君の結婚式(너의 결혼식、2018)をオンラインで
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第6回。疲れていたので、大流血とか無さそうなロマンスは良かった。2005年江陵に住む高校生が転校生に一目ぼれして、相手をどこまでも追い求め、くっついたり離れたりしながら2018年の現在に至るまでの話。主演俳優は絶対何かで見てると思ったけど、後から検索したらやはり初見なのだった。またしても韓国俳優の顔似杉問題。女子の方は背景にシャレにならないDVの親族を抱えているのだが、そのあたりは割とあっさりと描かれ、逆にそこにリアリティーがあったかも。どん底から自力で這い上がり、クリエイティブ職に就き、海外駐在をオファーされるまでになった女子と、彼女を事故から救うために怪我したことによってなぜか低迷してしまう男子とのコントラストは、もうちょっとはっきりしていた方が良かったかも。ホモソーシャルな男同士の付き合いの部分は、理想化されていたけど面白かったし笑えた。これと全く同じストーリーを日本映画で見せられたら、自分はどう反応するだろうかと考えてしまった。
浮島に生きる人々/Floating Life/Phum Shang (Manipuri/2014)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。マニプル州インパールに近いロクタク湖に暮らす漁民と州政府の開発局との戦い。浮島と言うのは比喩かと思ったら、本当に水に浮く草の堆積の上に暮らしているのだった。この浮島は人の手で動かすこともできる。澄み切った湖と白い積乱雲のある空との広がりは、白昼夢のよう。1983年からの開発プロジェクトと2006年の(ラムサール条約批准によってきたる)国内の保護法の制定によって、浮島に暮らして伝統漁法で生計を立てる漁師たちの生存が脅かされる。当局は重機で漁師たちの家を壊すことに熱心な一方で、ダム建設によって湖に流れ込んだ膨大な生活ゴミの堆積には無関心。ゴミの出元を漁師たちだと決めつけて非難する。冒頭の浮島の家が燃えるシーンはシュールレアリズム映画のようだった。
老人と大河 Old Man River (Mising, English/2012)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム州東部のブラフマプトラ川北岸、淡水に浮かぶ島としては世界最大のマジュリ島に暮らす人々の生活誌。ドキュメンタリー映画のいいところで、途中で止めて検索したのだけど、Gマップでは島に見えなかった。実際は半島状の付け根をKherkota川が突っ切り、モンスーンで増水するとクッキリと島になるというものらしい。巨大な本当の周辺に名前もない無数の島々が季節によって現れたり水没したりする。ブラフマプトラ川はどう考えても暴れ川だが、ミシン族の100歳を超える老人はババと呼び崇拝する。国や州による治水事業はことごとく失敗し汚職役人を肥え太らせただけで、島の浸食と森林の消滅は進むばかり。アニミズム的宗教を奉じ水牛と牛の牧畜を生業とする人々は、最小限の持ち物で川と共に生きる。川は全てを与え、時に奪い去る。
僕らは子どもだった/Tales from Our Childhood / Loralir Sadhukatha (Assamese/2018)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム統一独立戦線ULFAの30年の闘争がいかに同州に爪痕を残したかということを、詩的な映像によって描く。思わせぶりな長回しは普段は嫌いなのだが、陰影に富んだ風景描写は飽きさせないものがあった。アッサムの民族紛争と言えばボド・ムスリムばかりに目が行くが、こちらはアッサム人の独立派勢力と鎮圧のため派遣されたインド軍との戦いによって荒廃した人々の生を描く。現在の長閑そのものの景色の中での語りという点は「田畑が覚えている」と同じ。多くの人々はULFAに心情的な支持をしていたが、末尾に登場する若者の独白は、どちらの勢力も無辜の人を殺しまくったことを非難している。情勢が国軍有利になってくると、武装勢力の一部はミャンマーに逃れて挽回の時期を待つなどしていたこともサラリと語られていた。
