Bharathanatyam (Malayalam/2024)をNTFLXで。
今年公開の続編を見る前にと臨んだ。踊りは一切関係ないダーク・ファミリー・コメディー。設定は2003年モーハンラールの『Balettan』と大体同じ。田舎に住むナーヤルの一家、長男のシャシは寺院委員会の一員で、お布施で利益を上げるためにヴェリッチャパードを全世帯に派遣して家のプージャをする事業を進める。彼の父バラタンは発作を起こし半身不随となり余命僅かと言われる。最期を覚悟した父は家族全員が一堂に会することを望む。それはタラッシェーリに住む第二夫人とその息子を呼び寄せることだった。『Balettan』よりも親父の無道ぶりが酷くてそれがシュールな笑いになってる。サーイ・クマールは本当に上手い。主人公がいい歳して独身なことや長女の夫がやたら老けてることに説明はない。重婚に至る過程も台詞で説明はあるもののスッキリしない。葬儀の最終局面での情けは分かるが、そこから急にするすると和解してしまうというのはバタバタと畳みすぎではないだろうか。冒頭にテイヤムが出てきて気になったけど、完全にコメディー扱い。あの村の設定はどこか。
Amma Ariyan (Malayalam/1986) をYTで。
NFDCの焼込み字幕付き。ワヤナードからデリーに行こうとするプルシャンは途中で縊死した若い男の遺体を目撃する。男には見覚えがあるのに思い出せない。様々なつてをたどり彼はその男が打楽器奏者のハリだと知る。カリカットのモルグでその情報が確定した頃には彼の周りに数人の男たちが行動を共のしていた。ハリの死をフォート・コッチに住む母に知らせようと彼らは南下する。ベーップール、コーッタプラム、トリシュール、コドゥンガルールなどを経てのその道行きで一同はハリを知る人々にその死を知らせ、コッチに向かう隊列は膨れ上がる。同時に各地で起きた左翼的闘争やそれに対する警察の暴力などが語られる。男たちは皆それぞれに左翼運動に関わっているらしい。彼らが訪問するときに応対するのはほとんどが母親で、彼女たちはおしなべて信仰に熱心な人物として描かれる。一番印象的だったのは、同志ヴァースの家で母親が手相見の長々とした講釈を聞いている間プルシャンが眺めるスクラップ帳のようなもの。83年にアッサムで起きたネリの虐殺についての言及。80年代のフォート・コッチ。
Maska (Hindi/2020)をNTFLXで。
何にもわかっちゃいない日本語字幕で。ムンバイ郊外のパールシーのコミュニティーが舞台。ペルシャから渡ってきた曽祖父が1920年に始めた名物イラーニー・カフェを継ぐと決められているが、ボリウッド・スターを目指したい主人公の物語。パールシーって7世紀にイスラームに押されてインドに渡ってきたんじゃなかったのか。そして身内同士ではペルシャ語を話すという設定らしいんだけど、どうなのか。19歳の主人公が申し訳程度に民族服sudrehを(下着として?)着ているシーンあり。Maskaとは、通常のバターにミルククリームと香料を加えたものでホワイト・バターと訳されることもある。そしてまたしてもフレンドリー・ゴーストの設定。そうしたエキゾティズムを取り除くと、新味のない、結末が最初から分かっているカッたるいストーリー。秘伝の味を若い主人公が簡単に再現してしまうことなどもご都合主義。しかしこれを機に調べてみると、『フェラーリ~』以外にもパールシーを扱った映画はそこそこ作られていることが分かった。 Pestonjee (1988)は見てみたい。ロケ地を知りたい。
Dhoomam (Malayalam/2023)をYTで。
