Vishwanath & Sons(Tamil/2026)をスキップシティで。
汚れた心を持ってるから、20歳年下のカワイ子ちゃんを拒むのは、「白人女にしか欲情しないから」なのかなどと思いながら見ていた。そして、自国の女を相手にやったら大問題なことが、文化の違う外国の女が相手だからセーフ、というのはやっぱイージーだなと思った(そしてラーマナーダンは?昭和末に日本で問題になっていた東南アジア買春観光をそのままやってないか?)。イージーといえば、色々問題を作って死んだ親父がほとんど批判されていないというのも。ともかくスーリヤは社会的なメッセージを好んで取り上げる俳優だから、「歳の差が大きすぎる結婚の盛行」という旧弊な仕組みにNOを突き付けるのかと思ってみていたら、「愛が全て」に落とし込まれてズデーとなった。「代理母出産の問題の取り扱いが軽い」という日本人観客の感想も見られたが、インド人は基本的に代理母出産や精子提供に倫理的な問題を感じていないので的外れ。年齢差の問題でいえば、スーリヤではなく従兄役のスニール・レッディが主役でも同じストーリーが成り立つかを考えてみれば答えは歴然としている。
Vishwanath & Sons(Tamil/2026)をスキップシティで。
独身貴族大金持ち起業家兼オリンピック・メダリストのサンジャイが母の願いで赤子を家にもたらす。その赤子は人工授精の代理母出産で得られたのだった。彼が結婚を拒むのは思春期に父の重婚のショックで負ったトラウマから。しかしやむを得ぬ事情からその代理母の22歳のNRI女性マディを家に呼ぶことになる。マディはサンジャイに恋をするがサンジャイは頑なに拒む。その先は予定調和だが、予定調和になってほしくなかった。以前から、そして子供ができた後も、主人公は性欲の処理のために欧米に出かけてはデートアプリで知り合った女性とその場限りの情事を楽しんでいたというのでひっくり返った。ダメ押しでナーサル演じる老人を登場させ、バンコクにしょっちゅう遊びに行ってるという挿話まで入れる。代理母出産の倫理性(インド人はほとんど気にしない)以前にそこに突っ込みが入るのが当然ではないのか。そして20歳の歳の差があるから結婚できないと言い続けながら、最後に愛が勝つというイージーな結末。主人公をゲイにするとかの展開にはできなかったのか。スーリヤには無理か。
Balan: The Boy (Malayalam/2026)をオンラインで。
現存しない1938年の『Balan』(初のトーキー)に対する何らかのトリビュートだと予想していたが、同作の筋書きは邪悪な継母と無垢な孤児という断片しかわかっていないらしい。本作は子供の視点の物語でありながら、世界の無常さや暴力性、ダメな大人のダメぶりが容赦なく描かれる。出身地も正確には不明な母と息子は、名前や居場所を常に変えているため、宗教の帰属も分からない。他の人間へのアタッチメントを拒むため、他人との距離が縮まると敵対的な環境ではなくとも逃げ出さざるを得ない。そんな親子が偽の身分証を手に入れて、辺鄙な一軒家で暮らす老女の住み込み手伝いとなったところで、厄介ごとが持ち上がり離れ離れとなり、子供はマンガロールに流れ着いてやくざ者の手下となって成長する。出腹のゴロツキというトヴィノの役はチェンバン・ヴィノードあたりがハマったのではとも思うが、客寄せのためには必要だったか。子役はどちらも素晴らしい。ラストの種明かしだけはちょっと無理があるように感じたがどうか。ラール・ジュニアの悪役その他のキャストももぴったり。
Thallumaala (Malayalam/2022)をNTFLXで。
予備知識なく見て衝撃的だった。ポンナーニが舞台のイスラーミケイト映画。人生に目的がなく、ひたすら暴力に明け暮れる若者群像といえば社会派タッチが当然と思えてしまうが、あくまでもファンキーなミュージカルとした。暴力に制約を設け、刃物と銃器は登場させないことにしたのが効いている。監督はAlappuzha Gymkhanaの人と後から知る。脚本はKL 10 Patthuのムフシン。彼が「Sudani from Nigeria」に関して言った「ヒューマニズム的メッセージと絡めなくとも、マラバール・ムスリムの日常はそれだけで映画になる」が頭の中で明滅。考える前に手が出る脳みそゼロの若者をトヴィノがやるのは無理と感じるパートとさすがの演技力と思うパートがある。ソングは全部で9曲もあり、後半に行くほどミュージカル味が強まる。叙述は極端に行ったり来たりするもので、また台詞はKL 10 Patthuに近く、字幕を読んでもさっぱりわからないので追うのを放棄。カリヤーニのドバイのお姫様(ヒジャーブはほぼ無関係のイケイケ)ぶりが良かった。
