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Dil Bechala (Hindi/2020)をオンラインで。 

スシャーントの遺作で、何やらラジニ関連だという程度の知識で観てみた。キャンサードラマ(しかもキャンサーは開始直後に明示される)で吃驚。ハリウッド映画The Fault in Our Starsの割と忠実なリメイクだという。設定は妙に凝っていて、ジャールカンド州ジャムシェードプルが舞台。ヒロインはザンビアで生まれインドに戻ってきたベンガル人というもの。ベンガルの外にいるベンガル人で、両親役は二人ともベンガル俳優、しかし台詞はヒンディー語。こういうの、ヒンディー語圏の観客はどういう風に見るのか(本来はベンガル語だけど、観客の利便のためヒンディー語にしていると思うのか、それとも実際にヒンディー語を喋るベンガル人なのだと思うのか)。しかし、リメイク元があるとは思えないような弱いストーリー。ヒーローのラジニマニアというのが活きていない。途中からどっかに行ってしまう。変な踊りを踊りながらの初登場シーンも不発。スシャーントのお通夜にしみじみ観るにはいいかもしれないが。ヒーローの祖母役にマラヤーラム語映画界のお婆ちゃん俳優が出ていて吃驚。

K. G. F: Chapter 2 (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

本国と同日のFDFS。インド人(ネパール人も?)が荒れてて不快だったけど、一方でお行儀のよい日式マサラ上映よりもナンボいいかと気を取り直す。168分間、ヤシュは例の調子で格好をつけまくって、あまり好きじゃないけどここまでくるとお見事と感じた。ストリートで身に着けたという設定だろう英語もナイス。ヤシュのマチズモ金字塔おったてと同時に、PN監督が好きな映像的な実験が200%詰め込まれていた。内容があるかと言われればまあ無いが。終盤でのラスボスの開示はビックリでお見事。そこに行く前には1984年のインディラ暗殺事件が頭をよぎったが、それに落とし込まずに上手く処理した。ソングもどれもがスタイリッシュに演出されてカンナダ映画離れしてる。一番良かったのはGagana Neeで、おかんセンチメントを抑制しながらも放出。ラブソングMehaboobaも、強面がとつぜんデレデレみたいなことをせずにどこまでも抑制抑制。もう全編にわたって「カンナダ映画がドン臭いみたいなことを絶対に言わせんぞ」という強迫観念のようなものが感じられた。

Shikara (Hindi/2020)をNTFLXで。 

先日のTGF以来、一種の宿題としてカシミール・パンディットものを見ている。これはKPのエクソダスを背景にしたロマンスもので、テーマは一番近い。ロマンス部分には出来すぎて作り過ぎた感じがあって甘々だが、俳優の力で見せるものになっている。はっきりと年号を表示して描かれる歴史的事件(たとえばブットー首相の演説なども織り交ぜられる)は、問題の概要を知るのにありがたい。それから「インドに行く」という空間認識なども。ARRが総指揮したという音楽は"Shukrana Gul Khile"が素晴らしい。これまでに見たことのないKP女性の宝飾品のつけ方とかも。一番衝撃的だったのはヒロインがローガン・ジョーシーを作るところ。調べてKPは肉食を忌避しないと分かった。「バラモンの中のバラモン」、ネルー家に代表される、白皙で知的でプライドの高い人々というイメージでは説明できないあれこれを、本作中の本物のKPだというエキストラの人々を見て思った。結果的にヒーローはシュリーナガルの家を売ったと告白するが、ラストシーンでその家が廃屋になっているのが引っかかった。

『ブリジャートン家』(Bridgerton、米、2020-2022)をNTFLXで。 

一週間ぐらいかけて数話ずつ見た。いや奇態なドラマだ。英国ロマン主義時代のメロドラマは『いつか晴れた日に』などでも垣間見ていたが、グロテスクな人身売買の結婚市場を愛と言いくるめてロマンスとするのに辟易してた。インドの見合い婚の方がよっぽど文明的に見える。ここもその世界観で成立している。シリーズ1は黒人の公爵が登場して、子爵家の令嬢との恋模様が描かれた。ジョージ3世妃のシャーロットが一部黒人の血を引いていたという説から着想されたのか。身分制度はがっちりあるが、人種差別はなく、宮廷には黒人や極東人も闊歩する並行世界(以前には差別があったが王妃の登場でそれがなくなったと微かに言及されるが)。ちょうどオペラの世界でジェシー演るのを見るようなものか。王妃とその周辺だけが半世紀ほど前の衣装というのは何か意味があるのか。しかしシーズン2になってインドからシャルマ一家が登場することによって、その並行世界に歴史と文化が持ち込まれておかしなことになった。高貴な野蛮人じゃなく英国宮廷にインド人がいたならそれをこそ物語にすべき。