前作U Turnに続きパワンは公益広報みたいなテーマを選んで、全編を無料でYTに上げてくれた。本作はテーマがエグいためか、レビューは散々だったようだ。ただ、ここのところグダグダなものを見ていたせいで、スリラーとしてのスリックな展開が飽きさせず、一気見できた。ただ、ロジックについてはちょっと引っかかる。体内に超小型爆弾を埋め込み、それの起爆/起爆延期を喫煙によってコントロールするというのはSFすぎないだろうか。その技術は中国の諜報部が持っていたものだと示唆される。中盤での中毒性が極端に高い成分を持つ中国の煙草といい、チャイナフォビアの影がある。いくつかヒントが撒かれながら最後まで正体が明かされない黒幕・復讐者(これが悪評の原因のひとつか)は、主人公アヴィに嗜虐性の高い罰を与え、若干の償いをさせた後に放免するつもりだったとも考えられるが、煙草メーカー上層部と汚職政治家の強欲と邪悪が介入して結局関わった者全員が滅びるという暗黒ドラマになった。面白かったけど、『ルシア』のパワンにあった詩的な浮遊感やけだるい瞬間の再現などが失われて残念。
LIK: Love Insurance Kompany (Tamil/2026)をオンラインで。
以前からヴィグネーシュ・シヴァンの不思議ちゃんストーリーには馴染めなかった。現実から少しだけ浮遊したシュールが面白いと思えない。NRDからKRKと作品を追うごとにしんしんと醒めていくものがあった。本作は現地の批評家にも評判が悪く、逆に安心。2040年の近未来SFではあるが、明らかに現在を風刺する意図がある。スマホによるバーチャル空間の侵食が極端に進んだ社会。恋愛保険会社のプログラム+端末のサービスは、恋愛相手との相性判断を行い、ステディーになった相手とは相互監視のシステムを提供し、カップルの永続をサポートするサービス。デジタル化を拒否するオーガニック・ワールドに育った男ヴァスとキャピキャピのインフルエンサーのディーナ。二人はお互いを憎からず思うが、LIKの相性判定は僅か3%。諦めるディーナと食い下がるヴァス。LIKの総帥スーリヤンはLIKの評判を護るため二人を引き裂こうとするがヴァスはそれに対して31日で相思相愛になると挑戦する。キールティのキャピキャピぶりは合ってるが、PRのキャラは不発。
Kattathe Kilikkoodu (Malayalam/1983)をYTで。
日本での上映時の邦題は『風の中の鳥の巣』。唯一のバラタン作品。ストーリーはネドゥムディ・ヴェーヌ。レーヴァティのマラヤーラムでのデビュー作。悪役期を脱しつつあるモーハンラール。スターを揃えてよくもまあこんなヨロめきドラマを作ったものだと感嘆。ヨロめくのはおっさんだが。冷徹な悪役の印象のあるバラト・ゴーピのナイーブでイタい演技を見てこちらがいたたまれなくなる。トリヴァンドラムの中産階級、高尚な英文学の教授、4人の子宝、11年の円満な結婚生活。隣家に姪がやってくるが、彼女は夫の努める大学の学生で、なおかつ大学の体育コーチと付き合っていた。コーチが教授の妻と気が合うのを見て嫉妬した姪は、仕返しに教授に接近し、教授はあっさりと小娘に入れあげるというストーリー。最後には誤解が解かれ、誰も悪くなかったというところに強引に着地するが、悲劇にしないと座りが悪いのではないか。独身を通しているオバであるKPACラリタのサイドストーリーがむしろ気になる。インド的な、心がどのように動いても、体が姦淫しなければセーフという価値観。
Mukhamukham (Malayalam/1984)をYTで。
大昔に一度見た時はあまり理解せず、ツインヒロインのKPACラリタとカヴィユール・ポンナンマに失礼なコメントをしただけだった自分を土下座させたい。1957年のコミュニスト政権成立、64年のインド共産党の分裂を間に挟んだ55年と65年、10年のラグを挟んだある活動家の変容と周囲の人々のリアクションを描く。55年にどこからかやってきた男が、すぐに工場の組合のリーダー&共産党の顔となるが、資本家の殺害事件を機に他の指導者たちと共に地下に潜る。10年後に戻ってきた彼はすっかり老け込み、眠っているか酒を飲んでいるかのどちらかという廃人ぶり。かつての同志たちは、分裂後の自陣営に彼を引き込もうとあれこれ画策するがうまくいかない。やがて彼は何者かによって殺されてしまう。2つの政党はどちらも彼を党義に殉じた英雄としてページェントを行う。潜伏あるいは拘束・拷問により廃人となってしまった男だが、55年の絶頂期にあっても、何か後ろ暗い手紙を燃やしていたり、アルコール禁断症状で夜中に悶え苦しんだりする描写。ポンナンマの耐える女と、ラリタの独立不羈。
