@josejose
なるほど、それだけ北海道は広大なんですね。
@josejose
旭川駅のイオンシネマでは『ROMA/ローマ』をやるみたいですが、旭川駅ってやはり遠いんでしょうか?
@josejose
え、アクアマンやスパイダーバースも……大変ですね。
@josejose
ちなみに、イオンシネマ系列では『運び屋』をやらないところが多いようなので何かと面倒ですね。
@josejose
こちらが『ROMA/ローマ』上映館。絶妙な郊外・地方都市を選定。ちなみにボクのお膝元越谷レイクタウンで上映しませんね。
https://www.aeoncinema.com/cinema2/all/movie/E0001408/index.html
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』5月10日(金)公開②
旦那が仕事で出ずっぱりの実質2児のシングルマザーが主人公という設定がかなり生きている。主人公アンナはソーシャルワーカーの仕事の中でも幼児虐待疑いがある家を訪問するソーシャルワーカーで、最初はその相手先の子供2人が女悪霊の標的にされ、後になぜかアンナの2人の子供→アンナを交えて母子3人が襲われる。
この襲われる場所が屋内・屋外問わずで、狭い車の中や病院の廊下、自宅の庭、室内のカーテンごしなどエニウェアで襲いかかる。この辺りは『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の脚本を担当したゲイリー・ドーベルマンが製作に関わっているだけのことはある。
その『IT~』との共通点もいくつかある。まず、女悪霊ラ・ヨローナの子供への誘き寄せ方が上手い。もう一つ、後半で見られる子供の勇気も通じるものがある。
あとこれは偶然だろうが、恐怖を増長させる演出で「8時だヨ!全員集合」での探検コントの時の「志村ー、うしろー」的な子供のショットが随所で見られる。「うしろー」はドリフだけでなく万国共通なんだね。
『ラ・ヨローナ ~泣く女~』5月10日(金)公開
『SAW』、『インシディアス』、『死霊館』シリーズのジェームズ・ワンのプロデュース。
これが無茶苦茶怖い。
怖いシーンのわんこそば状態。
17世紀半ばにメキシコで起きた惨劇が70年代のロサンゼルスで再現されてしまう。
「ラ・ヨローナ」はスペイン語で「泣く女」を意味するらしく、呪われた相手は昼夜問わずこの女悪霊に襲われる。
とにかく怖いものを見せるツボを心得ており、カメラアングル、小道具、SE、音響をフル活用し、一瞬の静寂の後、確実な恐怖が襲ってくる。この静寂、一瞬の間合いが絶妙で、見る側も身構えて恐怖を体験出来る。
この映画の素晴らしさはラ・ヨローナのメキシコの民俗学みたいな所から引っ張り、後半はその対抗として胡散臭げな呪術を用いる。そこは『エクソシスト』的なクラシカルさと、メキシカンテイストが見事に決まっている。
『少年たち』
いやー、かなり酷いジャニーズの珍ミュージカル映画だった。
元々はジャニー喜多川が50年前からやっているジャニーズのミュージカル舞台劇を50周年記念で映画化したもの。
いわゆる少年院もので、普通にやればちゃんと見れる作品なのにミュージカル擬きの歌と踊りで作品を台無しにしている。
その歌と踊りそのものは悪くないが、ただ音楽を流して口パクで踊っただけの能無し映像のオンパレード。PVならそれで通じても映画でそれをやられちゃお遊戯でしかない。
映画の製作総指揮のジャニー喜多川はミュージカル映画というのを見たことがあるのか疑問に思える作り。
合間のドラマ(?)も棒読み芝居ばかり。唯一伊武雅刀だけ役者っぽかった。
そして、ラストの想像を絶するオチ。これはジャニー喜多川や監督や脚本は脳外科か精神病院を受診した方がいい。
とにかくあらゆる意味で見ると恥ずかしい映画を作ってしまっている。
『グリーンブック』(2回目)②
主人公はやさぐれイタリアーノのトニーで、
裏家業・下流労働者階級、ブロンクスのイタリアーノにまみれたやさぐれ、低教養で差別丸だしな彼の心が高貴なドクター・シャーリーとの邂逅で明らかに変わっていく面白さが実に分かりやすい。
黒人労働者を「黒ナス」と罵ったトニーが各地のバーやホテル、警察のご厄介といったトラブルを一緒に乗り越え、黒人専用ホテルの案内書「グリーンブック」に載っている決して快適とは言い難いホテルを見て、さらには貴賓者として迎えられたシャーリーの控え室が物置小屋のような酷い場所であることを目にし、人としての揺らぎ、目に見える変化にこの映画の真骨頂がある。
