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Maya Bazar (Telugu - 1957/2010)を仲間と一緒に。 

誰かと一緒にこれを見たのは初めて。ウケるところは時折予想外の箇所だった。ともかく、「綺麗な若い娘さんの中身がおっさん」というシチュエーションがどうしてかくも映画的に面白いのかを再確認。それから、レーランギのお笑いパワーもだ。演技する以前にその顔と体型で笑わせる。それから、退屈な親族の間の相談のようなシーンで、一々の台詞が「本筋」であるマハーバーラタへの言及になっており、そのあたりを噛みしめると味わいが広がる。問題はサンスクリット系の単語を多用した言葉遊びだが、こればかりはネイティブでないと味わい尽くせないものと諦めるしかない。しかし、それ以外の骨格だけ取り出してみても汲めど尽きせぬ娯楽要素の泉、細やかな芝居にも気づけるようになってきて、何度見ても飽きない。

また久しぶりに外国人へのギフト用の日本映画ディスク探し。廉価版DVDなら分かるけど、ブルーレイにもなって英語字幕なしって何なんだと思う。

Jodhaa Akbar (Hindi - 2018)を町屋の会で。 

3時間越えの空虚な超大作、通して見たらゾンビのようになってしまった。ちょっと信じられないストーリーラインの幼稚さと退屈さ、埋め合わせは着飾った美男美女だが、全く救いになっていない。ともかくドラマとして平板、教科書をなぞったような宗教間融和のお題目になぜこれだけの時間を費やさなければならないのか。ちょうど今から10年前の作品、その当時見ていたら感動しただろうか。今検索してみても出てくるレビューが軒並み高評価なのにも暗澹とした気持ちになる。ここのところ見ていた作品群が、3時間前後あっても全く退屈しない充実したものが多かったので、この落差で心身症になりそう。これが10年の歳月による風化なのかともちょっと思ったが、今から60年前の作品でも良作は何度見ても面白いのだから、それは当たらないはず。歴史の再現についてはあまり期待していなかったが、その杜撰さは予想を上回っていた。やはりこれも史劇というよりはフォークロアの亜種と考えた方が収まりがいい。伝説の名君の形成期とは言っても、優柔不断で判断力のないアクバル帝の描写にこれはないわと思

数年前、第二次あたりのインド映画ブームの中でディスク通販をはじめたと思しき日本人のサイト、 

その当時の無知丸出し書き込みがまだ記憶に残っていて、久しぶりに覗いてみたら、電波な方向にドライブがかかっていて、そっと閉じた。

TUFS南インド映画特集上映にてAstu - So Be It (Marathi - 2015)。邦題は『あるがままに』。 

アルツハイマーの老人がちょっと目を離した隙に行方不明になるというのは、GBSMそのままだが、病状の描写は本作の方が比べ物にならないほどに細やか。別に糞尿を垂れ流すようなシーンがあるわけではないのだが、老耄の悲しみを余すところなく描き尽くした感じ。自分の親のことが気がかりになるかもと予想していたが、なぜかむしろ将来の自分の発症が心配になってしまった。字幕の一部に「恍惚の人」というフレーズがあり、昭和時代の有名小説の造語パワーを再確認。それから、全く別の映画作品に出てきたastuという台詞の訳にしばらく悩んでいたのだが、気がつけば本作の題名だった。全く無関係なところでのコノテーションが、別の疑問を氷解させるというのは時々起こる。本作にはカンナダ語ネイティブのキャラが登場して、最後の決め台詞を口にする(それ自体はマラーティー語だが)が、その周辺性が胸に迫る。しかし前もって知っていなければ、カンナダ語が話されていること自体にすら気付かず終わった可能性がある。幸運だった。

ラジニと言えば「アルナーチャラム 踊るスーパースター」が1999年に日本で公開された際に、渋谷パルコPart2の壁面が同作の手書きペイントで埋め尽くされたことがあったのだが、ネット上をどんなに探してもその画像は出てこないのだ。

カルナータカ州でKaala上映阻止で民族派が荒れているの、 

どう考えても無理筋。もしもドクター・ラージのようなカリスマがいたらそいつらを諭すことができたかもしれないけど、今のカンナダ映画界の超級明星様たちじゃできないんだろうな。卑怯で怯懦な印象をどうしても持ってしまうけど、彼らにとっては第一のお客さんなわけだし。

