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Vasanthiyum Lakshmiyum Pinne Njaanum (Malayalam - 1999)をEros Nowで。 

既にカンナダ語リメイクを見ていたので衝撃のラストについては織り込み済みだが、オリジナルではそこに至る過程が充分に説明されていない気がした。けれどももちろん傑作であることには変わりない。20年たった今、検索してみるとレビューはほとんど見当たらず、ソングのサイトばかりヒットするというのが本作の性格を物語っているか。公開当時大ヒットしたというのがやはり驚き。タミル・ニューウェーブやバーラー監督を先取りしたような、最底辺の人々の救いのない物語。社会の低層に目を向けることの少ないマラヤーラムの娯楽映画としては画期的。また最後のソングのシーンの劇的な緊張感の盛り上げも出色。ヴィナヤンはここでクリエイティビティの全てを出し切って、残りの監督人生を色物スペシャリストとして過ごすことになったのか、余りの落差にクラクラする。カラーバワン・マニは生涯の名演、これにはAvan-Ivanのヴィシャールも霞む。この作品、そしてヴィナヤンの立ち位置にカーストがらみのものがあるのか、謎。

Chhichhore (Hindi - 2019)を試写で。 

邦題は『きっと、またあえる』これについては別のところで書く。しかし何というか、細かいエピソードの盛り上げで、感動を呼び起こそうとするテクニックは凄いが、根本が間違ってる気がする。受験に失敗して失意の息子に対して、自分のダメダメ大学時代を面白おかしく語るというのは、考えうる限りの最悪のセラピーではないか。「一位じゃなければ意味がない」価値観へのカウンターとして、「正義の側にあるならばどんな手段をとってもいい」というマハーバーラタ的価値観。精神的にタフな人が多い印象を与えるインド人観に、プレッシャーに負ける人物をフィーチャーすることにより、その印象は勝者バイアスだったのだと気づかせる。

Sammohanam (Telugu/2018)をYTで。 

インドラガンティはお気に入りの監督なので期待が高かったし、楽しく見らた。ただ、後半の30分がバタバタした感じで、まるで持ち時間を削られてやむなく端折ったかのような印象を持った。サミーラの秘密というのが明かされるのが付き人の長口説というのが芸がない。瀕死でICUにいた彼女がすぐに治って出歩くというのも、あれ自分どっかでいねむりしてたか?などと思うほど唐突。アミットを相手にしたお父さんの大芝居シーンでも、滅多刺しにした脇役がしれっと起き上がるシーンを入れないと気持ち悪いではないか。前半の映画撮影のシーンで繰り広げられるあれこれは楽しい。非ネイティブの女優が無理にテルグ語台詞を口にして、素人見物人が堪えきれず笑うところは、首肯するしかない。テルグ・ヒーローはヒーローしかできないとか、テルグ・ヒロインの全き不在とか、分かりきったことではあるけど、やはりオルタナ系監督としては一言言わずにはおれないものがあるのだと思う。平凡な男が愛を告白し、拒絶され、失恋と向き合う様を描いたシーンは屈指の美しさだと思った。家族がお互いを慰め合う描写も良い。

Student of the Year (Hindi/2012)をYT有料で。邦題は『スチューデント・ナンバー・ワン 狙え!No.1』。 

何もかももう言い尽くされてるとは思うが、デモーニッシュなまでに空虚な作品。メタ的に空虚を示して何らかのメッセージを伝えようとしてるのかとも思ったが、んな訳ないわな。現代美術じゃあるまいし。「設定が絵空事」「ご都合主義」「能天気なソングとダンス」というのはインド映画の常道で別に怒るとこじゃないのに何故本作ではどんよりするのか。やはり情感というものが欠けているからか。ブランド・ファッション礼賛、男の筋肉ショー&女の水着ショー、タイの高級リゾートと、グロテスクな消費主義礼賛が度を超している印象。ラストシーンでの「殴り合いの末に大笑いして河原で一緒に夕陽を眺める」的オチ(もちろん女は置いてけぼり)には脱力。一番納得いかないのはマル金とマルビに登場人物を二分しておきながら(それ自体は面白い)、実際には両者の間に差異が全くないところ。貧乏人のルサンチマンはドラマを作る熱源なのにさ。そういや劇場公開の頃に、舞台の学園を「高校」と訳した問題は結局どうなったんだったけ。