Anantaram (Malayalam/1984)をYTで。
生後すぐに母親に遺棄され医師に引き取られて育ったアジャヤンの物語。知力・身体能力のいずれにも優れていたが、なぜか大人にも同世代に子供にも評価されず内向的な若者に育った彼は、医師の実子バールに唯一心を許すが、年が離れすぎて接点が少ない。親類の計らいで彼は医師の死に立ち会うことができない。その後バールは結婚して新妻スマと暮らす。バールはスマへの恋心が抑えられず、家を出てホステル暮らしをするが、精神のバランスを失い自死することが暗示される。インターバル後、語り切れなかった物語のためにもう一度幼年時代に巻き戻される。今度は医師の家の化け物めいた3人の使用人、そして大学生になってから巡り合ったナーリニという謎の女性(スマと全く同じ容貌)のエピソードが語られる。3人の老いた使用人たちが語るヤクシとナーリニが重なりあい、アジャヤンはスマを邪悪な存在と思い込むようになる。このあたり、ファハドのAkam (2013)を思いださせる。統合失調症に正面から切り込んだ作品と評価されているが、ただただ怖い御伽噺として受け入れられてもいいのではないか。
Oridathu (Malayalam/1987)をYTで。
自動生成マラヤーラム語字幕の機械翻訳で。理解度は50%以下。アラヴィンダン作品にしては珍しく、激烈な感情が激烈な行動を呼び起こして終わるストーリー。1950年代(『大地のうた』が雑誌で紹介されている)の僻地の山村に電気を通す計画が持ち上がり、都会から技師などがやってくる。技師の下にいる現場監督はダリトの男クッタンを助手のように使う。しかし現場監督はクッタンの妹を凌辱する。クッタンは妊娠中の恋人マルを堕胎させるためにやってきたばかりの医者ラージャシェーカランに委ねるが、彼はニセ医者で、マルは死んで寺院の池に遺棄される。プーラムの日、クッタンはカーリー女神に扮し、諸悪の根源だと彼が思いこんだ現場監督に襲い掛かる。それを止めようとした純朴な青年ジョースは感電死する。それが引き金となり、祭り用の花火が次々と暴発する。あたり一面の煙幕の中をパラシュートを付けたカカシが沈降する。LJPは『Angamaly Diaries』のラストをここから着想したのか。殺人が起きたのに、寺院の池にダリトの女の死体が見つかって穢れたと議論するバラモンたち。
Uttarayanam (Malayalam/1975) をYTで。
タイトルはヒンドゥー歴による冬至と夏至の間の半年間(12/20-6/20)という意味。だんだん日が長くなっていく時期という解釈でいいのか。邦題の「北回帰線」はどこから来たのか謎。どうやら舞台はカリカット近郊らしい。独立闘争期に会議派支持者だった家の息子が就職のために様々な場所に赴き、様々な人々に出会うが安寧を得られずに、結局西ガーツのどこかのアーシュラムにたどり着き、グルの言葉よりも屋外で焚火をする部族民の老婆に出会うことである種の解脱を得るという物語。各種登場人物が口を開く前に、その住処に掛かる肖像写真が政治的な立ち位置を物語るという仕掛け。そこから回想の独立闘争期が1936-47の最終局面であることが分かる。極左武力闘争主義社とガンディー主義者は、対英独立運動という点で共闘はせずともお互いに敬意を持っていたことが分かる。YT動画では冒頭の面接所のシーンと後半のソングがミュートされていた。主人公に気がある女子学生が可愛いと思ってたら、マッリカ・スクマーランだった。俗物の元同級生営業マン役スクマーランと共演してたとは。
Oridathoru Phayalvaan (Malayalam/1981)をYTで。