Ghani (Telugu/2022)を池袋ヒューマックスシネマズ6番スクリーンにて。 

劇場の予約システムで事前に確かめたら、50弱が埋まっていてなかなかじゃんと思ったが、前の2列21席は感染症対策でアキとのことで、一気に30台に。昨日現地公開でイマイチなレビューが揃ったため、テルグ人は数人のみ。劇場の音響は音割れが気になった。ストーリーは型通りのスポコンもので、ワルンが出てなかったら確実に眠ってた。体をさらに鍛えたのは歴然だが、演技力はもっと鍛えないとアカン。ボディビルと違って成果が比例級数で目に見える形で伸びていくものではないが。プロ中のプロとしての仕事をしていたのはアイテム出演のタマンナー。演技のときとは全く違う役作りでエロいお姉さんを演出していた。ボクシングのシーンは不思議なほどに迫力がなく、力こぶを握りしめることはついぞなかった。Sarpatta Parambaraiと大した違いだ。ただ、CGを全く使っていないということで、それに感銘を受けていた観客もいた模様。ナヴィーン演じるボクサーが裏切ったかに見えて味方したというプロットだったが、それではあの試合途中の不調は何だったのか。

Shubh Mangal Saavdhan (Hindi/2017)をDVDで。 

以前に見たKalyana Samayal Saadham (Tamil/2013)の、同じ監督によるリメイク。オリジナルは字幕なしで見たけど、こんな話だったっけ?という感じ。タミルの方はプラサンナーが主演で勇気あるなあと思ったけど、映画としてはヒットだったという記憶はない。サウスの観客は身の下話が本当に嫌いだから。ヒンディーの方はかなりのヒットだったらしい。確かにボリ向けの題材。映画の結婚と現実との違い、熊との格闘から決め打ち型オンライン見合いあたりまでのところは相当面白かったんだけど、それ以降はダレダレ。お笑いの半分は、お約束通りに銭ゲバだったり迷信家だったりする騒々しい家族で占められており、肝心のEDの話が進まない。ヒーロー・ヒロインはどちらもバラモン。片方は玉葱を食べるが片方は忌避するなどという部分が面白い。そこから新郎新婦が祝い料理を自分たちで作り始めるところぐらいまで、バラモンコメディーの一面も。ゴンドラでの大立回りはビジュアルは効いてるけど、そこからドラム缶結婚式に至るロジックがよく分からない。

Gaddalakonda Ganesh (Telugu/2019)をオンラインで。 

リメイクは追わないつもりだったが、ヒンディー語版も見たし、ワルン・テージは注目している俳優なので行きがかり上観てみた。笑われ役・悪役に挑戦するとは偉いじゃないかと思ったが、やはり妥協というか御曹司(メガプリンスという冠名が出てた)に相応しい改変がされていた。出演する映画が普通にカッコイイものとして描かれているのと、プージャーを配した過去の恋愛譚。これでだいぶ毒が薄まってしまった。ラストシーンのスターもお猿だし、第二ヒーローの変貌ぶりにキレがない。演技の先生はブラフマージーで、生徒よりもヤバい奴として描かれ、やり過ぎ感あり。ランタイム170分は原作と同じなのだが、色々詰め込んだ割には個々のシーンが間延びして感じられた。特にタニケッラ・バラニが演じる元映画監督志望青年のエピソードなど。劇中で久しぶりに「マラヤーラム語映画=エロい」という文脈の言及があった。舞台はラーヤラシーマだと思うが、要確認。ワルンは角度によって時々伯父上や父上の面影が明滅するのに見入ってしまうが、荒くれとしての演技はメイクに頼ってたかも。

The Kashmir Files (Hindi/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

巨大な6番スクリーンがほぼ満席。入場前のロビーでは印国旗を広げて記念撮影までしてた。エンドロールになり大勢が帰ろうとしているのを、声の大きい誰かが押しとどめて、起立の上国歌斉唱(アカペラ)、こんなの始めて。映画自体は、プロパガンダ臭がキツくなおかつ陰惨極まりない大長編。なぜかインターミッションなし。序盤からから徐々に高まっていく殺戮、そして現代のデリーでの大演説、仕上げに身の毛もよだつ虐殺という構成は、大衆扇動という目的に適っているかという点では200%の出来。映画としてみると、全然ダメなのはまずタイトルの「Files」が単なる新聞の切り抜き帳であること。新聞に掲載された出来事が隠された真実なのか。それから狂言回し的主人公のクリシュナが、最高レベルの大学に学ぶものでありながら、簡単に洗脳される奴であること。ムスリム側とパンディット側、それぞれの話を聞いて丸ごと信じてしまう。メーノーン姓(カシミールに一切個人的関りを持たないことが暗示される)の大学教授が真の悪役か。ああいうキャラへの嫌悪は確かに分かる。

