もっと見る

ルノワール鑑賞。 

ロケ地が岐阜、それもめちゃくちゃ知っている地域。フキちゃんは私が通っていた小学校の隣の小学校区の子だ。映画で東京とか出てきても全然わからんけど、今回はめっちゃわかる!というのがまずうれしかった😅
フキちゃんが作文がうまいというのもあって、どこまでが夢か現実か、また想像か現実かが、時々ちょっとわからない。冒頭の作文もそうだし、終盤の船に乗っている?シーンも脈絡がなくて。でも、子ども目線の世界、現実と想像の融合と、昭和の終わりな懐かしい感じと、ときどき現れる驚くほど幻想的な光景が混じりあって、不思議で面白かった。
特に、野外学習?踊りのシーン。炎を見つめるフキちゃんから病院の洗面所にいる父親の映像へと移る。大勢の子供たちとキャンプファイヤーに対して、死を間近にして一人で鏡を見つめる男。生きている人の熱気と、死にゆく人の水音。そこが後半の長良橋から見る鵜飼も同様で、生と死、炎と水の急接近は、橋の上に(おそらくその時間に死を迎えたであろう)お父さんが迎えに来てくれるシーンにも通じていて、大変美しくて好きだ。

近畿地方のある場所について鑑賞。 

この作品(原作)の怖いところは、記事なり映像なり数々のバラバラな怪談がつながっていくところと、「行方不明になった友人を探してほしい」という体で読者に呪いを拡散しているところだと思うのだけれど、映画になってそこがあまり上手くいってない気がする。記事や映像はすでにサヤマがあの資料室から選び出しているもので、全部繋がってる!ってそりゃそうでしょにしかならない。そして、すでに自分の願いを達成した彼女が、情報拡散を狙う理由がわからない。個々の映像は不気味だったり、気持ち悪くて良かったけど、まとめ上げたら粗が目立ってしまったなーという印象。

木の上の軍隊鑑賞。 

そもそも無理なのだ。真剣に戦えって殴られて、竹槍で戦闘訓練なんてしている。どんどん爆撃されて、上陸されて圧倒的物量で押されているのに。逃げ隠れてやっとの思いで生き延びている人間が、平和な暮らしを絵空事と馬鹿にし、"勝つ"という理想を語る。現実が見えていないのはどちらなのか。敵の服を着て敵の残飯をあさって生きる、クスッと笑えるシーンとして挿入されるのは敵のガラクタを壊して味わう小さな勝利で。そんなの全然惨めだし笑えない、と安穏と生きる現代の私は思ってしまうのだけど。ゴミをあさることで、木の上の生活が豊かになっていく。戦争が終わったのを知らない彼らも、戦争が終わって日常生活が戻りつつある日本も、同じように(元)敵国の暮らしを受け入れて回り始めていて、木の上で暮らす間の気持ちもさることながら、降りた後も、どんな気持ちになったんだろうと、ずっと考えている。
現実がこんなに甘いわけがないからと、夢だと気づく。もう戻れない過去の自分と過去の景色、そこがめちゃくちゃ美しくて辛くて、この映画で一番好き。

アンティル・ドーン鑑賞。 

うまく表現できないんだけど、お化け屋敷を歩くみたいな映画。バリエーション豊かな怖がらせ方が楽しい。爆発とか荒唐無稽で笑っちゃったのもある。原作というか、ゲームの方をプレイしたことはないんだけど、今回映画を観るにあたってプレイ動画を少々観て、それ通りってわけではないんだけど、それの要素を抽出して新しい話をしているってところが(好き嫌い分かれるかもしれないけど)私には面白かった。
繰り返すたびに記名が崩れていく宿帳が不気味だし、謎の機械仕掛け?な砂時計がかっこいいし。

ストレンジ・ダーリン…そんな出会ったばっかのやつとセーフワードがいるようなプレイ、どっちの立場でも私は無理。
フロントライン…美談みたいな映画観るのきついわーと思っていたけれど、(ハードル下げていたのもあって)思ったより見やすかった。
ファンタスティック4:ファースト・ステップ…そんな杜撰な計画で何とかなると思ってたの?マジで?頭いい人が?話、穴だらけすぎない?
夏の砂の上…暑い時に見た、暑い映画。
MELT メルト…しんどすぎる。すげー映画だけど、二度と観たくない。

