『リチャード・ジュエル』、イーストウッド節健在で方向性的には『15時17分、パリ行き』だが終盤盛り上がりタイプの『15時~』と比べるとやや逆で終盤がやや地味な印象。
『ハドソン川の奇跡』ほどではないが有罪/無罪立証型でその結果は「ほくそ笑見み型」の『ハドソン川~』よりかは確かなものが得られる。
美魔女のキャシーの危なっかしさも見所だがこちらはさすがにちょっと弱い。色仕掛けと2001年以前の90年代の地方紙/全米テレビメディアのメディアリテラシーを欲も悪くも見られる。
アメリカの「世界貿易センタービル爆破事」と「オクラホマ連邦政府ビル爆破事件」など2001年以前の90年代のテロリズム社会も良く出た社会派作品。
『リチャード・ジュエル』、安定のイーストウッド実話実録もの。イーストウッド版『それでもボクはやってない』。
名も無きデブちん警備員が一夜にしてヒーローになるもその翌日には全米の敵になるからさあ大変。デブ警備員&やさぐれ弁護士vs冷酷なFBI&無能なマスメディアという前者圧倒的不利な戦いを丹念に見せる。
ポイントはサム・ロックウェル演じるやさぐれ弁護士で全方位に毒づきながらも生真面目なリチャードへの優しい眼差しはイーストウッドの代理そのもの。そんな中でも時折FBIの手口に乗りそうになるリチャードさんの危なっかしさとイケイケどんどんな美人記者キャシーの出世欲と愚かさ。
筒井康隆の「俺に関する噂」のネガティブ版とも。
全米でバッシングされちゃうリチャードさんはいまならさながらSNS炎上マンで、現代 は強い。
序盤の警備員リチャードさんの働きぶりもアメリカの警備員にありがちな動き、途中で警察を経験した警備員の危機管理能力を忠実に再現した辺りはイーストウッドの リサーチ能力の高さを表す。
「その映画つまんない」と言っても良いじゃないか!
ううむ。。。
どういう訳か、人と映画の話をすると、「その映画つまらなかった」と言いにくい(sw ep9とかw)。
私がつまらなかったと言えば、知人は私を嘲笑う。「そんなに文句を言っちゃぁいけない。お前がひねくれているから、つまらないのだ。もっと素直に観て、気楽に楽しめ!」
いやいや、ちょっと待ってくれ。
それじゃぁ、お前は、楽しんでいるお前自身を演出するために、無理やり「楽しい!」と言ってるだけじゃないかwww。お前はメタモンかジェリーマンか何かなのか?w
そもそも「今を楽しめ」という言葉が良くないんだよな。「今を楽しめ」ではなく「お前自身の楽しみを見つけろ」とした方がいい。
映画を観るときも、映画鑑賞におけるお前自身の楽しみを見つけることだ。私の場合、映画を貶すことも楽しみのうちなのよ。作品が楽しいかどうか?なんてどうでも良くて、色々ああだこうだ言い散らかすのが楽しいんだわ。
どうもみんなは勘違いしているようなのだが・・・「楽しむ」=「ポジティヴシンキング」では、決してないぞ!
『スペシャル・アクターズ』見る前にステーキ食った
https://blog.goo.ne.jp/joeyogawa1975/e/9b7bc0f29aeca1ba18520f82cc9fdcc1
『ジョーカー』3度目鑑賞。アーサーを自分のショウに呼ぶマニーとテレビショウに千載一遇の大抜擢をされるアーサー。このマニーとアーサーの構図に『ロッキー』での自分の挑戦者として“イタリアン・スタリオン”という変わった異名を持つロッキーを指名するアポロ・グリードと千載一遇のチャンスを掴むロッキー・バルボアとの構図に似たものを感じとった。
現代社会のあわせ鏡的な映画でありながら、現実で映画みたいに殺人を犯したら全方位でバッシングされるわけだから、この映画がフィクションと割りきれる。が、例えば弱い者・無力な者に厳しく、非寛容的な社会は現実の社会でも感じられるから完全にフィクションとは言い難く、一部は現実をシュートした映画と言える。
こうした中からこの映画の裏テーマに「優しさ」「施し」「世間の目」がある、とみた。
『ジョーカー』は個人的には大賛成派。
いわゆる悪落ちからのシリアルキラー誕生という誕生な設定を『ハング・オーバー!』のように答えを先に知っている対象人物についての「何者か?」「何でこうなったか?」を解くミステリーになっている。味付けのメインが『タクシードライバー』で、『カッコーの巣の上で』や『セルピコ』、『狼たちの午後』といったアメリカン・ニュー・シネマのテイストをふんだんにまぶした『バットマン・ゼロ』でありアンチ・ハリウッド/アンチ・ヒーローの映画である(メインモチーフの中にはアメリカン・ニュー・シネマでない『キング・オブ・コメディ』もあるが)。
トーマス・ウェインらウェイン産業の富裕層とアーサーらが下で蠢く貧困層のコントラストは『メトロポリス』をも思わせつつ、2010年前後のニューヨークの富裕層に対する暴動をも彷彿させる。アーサーの人物像やシリアルキラーへの堕ち方は『サイコ』のノーマン・ベイツとも今年日本で公開した『ハウス・ジャック・ビルド 』のジャックとも共通する狂気である。
過去を描いたSFながらも、非寛容な社会や資本主義に対する現代のあわせ鏡にもなり得る凶の傑作。