ドクタースリープ追記(ネタバレ注意!)
幽霊師匠のハロランさんはキューブリック版だとほとんど無用の存在ですが、原作とドラマ版だとその能力のせいで孤独と恐怖を強いられているダニーを真に理解してくれた唯一の存在。これもキューブリック版だとあまり意味を成さないのですが、ホテル時代のダニーは未来を教えてくれるもう一人の自分をトニーと呼んでいて、映画版『ドクタースリープ』ではこのトニーのポジションに事件で傷心のダニーの心のよりどころとしてハロランが収まるわけです。
つまりそれはダニーが無意識的に作り出した理想のもう一人の自分で、ハロランさんならきっとこう言うだろう、という風にしてダニーは恐怖の記憶と戦ったりアブラを救う決意をしたりするのですが、それはすべてダニー本人の無意識の意志の表れなんです。たぶん。
ドクタースリープの最後のほう(ネタバレ注意!)
ドラマ版のホテルの最後(ボイラーを忘れてた!)は原作と同じで、それを再び持ってきた『ドクタースリープ』はキューブリックが迷路でお茶を濁したホテルとの決着をようやくつけた映画という感じ。
この脚色が巧いのは成人ダニーが父親と同じような飲んだくれのダメ人間になるんじゃないかという不安を抱えているところで、ホテルに行ってあの時の父親と同じような行動をして、でも最後はキューブリック版『シャイニング』がやらなかったキング版『シャイニング』のラストを採用することで、成人ダニーはホテルでのトラウマ記憶と共に自分の中の悪い父親を葬る。
映画の最初の方に成人ダニーが一夜の関係を持った母子のエピソードが出てきますが、それはおそらくダニーが自分の中のジャック・トランスに怯えていることを示すためでしょう。
これはキューブリック版とキング版の折衷案としてすごくよく出来てると思いましたね。ダニーが二つの『シャイニング』を精算してアブラに希望を託す物語とすると、二つの『シャイニング』があったからこそアブラの今があるんだ、みたいな話になるので。
@yoshi49
原作も面白いんですが文庫本で15ページぐらいしかない本当にワンアイディアの短編なので、強烈さでいえば映画版の方が断然優れていると思います。何も知らずに映画館で観て腰抜かしました。
「このクソ野郎!二度とあおるな!56キロで走ってる時の制動距離は車何台分だと思ってる!6台分だ!およそ32メートル!ぴったり寄せてあおるんじゃない!交通安全の本を読んで勉強しろ!ルール違反は最低だ!去年は交通事故で5万人が死んだんだぞ!貴様のようなバカのせいで!交通安全の本を買え!」
『ロスト・ハイウェイ』
『ワンハリ』のブルース・リー
町山智浩が以前語っていたところによるとタランティーノはブルース・リーがマンソンをやっつける映画を構想していたらしい。
タランティーノの嗜好を考えればそっちの方が自然で、じゃあなんでワンハリのリーがああなってしまったのかと考えると、一つはシナリオに意外性を与えるためなんじゃないかと。
8/8の事件当日に1カットだけリーのトレーニング風景が差し挟まれるので観る側としてはリーがシャロンを助けてくれるんだ!と期待する。リーと拳を交えたブラピが散歩に行ってしまうのもリーを現場に連れてくる伏線かなと思わせるところがある。
もう一つ考えられるのは物語の神話性を高めるためで、ブルース・リーは無敵の男という前提の上で実は彼と互角に渡り合った名も無きスタントマンがいたんだという、その夢物語のためにリーの偉大さをタランティーノは必要とした、説。
個人的にはシャロンの扱いもリーの扱いも不満でしたけど、ただそれは小馬鹿にしているんじゃなくて、単にタランティーノに配慮が足りないだけじゃないかなぁと思います。憧れの対象をオモチャにしてしまっていることの自覚があまりないというか…。
『工作』は、いい映画ではあるけど、あんまり好みじゃないなーと思った。確かに緊迫感はあったし、ラストもよかったけど、延々と駆け引きとか腐敗を見せられて、かなり長く感じた。もっとも、そこがこの映画の肝なので、そういう心理的なかけひきに興味がひかれなかったら、まあ、それは好みの問題としか言いようがない。
日本のみなさんにお伝えしておきたいのは、(って、へんな言い方だが、わたしは在日韓国人です)、ピョンヤンで仕事したことある人にとっては、イ・ソンミン演じる北の高官は、めっちゃリアリティあったということ。わたしも含めて、韓国の観客にも日本の観客にも伝わりづらいところだけど、ばっちりだったということですよ。