Charulata (Bengali/1964)を渋谷ル・シネマで。 

邦題は変わらず『チャルラータ』。10年ぶりの劇場での再見。多少知識が増えたのはボンキムとかラム・モホン・ロイなどの名前に聞き覚えがあるということで、しかしキチンと調べなければならない。37歳の夫と23歳の夫の従弟との間で揺れ動く有閑階級の妻の心。妻の持つオペラグラスや突然の強風、ただ一つのシーンでの妻の解け髪などの象徴的意味がよく分かる。1879年という設定を考えれば驚くほどリベラルな夫だが、妻を完全に掌の上で遊ばせていると信じているところ、英国の政界でのパワーゲームに一喜一憂しているところなどは今日の目で見れば哀れと受け取れる描写も。社会評論・社会改革のための言語としての英語と、文芸のためのベンガル語の真っ二つの乖離。Subrata Sensharmaによる衣装は、考証が正確なものなのかよく分からないけれど、ヴィクトリア朝の西欧婦人の普段着である長袖ブラウスとスカートにサリーをルーズに巻き付けたもののように見えて不思議な雰囲気。60年代の映画だから丁寧に覆い隠されているが、ヒロインの性的な欲求不満も微かにうかがえる。

Hero (Tamil/2019)をオンラインで。 

大いに推されて半信半疑で観てダレダレのグダグダになった。「Maaveeran」がよほど名作に思えた。スーパーヒーローと教育問題と、その他もろもろの社会問題をゴタマゼにした2時間37分。何が悪いって、まず悪役にリアリティーがない。なぜそこまで田舎の発明キッズを恐れなければならないのかが納得できるように描かれていない。そして落ちこぼれが適切な指導を受ければ凄いことを成し遂げられるという謎理論。それはどぎつい言い方をすれば優勢思想と言ってもいいもので、人間として生まれたからには何か役に立つことをしないと意味ないという功利主義の無邪気な信奉だ。インドの教育もの映画はだいたいそうだけど、突き詰めるとAmma Cheppindi (2006)のような恐ろしいものになる。役に立つ子がいい子であり、どんな子でも役に立つはずだというのは楽天的すぎ。役に立たない子は存在してはいけないのか。Gentleman (1993)の精神をリバイバルしたかったのは分かるが、中国のおっさんの発明みたいなレベルの技術で衛星もどきを打ち上げるところまでというのは雑過ぎる。

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