Jana Nayagan (Tamil/2026)を川口スキップシティで。
以下、思いついたことを箇条書きで。
DMK映画と言われたParasakthiとの対比/対DMKの当て擦りが他にどのように表れているか精査/対BJP映画だとしてあれこれ言う考察厨の面々の解像度の低さ、キャンペーン映画とプロパガンダ映画の区別、検閲の実際に関しても/コミュナリズムへの誘導に対して強いタミル/常に頭ひとつ分他より抜きん出た主人公/黒っぽい背景に浮かび上がる白衣/流行りの日本刀ファイト/キメのシーンではMGRと同じ装飾剣/vaathi coming/白と黒の二色旗/象2頭の真ん中に立つ主人公/one last dance/タミル語映画史上初バラクリファンのヒロイン/途中で消えるラージャゴーパーラン/政界のドンの家の前のそっくりさん、キャプテン、MGR、ラジニ/コメディアンは不在/キャンペーン映画を追い越してしまった現実/珍しいMukhtar Khanの登場/リメイクじゃなくオリジナルでちゃんと作れるって言ったのにと泣き言たれてるヴィノードは、やっぱり御用聞きだったんだろう。LKやKSじゃダメだったろう
Jana Nayagan (Tamil/2026)を川口スキップシティで。
1000%のキャンペーン映画なのだが、そのキャンペーン映画のお手本にしたくなるようなあれやこれやの組み合わせが見事。まずいつも少しだけ登場が遅れる主人公の名前TVK。アフリカ暗黒大陸、悪の巣窟パキスタン。2回出てくるMGRの肖像画、2回目の方は何と喋って例の鞭を支給する。マドゥライ=Madhureyでカンナギ像が鎮座する。現代のカンナギ役レイチェル・レベッカは良かった。Comingって台詞もあったな。悪徳政治家の「祖父も父も政治家、息子も孫も」はDMK批判。そしてインタミ直前「ネイヴェーリの奇跡のセルフィー」。母の住む村にはJDXの影があった。後半のラスト近くではドローンとヒューマノイド・ロボットが出てきて、ウクライナ戦争と中国への警戒が反映されていたか。ここで戦争映画みたいになっちゃって、ちょっと興がそがれた。それよりも娘ちゃんの覚醒をドラマチックに描いたほうがいいのに。辣腕官僚のプリヤーマニはArticle370から思いついたか。ラストの1本指の革命は上手い。ネルソン、ローケーシュ、アトリを並べたのもさすが。
Anweshippin Kandethum (Malayalam/2024)をNTFLXで。
1993年のコーッタヤムが舞台。明確に2部制の作り。女性の殺人・死体遺棄事件を担当するアーナンドは、キリスト教の2つの宗派のセンシティブな対立構造(具体的には示されないが、下手すると中部トラヴァンコールが炎上という)のもと、上司の妨害のもと真犯人を探し当て逮捕するが、すんでのところで逃げられて犯人は自死する。停職の後、5年前に起きて迷宮入りの事件を懲罰的に任され、部下3人と共に田舎町に赴く。その事件では警察の強引な捜査により自殺者が出て村民感情は最悪で、村長の協力も望めない中、自炊しながらの捜査となる。2件とも真相を掴みながら犯人に法の裁きに委ねることに失敗するエピソード。助さん格さん+飯炊きを連れていながら彼らのキャラ立ちが今一つ。それから、どちらのケースでも決定的な証拠を掴むためにヤバいことやってる。1件目ではコソ泥を侵入させて逮捕したうえで現場検証として容疑者宅で証拠集め。2件目では村長宅への不法侵入と囮容疑者を絞り上げるところを本命に見せる。南のコーッタヤムなのに一瞬テイヤムが出てきた。
Super Subbu (Telugu/2026)シーズン1全7話をNTFLXで。
テルグ初のNTFLXウェブシリーズだそうだ。1話40~45分ぐらいなのを7話見通すのに3日かかった。そのくらいのかったるさ。日本語字幕は例によって劣悪。官職の名前など何もわかってない感。一か所明らかに台詞とまったく一致してないところがあったけど、控えるのすら面倒でスルー。性教育がテーマというのはテルグではかなり大胆なことで、ウェブシリーズだからこそできたのは分かる。テランガーナの田舎を舞台にコメディー仕立てにして、しかも未成年の性については触れず、バースコントロールがメインというところで予防線を張った。ただ、コメディー要員としての田舎者の造形が極端で、「チェンナイ・エクスプレス」風。ハイダラーバードの父親もかなりの誇張。ただ、女優志望のヒロインのミティラー・パールカルはかわいいちんくしゃ風で良かった。サンディープのファンにとってもカワゆい姿をあれこれ見られて眼福だったと思う。しかしストーリーの進まなさには辟易。田舎風のバトゥカンマが映し出されたシーンは良かった。クズ男どもとはいえ騙して断種するのはどうか。