KaalaでBeemjiと呼びかけられていた人物が誰だったのか把握できず気持ち悪い(=もう一度見たい)。ランジットのtwアカウント名がbeemjiだということにも今更ながら気づいた。

Kaalaの大衆的示威行動のシーンには、ひまわり学連とか雨傘運動とかの影響がある?それともそんな外国から持ってこなくともタミルでああいうのはある。

Kaala (Tamil - 2018)をイオン市川妙典で。ファーストデー・ファーストショー。 

パ・ランジットへの信頼から期待が膨れ上がっていた一作がだが、裏切られず。またしてもランジットは、タミルの地の外にタミル人を配置し、一見そうとは思えない抗争劇の中にダリト解放のメッセージを織り込んできた。さらには、南インドが得意とする『ラーマーヤナ』のドラヴィダ的読み直しを散りばめて、好戦的な仕上がり。「カーラ(黒)」には、ドラヴィダ人の肌の色、アナーキズムのシンボル、ダリトのサバルタニズム、スラムの汚濁などの様々な意味がこめられ、最後には物理的な(同時に抽象的でもある)攻撃の武器となる。ラームリーラ―やガナパティ・チャトゥルティ、ラーマーヤナ朗誦会が織り込まれ、そのいちいちがムラリGのカメラによって超絶的に美しく創出される。ラジニは孫も沢山いる正真正銘の老人役で、20歳の若い娘との恋愛遊戯のようなフォーマット的ポーションもなく、ひたすらに「カッコいいダリト」像をスクリーンに焼き付ける。ポーションは少ないとは言え、妻、かつての許婚、活動家の若いマラーティー人娘などの女性のポートレイトも好感が持て

そういや、昭和時代に京橋フィルムセンターでクロード・シャブロルの『いとこ同士』を見ようとしてたら、センターが火事になって避難させられたことがあった。

Mahanatiを日曜に見て、割と醒めた感想しかなかったのに、その後二日酔いのような症状が出て、月曜の出社をサボってしまった。

Mahanati (Telugu - 2018)を川口スキップシティで。 

いやもう自主上映がスルーされてしまったらしいのでどうやって見るべきかと頭を悩ませていたら封切り後三週間たってから奇跡の川口上映。期待の上に期待が膨らんでいた一作だったが、予想をやや下回る出来上がりだったか。やはりグラマラスな50年代(これは日本でもハリウッドでも、どこでもそうだった)の映画スターの肉厚な存在感を現代の(物理的にも)スマートな俳優が演る時に常に起きる問題だと思う。使い古された「スター誕生」のパターンを安易に取り込んで、その肉厚な大女優の濃い生涯を「愛だけしか目に入らず、愛に殉じた女」として、チャッチャとまとめてしまった感がある。そうは言っても、古映画の引用に満ち満ちた描写には、それだけで涙を誘うものがある。訳もなく感動したのは、クリシュ監督が演じるKVレッディ。実際の人柄を模したものなのかどうかは分からないけど、脚本を俳優に投げつけて怒鳴るタイプのおっかない感じと、いにしえの風格ある大監督の雰囲気が格好良かった。一方で、LVプラサードの神経質そうな見た目(これも伝記的に正確なのか不明)も良かった。

Aadhi (Malayalam - 2018)をDVDで。 

絶対に自主上映@日本でみられるだろうと思ったのにスルーされた一本で、DVD発売を待ち焦がれた末にやっと鑑賞。物語は単純、しかし色々な考えが頭の中をグルグルしてまとまりきらない。概ね好評と思い込んでいた現地レビューも、後から検索してみると結構酷評しているものもある。理由は単純で、映画はパールクールの見世物ではないということ。世界にはその分野で神のような達人がいるのは確かだが、単にこの曲芸をそこそここなすだけの俳優の二時間半の運動会を見る意味があるのだろうかというのだ。一方で、マラヤーラム映画の若手俳優たちのアクション映画に対する敬遠ぶりには何か宗教的禁忌でもあるのだろうかと思えてしまうような現状で、望めば幾らでも気取ったお膳立てをさせることができるスター俳優の息子が、あえて体を使った路線に出てきたことには深く考えさせられる。自分だけじゃなく、映画界全体のことまで考えてのものだったのか。まあただ、この路線を第二作目まで引きずることは難しいと思わざるを得ず、アクションをやるにしても次回はどんな方向性で来るのか、非常に気になるところ。

