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顔を捨てた男鑑賞。 

エドワードであった自分を死んだことにしてガイになることは、もともと彼自身の選択だった。それなのに、生きる上での障害は消えてもどこか空虚さを抱えたまま生きて、さらに捨てたはずの顔をかぶって"エドワード"をやり直す。芝居に乱入してからはそりゃあ狂気じみているけれど、どちらかと言えば、自分が殺した自分にもう一度なろうとする精神の方が、私は病的に感じた。
そうして自分を消した男の前に、自分が恥じて苦しんでいた頃の姿のままであってもみんなから愛されるベターバージョンたるオズワルドが現れて、エドワードの主体性はどんどん消えていく。

顔を捨てた男鑑賞。続き。 

芝居の役も恋人(候補?)も奪われて、憎いはずなのに。オズワルドに自分を重ねて見ているのか、憧れているのかわからないけれど。彼が憎くても、彼を馬鹿にした男を刺すほど、自分と彼とを切り離せなくなるエドワード。(強制的に)切り離されて1人でそれなりに自立して生きていけても、彼らの世界にいると、メニューすら決められなくなってしまう姿が、あまりにも哀れで、同時に滑稽で、なんとも言えない気持ちになる。そしてセバスチャン・スタンのあの表情である。泣きたいのか怒りたいのか笑いたいのか、その全部が混ざり合ったような顔が、見事にこの映画に噛み合っていた。

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