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久々に「ザ・コンサルタント」を妻と観ていた。人がゴミ屑みたいに殺されてスカッとするのと同時に、家族、家族のような人って大事だねと少し幸せ気持ちになる不思議な映画。作りは歪だけどやっぱり好きな映画。

「ローガン」の感想を薄目で見ている。ネタバレは回避。いやー、たのしみだ。

「X-MEN:フューチャー・アンド・パスト」、これ公開当時どんな評価だったんですかね。概ね好評みたいですけど。今頃になって見ましたがとんでもなくおもしろかったです。ブライアン・シンガーのストーリーテリングが自分は好きみたい。

X-MENは殆ど見ていなくて、これの前作の「ファースト・ジェネレーション」くらい。あちらはまあまあおもしろかったんですけど時代性のせいなのかセクシズムがやたらと前に出てくるのでマシュー・ヴォーン作品との相性の悪さを感じました。そのせいか、繊細な人物の描き方といい余計に素晴らしく感じました。エリック、チャールズ、ミスティークの三角関係素晴らしい。ミスティークはとても良いキャラクター設定。

マイノリティの悲哀、「未来は変えられる」という昔ならお決まりのSFのセリフが、この現代においてよりポリティカルな響きと痛切さをもって表現されていて、未来は変えられても失われた人間関係は元に戻らない哀しさといい。とても好きな物語になりました。

「3時10分、決断の時」、脚本素晴らしい。あのボロボロで惨めでも息子の前で仕事をやり切ろうとするあの巣がには胸をうたれる。しかしあまりはまれなかったのは何故だろう。やっぱりラッセル・クロウがカッコよく描かれ過ぎだから。なんかスマートすぎる。いけすかない。もっと身なりもやることも汚い悪党だったら好きになれた。昔でいうとジーン・ハックマンみたいな人だったらハマれました。クリスチャン・ベイル悪くはないんだけどサム・ニールとかみたいな人の方が説得力ある。この映画の二人はカッコよすぎるんです。

予習として「3時10分、決断の時」と「X-MEN :フューチャー・アンド・パスト」を観ました。

‪私はX-MEN全然見ていないスーパーニワカなものですから「ローガン」に関してはあんまり偉そうなことは言わないようにしようと思います。でも滅んでいく世界の物語というのは我々の世界の予兆にも見えてきそうで楽しみですね。‬

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」がなんでハマれなかったかずっと考えている。 

女たちが物語上の機能としてしか働いていないことも大きいのですが、一番は人の死がその人の業になっているというのが、すごく極端な脚本に感じてしまうからだ。

死ぬ、というが物語上の構成として殺すというのはどうしても都合がよすぎるように思えてしまって。

「クレイジー・ハート」は屑男を描いた傑作でしたが、あれは取り返しのつかないことをしている、というより、人間として、パートナーとして信頼がおけないから一緒にはなれないという正論のラストなんですよね。

本作はあの夫婦のどちらも責めれない形で妻だけが夫を責めて別れたという形にして、時がすぎてエクスキューズを求める作りが男の側からしか作ってない物語に感じて、そこが決定的に受け付けなかったです。

絶賛されている映画がいくつか散見されるが、なぜか食指が動かない。こういうこともある。どんだけ涙が出るほど美味いと言われたとしても食べないものというのはありますから。

「20センチュリー・ウーマン」公開されたらまた色々書こうと思います。母と息子の物語としても秀逸だし、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」同様に「変われない」ことを描いていたことも好感。誰かの人生をドラマに落とし込むこともしなかった。人は家族を理解しあえないまま別れていく。

「20センチュリー・ウーマン」あらゆる乗り物の出てくるシーンがもう最高で、「コップ・カー」と並ぶくらい乗り物絡みで好きなショットが満載。人自身が時間という乗り物に乗っているのだろう。

‪早く「20センチュリー・ウーマン」をもう一度観たい。‬

「20センチュリー・ウーマン」試写で観て参りました。今年の私のベストの一つ。

「マグニフィセント・セブン」、このメニュー画面にあのテーマが流れるだけで白米3杯いける。至福目福。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、ネタばれあり感想4 

本作へのネガティヴな評価。

私自身に愛する家族の死を中心としその喪失を語るシナリオに日頃から抵抗があるのと、本作でのそのやり方があまりスマートに見えなかったのが私が本作に没入出来なかったの理由の一つだが、女たちがシナリオ上の装置としてしか存在していないように見えていることもそうだ。女たちはシナリオ上都合よく「他者」にさせられている。