Ek Din (Hindi/202)をオンラインで。
ロケ地など全て『1日だけの恋人』のカーボンコピー。結末だけが異なる。それでも原作にあった、ヒーローによるヒロインへのネットストーキングのエピソードは削除、また行方不明のヒロインを気にもかけず帰国する同僚という致命傷には多少手が加えられた。結末もインド人好みのものに改変し、そのせいでほろ苦さは減じた。記憶障害というのは長らくインド人が好んできた装置なので、それを絡めたファンタジーは座りがいいはずだけど、なぜ興行的に撃沈されたのか。似たような装置を持つSaiyaaraと比べて平板なものと受け止められたのか。小樽・札幌・函館・ニセコが同じ市内のように接続されるのはまあ構わない。蘭島駅と札幌市田行啓通駅などが印象的。札幌雪まつりのシーンでは、新選組と花笠音頭が同居する変な民族舞踊が大人数で繰り広げられ、そこに日本語歌詞のJポップもどきが流れて、これは見たところサントラリストには入っていない。圧倒的な不評の中で本作を評価する勢は肉体的接触が一切ないロマンスだからというのがあった。女子社員が旅行先のビアホールでビアジョッキ一気飲みする映像あり。
Love Mocktail 3(Kannada/2026)をオンラインで。
本年公開カ語映画1本目、道は遠い。前作まで辟易しながら追ってたけど、今回は『神さまがくれた娘』の路線。この監督はファミリードラマのフォーミュラに強固な信頼があるらしく、前作での警察シーンと同じく、学校長室でのやりとりと、ヴィジュ×ジャッグの掛け合いで結構な時間をとった。それでもあの亡妻は今回は出番はなしだと安心してたら、なんと外国にワープしてのデュエットをフルコーラスで入れ込んできた。しかしその挿入の仕方はかつてないほどに洗練されたもので、観光振興ビデオ的であればあるほどストーリーにフィットするというもので、これには感心した。『神さまがくれた娘』以外でも、法廷で対決する原告・被告担当の弁護士が夫婦というのは『Vaashi』から引っ張ってきたものだし、オネエ風の料理人というのもどっかで見たけど思い出せない。海のシーンがやたらと爽快感があると思ったら、わざわざアンダマンまで行って撮ったらしい。前作で杜撰だと思ったアドプションはインドの法律ではそれなりに裏打ちされたものであることを知る。実の父母のエピソードはひどすぎ。
Love Mocktail 2(Kannada/2022)をオンラインで。
またしても「恋をした若者が全力でバンガロールから離れる」タイプの物語。逃避先はマディケリ。前作の記憶は薄れているが、メモを見返したら「ひねりも何もないキャンサー・ドラマ」、ヒロインを「ただ癌になるためだけに生み出されたキャラ」と書いていた。そしてその後を描く本作はこれもまたパターンの「見鬼もの」。しかしやたらと出しゃばる幽霊で、主人公の再婚を応援するようでいて邪魔する。唇の上が薄い賢げな顔がどうも同情心を呼び起こさない。まあ邪魔をするのはこの幽霊が主人公の心が作り出したものだからだというのは分かる。しかし亡妻を忘れられないと悟ったところで孤児院に寄って女児をアダプトする(まるでペットを選ぶみたいに)というのはどうなのか。しかもその女児に亡妻の名前を付けるのは美しい行為なのか。警察署での長々としたジョークは古い時代の尾骶骨のようだが、きちんと翻訳されれば面白いかもしれない。幽霊が現れたのは「死後一年目の手紙」がきっかけだったのか。Betta Byraveshwara Temple, Sakleshpurは良かった。
Oru Durooha Saahacharyathil (Malayalam/2026)をNTFLXで。