「花、香る歌」(도리화가、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。2016年だったかに、珍しく劇場で見て以来2度目。劇場と違い、何度も中断しながらダラダラと。やはりパンソリのクライマックスにBGMを被せるのはいただけない。主演女優の歌唱が酷評されたというのを後から知ったが、それを誤魔化すために肝心の歌を点景化しようとしたのだろうか。オンラインで見たせいか冗漫が感じられたが、ストーリーは良い。不幸な生い立ち、禁じられているのに入門する、歯を食いしばって修行する、権力者との交渉、進退窮まった窮地での絶唱、余人を寄せつけない芸の境地を獲得するとともに大切なものを失う、etc.という芸道もののお約束を可能な限り取り込んでいる。村ののど自慢大会の場面ではSavitriを、ラストの雪のシーンではUmrao Jaanを思い出した。お楽しみの宮中のシーンもゴージャス。俳優の名前は憶えたくないのだが、一方で今後の韓流時代劇の鑑賞のため歴史の本を読んでおきたくなった。こちらのレビューは鑑賞中に気になった用語をほぼ全て網羅していてありがたい。filmarks.com/movies/66760/revi

『王の運命(さだめ) –歴史を変えた八日間–(사도、2015)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。いやこれは傑作だわ。側室の息子として生まれた王子が、唯一の男児だったために王妃の子として引き取られ、母の愛を失い、神経質で加虐性もある王の下で抑圧された思春期を送り、成人後も自立を許されず次第に精神のバランスを崩し、謀反の疑いで米櫃に閉じ込められて餓死させられる。有間皇子か大津皇子か。国是たる礼と学問のどちらにも馴染めなかったというのが極めて批判的で現代的。毒親もののようでいながら、その枠だけにも収まらない深みを持つ。某国映画の歴史もののペラペラの大仰さとは一線を画す。歴史ものの醍醐味の一つは、あり得ないほどの事大主義と虚礼の足枷に絡めとられた人間の観察だが、一方で一個の肉塊となって死にゆく人間のリアルな苦悶も感じられた。ラストでその王子の息子が王となり、王家に平安が訪れる。新王はその父に生き写し。まあ、劇的効果で同じ俳優がやるよねと思ったが、後から調べたら全然別の俳優だった。韓国人の顔認識ができてなかったのにショック。某国人の顔認識は得意で、それができてない他人を笑ってたのだが。

Manmarziyaan (Hindi/2018)をオンラインで。 

AKが正統派ロマンスを撮ったというので。フリル部分は斬新ながら、ストーリーの骨格はRNBJやミモラと同種のお約束系。新しいのは、シュールな双子の存在とか、ヒロインがビッチでやたらと強いところなど。それからお洒落パンジャーブというのが、近年の傾向とはいえやはり目覚ましいものがあった。AKは土地のオーラをしっかり撮る傾向があるけど、ここでのパンジャーブはどうなんだろう。そもそもボリ映画の観客は非ヒンディー語圏を舞台にしたボリ映画をどう見るのか。ヴィッキーはかなり酷い奴なんだけど、こいつを責めてもしょうがないと5分ぐらいで分かるという点で名演。アビは長身だが鍛えられていない肉体で、実にその辺りにいそうな中流の好青年のリアリティーを持ちながらも、ところどころ親父様そのものという瞬間もありナイス。タープシーは全ての騒動の元で、日本の観客ならそのキャラを憎む人もいるだろうというほどのものだけど、インド世界に親しむと、自分優先で他人に迷惑をかけるのは割とありだと分かってくる。終わりの方で3人が雁首揃えて話し合うシーンは不発感があった。

James (Kannada/2022)をスキップシティで。 

2年ぶりのカンナダ人会上映。最後列に陣取ったカンナダ人ガールスが手製バナーをもってプニートをリスペクトしていたのに驚き。まるで日本のオタク女子。それから開始前とインターミッション明けとにファンメイドのトリビュートビデオ(結構質が高く最初は本編かとおもった)を流すなど濃密さが凄い。映画自体は、プニートが生きていたならば酷評され、そこそこヒットして、忘れられていったような締まりのないマサラアクション。インターミッションの吃驚はNTRジュニアの主演作にあったし、カシミールでの作戦行動はマヘーシュのSLNKのそれにそっくり。最前線は悪いテロリストを叩き潰す戦いの場という迷いのない描写。プニートは軍人なので州旗は出てこない。しかし、ミリタリー設定もあるのだろうが飛び道具を使いすぎ。飛び道具で趨勢が決まっているのにその後から肉弾戦を始めるクライマックスはどうかと思った。サードゥ・コーキラの癒しのコメディーシーンがちょっと入ったけど、途切れなく続く殺戮シーンに、暴力というものがなぜこれほどの娯楽になったのかという哲学的な問いが湧きおこった。