アラヴィンダンのOridathを見るつもりが勘違いでパドマラージャン作品。Wikipediaではランタイム129分だが動画は7分ほど短い。そのせいか、後から読んだ解説と画面から読み取れたことに差がある。動画はempireのものだが字幕はNFDCによる。この字幕が昔のスタイルで省略が甚しくて隔靴掻痒。水郷地帯の村にフラリとやってきた放浪のレスラー。読み書きも出来ない純朴なこの男のマネージャーになり一儲けを企む仕立て屋の男。その目論見は当初はうまくいき、連勝のトロフィーとして村一番の別嬪娘を嫁にするが、実はレスラーは性的不能で、レスラーの禁欲行と偽り娘に手を触れない。しかもよその土地に妻もいた。レスラーの不在中に別嬪妻は村のオート三輪運送業の男と情を通じて身籠る。しかし結婚を申し出たのは隣家の青年だった。妊娠の噂を聞いて帰ってきたレスラーはひと暴れした後に村を去る。レスラーのエゴと不純、そして性的不能というのが、この動画からは読み取れなかったのが残念。ネドゥムディ・ヴェーヌ演じる俗物の仕立て屋は良かった。
Pokkuveyil (Malayalam/1982)をYTで。
アラヴィンダン作品で最も沈痛な一作かもしれない。精神科の医院に母に伴われて入院する19歳のバール。そこに至るまでの行路が描かれる。バールは詩作したり絵を描いたりするのが好きな繊細な青年。大きなタラワードに父母と住む。父は「権利を守るため」の何らかの運動(反土地改革?)に参加していて、座り込みの際に脳溢血を起こして間もなく他界する。友人スディールはバスケ選手だが事故により選手生命を絶たれる。もう一人の友人ジョーゼフは左翼運動家。その理想をバールに語るが、運動に直接引き込もうとはしない。ガールフレンドはブルジョアの娘で、彼と添い遂げる気はない。どうやらジョーゼフは官憲に捕縛されてしまったらしい。身近な人々がどこかに行ってしまい、バールは自然の中を徘徊しつつ孤独を募らせ、やがて精神に変調をきたしていく。最初にBGMを録音してそれに合わせて撮影していったという。サーランギが加わり北インド的。しかしそれよりもバールが劇中で2回歌う長々とした謡曲的なものが気になる。作詞も歌唱も主演のバーラチャンドラン・チッリッカードによるものという。
One Day (Thai/2016)をオンラインで。
Ek Dinがいつ観られるか分からないけど、オリジナルを先に見ておいた方がいいかもと思える情報を得たので。英語字幕版だったけど、日本で映画祭上映された際は『1日だけの恋人』だった。ギークでナードなキモい男が同僚の爆イケギャルに片思い。しかし彼女は上司と不倫。社員旅行先の北海道で彼女は相手に失望して雪中で自死を図る。救出された彼女は短期記憶喪失に。救助し介抱したナードは1日だけ彼女と二人きりで過ごし、自分が付き合っている相手だと信じさせようとする。捜索隊が出る時点でニュースになるし、社員旅行で行方不明者が出たら不祥事になるだろうに、仲間が先に帰国して2人がほっとかれてるという点でリアリティーはない。入院した患者が簡単に放免されるのも。短期記憶喪失はメロドラマ&ファンタジーには都合のいいツール。逆に言うと、NKPKはそのあたり、とても丁寧にシチュエーションを作っていた。オフィスライフにおいてナードが彼女の一挙手一投足を見守り、ハッキングしたりする行為は、タイ映画の文脈だとセーフなのかどうなのか。そして予習を促す情報は結局がせネタだった。
Chidambaram (Malayalam/1985)をYTで。
アラヴィンダン作品としては最もドラマチックでスターバリューのある一作。ムーナールにあるらしい農園。茶だけではなく牧畜も行っており、そこではムニヤンディというタミル人ダリトの男が働いている。彼ははるばるチダンバラムから嫁をとり、連れ帰る。農園の管理責任者のシャンカランと現場監督のジェイコブは、その嫁シヴァガーミのに目を惹かれる。彼女はタミル文字がやっと書ける程度の教育を受けているが、純朴で人見知りする女性。無為に過ごすことが耐えられずに何か仕事をしたいと訴えるが、夫はそれを許さない。ムニヤンディを夜番に配置替えしたのはシャンカランなのかジェイコブなのか。疑念に襲われたムニヤンディは深夜に帰宅して妻とシャンカランの不貞の現場を見て、日短のあまり自死する。罪の意識にさいなまれたシャンカランは聖地を巡礼し、チダンバラムの大寺院で下足番となっているシヴァガーミ―に再会する。悲痛な物語なのに高地のすがすがしい空気感がそれを透明なものにする。シヴァガーミが花に対して示す没入的な偏愛は何を意味するのか。デーヴァーラムの歌詞が知りたい。