スレッドを表示

先月いろいろ鑑賞したのに、なんか気力がなくて書けなかったので、ざっとまとめて一言感想。
秋が来るとき…みんなが少しずつ嘘をつき、みんなが少しずつ嘘を見ないふりをする。壊れそうな美しさと不安。
でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男…しんどいー。亀梨和也の役を綾野剛ならできそうだけど、綾野剛の役を亀梨和也はできなそうな気がする。
F1/エフワン…かっこいいはかっこいいけど、いつまでも「かっこいい」でいなきゃいけないって大変だなー。
カーテンコールの灯…演じることで、今の自分からほんの少し抜け出す。表現や共有は痛みを伴うけれど、そうしなければきっと前に進めないんだろうな。もちろん重くもあるけれど、こういう癒しの話って、好き。

顔を捨てた男鑑賞。続き。 

芝居の役も恋人(候補?)も奪われて、憎いはずなのに。オズワルドに自分を重ねて見ているのか、憧れているのかわからないけれど。彼が憎くても、彼を馬鹿にした男を刺すほど、自分と彼とを切り離せなくなるエドワード。(強制的に)切り離されて1人でそれなりに自立して生きていけても、彼らの世界にいると、メニューすら決められなくなってしまう姿が、あまりにも哀れで、同時に滑稽で、なんとも言えない気持ちになる。そしてセバスチャン・スタンのあの表情である。泣きたいのか怒りたいのか笑いたいのか、その全部が混ざり合ったような顔が、見事にこの映画に噛み合っていた。

スレッドを表示

顔を捨てた男鑑賞。 

エドワードであった自分を死んだことにしてガイになることは、もともと彼自身の選択だった。それなのに、生きる上での障害は消えてもどこか空虚さを抱えたまま生きて、さらに捨てたはずの顔をかぶって"エドワード"をやり直す。芝居に乱入してからはそりゃあ狂気じみているけれど、どちらかと言えば、自分が殺した自分にもう一度なろうとする精神の方が、私は病的に感じた。
そうして自分を消した男の前に、自分が恥じて苦しんでいた頃の姿のままであってもみんなから愛されるベターバージョンたるオズワルドが現れて、エドワードの主体性はどんどん消えていく。

スーパーマン(2025)鑑賞。続き2。 

文句はそれなりにあるけど、それ以上にスプスとルーサー君が最高に良かったので、もう良い。
スーパーマンの映画としてはめちゃくちゃ楽しかったし、全体的にスーパーマンもルーサーも若くて未熟?伸びしろがある?感じで応援したくなるし、クリプトンの遺児ではなくカンザスで両親に愛されてのびのびと育って、それゆえに正義感あふれる地球の青年であり、そういうスーパーマン像を彼が自分で選んだ結末は、本当に本当にすごく良かったと思う。

スレッドを表示

スーパーマン(2025)鑑賞。続き1。 

その上で、人間と同じで彼も失敗したり行き届かなかったりすることもある。けれど、SNSのクソみたいな罵倒じゃなくてロイスのように公正な人が的確で鋭い評価と批判をくれる。それにもちろんカンザスのケント夫妻。クラークが一面記事を書いたことでお祝いの電話をくれる。スーパーマンなんていくらでも人を救っているのに。周りにいる人によってスーパーマンがよりスーパーな存在であるというのがとても好き。
それにしてもルーサー君よ。2度観て思った。この映画で一番好きなの、ルーサー君だ。人間より、ていうか自分より優れた存在であるスーパーマンを許せない。自分が人類で一番、その証明に完璧なものを倒したい。逆に言うと、最高の人間であることの証明のためにスーパーマンに完全無欠でいてもらわなければならず、スーパーマンに宇宙で一番完璧なヒーローであってほしいのはルーサー自身である。そういう見方をすると、(ニコラス・ホルトの顔をしているというのもあって)悔しくてギリギリと歯をかみしめて泣いちゃうルーサー君、かわいい!結局犬にボロボロにされちゃうのも無様ー!!!もはや愛しい。

