『バーラ先生の特別授業』の感想を読み漁ってるけど、 

逆に文系専攻で不遇をかこつ系はぽつぽつある。

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『バーラ先生の特別授業』の感想を読み漁ってるけど、 

誰も書いていないのは「インド映画の先生もの感動作、ほとんど全部が理系(あるいは文盲から識字への基礎教育)」ってこと。有用な人材とは理系であり、数字に表れる成果を出した者であることがはしなくも現れている。

Thangalaan (Tamil/2024)をNTFLXで。 

ることに気づく。アーラティの現世の生まれ変わりである女が襲来し、彼女は彼の前世の記憶を甦らせる。5世紀の彼はアーラティの夫であるアーラン王だった。アーラティはタンガラーンに金から手を引くよう求めるが、彼はトライブが尊厳を取り戻すためにどうしても金が要るのだと言う。戦いの中でクレメントは彼女の腹部を切り裂く。怒ったタンガラーンはクレメントを殺し、黄金はトライブのものとなる。パー・ランジト一味の仏教趣味が全開のファンタジー。仏教からヒンドゥー教への改宗を拒んだ者たちがダリトの身分に落とされたという空想的な学説にロマンを感じ結構信じてるっぽいのにむず痒さ。MHと違いサウスの場合ダリト改宗者の大部分がキリスト教徒になる状況下で、身近な生活の場での仏教信仰の実践を見ていないから、古代ロマンに走ってしまうのか。洋服を着て誇らし気なタンガラーンはやや滑稽に描かれるがあれはアンベードカルの三つ揃いスーツとは異なるのか、ナーガ族はトライブ、タンガラーンたちはダリトで、両者の断絶と再結集がメインテーマなのか。エンディングでKGFの歴史的な写真。

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Thangalaan (Tamil/2024)をNTFLXで。 

1850年のアールコート北部のパライヤ―、タンガラーンは地主に無体に土地を奪われ農奴となり、英国人官僚で探検家のクレメントの隊に加わり金を探す旅に出る。彼の曽祖父カーディヤンはラージャに命じられて悪霊が守る秘境から金を持ち帰った伝説の人物。カーディヤンは魔女アーラティを倒し、彼女の腹部から出た夥しい血潮が金に変わった。しかしその過程で、アーラティの幻術に腹を立てたラージャはその地にあった仏像の斬首を命じていた。タンガラーンは苦難の末にその仏像を掘り起こし、別の場所から引き上げた頭部と合体させる。すると仏像の足下から一握りの金塊が生じる。洋服を与えられ騎馬で一人村に戻ったタンガラーンは、村人全員を引き連れて再び採掘場に戻る。そこでは打って変わって村人が奴隷のように扱われていたが、タンガラーンだけは功績をかわれてリーダー格でいられた。しかし岩の裂け目の奥深くに巨大金鉱が見つかったところで英国人の態度が変わり、手に持てるだけの金を持ち帰ろうとした村人たちを襲い始める。その混乱の中でタンガラーンは金塊と見えたものがただの石であ(続)

Good Bad Ugly (Tamil /2025)をイオンシネマ市川妙典で。 

終わった後に広報座席から「日本の皆さんありがとうございます、いつもお世話になっています」というニキの大音声があったけど、何だったんだあれ。そして、ヴィジャイの作品が回顧モードになるのは当然だけど、なんでアジット作品がああいう「集大成」感をだすのか、まさか引退する気じゃないだろうかとちょっと不安になった。

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Good Bad Ugly (Tamil /2025)をイオンシネマ市川妙典で。 