Sillu Karupatti (Tamil/2019) をNTFLXで。英語字幕。 

slivers of palm jaggeryという意味のタイトルで、4つの中編のアンソロジー。4つのエピソードの登場人物は生活圏が近く、時々すれ違ったりするが、それ以上には関係しない。2番目の前立腺がん(?)と診断された男の話がペーソスがあってよかった。Olaタクシーが乗り合いオートと似た感じで使われていうというのも初めて知った。がんの手術に臨む前に精子バンクに自分の精子を預けるシーンに妙なユーモアがあって印象的。問題があるのはパート4。ビックリするが、4作全部を通して最大知名度の出演者がサムドラカニ。この人が演じるミソジニーな夫がどのようにしてその凝り固まった心を和らげていくのかというストーリーなのだけど、リアリティが足りなかった。というか改心のきっかけが何なのかよくわからなかった。あんなに素直に改心して女房孝行できる奴は最初からエゴイスティックに振舞ったりしないだろうというのが感想。アンソロジーだからしょうがない点もあるけど、全体にちんまり。しかしレビューはおおむね激賞で、GEMとまで言うものも。

ネトフリのアカウント設定で言語を英語にすると、日本語字幕準備中のため本来は見られない作品が英語字幕付きで見られるというライフハック。

Rabindranath Tagore (English - 1961) をYTで。 

英語映画でBGMだけがベンガル語。サタジット・レイ監督自身による英語ナレーションに英語字幕が付くが、時々消える。タゴール生誕100年を記念してインド情報省のイニシアチブで製作された。没後としては21年後となる。当然ながら実際のタゴールのイメージはほとんどが静止画像。それに対して、TVなどでいうところの再現映像としての動画がさしはさまれるわけだが、これがTVドキュメンタリーの安っぽい動画とレベルの違う美しさ。特に幼年時代の森閑とした大邸宅の中をさまよう幼子のイメージが鮮烈。それから俳優ではない実際の青年期のタゴールの容姿の美しさもまた特筆もの。幼少期~結婚により父からエステート管理者に任じられて田舎に赴くあたりまでのこの人の半生を映画化してほしいと思った。役所からの依頼で作られたので、スキャンダラスな面には触れなかったと後から読んだが、それはどの辺なのか。ちょっと調べると、兄嫁との公然の秘密に近い関係など、色々と恋愛沙汰があったようだ。順風満々セレブの後半生よりも、悩み多き前半生の方がもっと見たかった。

アメリ(French/2001)をNTFXで。 

未見の有名作をついにつぶすことができた。仕事にも若干関係のある作品だったし。スパイス漬けの中、ちょっとフレンチで気分転換のつもりだったけど、あまり感銘を受けなかった。もしかしたらこれ、出会う時期を間違えた系のものなのかもしれない。公開と同時に見ていたら夢中になってたかも。いわゆる「不思議少女」のお洒落映画に121分は長すぎる気がした。見た後に多少レビューを読んでみたけど、「コミュニケーション不全の少女が、自分から一歩を踏み出し、愛をつかむ物語」と解説されていて、もしかしたら公開当時の宣伝文言にそうあったからなのかもしれないけど、蒙を啓かれた。それならすんなり納得できる。ただな、あくまでもお洒落に展開するための「コミュニケーション不全」だと思う。アメリはたとえば「試しにセックスしてみたり」するし、カフェという接客業で働いてる。奇人変人揃いの周りの人々とも特に問題なく(お洒落な)会話を交わしてる。これをもってコミュニケーション不全とか言われてしまったら、本物のコミュ障の立つ瀬がないじゃん。主演女優も「少女」というにはちょっと大人な表情見せすぎ。

Vikrithi (Malayalam/2018)をDVDで。 

Vikrithi (Malayalam/2019)だった。

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Vikrithi (Malayalam/2018)をDVDで。 

これもまた予習なしで臨んで、吃驚だった一本。コーチンが舞台、実話に基づくという点でもHelenと同じ。娘の看病で3日寝ずの番をした父親が帰宅途中にメトロ内で横になって泥のように眠っているのを面白半分で写真に収めた馬鹿者が泥酔者としてSNSに流した結果の大騒ぎ。メトロが舞台というのがまたくすぐりどころ。あれが国鉄ローカル列車だったら、モデルとなった事件自体が起きなかったのではないか。ムスリムの結婚の式次第が見られるのもお得。しかし列車内で本物の泥酔者をしょっちゅう見てる東京民としては何とも言えない感じ。またSNSで泥酔者として晒上げられたとして、個人が特定され町中で笑いものになるというのがシュールすぎ。これが実話通りだとしたら、いかにコーチンがド田舎かということが炙りぶりだされたことになる。ケーララは既に先進国病にかかっているというのが年来の実感であるのだが、先進国病と都市コミュニティーのスケールとが一致せず、おかしなことになってる気がする。スラージの演技は絶賛されてるが、コメディー畑でのし上がってきた人としては普通だと思う。