1987 ある闘いの真実(1978일구팔칠/2017)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第5回。歴史のノスタルジーと、現在の韓国の左翼系政権のよって来るところとを感じさせる秀作。善と悪が割とはっきり分かれていて、知力体力を使った戦いが痛快でスカッとするポリティカル・スリラー。コスタ・ガブラスを思わせるところがある。プロパガンダ映画に転ずるギリギリの線で踏みとどまった感じ。特にジャーナリストの描き方。しかしまあ、この87年に、日本では88五輪を控えて何となく友好ムードが醸し出されて「韓国文化の発見」的な言説が多かったんだよなあ。キム・ユンソク演じる対共捜査所の所長の描写が凄い。要するに対北朝鮮に特化した国の諜報機関なわけだが、やってることは北の諜報機関と同じ過激さ。やっぱりコリアはひとつ。それから教会が反体制運動の表舞台に立ったという部分の描写が劇的すぎて言葉を失うほど。また、黒塗りで乗り付けて料亭=妓生ハウスで密談というのの描写が日本の料亭のそれとほぼ同じでため息が出た。
マニプールのラースリーラ/Raas Leela of Manipur (Manipuri/2018)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。これのみ英語字幕。マニプル・ダンスとカジュアルに括られている芸能、奇抜な衣装から勝手に面白エスノ系と思い込んでたけど、認識が改まった。字幕付きで見ると実に深い。記録映画なのに、見ていて何度か意識が飛びそうになった。脳内お花畑状態。クリシュナ役の少年たちとゴーピ―集団(少女から中年女性までいる)のプリマになる少女たちのの巧みさが神懸かってる。あの特徴的なスカートは下半身の動きによる表現が封じられてしまうが、その代わりにあのスカートを意外な方法で舞台装置として使うのも見られた。クリシュナ以外の人物がヴェールで顔を隠しているので、生身と仮面の中間のような感じになり、幽玄の境地となる。もっと色々見たい。
めんどりが鳴くとき When the Hens Crow/Haha Kynih Ka Syiar Kynthei (Khasi/2012)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。先日の「禁止」と同じくメガラヤ州カーシの母系制社会を描くが、「禁止」が都市の男性を追ったのに対し、こちらはカーシ丘陵農村部の女性がメイン。母系氏族社会で家は女性から女性に継がれるにもかかわらず、村落政治の場は伝統的に女人禁制というアイロニー。全国農村雇用保障法と情報開示法が施行されたのを機に、州、県や村の政府の恐ろしい癒着と汚職を明るみに出そうとする3人の女性。不備だらけの公聴会を詭弁で乗り切ろうとする男の小役人。ただし、画面には登場しないが、問題となっている地域開発局のトップは女性であることも述べられている。バックで流れる英語の風刺ソングが気になった。
秋のお話/An Autumn Fable/Duphang-ni Solo (Bodo/1997)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。映画祭サイトには「ボド独立運動は武力に転じて泥沼化し、コミュニティは崩壊に瀕していた。それでも毎年秋になるとボドの村々の夜空の下で、音楽、歌、踊り、立ち回りの民俗劇が演じられる」とあるのだが、よほどの知識を持っていないと、パフォーマンスの外にある泥沼の社会状況は感じ取れない。画面には村芝居とそのリハーサル、復興に挺身する80歳のグル、サッカーに興じる少年たちの描写がほとんど。ただし、時おり壊れた橋とか、難民キャンプなどが映し出される。
こわれた歌、サビンの歌/The Broken Song/Sabin Alun (Karbi/2015)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アッサム州東部のカルビ人の古謡を映像化したミュージカル・ドキュメンタリー。カルビ族の宗教はアニミズム的祖先崇拝であるのに、その古謡のひとつにラーマーヤナそっくりの筋書きのものがある(それはあくまでも古譚で、創世神話は全く別にある)。その謡いを再現し、現代の風俗の人々が携帯電話や乗用車までを使って演じる。シンタ、ラーム、ロコンの3人が開拓民として森に入ったという部分が印象的。ラボンの妹サビンはやはり鼻を落とされる。そしてこの古謡が「サビンの歌」と呼ばれるのは、その事件以降の彼女が物語から姿を消してしまうのを憐れんでという説明。ホロリとする。