177席がほぼ埋まる大盛況。最初から最後まで応援上映。ローケーシュの『ヴィクラム』、カールティク・Sの『ペーッター』をはるかにしのぐイカれまくったファンボーイ映画だった。イカれた映画をイカれた観客が祝祭とする。ストーリーはあってないようなもので、18年間服役していた元ドンのレッド・ドラゴンことAKが、息子を一目見るために出所してスペインに赴き、それに伴い現役のギャングたちとの間での争いが再燃するが、常に上手を取って敵対者を順繰りに潰していくというもの。ビジュアル的には『マーク・アントニー』の終盤の大騒ぎを冒頭からずっとやり続ける感じ。ストーリーが予定調和の凡庸である代わりに、意外性のキャスティングで細かく驚かせてくる。シムランは最初ナミタ―かと思った。プラサンナ―は無駄遣い。Darkkey Nagarajaという人は初めて知ったけど、あまり効果的とは思わなかった。ジャッキー・シュロフの吸引器で笑気ガス吸ってるドンは何のパロディーなのか。懐メロがモリモリだったけど、やっぱ一番アガったのはVedalamのもの。

Premalu (Malayalam/2024)をオンラインで。 

ファハドやディリーシュなど錚々たる顔ぶれの製作陣。HYDのハイテク企業で働く順風満帆の女子と、色々ダメなGATE(工科系大学院適性試験)勉強中の男子とが出会い、笑える友人たちや恋敵とのインタラクションを経て相思相愛になるまでのロマンティック・コメディー。Bangalore Daysからちょうど10年後にこういうものを見ることになるとは。否応なしに先日のL2と比較してしまった。どちらも他映画界のアクション大作などに出演した経験から養分を貰って製作・監督になったと思われるけど、アウトプットされたものが正反対。断然ファハドを支持する。本作で初めて知ったことではないが、ともかくインド人は友達の友達程度のか細いつながりでも臆せず頼って他所に出かけていく。そんな弱い繋がりでも案外面倒を見てくれる友人はいる。そして言葉の通じない異郷でも、同胞のコネを頼って大胆に出稼ぎに行く。セーラム、HYD、チェンナイ、ロンドンと移動する主人公を見て改めて実感。フライドチキン屋のバーガーで思い切り腹を壊すあのエピソードは意味不明。脇役がいちいち個性的。

『教皇選挙』(USA, 2024)を池袋TOHOで。 

ポリティカル・スリラー好き、「ヴァティカンもの」好きとしては見ないわけにはいかず。なぜ両者が好きなのか自問自答するのだが、どこまでも大人の世界だからなのだと思う。瞳キラキラの子供が持つことのできる抽象的な理想主義や「正義が勝つ」史観から遠く離れた大人げない大人の事情の中で最適解を探すのがポリティカル・スリラーだし、それが重厚な舞台装置と様式美の極みといえる装束で、主として言葉の応酬による粛々と繰り広げられるのが「ヴァティカンもの」だから。キーとなる人物の身体性についての説明は遠回しですぐにはピンとこなかったけど、アルダナーリという便利な語があるなと思った。アルダナーリはむしろ完全性を示すものであるが。公式サイト解説は前教皇の先見に重点が置かれていたが、むしろイギリス出身首席枢機卿ローレンスへの神からのメッセージの方が心に残った。前教皇から「羊飼いよりも管理者」向きと言われ、自身もそう信じていたローレンスが、「ヨハネ」という名を密かに心の中で温めていて、それに向け一歩踏み出した際に神の劫罰のようなビッグバンが起き、目を覚まさせるくだり。