撮影も良くも悪くも大らかで、何より編集が大らかだった。それらが私を本作に没入させなかった要因である。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、ネタばれあり感想3 

パトリックがリーを癒す存在になるかというとそんなことはなく、まるでリーのコピーのようだ。それでいて10代の子供のズル賢さやセルフィッシュな部分が顕著で、より太刀の悪い男として成長するのは明白だ。パトリックの女癖の悪さは若くして離婚した母親の喪失を埋めるものだろう。

パトリックもリーも素直にお互いの気持ちをさらけ出すことはほぼない。お互いの苛立ちをそのままにぶつける。だがきっと彼らは殴り合いはしない。それは愛する家族が遺した分身であり、兄/父であったジョーを思い起こさせるものであり、ジョーがこの世界にいたことを証明してくれる存在だからだ。この二人とのやりとりは擬似的な父子の関係にはならない。リーにとっての子供とは失った三人の子ら以外にはなく、パトリックの父とはジョーに他ならないからだ。お互いはジョーの代わりにはならない。この二人の関係はどちらかというと歳の離れた兄弟のようである。終盤の不器用で奇妙なキャッチボールのシーンは秀逸だった。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、ネタばれあり感想2 

世捨人のごとく余生のような人生を生きることにするリー。もうマンチェスターに帰ることはないだろう。でもいつか兄の遺したパトリックが訪れて欲しいという思い。

リーは女との接触を頑なに拒む(このリーが性的な魅力のある存在として描かれるのには違和感がある)。バーでナンパしてきた女の子はカウンターごしにこちらを見る。それでもリーは正面の中流層と思われる男たちに難癖をつけて殴りかかる。男とのフィジカルなコミュニケーション、しかも会話のないコミュニケーションを選ぶ。それは自分を許せない怒りを解放させたいだけではなく、許せない自分を誰かにぶちのめして欲しい思いもあるように思える。

リーが女性と密接な関係を持つことに抵抗感があるのは単に自分を許せないからだけではなく、女性への無意識な嫌悪感情があるからに見える。

リーには最早人に対する優しさや思いやりといった感情がない。人に何かをしてやるということを放棄している。自分のことだけをして生きる。もう誰かの人生には関わりたくない。愛という感情を持つことに怯えているようにも見える。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、ネタばれあり感想 

傷を負った男が兄弟の遺した子供と過ごすことで傷が癒され、赦しを感じる物語、にしなかったことはとても良かった。傷や自分が罪と感じるものはその相手が直接許してあげること以外には癒えない。リーは永遠に自分を責め続けるだろう。

妻も新しいパートナーとの間に子供を設け自分のいた街に帰っていた。妻は過去を克服した、あるいは克服しようとしている。ジョーの葬儀に参列したのは埋めることのない傷すらも自分の人生と認め、かつて愛したリーのこと、リーを責めたことも引き受けようとしている。偶然リーと遭遇する時まで赦しの言葉をかけることが出来なかったのはタイミングの問題だったろうし、今更娘たちを失ったこと全てをリーのせいにした自分をも責めて許せなかったからだろう。

リーはパトリックと暮らすことをギリギリまで考える。だが妻はこの街で新しい人生をこの街で始めようとしている。リーは"I can't beat them."と言う。beatという言葉が出てくるのは相当に強い表現だ。自分の罪を許すことは出来ないが、妻がこの街で別の幸せを育んでいる。これは耐えられない。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、現代の映画と思えないようなコードと現代のコードが同じくらいづつあって、バランス感覚がよくわからん作品だった。ちょっと男に甘すぎるんじゃないかと思うところとそうでないところと...。撮影と編集に選曲がざっくりしてるので、映画に耽溺しづらかった。

それでも奇妙なバディもの(でもやおい成分はかなり少ない)で、好きなところも色々あって評価がしづらい。色々北野武映画っぽい所あると思ったら梶原くんも同じこと感じていた。監督は多分北野武好きだと思う。

「メッセージ」は「ゼロ・グラヴィティ」へのアンサーのようにも感じた。多分歳を経るに従って染み入る気がする。どちらもジャンル越境作品なんだと思える。SFというキャンバスで何を描くかという。

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、悪いとまでは言わないがハマれず。

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