Thampu (Malayalam/1978)をYTで。
ニラー川近くの村に移動テントのサーカス一座がやってくるところからテントをたたんで去るまでの何日間かを描く。前年のKanchana Sitaはカラーだけど、本作はモノクロで、撮影はシャージ・N・カルン。サーカスというのはそれだけで怪しい郷愁を湛えたた存在だけど、それをさらに濃縮したようなメランコリーの映像。実在するサーカス団の興行に混じり、数名の職業俳優だけを使い撮影されたらしい。最初と最後に現れる、生命を持つかのようなテントの布が圧巻。フェリーニの『道化師』『アマルコルド』の影響が指摘されているが納得。村人に娯楽を与えるサーカスだが、内部の人々には終わることのない苦役であるというのが、子供たちがメイクを落とした道化を追いかけていく数十秒のシーンに凝縮されている。マレーシア帰りの資本家、俗物のメーノーンとその息子との葛藤、労働争議。シュリーラーマンとジャラジャーの夫婦のエピソードはよく分からなかった。サーカスの起源がタラッシェーリにあることとか、本格的なヴェリッチャパードの舞とか、貴重な情報も。サーカスの支配人はカーストが違うのか。
Esthappan (Malayalam/1979)をYTで。
浜辺のラテンクリスチャン(シリア派説もある)が多くを占める漁師の村。村はずれの狂人めいたエスタッパンは、常に振り香炉を持ち歩き、漁には参加せず、しかし村人からは曖昧に何となく存在を容認されている。初登場シーンでは壁に聖画を描いている。時には警句めいた詩を口にする。泥棒の身代わりになったり、海に向かって一直線に歩み去ったり、病気の子供に手で触れて直したり。投げつけられた石礫を食べ物にして投げ返したり、進行するにつれてその行いにイエスの行った奇跡が混じる。撮影はシャージ・N・カルン。本来のフィルムが美麗なものだったことは想像できる。またSNKが後年『Kutty Srank』を撮った時のインスピレーションの源泉が本作だったことも容易に想像できる。ラージャン・カーッカナーダンは文学者・画家で、プロの俳優ではないらしいが、無垢の佇まいが素晴らしい。チャヴィットゥナーダガムのシーンは間違いなく本作の白眉だけれど、その演目が何なのかがはっきりしないのが残念。これも『Kummatty』と同じく、黒魔術映画の一つとして考えていいものかどうか。
Vidheyan (Malayalam/1993)をYTで。
英語字幕付き。長くウィッシュリストにあったものをやっと潰した。マンムーティの悪役系キャラの原点といっていいのか。『Paleri Manikyam』や『Bramayugam』のキャラクターはこれを変奏したものに見えた。この悪役演技の皮膚に張り付いたような自然さでは、息子は全然叶わない。対するMRゴーパクマールは、よく見ているはずなのにまるで記憶になかった。ワヤナードから仕事を求めてカルナータカ州南部のIchlampadyに移住した男。近隣の大地主の小間使いにさせられ、片時も離れることなく付き従う。この地主はマラヤーラム語話者であるが妻はカンナダ人であるらしく、作中では2つの言語が場面によりスイッチする。地主は村の中で手当たり次第に女を襲うなど、悪逆の限りを尽くすが、誰も声を上げない。しかし彼が自分に意見する妻を疎ましく思って殺害すると、妻の親族たちが立ち上がり、彼はクールグに逃げるがそこにも追手が迫る。犬と罵られ妻を寝取られてもなお自発的に隷属してしまう男の心理を地主が身に着けている香水に象徴させる巧みさ。これは同時代の物語か?