特に好きになれない、繰り返し見たいとも思わないけど、妙に語りたくなるフックの多い映画というのはあるものだと思う。

Kaathal – The Core (Malayalam/2023)をオンラインで。 

ジヨー・ベービ新作でマンムーティ主演・製作のLGBT系映画というので怖いもの見たさで。田舎町に住むマーチュとオーマナは19歳の娘のいるローマン・カトリックの熟年夫婦。マーチュは左翼政党に推挙され地方議会の補欠選挙に立候補する。しかしほぼ同時に妻のオーマナは離婚裁判を起こす。インドのヒンドゥー・クリスチャンの離婚には裁判所の手続きを経る必要があり、本人の同意のみでは離婚できない。立候補したマーチュには不面目極まりない事態で、周りも困惑する。そして離婚裁判はマーチュがゲイであることを容赦なく炙り出していく。LGBTと言ったって誰もがビキニのマッチョじゃないし、耽美系美青年でもない、当たり前のことをマンムーティの演技によって前面に押し出した。裁判中に弁護士が言う「インドでは同性愛者の8割が異性愛者と結婚している(そして不幸な家庭を生み出している)」と言うのが本作のコアか。そしてそれを行っていたのはマーチュだけではなく父もそうだったかもしれないということが暗示される。妻の解放は夫の解放でもあるというのが美しい

Meiyazhagan (Tamil/2024)をNTFLXで。 

舞台はタンジャーヴールと、そこから30kmほど離れた小村ニーダマンガラム。1996年に少年アルルモリは心ならずもタンジャーヴールの先祖伝来の家を出て家族とともにチェンナイに移り住む。家族はトラブルにより家を手放さざるを得なかった。2018年のチェンナイでアルルは教師(あるいはコーチ)となり、所帯を構えて暮らしている。年の離れた従妹の結婚式に招待されて20年以上ぶりにタンジャーヴールを訪れるアルル。式場で親戚の若い男に親しげに声をかけられるが、誰なのか思い出せず、誰何するタイミングも失って若い男と長い時間を過ごすことになる。『’96』で省略されたヒーローの突然の引っ越しのモチーフから発展させ、全く新しい作品が生まれた。プレームクマールらしいノスタルジー、繊細な言葉のやり取りと心理描写だが、恋愛要素をほぼ剥ぎ取り、より一層文芸的な雰囲気になり、『Nanpakal Nerathu Mayakkam』を思い出した。周りにある全ての人間と動物を愛してやまない天使のような存在でありながら、最後まで謎めいた雰囲気を保つカールティが見事。

Aavesham (Malayalam/2024)をオンラインで。 

「Neram」「Jigarthanda」でのボビー・シンハーに続く愛され極道の誕生と言っていいか。

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Aavesham (Malayalam/2024)をオンラインで。 

バンガロールの工科大に入学したケーララ人若者3人組が、度を越したラギングに遭い、上級生に復讐をしようとする。3人はローカル酒場を回って極道を探す。そこで出会ったランガはエキセントリックなドンで、母との誓いにより今では自分で暴力を振るうことはないが、それ以前には殺人マシーンだった武勇伝を持つ。ランガは3人を気に入り、酒・煙草・住処・女をあてがうが、それは段々とありがた迷惑になっていく。ファハドが変幻自在。マラヤーラム語、カンナダ語、ヒンディー語,英語が入り混じる。笑わせるためのダンス。アクションもなかなかにキレがある。並外れた武勇伝はウソだろうと思わせておいて本当に強いとか、ラギングの上級生が小男だとか、色々うまい。誕生パーティーでのデカ包丁はVikramのスーリヤのあれか。終盤では否応なくクンバランギ・ナイツのファハドを思い出す。喫煙・禁煙注意のバナーがずっと画面に出ずっぱりなのが風刺の域に達している。学生たちのシーンでややダレるが、ファハドが出てくるシーンはすべて目が離せない。ランガの右腕役のサジン・ゴープも良かった。

Officer on Duty (Malayalam/2025)をNTFLXで。 

バス内でのゴールドチェーン盗難事件でキレのある推理を見せながらも、解決に際し余りに粗暴な手法で問題を抱えていることが示されるシヴァシャンカルCI。彼はしばらく前に起きた家族の悲劇によりトラウマを抱えている。実は彼を襲ったのと同じ悲劇が他の数家族にも降りかかっており、それにより怪死事件が続く。よく考えられたスリラーで、ループホールは、CIも犯人もなぜそんなに簡単に相手を特定できてしまうのかという点ぐらい。王子様だったチャッコーチャンが粗暴な警官を見事に演じるというのがむず痒い違和感をいまだに与え、しかし中年男の身体性や仄かなセクシャリティーまでをも取り込んだ名演技であり、飲み込み難いものを残す。Ariyippuをはじめとした2020年からの傾向。複数いる悪役の個々のキャラクター造形も濃やか。アクションはどこまでもリアリズムで、女・子供・老人も容赦せず、ものすごく痛そうだけどゴアではない。大問題となっている性暴力とドラッグ汚染をうまく組み込んだ。ケーララにおいてゴールドチェーンを持つことの意味合いがよく分かる。