怪しい彼女(수상한 그녀、2014)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第4回。テルグリメイクであるOh! Babyを先に見てしまっていたが、ほぼ同じだった。インド版の変更点は初ステージでの逡巡を入れたぐらいか。何ということか、20本に満たない韓国映画鑑賞で早くも別作品で見た俳優を認識してしまった。俳優が分かってしまうと予断が生じるから嫌だ。かと思うと、絶対どっかで見てると思ったイケメン系は後で調べると初見だし(顔が似杉)。途轍もなく味わい深い中高年性格俳優と、画一的な若い整形美男美女とで出来上がってないか、韓国映画界。ただ、本作主演女優はその中では個性的な方かも。実際、外見が若い娘で中身が婆ちゃんの演技が最初の方では上手すぎて、変に老けたヒロイン見るのが辛いとさえ思ったほど。ファッションショーの部分は妙にダサかったし。あと、「国際通りで会いましょう」にも出てきたドイツの鉱山事故が、ここでも言及されていたのが印象的だった。音楽は中庸なポップ&バラードなのに、観客がタテノリだったのに若干違和感。孫息子、簡単に音楽性を変更しすぎ。
禁止/Not Allowed/La Mana (Khasi/2017)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。旅行に行った人がよく作るスクラップ帳を映像でやったような、ザッピング+ノイズで表現された40分。今も残る母系制の中で色々悩んだりしてる男たちの話。ケーララの母系制について随分読んだ時、北東部にもあるとだけ耳に挟んだけど、それについて知ることができた。ケーララでは過去の話だけど、メガラヤでは現在も続いているとは。女性が家を継ぐが家長は男性だというところまで同じ。だが家長になれない男も当然沢山いて、そいつらは結構鬱屈してるらしい。その鬱屈をラップに向ける若者もいて、話をしているうちに自然と口をついて出てくるラップが生まれる瞬間をカメラがとらえた部分は非常に貴重なものに思えた。何か全体にすごくクールでカッコイイ。
映画の中で動物に暴力が加えられる
なぜ自分にとってこれが気にかかるかと言えば、映画中の動物への暴力に憤ってる人たちが、人間への暴力に対しては割と耐性があるらしいことが見えるから。この不均衡は何なのか。もちろん人間への暴力にも憤るのだが、それによって映画自体を否定することはしていないのだ。何か、ある種の極端なナチュラリストの「地球のためには人類が滅ぶのがいい」という言説と同種のものを感じてしまうのだ。クジラを愛するあまり、伝統漁法でクジラ漁をする人々すらを罵ったりするような、そういう価値観。
森の奥のつり橋/In the Forest Hangs a Bridge (Hindi, Adi/1999)をオンラインで。
アルナーチャル・プラデーシュ州東部のシアン谷ヤムネ川にかかる300メートルの橋を一定年数おきに作り替え続ける4つの氏族の人々を描く。籐が主材料の橋を作るのに使う工具は刃物だけ。共同体の男たちが総出で無報酬で行う。橋は氏族の責任と自尊心なのだとも語られる。橋が渡されることによって、行動範囲が広がり、農作物や狩りの獲物、より進んだ考えがもたらされたという。つまり人々は籐で橋を作ることによって、共同体を紡いでいるのだ。しかし政府の援助によって、材料の一部にスチールワイヤーを使うようになってきている。また、外界で賃労働をして得た金でコンクリートを買えば、時間当たりの労働に対してより良い結果(堅牢な構築物)を得られるではないかと考える者も出てくる。やはりここにも伝統の保存と成員の幸福とが拮抗する北東の状況が現れている。それにしても、伝統衣装で張り切る爺様方が流暢にヒンディー語を喋るのが印相的。エンディングではヘリがシアン谷を数秒で後にする。ドニ・ポロ神に感謝とのクレジット。
新しい神々に祈る/Prayers for New Gods (English/2001)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。アルナーチャル・プラデーシュ州の山奥の、部族の精霊信仰に基づいた古式豊かな大祭を見せた上で、町で何が起きているかを見せる。当然だがキリスト教に改宗した人が現れる。この女性の言い分を聞けば、なるほど改宗にも理があるなと単純な自分は思ってしまう。一方同じ都市部で伝統宗教が廃れてしまうという危機感を持った人物が改革と組織化を試みる。ヒンドゥーやキリスト教などの儀式典礼の作法を大幅に取り入れ、神(太陽と月)を図像化して定期礼拝をするようにした。これはもうほどんど新興宗教じゃんという思いも湧きおこるが、冒頭の古式伝統宗教だとて仏教徒のシンクレティズムは許容しているのだ。何が伝統破壊で何が改革なのかという、北東州共通の問題。