Bucket List (Marathi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

マードゥリーのマラーティー・デビュー作にして、Gulaab Gang以来4年ぶりの出演作で、期待もあったがスッキリしない一本。見ているとモワモワとEnglishVinglishやHow Old Are You?などが浮かんでくる。熟年主婦が、不慮の事故で死んだ20歳女性の心臓を移植で授かり、その20歳が実現できなかった願望リストを潰すことで自分自身を取り戻すというのだが、主婦の自己評価回復と死者への鎮魂とがきれいに縒り合されない感じがあって弱い。リアリズムなど吹っ飛ばして、最後にはマードゥリーに鬼神のように踊ってほしかった。バイク乗りにチャレンジのところ、おいおい、バイクはゆっくり走らすほうが技術要るんじゃいと突っ込まずに黙っているのが辛かった。それからピクルスだのMakeMyTripだのコマいスポンサーを画面に入れ込むところには泣けた。熟年女性が主人公の作品が増えるのは良いことだが、どうしてこうチマチマとした自己実現みたいな方向に行くのか、スカッとしたアクションとかやってくれても全然ウェルカムなのだが。

『ラ・ラ・ランド』(2016)をamazonビデオで。 

体調が悪かったのだろうか、見ていてノリが悪かった。体調のせいではなく、インドに浸された筋肉脳になってしまったからという可能性も考えられる。落ち着いたら分析しよう。

平方メートルの恋/Love per Square Foot (Hindi - 2018)をNTFXで。 

ネトフリのプロデュース&ワールド・リリース映画ということで話題になった。いかにもちんまりとパッケージングされた規格製品という感じ。まずオンライン公開だからインターミッションというものがない、インターミッションに向けた中盤の大盛り上がりがないというのがズルっと来る点(仮に入れるならあそこ、という目星はついたが)。昔からよくある、住処確保のため仮面夫婦になる若い男女というシチュエーショナル・コメディー。アクセントとして現代的な要素をまぶしてみましたという趣き。クライマックスの先が読めてる感が大ブレーキ。もうちょっとドラマチックな作劇にできなかったか。ラストで登場する特別出演のあの人も、某有名作品と全く同パターンで二番煎じ、もったいない。

Netflixにおける日本語字幕の導入 https://medium.com/netflix-techblog/netflix%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95%E3%81%AE%E5%B0%8E%E5%85%A5-b8c8c4fa299e 

ネトフリがいかに日本語字幕の質について、フォント面、データ管理面から熟考ているのかという記事。これはこれで素晴らしいのだが、翻訳の質の確保はどうなのかと思わざるを得ない。

Raazi (Hindi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。 

リアリズムとご都合主義センチメントとの配分が絶妙なスパイスリラー。メッセージや核となる愛国的決め台詞などは、こしこれが日本で日の丸鉢巻きした方々に言われたらドン引き確定なものなのだけど、インドなら十分有効と思わせるダブルスタンダード物件。アーリヤーは基本の作りがちんくしゃと思うのだが、角度によってはっとするほどの細密画美人になる。ヴィッキー・カウシャルも、ジャイディープ・アハラーワトもラジト・カプールも、皆印象的で、後から調べてみると1本や2本の過去作を見てるのに、なぜボリ俳優だと顔を覚えられないのか自分。上流階級のガーデンパーティーでのカクテルドレス風サリーから市場を歩くときの正真正銘のブルカまで、ヒロインのコスチュームの振れ幅に思うところがある。アーリヤーはついつい”2 States"と比較してしまうのだが、印パ国境を隔てても政治イデオロギーの激烈な対立がありながらも文化摩擦がないのが凄い。一方でインド国内でヴィンディヤ山の北と南で結ばれると文化ギャップで映画ができてしまうというのが、やはり驚くべきことに思える。

あれ、とぅーとが一個消えたような気がする。

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