『ジャパン・ロボット』の監督と知ってれば予測できたかもしれないが、知らずに田舎コメディー+若干シュール味トッピングだと思ってたら足を掬われた。お見合い相手ミニを除く全てのキャラが奇妙な癖あるいは激烈な過去を持っている。寝たきりの兄の介護を15年続ける主人公は10年生落第の病院の雑用係。うだつの上がらない男が状況に流され狂気に陥る過程を描くが、メンタルヘルスがテーマのミニマリズムの古典作群と比べ、異様に込み入った特殊中の特殊が積み重なるのは『Eko』に似てるかも。他人の身に起こることの予知夢、ベトナム戦争の有名な写真のリテイク、奇妙な名前の新聞、スタンドのない二輪車、キルビルの衣装、ジョーカーのメイクなど、世界の軸が微妙にずれていることを仄めかすあれこれが埋め込まれていると読んだ。ただし、どのレビューも終盤の飛躍を非難している。最後にアルミの父がマルコスと判るのも意味があったのかどうか。心神喪失の兄にオジの声色で話しかけたり、徐々に追い詰められて狂気の笑みを浮かべるKUBOは良かった。
Athiradi (Malayalam/2026)をオンラインで。
今年前半のヒット作を潰すシリーズで見たけど、結果としてはCoAものだった。悲惨な圧死事故を起こしたため学園祭が封印されたとある工科大学の新入生サムクッティは、学園祭再興を胸に秘めて最終学年に至り、各所に根回ししてやっと再開学園祭の実行委員になる。縁があり連絡を取り合っていたヴィニート・シュリーニヴァーサンのコンサートが切り札だった。ところが学祭ページェントと近所の寺院の練り歩きが交差し、小さな揉め事から例大祭を仕切る元やくざのクッタンとの対決に発展してしまう。下手の横好き的素人歌手であるクッタンはヴィニート、たまたま同行していたシャーン・ラフマーンを誘拐して例大祭でステージに上げようとする。若作りのベージルは多少違和感あるもだんだん気にならなくなる。しかし素っ頓狂なトヴィノの方はどうなんだろ。明らかにAaveshamのファハドを再現しようとしてるように思えるが、あのキレキレをしのぐものではない。むしろチェンバンのような脂ぎった親父を持ってくるべきではなかったか。それにしてもヴィニートの人気ぶり。ラストのソングはよかった。
Prakambanam (Malayalam/2026)をオンラインで。
流行りのCoAかと思ったらホラーコメディーだった。コッチの大学の寮で暮らす最終学年の3人組。カンヌール出身のシッドゥは祖母が急死したため里帰りする。信心深い祖母(たぶんナーヤル)だったが、一族の他の成員はほとんどがコミュニスト。祖父から遺灰をカーシーで流すことを頼まれ、シッドゥはそれを小さなノーズ・パウダー(Snuff Powder )缶に入れて持ち帰る。包装通りのものと思い込んだプニャーランがそれを吸い込んだところから、祖母の霊が彼を乗っ取るようになる。もう一人の仲間シャンクも巻き込んだ騒動。ガナパティ・ポドゥヴァールは何本も見ていたのに思い出せず。一番演技が求められる新人サーガル・スーリヤはどんなものか。獅子顔のアル・アミーンと寮監のアレクサンダー・プラシャーントはコメディアンとして有望に見える。マッリカ様はド迫力で良かった。ロシア人役のラージェーシュ・マーダヴァンはやっと顔を覚えたが、癖のある役で重宝されそう。カンヌールの政治的な修羅と学園内の政治的な修羅の対比。お祖母様以外の女性キャラクターに見どころなし。
Bara (Kannada/1982)をオンラインで(7/7)。
字幕付きがアップされてると知り。象のマーク付き画面に明らかに後付けの英字幕が乗るという変則。それでもところどころ分からなくて、死蔵していた原作小説英訳を読んだ。舞台はビーダラ。映画では基本的にすべてカンナダ語だが、原作ではカンナダ語とウルドゥー語の微妙な関係が述べられる。アナント・ナーグを見るつもりがC・R・シンハに圧倒された。県長官サティーシャは左翼的な環境で育ちIASになったエリート、一方叩き上げの左派社会活動家ビーモージは大衆を扇動する術にたけており、地元出身の大臣ルドラッパを引きずり降ろそうと陽動作戦を繰り返す。このビーモージが車に乗って顔の見えない高位の政治家と話をするシーン(1:34:00~)は小説にはなく、しかしキーになるものだと思うのだが、何が話されたのかはっきりしない。もともとがコミュナルな緊張をはらんだ地域で、そこに旱魃による飢饉が襲いかかり、政治に携わる者たちの思惑が交錯して暴動に至るというストーリー。「激甚災害」していに相当するような政府による「旱魃」指定は、コミュナル紛争で人が死んでやっと下りる。
Mollywood Times (Malayalam/2026)をオンラインで。
