残りの村人はダコイトになる。ここに来るとKaththiとかが混じってくる。そしてビジュアル的にはBobbili Puliオマージュが入る。バラクリ好みの熟女に混じるシュラッダーが目を引いた。
1/19Sankranthiki Vasthunam (Telugu - 2025)を川口スキップシティで。
ヴェンキーのお祭り映画というだけの情報で見に行って、面白かった。F2みたいな問題もなく、ただひたすらおバカ。テランガーナに来たNRIのIT系大企業家がギャングに誘拐されたことで、かつて警察の凄腕だった男ラージュが田舎(ヴァイザーグ周辺?)から呼び戻される。タッグを組まされるのは元カノのミーナークシ。この婦警さんのゆっさゆっさ揺れる胸元だけで思考は停止。別れる時に一生お前だけを愛し続けると言った男はその後サッサと結婚して6年経った今は4人の子持ち。妻のバーギヤラクシュミは素朴なおかみさん風だが嫉妬心は強く、ラージュとミーヌの作戦行動に付いて行くと言い張る。一同は人質と交換するために収監中のギャングのボスを連れて指定の場所に出かけるが、バーヌのミスからそのボスが転落死してしまう。などなど。アイシュワリヤーをこういう田舎の嫁さん役にキャストしたのは斬新だけど必ずしもハマっていたようには思えない。デーヴァヤーニ型の女優が欲しかった。シュリーニヴァース・アヴァサラーラのCEOは使い捨て感。
Vanangaan (Tamil/2025)を川口スキップシティで。
バーラーの作品はトラウマ級の痛そうな描写があるから躊躇ってたけど、見て良かった。ナーガルコーイルのカラフルさ、何とも言えないユーモアが印象に残った。2004年大津波で家族を失った聾唖の少年コーティが同じ境遇の女児デーヴィを妹として育てる。彼らの元の宗教が何だったかは名前からしか推し測れないが、二人はキリスト教徒の庇護下で育ち、いずれの宗教にもなじんでいる。コーティを慕うティーナは彼の分を補うかのように口が達者で実際に彼を助けるが、一度怒ると彼は相手が女でも容赦せずに手を上げる。アンガーマネジメントの話、性的犯罪の被害者が声を上げられない話、神話的なレベルでの(シヴァ?)神の怒りの寓話などが混じりあう。キャラクター造形にはNandhaやPithamaganからのリサイクルも。『Anna Thangi』からのイタダキもあるとのこと。冒頭で泥の中からペリヤール胸像とガネーシャ像を引き上げるイメージに込められたのは何か。シヴァージ似の牧師さんには笑った(バーラー・シヴァージという役者)。ミシュキンはなかなかにいい役を貰ってた。
Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。2回目。
前回ムーナール・ラメーシュと誤解してた警官役はチェータンだった(そしてこの人はプリヤダルシニの夫だというのを知り吃驚)。それから低カースト出身のため特務を任された警官アムダを演じたタミルもかなり良かった。メインのロケ地はSirumalaiとCoutrallamとエンドロールにあった。また、終盤の「イデオロギーを継承せよ、私のファンとして戦ってはならぬ」という意味の台詞も改めて確認した。それと、クマレーサンの最後のシーン、あれは警察官をやめてナクサライトになったということを暗示しているのが、例によって字幕が追いきれなかった。それから列車脱線事故が究極的にはペルマール一味の責任ではないらしいことが語られるのだけれど、それの意味がまだ分からない。Eカンパニーの隊長がドライバーを謀殺したのはパート1での出来事だったかと思い至った。もう一度観ないと。また、回想シーンは最初から血みどろではあるけれど、それでもペルマールは最初の頃は組合主義者だったということがわかり、KKの謀殺後に武装闘争路線を撮ることが分かった。
Viduthalai Part 2 (Tamil/2024) をキネカ大森で。
昨年4月に観て以来念じ続けた待望の完結編。覚悟はしていたけど重量級の仕上がりでずどんと来る。ただ、パート1の時ほどのエッジの立った感じはなかった。先日見たテルグの極左映画「Cheemaladandu」が素朴極まりない紙芝居として表現したことを、シリアスで芸術的なタッチで繰り返した。過去の抑圧や弾圧のエピソード自体は図式的。ラージーヴ・メーナンを始めとした支配層の色白と現場の人間の色黒の対比は上手い。ただムーナール・ラメーシュの演じる警官の卑劣さが際立ってしまい、焦点がぼけた気がする。山中の道行きが徐々に警官と捕囚の関係性を切り崩していくところは『ヴィクラムとヴェーダ』を思わせた。マンジュのエピソードは美しい。ラストの銃撃戦の金縛りの緊張感からは、以前見たAnek (Hindi/2022)はやはりママゴト遊びだったことがわかった。パート1でも、あるいはAsuranでも思ったことだけど、森の恐ろしさを描出するのが本当に上手い。VJSはよく喋る役で、字幕が追い付かず。彼自身の声で日本語で吹替えてほしいと切に願った。