「その映画つまんない」と言っても良いじゃないか!
ううむ。。。
どういう訳か、人と映画の話をすると、「その映画つまらなかった」と言いにくい(sw ep9とかw)。
私がつまらなかったと言えば、知人は私を嘲笑う。「そんなに文句を言っちゃぁいけない。お前がひねくれているから、つまらないのだ。もっと素直に観て、気楽に楽しめ!」
いやいや、ちょっと待ってくれ。
それじゃぁ、お前は、楽しんでいるお前自身を演出するために、無理やり「楽しい!」と言ってるだけじゃないかwww。お前はメタモンかジェリーマンか何かなのか?w
そもそも「今を楽しめ」という言葉が良くないんだよな。「今を楽しめ」ではなく「お前自身の楽しみを見つけろ」とした方がいい。
映画を観るときも、映画鑑賞におけるお前自身の楽しみを見つけることだ。私の場合、映画を貶すことも楽しみのうちなのよ。作品が楽しいかどうか?なんてどうでも良くて、色々ああだこうだ言い散らかすのが楽しいんだわ。
どうもみんなは勘違いしているようなのだが・・・「楽しむ」=「ポジティヴシンキング」では、決してないぞ!
『スペシャル・アクターズ』見る前にステーキ食った
https://blog.goo.ne.jp/joeyogawa1975/e/9b7bc0f29aeca1ba18520f82cc9fdcc1
『ジョーカー』3度目鑑賞。アーサーを自分のショウに呼ぶマニーとテレビショウに千載一遇の大抜擢をされるアーサー。このマニーとアーサーの構図に『ロッキー』での自分の挑戦者として“イタリアン・スタリオン”という変わった異名を持つロッキーを指名するアポロ・グリードと千載一遇のチャンスを掴むロッキー・バルボアとの構図に似たものを感じとった。
現代社会のあわせ鏡的な映画でありながら、現実で映画みたいに殺人を犯したら全方位でバッシングされるわけだから、この映画がフィクションと割りきれる。が、例えば弱い者・無力な者に厳しく、非寛容的な社会は現実の社会でも感じられるから完全にフィクションとは言い難く、一部は現実をシュートした映画と言える。
こうした中からこの映画の裏テーマに「優しさ」「施し」「世間の目」がある、とみた。
『ジョーカー』は個人的には大賛成派。
いわゆる悪落ちからのシリアルキラー誕生という誕生な設定を『ハング・オーバー!』のように答えを先に知っている対象人物についての「何者か?」「何でこうなったか?」を解くミステリーになっている。味付けのメインが『タクシードライバー』で、『カッコーの巣の上で』や『セルピコ』、『狼たちの午後』といったアメリカン・ニュー・シネマのテイストをふんだんにまぶした『バットマン・ゼロ』でありアンチ・ハリウッド/アンチ・ヒーローの映画である(メインモチーフの中にはアメリカン・ニュー・シネマでない『キング・オブ・コメディ』もあるが)。
トーマス・ウェインらウェイン産業の富裕層とアーサーらが下で蠢く貧困層のコントラストは『メトロポリス』をも思わせつつ、2010年前後のニューヨークの富裕層に対する暴動をも彷彿させる。アーサーの人物像やシリアルキラーへの堕ち方は『サイコ』のノーマン・ベイツとも今年日本で公開した『ハウス・ジャック・ビルド 』のジャックとも共通する狂気である。
過去を描いたSFながらも、非寛容な社会や資本主義に対する現代のあわせ鏡にもなり得る凶の傑作。
『ハウス・ジャック・ビルト』3回目②
パンフレットを見るとプロダクションノートに色々とヒントがある中で、ラースは基本的に最近の映画を見ていないらしい(ただし、キャストイメージはキャストが出演した過去作品からの影響はある)。むしろ、デンマークの大先輩カール・ドライヤーやアルフレッド・ヒッチコックの影響下で塗り固めながらも決してありふれていない、ラース独特の作品に仕上がっている。マット・ディロンが演じるジャックが『サイコ』のノーマン・ベイツっぽいだけでなく、『ロープ』や『ハリーの災難』の死体隠し、第1と第4の被害者が金髪の美女、『裏窓』風の建物のカットなど、ヒッチコックらしさがいくつか見られる。これまで、いままでのラースの作品ではドライヤーの影響はいくつかあったが見えにくかった(あったかもしれない)ヒッチコックの影響がくっきりと感じられる。
ヒッチコックの『サイコ』をはじめ、『裏窓』、『ハリーの災難』、『ロープ』、『疑惑の影』など、ドライヤーの『吸血鬼』辺りを見直したいな、という衝動にかられそう。
『ハウス・ジャック・ビルト』3回目
『ハウス・ジャック・ビルト』、3回目の鑑賞。ようやく落ち着いてみられた。
とにかく、展開の設計がしっかりしている。
「第1の出来事」はシリアルキラーになるきっかけとしてのホップ、
「第2の出来事」はより本格的なシリアルキラーになるための“発展”のステップ、
「第3の出来事」はよりしっかりとした残忍さを見せる完成形のジャンプ、
「第4の出来事」と「第5の出来事」はさらにオープンリーチのような大胆不敵なジャンプの熟成、
「エピローグ」はそれまでの章とは完全に別物の地獄編の着地、と完璧としかいいようがない。
今回の作品は展開と演出は前作『ニンフォマニアック』に似ているが、セルフ・オマージュが多かった前作に比べ、本作はセルフ・オマージュは少ない。そうした意味で、これまでのラースの集大成だった前作『ニンフォマニアック』よりも遥かに先を行き、真の意味でのラース・フォン・トリアーにとっての新作と言えよう。