Helen (Malayalam/2019)をDVDで。 

同年のJuneと同工異曲の思春期の娘と父親との交情ものだろうと思ったら大違いで、途中から緊迫のサバイバルものになる。これだから現地DVDでの鑑賞は止められない。日本語化された作品は結局色々と事前情報を仕入れて見ることになるから。実話を基にしていると言うが、平凡な日常から極限状況への導入、またそこからの日常への回帰は唸るほどに上手い。これは脚本の冴えだろう。マラヤーラム映画の強みが良く出た一作。サバイバル体験を通じて、ファーストフード店や警察のマネジメントの問題が炙り出される面もある。特に警察のそれは、映画に出てくるような腐敗の極みではなく、微かな軋みがダメダメの結果に導くというリアルな描写。それから舞台がコーチンのシティセントラルという微妙なモールだというのもオタク心をくすぐる。一つだけ合点がいかないのは、ヒロインがあれだけ段ボール箱に囲まれ、活用しながらも、段ボールでコートを作るという発想がなかった点。日本人なら普通思いつくのだが。常夏のケーララ人には段ボールハウスというのを見たことがなかったのだろうか。ヴィニートのカメオも◎。

Padman (Hindi/2018)をNTFXで。 

日本で劇場公開された作品だけど、ネトフリの字幕はオリジナルのようで、相変わらずひどい。チェンナイをチェンマイとしていたり、ヒンディー語とすべきところをヒンドゥー語としていたり。ストーリーはまあ実話ベースだし、予想していた通り。サニタリーパッド制作の技術的苦労よりも、これを女性に使わせる&女性に大っぴらに語らせることの方が大変だったというところがストーリーの肝。技術的な面では、幸運をもたらす奇跡の出会いが数回なければ、この人の成功はなかったというのが逆に不安にさせる。バッチャンによる表彰、国連での演説+パドマブーシャン受賞という、「偉い人に褒められたから偉い」というロジックで大団円になるところは、日本の観客にはあまり評判が良くなかったことが分かる。しかしこれは、演説で〆るところと並んでインド映画あるあるだ。こういう有用なメッセージを含んだ作品はインドでも絶賛の嵐かと思ったら、現地レビューも案外渋いものだった。特にロマンス的な展開を入れてきた後半が非難された模様。自分にはアクシャイの役へのハマらなさ(演技力とは別のところで)が一番の不満。

ソングの歌詞の字幕翻訳で無理に韻を踏む必要はないなあと思った。自然に韻を踏むのはもちろん望ましいのだけど。字幕を読みつつも、同時に耳に入ってくる原語の歌詞の韻律というのがあるわけだし。むしろテキストではロジックの面白さを翻訳してほしい。

『サーホー』(Telugu/2019)を試写で。 

新宿ピカデリーの6番スクリーンはかなり良かった。2時間49分。短くなる一方と思われた21世紀のインド映画は、かならずしも予想通りにはならず、予算ががっつりつき、力が入るとむしろ長くなるような傾向すら示している。鑑賞後、恒例により各種のレビューを集めてみたが、見事に罵詈雑言で溢れている。にも拘わらず地滑り的な大ヒットを記録することになったのはなぜなのか。研究者や批評家なら目を背けずに向き合わなければいけないところなのかも。

『タゴール・ソングス』(Japan/2020)を試写で。 

いい意味でのセンチメンタルなドキュメンタリー。コルカタ、ダッカにタゴール・ソングを歌い継ぐ人々を追い、タゴールの足跡をたどり日本にも。インドだけでなくバングラデシュの国歌がタゴール・ソングだというのは知らなかった。すごくいい歌だ。パンジャーブもベンガルも国や宗教で分断できるものではないというのがよく分かる。特にベンガルの方は。ベンガルの文化は、タゴールとサタジット・レイという巨大な支柱を持ち、今でも人々は何のてらいも躊躇いもなくそこに寄りかかって生きている。それは懐古趣味というよりははるかに強く、現代の人々がよって立つ文化的地盤となっている。こうしたものを持つ民族が他にいるだろうか。画面に現れる人々は目まぐるしく変わり、インドかバングラデシュかも曖昧になり、車窓から眺める景色のように通り過ぎていくが、歌の方は幾度も繰り返されて心に染み入っていく。20世紀の結構末まで、インド世界と向き合う人の入り口は、物理的にも精神的にもベンガルだった。あの空気の中に沁みこんだ文学と憂愁の世界が、日本人の手でスクリーンに焼き付けられたのは喜ばしい。