Bachchan Paandey (Hindi/2022)をキネカ大森で。 

本日は一席空けナシのほぼ満員。『ジガルタンダ』のリメイクとの予備知識でラストのスターを誰が演じるのか期待して見に行ったらあのどんでん返しのプロット自体が没になっていた。つまらねえ、ブラックユーモアが単なる人情譚になり果てた。原作の狂言回し的主役の新進監督を女性にしたのは女性のエンパワーメントを暗に込めたかったからなのだろうが、バッチャンとの間のロマンス(微かなものに留めたのは良かったが)とかはちょっと違うだろと思った。そしてサウラ―シュトラの泥棒娘と元映画青年の老人のエピソードは消えた。ただ、台詞が面白いことは片鱗からもうかがわれ、客席は大いに湧いていた。パンカジ・トリパーティーの人気が高いことも登場シーンでよく分かった。しかしその笑いはやや誇張が過ぎないかとも。設定はUP州の田舎の具体的な地名(実際のロケ地はジャイサルメールらしい)だったが、これがどのような土地のオーラを持つのかが分からずもどかしい。アッキーのギャングはヴィンテージカーを乗り回しながらも一方でバンディットみたいなヴィジュアルもあり、作り物臭い。

Bharaate (Kannada/2019)をオンラインで。 

週末に上映のJamesの過去作というので。しかし時計の針が10年ぐらい戻ったような一作だった。主人公がラージャスターンでガイドをしてるというのはNTRのShaktiみたいだし、2時間を過ぎたぐらいでやっと出てくる過去の因縁譚はまるでMuthu(ラリタ・マハルというロケ地も同じ)。Muthuと同じくシュリームラリは2役だが、メインの若者キャラがUgrammだったり、恋人を相手にふざけまわるトリックスターだったりして落ち着きがない。インターミッション後からは問題を抱えた名家に奇妙な客人が入り込んで掻きまわすという例のパターンも。最近あんまり見なくなったコテコテのスイスロケ・ダンスもあって面はゆい。しかし撮影技術だけは無駄なほどに高度。悪役は3勢力がクライマックスで三つ巴になるのだが、メイン以外の2つがどう絡むのか分かりにくくて、途中からどうでもよくなる。それでも現地レビューは妙に気前よく星をつけてるのがあって呆然。これが19年のSIIMAでBell BottomやAvane Srimannarayanaと同じ土俵に立ってたとは。

Baar Baar Dekho (Hindi/2016)をスキップシティで。 

邦題は『あの時にもう一度』。タイムスリップ恋愛ものというので、『イル・マーレ』みたいなのを予測していたが、全く捻りのない「タイムループ+やり直し」ドラマ。しかしその作りのものではこないだダイナミックなMahanaaduを見てしまっているから、動きのなさ、ひねりのなさに肩透かし。140分かけて結論として導き出されるのが、老後に孤独になるのが嫌だから、結婚相手に多少は妥協して思いやりを持とうとか、何だそれって感じだ。そもそも、タイムループ発生時点での「勝手に家を決める妻+勝手に外国での就職を決める夫」の対決はどうなったのか。飛んでいく未来を見てみると、結局夫の仕事が優先になったみたいじゃん。仮に男と女が逆だったら、結構反動的にならないか。そもそも若くして天才的な数学者とか、易々と個展を成功させるアーティストとか、そういう属性が、まるで映画の小道具みたいに最初から用意されてるって安易すぎだろ。リードペアの誕生シーン~子供時代からの色白俳優ばかりの登場(サリカーもいた)にはホワイトウォッシュ味があって感心できなかった。

Etharkkum Thunindhavan (Tamil/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