ルベン・マシャンヴの歌声/Songs of Mashangva (Tangkhul, Meitei, 2010)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。マニプル州で、伝統音楽を保存し発展させるために孤軍奮闘するミュージシャンの記録。辮髪に民族服でキメながらも、フュージョンも手掛けて、各地の民族音楽祭で披露する。この男と、正調の民謡を歌うステファンという老人との関係は何なのか。キリスト教徒であることは今更やめられないが、教会による伝統音楽への抑圧(20世紀の初頭以降)には断固として戦うという屈折。老人たちが死に絶える前に急いで収集しなければならない。詩の中にとてつもない深みがあるのだという言葉には首肯するしかない。雑談の中でミゾラムにはもう伝統音楽は残っていないと話していたのが衝撃。キースというマネージャー、英語屋さんとして助けるインテリ男、辮髪で学校に通う長男など、寄り添ってくれる人材に恵まれた人であるという気はする。
ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起/MNF: The Mizo Uprising (English, Mizo/2014)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。「ナガランドの胎動」と同じくGov. of India Film Division制作の28分のプロパガンダ映画。プロパガンダとはいえ、さすがに40年近くたって、映像技法は非常に洗練されたものになっている。独立を目指して反政府活動をしていた人々に取材するという驚きの構成。まあ、それもこれも、その人々が投降して和平を結んだからこそなのだが。そもそもの抵抗の発端が1959/60年の不吉な竹の花の開花だというのが凄い。言い伝え通り追って飢饉がやって来たがミゾラムの訴えに中央は迷信と決めつけて対応しなかったことから反乱の狼煙が上がったと。1966年に始まり1974年の和平で幕を下ろした闘争で3000人が死んだというのだが、「田畑が憶えている」を見た後だと感覚がマヒして「たったそれだけ」と思ってしまう。インタビューイーの1人が横山ノック生き写しで吃驚。
田畑が憶えている/What the Fields Remember (Bengali/2015)をオンラインで。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。1983年アッサム州ネリーで起きたベンガル人ムスリムの虐殺を扱った53分。アッサムの最大の火種であるベンガル人「不法」移民問題に正面から取り組む。しかし虐殺に関する映像の資料はほとんどなく、本作の多くが現在のネリー村と周辺の自然を長回しで写すのみ。正直なところ焦れるのだが、逆に全く史料が残っていないところが恐怖。それからジェノサイドの対象となった家族の大学生の娘が、自分が追われる側にあるとは思いもせずに、事件前には外国人排斥デモに参加していたというにも戦慄。
ナガランドの胎動/New Rhythms in Nagaland (English/1974)をオンラインで。
Gov. of India Film Division制作の46分のプロパガンダ映画。山形国際ドキュメンタリー映画祭の副産物としての「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」ドキュメンタリー特集の一本。ナガランドのドキュメンタリーを期待したが、それは全体の四分の一ほどで、残りはナガランドの若者たちがBharat Darshanという国の主催するツアーでメインランドのあちこちを見て回る様子を記録したもの。ナガランドが全然映ってないのだ。しかし1970年代のチェンナイの様子とかが見られたのは思わぬお買い得かも。全体に社会主義国のプロパガンダ映画の作風を思わせるもの。
安市城グレート・バトル(안시성、2018)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第3回。例によってジャンルすら知らずに(カーレースか何か?)臨んで、高句麗時代の歴史大作と知って吃驚。これと先日の天命の城(프리즌、2017)とを併せて観ると何とも言えない。やはり7世紀の戦国ものだとより自由に想像力を広げられるところがあるのだろう。定型的な「戦場の恋人たち」「市民の自己犠牲」などを交えながらも迫力ある戦記ものに仕上げた。「バーフバリ」も真っ青の奇策を凝らした城攻めの攻防は面白かった。それから日本のそれと似ているようで全然違う、あの凛とした半島の山河の描写。遥か大陸まで繋がっているということが、あれほどに山や川の風貌を変えるものなのか。細部までよく考えられた合戦の道行きだが、最後になってシヴァ神の神弓みたいなのが出てきてウケた。