Android Kunjappan Version 5.25 (Malayalam - 2019)をDVDで。 

ヘタレなロボット、日系ヒロイン、渋いキャスティングとか、惹かれる要素が多かったが、ちょっと拍子抜け。まずロボットが笑いをとるものなのは明白だが、それにしてもロボットらしく見せようとする工夫がない。中に小さい人が入ってるのがダダ洩れな演出。日系ヒロイン登場シーンで中国風音楽が流れるとか、甘さが目についた。日本企業のロボットなのに舞台がロシアというのも謎過ぎだし。サウビン&スラージの芝居が上手いことは分かり切ってたけど、その上手さが発揮されるシーンが浮いていた気がする。ただ、現地レビューを見てみるとえらく評判がいい。たぶんこれは台詞(特に前半の)が一々味わい深いという類の作品なんだと思う。それが英語字幕になると、多分味わいの70%ぐらいは蒸発してしまうのではないか。ともあれここからはレビュー読み込みをしよう。ロボットに機械らしさが足りないのは最大の弱点だが、それでもタハっと笑ってしまうところが何か所かはあった。ラジニのロボットの逆を行き、ロボットが変わるのじゃなく、人間が変わる話。

以前に「推し」 

って言葉への馴染めなさをどこか書いたけど、やっぱりあれなのか、ジャンルはよく分からないけどオタク社交界みたいなのが既にガッツリ成立してて、その中での立ち回りを前提として「推し」と言ってるのだろうか。だんだんわからなくなってきた。映画祭で上映された佳作がメディア化されないという文句も見たけど、その理由が「布教ができない」だったりして、なんというか、あくまでもコミュニティー内での活動みたいなものが前提になっているファンもいるようなのだった。

ファンというものはともかく何かを言明したいものなのだとは思う。 

ただ、ボキャブラリーが追いつかない現象というのはもちろんある。それは分かっていても、年がら年中、息ができないだの死ぬだの言ってるのには、ゲンナリすることはある。誰もあんたの体調なんか聞いてねえと言いたくなる。本当に体調に影響するような一本に会えたならいいけど、基本的には自分の身体的変化で作品を語るのはやめようと改めて思った。

Avane Srimannarayana (Kannada/2019) を川口スキップシティで。 

怒涛のサンクラーンティ公開作のラスト。いやもう凄い経験だった。ストーリーを後からダイジェストしようとしてできないんだ。普段やらないけど、重要なエピソードを書き出してみて、各エピソードのつなぎがどんなだったか思い出せない。ともかく混沌とした物語世界に引きずり込まれて、不吉な曇天の薄明の中で砂塵を浴びていた3時間という感じだ。これほどリプレイしたいと感じる作品はここのところなかった。仄暗さの中に蠢く魑魅魍魎を目を細めながら見ていたというか。主人公のことを、とある日本語のレビューは「内容のないポップアートなヒーロー」と称した。これは「トリックスター」と言ってもいいのかもしれない。神話からの引用は縦横で、知識が全然追いつかない。悪役的な人物にすら、ヴィシュヌ系の名前がついている。クリシュナ・サティヤバーマの話で有名なパーリジャータ樹が全然違う文脈で出てくる。神々とアスラとの共同作業としての乳海撹拌に本作全体のストーリーが重なりそうな気もする。ダコイトの争う兄弟はジャヤとヴィジャヤの転生にも思える。

Street Dancer 3 (Hindi/2020)をイオンシネマ市川妙典で。 

ストーリがないと言って散々に批判されているけど、いやストーリーはちゃんとあった。舞台をムンバイからロンドンに移し、背景をムンバイのストリートキッズの世界から、ロンドンの南アジア系住人・移民に広げた。問題はストーリーの薄さではなく、ダンスそのもののように思えた。劇中でプラブデーヴァが「年寄り」と侮蔑されるシーンがあり、そのすぐ後にPDの華麗な舞いが披露されてそれを打ち消すのだが、PDの舞いにある優雅さ・色艶が、キッズたちのそれには認められないのが気になった。ダンサーの個人技じゃなく、アクロバット団体みたいになってるんだもん。それからワルンの演じる主人公が、名門ロイヤルズから離れるところに説得力が欠けていたように思う。あと、芸の追及への動機づけに社会正義を持ってきたのは芸道もの的にはあまり感心しない。それでもライバル勢力が最後には芸の前に惜しみなく喝采するというお約束は保たれていた。冒頭から目まぐるしく各種の名人技を見せながらも、最終パフォーマンスが一番感動的なものになるというクレッシェンドの力配分も見事。

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