スレッドを表示

スーパーマン(2025)鑑賞。 

私はスーパーマンというキャラを神聖視?しているので、映画には…というかジェームズ・ガンの『スーパーマン』に、実はそれほど期待していなかった。というわけで、スーパーマンとしては最高にスーパーマンだったし、やるじゃん、ジェームズ・ガン👍って感じだった(なぜそんなに上から目線なのか…)(後乗りして全部クビを切っていったけど自分のお気に入りだけ残してるように見えてしまうジェームズ・ガンが、嫌いなんだろうな、言いがかりで八つ当たりだけど)
一番好きなのは、ロイスの語るクラーク・ケント像。あなたは人を信じすぎる。あなたが見る人類は「美しい」。もうそこだけで、この映画を観た甲斐があったと思う。スーパーマンみたいな存在に愛されるなら、人間って捨てたもんじゃない。現実世界にはいないのでフィクションに背中を押されるって逆なんだけど、それに恥じない人間になりたいって思う。

ガール・ウィズ・ニードル鑑賞。続き。 

少なくともこの映画の中には子供を平気で差し出す女性は出てきてなくて、やむにやまれずダウマを訪れるのは後悔と罪悪感にさいなまれ、ギリギリまでその選択を迷う若い女性(とその保護者?身内?)ばかりに見える。赤ん坊殺しなんて非道も非道だし、最後の言葉も傍聴者からののしられるけれど、ダウマの風貌が悪い人に見えないし、誰も表立っては言わないし言えないけれど大ごとになる前であれば「助かった」と考える人っているんじゃないか。若い何の後ろ盾もない女性がそうしなくては生きていけない状況そのものと、その状況を善人の顔で食い物にしていく人間の怖さ、また自分たちの社会の問題を棚に上げてダウマを簡単に責める普通の良き市民もちょっと嫌だなと思う。現代でもわりとあるような女性の状況と、20世紀初頭デンマークの連続嬰児殺しの事実、菓子店の年配女性といういかにもおとぎ話っぽい設定が絡み合って、刺激的で興味深い映画だった。

スレッドを表示

ガール・ウィズ・ニードル鑑賞。 

重苦しいストーリーにモノクロの映像がすごくハマっていて、幽霊やモンスターが出るわけではないけれどゴシックホラーみがあって、とにかく雰囲気が良かった。街の様子、工場周辺の黒っぽい感じ、菓子店があるあたりのいかにもヨーロッパの街並みーって感じ、整然と並んだお菓子の棚。幸薄そうな暗い目つきのほっそりしたカロリーネ。面倒を見てくれる、ちょっと年上の、母親みたいな慈愛を感じるダウマの雰囲気。子供らしいいたずらっぽさの中に、時に暗い目をするイレーネ。風景も配役も本当にぴったりで、その分余計にやるせない。
何でもないありがちな転落人生。自分が生きるだけで精一杯なのに子供を抱えてしまったら。その時、赤の他人である自分に優しくしてくれた人をふと思い出したら。裕福な家庭にもらわれたという嘘。ものすごく切羽詰まってどうしても不本意な選択をしなければならないとき、ああいう人に「正しいことをしたのよ」と言われたら、その言葉にきっとすがってしまう。そうでも思わないとみんな生きていけないんだと思う。

国宝鑑賞。 

なんかもうちょっといろんな意味でドロドロするかと思ったのだけれど、それは『昭和元禄落語心中』でしたね。ちょっといさかいもあったりするけど、二人が爽やかすぎて。なんかもう、顔面が眩しいほどに爽やか。引きずられてるわけでもなかろうが、二人の関係も結果としては爽やか。
血筋に対する羨望や家を継ぐことや才能に対する嫉妬、例え本気で怒っていてもお互いのことなら茶化して矛を収められるのに、アキコちゃん(だっけ?)みたいな他の人のことなら本気で怒れてしまう。そこに私の求めるドロドロとの乖離?限界?を感じる。
それでもやっぱり、同じ演目を前半と後半の二通りの目線を感じられたり、本来歌舞伎ってあんなに顔に寄って見ることはできないので(ここでも顔面の爽やかさが効いてくるし)映画として観ることの醍醐味もあったりで、豪華な体験だった。