L2: Empuraan (Malayalam/2025)をスキップシティで。 

政治から中二病まで色々と語りたくなることの多い一作。本編よりも場外乱闘の方が面白く、そういう意味で必見。監督が役者として関わったSalaarがかなり(そして一部にはKGFが)影を落としてる。ラル様は全出番で無敵のカッコよさでありながらきゃわわでもある。前作ではケーララ政界の寝業師だったけど、今回はなぜかMI6ともコネを持つ国際的な仕置人。でありながらインド国内の不穏な動きにも監視の目を怠らない。ヒンドゥトゥヴァ・プロパガンダ映画の手法で描いた反ヒンドゥトゥヴァ映画とでも言おうか。重々しく唱えられる口上がシュローカではなく聖書だったりする。しかしポリティカル・スリラーと国際謀略アクションのごった煮には宜えない。ジャティンがちゃぶ台返しをしてBJP(相当)と連立すると言った時はPT好きの血が騒いだけど、あれだけいい顔の親父を揃えておきながら別の方向に行ってしまった。マンジュ様はさすがのカッコよさだけどマンジュ様を狙う暴漢のエピソードは先が読めて興醒め。仕上げに香港チンピラの登場でコケた。LCUと合体したらどうか。

Thandel (Telugu/2025)をNTFLXで。 

実話に基づく。漁師が外国の海域で拿捕されることは珍しくはないとは思うものの、サウスの場合は多くがスリランカ。しかしそれがパキスタンとなると緊迫度が違う。シュリーカークラムの漁民が本来の漁場を開発により失い、グジャラートまで出稼ぎに行くという状況だけでも社会派となる。そこに方言差別、愛国モチーフ、アーダ―ルカード、憲法307条問題まで組み込んで盛りだくさん。最後のどんでん返しを作るのは例によってインド人の杜撰な事務処理。国旗を辱められるよりはむしろ火にくべよというのは『ロージャー』を意識したものか。Love Storyやカールティケーヤの監督と後から知る。台詞は洒落てるし、ツイストも見事なんだけど、アクションの振付けなどに詰めが甘い。顔のパーツは個々にはいいのにそれが顔の真ん中に集まり過ぎて台無しになってるチャイ太を主人公にして、素朴な田舎者漁師でありスーパーヒーローでもあるキャラクターにするというのはやはり無理がある。カルナ―カランはテルグ語をセルフダビングしたそうだ。恋敵が最後の瞬間に譲るという古典的パターンを久しぶりに見た。

Chhaava (Hindi/2025)を川口スキップシティーで。 

まあ、ヒンドゥー右翼の皆さんの応援上映を見物するぐらいのつもりで見に行ったのだけど、中身はやはりひでえもんだった。歴史上余り目立った功がなかったらしい人物の生涯を想像で膨らませたストーリーというのはいい。しかし7割がたがゲリラ戦を含む合戦で、残りが宮廷内のいざこざと惨たらしい最期という構成はどうかと思う。全ての合戦シーンがラージャマウリを思わせるものになっていて、しかしただ退屈なのはどうしてなのか。ヴィッキーは演技をどうこうというレベルではなく、ただただ吠えていただけに見えた。マラーターの英雄(だとして)をヒンディー語映画で描くということの意味合いは何なのか。大声で吠えている皆さんに尋ねてみたかった。マラーター民族主義は結構な確率でヒンドゥー原理主義とオーバーラップしてしまい、どうしてああいうウザイものになってしまうのか、専門家に尋ねてみたい。ラシュミカーは確かに合ってない。オチャッピィで抜け目のない感じが抜けていない。アクシャイは評判通り面白いキャラクターだが、もう少し踏み込んだドラマを用意してほしかった。継母も同じ。