Udayananu Tharam(2005)以来の業界内幕暴露ものだけど、2時間43分はきつい。主役はスターではなく監督というのも共通。ホラー映画専門にしたのは、スター・ファクターを出さないための方便と、マ映画でホラーが盛んという事実によるものか。それならば無理やり詰め込んだ感のある場違いダンスは要らなかったと思う。2000年にDTSの米映画の迫力を知った少年がホラー映画の監督を志望し、20代で映画界の入り口に立つまでになるが、作品の質以外の部分で何かと邪魔が入って大太刀回りになる。一番笑えたのはピザの配達人とのやり取りからインスピレーションを得て脚本に取り組んでいたらカールティク・スッバラージの『Pizza』が公開されるという偶然。悪意と偶然とが主人公の道を阻む。同時に、一世代前に生まれた文豪の息子でコンプレックスを拗らせた男が絡んでくるのだが、面白いけど全体の中で不発な印象。誰かモデルがいるのだろうか。継ぎはぎ感がある各エピソードが実は全部実話のアレンジだったらそれは関係者ならほめたくなるだろうと思う。
Aadu 3 (Malayalam/2026)をオンラインで。
調子に乗った第三弾はたぶんこれまでの最高予算がついて、しかし批評家からはボコボコ、興収は120Crを叩き出してPatriotを下に見た。お馴染みの面々がお馴染みのスタイルで笑かすだけでなく、無関係に見えたパーティーが鉢合わせするというのを笑いのキーにしている。さらに、そこはかとないパロディーは、Adujeevitham、PS、Kalki~、KGFなどを取り込む。最後に「Aadu 3 Part 2」と出るのは近年の二部作を皮肉ってるのかと思ったら、半ば本気らしい。しかし、主人公ということになってるシャージは本当に虚無的。ヒーロー映画のパロディーというだけで、ドーティ―を捌いたり思わせぶりな仰々しいエントリーをしたりするが、ストーリーを動かすのはクリートスやDude、シャシなどで、シャージはそれに巻き込まれているだけなのが実情。今作でもコスプレショーがあったけど、それで何かをしてる訳でもない。アイテムダンスは格段に質が上がり、ヴェーディカーが色っぽい。2370年の設定はほとんど意味がなく、続編を作るとしたらここになると思われる。
Aadu 2 (Malayalam/2017)をYTで。
ディスクを持ってるのにものぐさでYTで見てしまった。そうとは知らずにだったけど17年末公開なので、廃貨騒動をプロットに組み込んでいた。チームが物入りをしのぐために獲得した金杯を盗むローカルギャングとの対決、新札の偽原版の取引をするギャングがド田舎で混線して大騒ぎ、忘れた頃に出てくるいい味キャラで150分にした。あとはお馴染みの面々がお馴染みのスタイルで笑かすという王道の続編。ヒツジは申し訳程度に出てきただけだが、綱引きシーンは今回も手抜きなし。しょぼいアイテムソングが加わった。かつてはビジュ・メーノーン+クンチャッコー・ボーバンが担っていたファミリーお笑いの部分を完全に引き継いだか。ただ不満なのは、腰痛が特質のシャージ・パーッパンというメインキャラクターに肩入れしたくなる凄い魅力がなく、脇を固めるおバカキャラに埋没しているように見えること。トドゥプラの絶景が時々現れる。TN州のゴーマンガラム駅は実在。笑わせようとするやりすぎの半歩手前で踏みとどまってギリギリのバランス。アンソン・ポールとハリプラシャーントの悪役親子が印象的だった。
Aadu (Malayalam/2015)をYTで。
マ語生成テキストを英語に自動翻訳した、ほとんど役に立たない字幕で。珍しくディスクを持っていなかったのは、買い漏らしたのか、それとも英字幕がついてないと判断してスルーしたのか。まさかのフランチャイズ化で3が本年の大ヒットにならなければ見なかった。イドゥッキあたりのハイレンジ地帯を舞台にしたスラプスティック・コメディー&ロードムービー。味わいとしてはリジョーの同年のDouble Barrelを思わせるが、田舎風味がある分こっちの方がずっと面白い。シャージ・パーッパンという名前はタミルのルーツなのかと思ったけれど、その髭やドーティ捌きなども含めアクションヒーローのパロディーという解釈らしい。シャージ率いる7人の綱引きチームは地方大会で優勝して賞品として生きた羊ピンキーを受け取る。ピンキーを捌いてバーベキューを楽しもうとするが、チームの誰一人としてそれを引き受ける者がいないままバンで山地を走る一行。そこにコミュニストやギャングや警官が絡んで騒動となる。壊滅的フロップだったがDVD発売(とそこからの海賊動画流出)によってカルト人気が出たという。