JUNK WORLD鑑賞。 

あいかわらずすごかったー。内容的には過去編だけど、前作より時間的にも世界的にもスケールが大きくなって、人手と技術の増加を感じる。
ロビンかわいい。喋り方が神様モードになるのもかわいいね。ずっとずっとずっとトリス様を守ってるのもかわいいね。保護モードを解除されてもなお守りたい存在。自分を送り出してくれる人だと知っているから、どんな形になっても守り続ける。ロボット?と人間?だけど、親愛の情が双方向なのがたまらない。
ダンテも渋かっこいい感じでたまらなかった。
字幕版で観たのだけれど、ところどころ微妙にわかって(ガッテンショー!)、思わず笑ってしまって悔しい。エビチリ⁈エビチリ‼︎エビチリの訴求力🤣

MaXXXine マキシーン鑑賞。続き。 

父親殺しまで含めた成功譚となればマキシーンの栄光には一生父親の影がついて回るわけで、独り立ちしても殺しても、いつまでも支配されてるのと同じかもしれないな、と。特段実力もない(と私は思ってるんだけど、実際どうなんだろう?)のに、時の人になることで成功する。それを「才能」と取ってしまうところがマキシーンの悲劇だったりするのかな。

スレッドを表示

MaXXXine マキシーン鑑賞。 

一言でいえば、期待外れだった。
なんだろう、絶望してほしかったのかな、マキシーンに。そんな楽しみ方、性格悪すぎない?って自分に対して思うんだけど、そういうのがないと彼女の魅力っていまいち光らない気がする。あと、ナイトストーカー要素のかみ合わせがビミョー。年代を同じに設定しただけで関係ないといえばそれまでなんだけど、事件自体それほど寄せてるわけでもなく…。
支配的な親・親殺しという共通点でパールとマキシーンを見ているので、パールの母親と違ってマキシーンの父親は…と話がひっくり返るのが面白さなのかもしれない。ストーリー的な納得はいくけれど、あれだけドラマチックに盛り上げたにもかかわらず、そこにカタルシスを感じなかった。ただ、父親の丁寧なお膳立て&きちんと踏み台にするマキシーン、と考えると、ステージママ/パパの行きつく先にも思えたのは面白かった、かも。

We Live in Time この時を生きて鑑賞。続き。 

アルムートもトビアスもそれぞれ自分の考えがあっても折り合いをつけながら一つの家族を作り上げていく。自分の意志も大切だけど、それよりも大切にしたいと思える関係、思いやりってこういうことなんだろうなぁ。
トビアスとたぶん同じくらいの年齢というのもあって、(最近見たいろんなキツい作品よりももっと今の私の核心に迫る)キツい部分もあった。タイムリミットとか選択とか。弱っていく自分、「死んだ母親」になるのが嫌なのは、アルムートが命を燃やし尽くしても価値がある生活を送っている、成功している強い人だからだ、と思ってしまう。そういう拗ねた見方をする自分が汚ぇなーと思う。

スレッドを表示

We Live in Time この時を生きて鑑賞。 

単なる難病ものだったらシラケて見ちゃうかもしれないところを、子供の存在やプロポーズの時期等の「答え」を知っている状態から、彼らの人生をタイムラインにあてはめていくことになる。読み解いていくような感覚があるので「悲しい物語」としてではなく楽しく見られた。アルムートはレズビアンかバイセクシャルだったようだし、二度目の病気発覚の後「異性愛を全力でやりぬく」のシーンがあったので、子供はいても結婚は必要としてないカップルだったのかな。彼女が子供を産むと決めた理由・彼がプロポーズをすると決めた理由/その内容は言葉にされたりしない。描かないってことは限定されないってことで、鑑賞者が自分の経験や感情に結び付けやすいんじゃないかなーという気がする。まぁ、それこそめちゃめちゃ異性愛規範な鑑賞者像だけど。

JUNK HEAD鑑賞。
独特のビジュアルと世界観、突然食われたりするハードな環境…の割にゆるゆるっとした見た目と良い感じの話で、もにゅもにゅした動きも気持ち悪くてかわいい。終盤のアツい展開もすごい。おまえらだったの?!って思わずつっこんでしまった部分が一番だけど、とにかくそこここで面白シーンがあって、こういうの、好き。
それにしても、だ。制作風景が最後に流れるんだけど、すげー!!!としか言いようがない。こういうの作る技術もそうだけど、根気もすごい。しかもほぼ一人!

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。