ドキュメンタリー『RRR: Behind & Beyond』 (2024)をNTFLXで。 

訳あって一昨年ぐらいにラッシュで見せて貰ってたあれの完成形であることを確認。あの時ですら「凄いもん見た!」という感想だったけど、完成したらいっそう価値が増した。1時間36分を思わずメモを取りながら(活用する当てもないのに)凄い時間をかけて見た。黒澤明の言明を待つまでもなく次作についてクドクド語りたがる映像作家はみっともないし、実際に映画祭サーキット以外のインド映画の監督たちはそれほど語らない。SSRはその最たるものだけど、オスカーのプロモーションの余波もあってか、かなり踏み込んで語っている。そのシンプルな力強い「意図」が、ネット上のオタクたちの「解釈・考察」なるものをバカバカしく思わせるような説得力。言われてみればそうとしか思えないメタファーが、なぜ初見で気が付かなかったのか。そして、各シーンに込めたそういうベーシックなコンセプトを、当たり前だが映像作家はキャスト・クルー(特にMD)にはっきりと言語化して伝えているのだ。しかし批評家・観客(自分も含め)はほとんどそれに気づいていいないように思えた。

Maagh (Kahmiri/2022)をイスラーム映画祭で。 

拓徹氏の解説付きで。映画自体は謎解き的な面白さを持つ。最初に出てくる無名者墓地に担ぎ込まれた新しい死体は劇中の誰のものなのか、あるいは誰のものでもなく毎日のありふれた情景として移されたのか。墓掘りの爺さんはその後も時々思わせぶりに脇で主役たちを眺めているショットがあった。夫が突然に釈放されたのは、解説によればやはり異様なことなのだった。定期出頭でトラウマをいじられるのも計画のうちか。上官が「土産が欲しい」と言うところ、最初は女房を差し出せと言っているのか、あるいは高価なショールを上納せよと言っているのかとも思ったけれど、後に続く「出世に縁がない」という台詞により、そうではないことが分かる。その出頭の時点でではなく、夫の釈放の時点から密告を強要したものだったのかと推察できる。劇終後のセッションでは昨年来のカシミールを扱った欺瞞的作品とリアルな作品の対比。ひとつ前に上映されたパレスチナに関する作品も前者に分類されるものだったようで、しかし専門家のトークを聞くまではそうとは判断できなかったと拓氏。こういう問題はどこにもついて回る。

Am Ah (Malayalam/2025)を川口市スキップシティで。 

なぜこんな無印を?と思ったら、日本在住椰子国人がプロデューサーでクラファンで作った映画なのだそうだ。何というか、全作を見ると無茶してた頃に巡り逢ったC~Z級作を思い出した。しかしあの頃のZ級は酷かったけど本作はC級ぐらいか。何しろ景観美が凄くてそれが救っている面がある。ディリーシュ・ポーッタンはトップノッチの監督だし、脇役だと画面が締まるけど主演になると単調。前半のスリラー的演出は思わせぶりだが後半に繋がらない。母性を美化しすぎるというより、母性をテーマにすれば売れるとでも思っていそうなところが嫌だ。覆面捜査の意味がない。何よりもBGM・ソングが共に騒々しすぎる。これは大減点。ヴァガモン付近のカヴァンダという山は実在らしく素晴らしい。西ガーツ奥地の限界集落で娘と二人だけで暮らす女性の謎を道路建設の予備作業で訪れたエンジニア(実は警官)が解き明かしていくという筋立てだけど、膨らまそうとしたあげくよく分からないプロットを雑に積み上げることになった。大の男が蛭にかまれながら登る山と、子連れ女が軽装で山頂に歩いていく山とは。

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