Good Night (Tamil/2023)をオンラインで。
百万弗とMRPの一連の英語タイトル作品をおさえておきたくて。ロウワーミドルクラスの家族。主人公と母と姉の夫婦、妹と暮らす。IT産業に従事している男の弱点は英語と鼾。一方身寄りのないヒロインは幸薄く、関わった人々に次々と不幸が訪れると自分で信じている。二人は結ばれ、悪くないマンションで新生活を始めるが、夫の鼾が妻の安眠の妨げとなり、体調にまで影響するようになる。お互いがお互いを気遣いしあう中で歯車の狂いが生じ、妻は数年間のドバイ単身赴任を引き受けるまでになる。ロウワーミドルクラスの人々の的確な描写・その佇まいが素晴らしい。特に姉を演じたレイチェル・レベッカの顔はチョーラ・ブロンズそのもので、しかし現代の基準では美人の部類には入らない面差しで、見ていて飽きなかった。こっぱずかしい身体的瑕疵に身もだえするマニカンダンは見る方も身もだえしたくなる。この人にはこういう役以外はもう来ないのだろうか。それから先日来英語題名の映画を色々見てきて気づいた「料理する男」がここでもフィーチャーされていた。そして職務よりも家族が大事美学がここでも。
Main Woh Aur Fuji (Hindi/2026)をオンラインで。
オリジナルToh, Ti ani Fuji (Marathi)の代替として。本国での公式ポスターに記された邦題は『彼、彼女と富士山』。プネーから東京にやってきて翻訳業に従事し、日本語も習得して穏やかな生活を営む。ある日街で7年前に別れた相手と偶然出会い、家に呼び、幼い息子に引き合わせる。共通の知り合いである夫もいて、彼は仕事で日印を行き来している。破局の前の2人の生活が切れ切れの回想で明らかになっていく。男の方の反射するものを見つめる癖が、最終場面で情趣を盛り上げる。不意に来る地震のシーンはよく分かってる感じ。日本の狭苦しい共同住宅のシーンは、なんだか日本映画のどろどろ愛憎ものを見ている気にさせられる。落ち着いた暮らしを送る現在の東京の家がせせこましく(調理台に腰掛けるヒロインに無理があった)、カツカツ暮らしのプネーの家が広々してるのが皮肉。トキシックな関係性を巧みに描いたと評判になっているが、やはり玉ねぎの切り方で駄々をこねたり、モノに対して当たる男の方が断然ヤバい。東京の街の撮り方はクールでかなり良かった。
Valley of Saints (kashmiri/2012)をDVDで。
邦題は『聖者の谷』。これでカシミーリー語映画で3本目。シュリーナガルのダル湖に暮らす2人の青年。アフザルは白皙の肌とつながった眉の典型的カシミーリー。グルザールは浅黒い肌の小柄な男。ダル湖の観光ボートの船頭やその他の雑役をして暮らす。グルザールはボートの扱いから泳ぎまで達人で、湖と共に暮らす男。2人はこの地での生活に見切りをつけインドに出かけようとしていたが、デモ隊と治安部隊との衝突で死者が出たためカーフューが敷かれ、足止めを食らう。ソーポーレー出身だが米国帰りの女性アシファはダル湖の水質調査を行うためハウスボートに滞在する。この背景から洒落にならない展開を予想してガクブルだったけど、大流血は起きず、また『カシミールのふたり ファヒームとカルン』みたいな方にも行かず、物語は環境問題へと進んでいく。これまでしきたりとしてやってきたことが環境破壊を巻き起こす、それは切迫する人権問題と並行して考えられなければならないというメッセージ。2人が夜間にやっていた危ない仕事は何だったのか。ここでの聖者とはカシャプ仙人のこと。