被差別側のシチュエーション、待遇を見て荒くれ白人の人としての揺らぎは1962年だけではなく、2019年の今でも、さらにはドナルド・トランプにも通じるのではなかろうか。
軽いタッチではあるが、根底は社会派の作品である。
『グリーンブック』(2回目)
イタリア系のやさぐれ白人とクラシック音楽を徹底的に学んだ黒人ピアニストの凸凹コンビによる黒人差別バリバリのアメリカ南部弥次喜多珍道中。
マハーシャラ・アリが演じるドクター・シャーリーは実在の人物ながらその素養の高さと気品は『夜の大捜査線』のシドニー・ポワチエと丸かぶりと見ると面白いのは初見で分かっていた。が、それだけでは同じ黒人からも「お高いヤツ」と貶され、そこに悩む部分では『夜の大捜査線』よりもさらに先を行っていた。
「暴力」=「敗北」という考えや、「黒人と言えばフライドチキンが好き」とか「リトル・リチャードやアレサ・フランクリンを聴く」という白人側の勝手なイメージに悩んでいるシャーリーの立ち位置もこれまでのどの黒人映画とも違う感覚という意味では新しい映画だった。
そう考えると、真っ向から反トランプ的な立ち位置を取るスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』よりも遥かに大人な姿勢の映画で、しかも真っ向から白人視点ではあるが黒人差別に真っ向から立ち向かうエピソードを盛り込んでいるから、その対立、不和が映画として面白くある。
『スパイダーマン:スパイダーバース』初見③
黒人の少年マイルススパイダーマンの覚醒というか自我の目覚めのようなストーリーでもあった。
これまでのスパイダーマンとの共通項として学園での初恋と最愛の人の死の直面もしっかりと踏襲している。
マイルスとグウェンの淡い恋愛エピソードの中でマイルスはやたら「思春期の少年」と貶されその度に「思春期」を否定するが、
異性への恋の目覚めや
自身の能力の目覚め、
自我の目覚めなど、
まさしく思春期のスパイダーマンを描いている。
そのチェリーさはトム・ホランド版以上。
ある種、『キック・アス』のデイヴ・リゼウスキに通じるものがあり、高層ビルから落ちる所や覚醒前の弱さなど重なるものが見られた。
『スパイダーマン:スパイダーバース』初見②
全体的に『クリード』や『ブラックパンサー』のような黒人映画であり、スパイダーマンmeets黒人映画だった。
それも差別を全く意識しない黒人の生活環境や文化は『プレシャス』や『ムーンライト』にも通じる世界観で、マイルスと父、アーロン叔父さんとのやり取りにナチュラルなブルックリンの黒人像を見る。
それは真面目な警官の父や息子マイルスをちょっと環境がハイセンスな高校に通わせたりする親心や、
ちょっと頼りない甥っ子に女の子を相手にする時の必殺「肩ポン」を教えるなど細かい所に至り、これが見事に伏線にもなっている。
ヒップホップ中心のBGMもまさしく黒人文化だし、アーロン叔父さんとのスプレーアートも黒人というかブルックリンらしさが見えるアート文化で、今までのスパイダーマンでは味わえない感覚、センスがかなりみられる。
『スパイダーマン:スパイダーバース』初見
非常に斬新なスパイダーマンだった!
主人公のマイルスとその家族、生活環境、文化が黒人かつ黒人の感覚で、あらゆる意味で“黒い”スパイダーマンになっている。
加えて、今回アニメーション化になった最大の要因はパラレルワールドを活用したSFになっていて、
恋人MJがいる正当なスパイダーマンから、
女戦士のスパイダーマン(スパイダーウーマン?)、
はたまた少女漫画風や
タツノコプロのブタ風など、
あらゆる次元からそれぞれの次元のスパイダーマンが集結し、そのスパイダーマンユニバースとヴィラン軍団というバトルを展開。
これまでに60年代のテレビアニメ版やサム・ライミ版、アメージング版、トム・ホランド版と何度も何度も微妙に設定を変えてリボーン、リブートを繰り返した結果、漫画内でスパイダーマン軍団を作るという形になり、これまでにないスパイダーマンを見せてくれた。
肝心のマイルスの成長の遅さというかどん臭い性格と、中盤のエピソードの広がりから、脚本に若干の散らかりがあるのが残念。
それでも終盤はキュッと締め、エンドロールやエンドロール終了後まで見せてくれる!