小さい4番スクリーンではあったものの、久しぶりに満席に近い客席。正調マサラ映画らしいという以外の予備知識はほとんどなく見て、女性への性暴力への告発の世直し映画だと知った。しかし恐ろしくオールドファッション。Kadaikutty Singamの監督と思い出せればもっと用心していたが。ケダモノのような性犯罪者の成敗と、カラフルな田舎の人情譚的ロマンスを混ぜようとして全然混ざらずちぐはぐなものに。スーリヤは弁護士として登場するのだが、法を武器にした戦いはほとんどせず、肉弾戦をしているか、ヒロイン相手にトリックスター的なおイタをしてるかどっちか。ダンスシーンでは鍛え上げた筋肉が邪魔をしていた。大体悪役がヤバいビデオをアップするとか言ってるのに新婚初夜のウキウキダンスを踊ってるとか、どうかしてるんじゃないのか。またその悪役が弱い。商売でやっているのではなく、政治家の甘やかされた変態息子という設定なのだが、それならもっと親父の権力を笠に着る描写がないと。冒頭での古譚的な北村と南村の争いという設定も不発。

スーリヤ、いいこと言うなあ。 

“We will make them (Bollywood) talk about us by the work we are doing here,” said Suriya when asked if he desires to work in Bollywood. “Of course, it’s a bigger industry and a bigger platform. If I get a chance, I’ll work in Bollywood. But I don’t think we need to go there to prove ourselves,” he added.
indianexpress.com/article/ente

Chak De! India (Hindi/2007)をオンラインで。 

ある作品との類似性を確かめたくて。まあかなり似てた。トラウマ的な出来事があって引退した花形選手が、女子ホッケーのインド代表チームをまとめることになり、メンバーの士気低く、お互いにいがみ合い、何よりも周囲から全く期待されていない寄せ集めを何とかワールドカップに出場させるという話。最初の半分はコーチへの不信感とその克服というモチーフ。その後はチーム内の個々人のエゴの克服に移り、対戦相手との戦術的な駆け引きはちょっとだけ。決勝はPK戦にもつれ込むというのもお約束。(インドでは)比較的マイナーなスポーツを持ってくると収まりがいいように思える。しかし地域ごとに分かれて一つになれないインドを批判するテーマ立てをしながらも、人間的なドラマの主役はアーリヤ系のバックグラウンドの女性たちだけで、北東州人、アーディヴァーシー、テルグ人などはやってます感を出すためだけに取り込まれた印象。SRKは顔をヒクヒクさせることで演技してるように見せる癖が苦手だが、本作ではそれが抑え目で良かった。チームがデリーで食事しに行くのがマックってのに時代感。

The Fame Game Season 1 (Hindi/2022)をNTFLXで。 

一話43~54分のエピソードが8話で一応完結。2日かけて見た・いかにもなボリウッド内幕者風の造り。人気に影が差し始めた熟年大女優、金の亡者のプロデューサーである夫、ヤバいストーカー的ファン、問題を抱えた子供たち等々、お約束に近いキャラが登場するが、巧みな切り替えの手法(Davidを思い起こさせる)で面白く見せる。ボリウッドの芸能一家について大して知らないけど、実在のスターの家(特にSRK家とシュリーデーヴィー家)がどうしたって思い起こされる。まあそれに、「特別なフェロモンを持っていて観衆を魅了したその魔法が50歳を過ぎてもまだ生きているけど、確かに主演作・ヒット作は減っている」という主演のキャラは、シュリーデーヴィー亡き今はもうマードゥリーしかいない。半ば記号となった、慣用句でしかない美貌という点でも。劇中の「一族で所帯をもった女はお前が初めてだ」とヒロインの母が言う台詞が印象的。デーヴァダーシーにあたるカーストの出身ということなのか。種明かしは予想の範囲内だったが、真相と真逆の幾つかのカットはズル。

薬の神じゃない!(我不是藥神、Dying to Survive)〔中国、2018〕をNTFLXで。 

インド関連中国映画ということで気になっていた一本。2014年に起きた実話をもとに膨らました作品。現実には癌患者が自分でジェネリック薬品を密輸したというものだったのを、患者ではない癖のある男を主人公とした。日本の公式サイトが「ニセ薬事件」と書いているのはどうかと思う。ジェネリック薬品を偽薬と言うのは、劇中の悪役であるスイス製薬会社のロジックではないか。インド要素はというと、冒頭からいきなりボリウッドソングで攻めてきた。主人公は怪しげなインド製精力剤を扱う商店の経営者でかなりの屑野郎。そんな男が色々あって白血病患者のために、スイスの製薬会社の治療薬と同じ薬効のインド製ジェネリック薬品を求めてムンバイに行く。そして仕入れた薬をコンテナに隠して密輸。その取引相手のインド人が、変な誇張がなく、しぶとい商売人だが仁義のあるやつとして描かれていた。主人公が変な形でインドに迎合しようとしないところにも好感度あり。資料:blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/3b

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