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Ramayana: The Legend of Prince Rama (English/1993)をYTで。 

公式データで135分のものがYTでは128分しかなかった。4kリマスター前のものなので画質は良くないけど、想像力で補える部分はあった。字幕は自動生成だが、固有名詞以外は結構拾う。英語映画(ソング歌詞のみサンスクリット)として製作されたが、後にヒンディー語バージョン、アメリカ人声優を使った米国英語バージョンも作られたという。作画は小林一幸、手掛けたその他の作品も画像検索したが、本作における品格は抜きんでたものに思える。主人公に近いキャラクターほど「脱アニメ絵」的で、若干日本画を思わせる面も。ハヌマーンを始めとする動物はアニメ絵寄りだけど、メインキャラに釣り合った程度のデフォルメ。ストーリーは正調も正調だが、ところどころ戦後平和主義的なものも混じる。戦闘はあるが流血描写はない。ラストはランカー島からの凱旋で終わるが、「数年後にラーマは天に召され、シーターは大地の女神のもとに戻った」というナレーションが被り、寂静の心地がする。ラーマやバラタの肌は青ではなく白。ラーヴァナの造形もよい。

Dhruva (Telugu/2016)をオンラインで。 

字幕なし。RCを潰す修行:苦行のラスト一本。まあただ原作のThani Oruvanはすごく面白かった一本だし、字幕なしでも筋立ての概要は分かる。却って休憩なしで見られたぐらいだ。8の字とガウタムの最終メッセージだけは分からなかったけど。それにしても、RCのムキムキマッチョ(しかもそれをこれ見よがしに晒す)は辛いわ。胸板を厚くしても鼻から下の薄さが何とかなるわけじゃなし。原作でのジェヤム・ラヴィはあのもっさりした感じが逆にセクシーだと言われる結果になったんだけど、RCの場合はハード&マッチョな体とお人形さん顔のミスマッチがますます痛い。ストーリーは緊密で、そればかりに目が行かないようにはなってたけど。アラヴィンド・スワーミは何だか眠そうだった。オリジナルの細部を覚えていないけど、こんなにヒーローは全知全能だったっけ?引ったくり団のアジトがゴールコンダの城壁内というのはヴィジュアル的にちょっと良かった。それから密談の場面だったかでチャール・ミナールにわざわざ上っている場面があって、絵としては綺麗だけど何の意味があるのか分からなかった。

Bruce Lee - The Fighter (Telugu/2015)をYTで。 

珍しく上映会を見のがした一本。ポスターの印象から、また例によってRCが泣き面で復讐するだけの話かと思ったら違った。なんたってシュリーニ・ヴァイトラ。2時間半をフルに使ってのトンチキなアクション・コメディー。RCは本格的コメディーは初めてか。映画界の下積みとしてのスタントマンという設定。古いスタイルのテルグ映画らしく、ヒロイン、悪役、コメディアン、いずれもが多重セッティング。特にコメディアンはインターミッション後になってからポーサーニ、ブラフミー、アリーなどを投入するというシュリーニ節。全部で10人ぐらい出てきたか。そしてコメディアンがふざけ散らかす前で悪役がリアクションに困って固まるのを構わず撮るという昔の作法でガンガンに進む。そしてラストの絶体絶命ピンチ(体は一つ系)に親父チランジーヴィがStyleと同じやり方で投入される。ハイダラーバードでドンパチやってたらいつの間にか公海でのボートアクションになってたりで後半に行くほど加速する。身分詐称の落とし前をつける部分はもう少し捻りを効かせられたらと思った。

Zanjeer (Hindi/2013)をオンラインで。 

多分見ることはないと思っていたものを行きがかり上見てしまった。色々メタメタで、ヒンディー語版だけでなくテルグ語吹き替え版も全方位から批判されて撃沈されたのも頷ける。監督のアプールヴァ・ラーキヤーは全然知らないけど、のこのこ出てきた田舎者のラームチャランを鴨って評判をガタ落ちにさせようとしたんじゃないかとすら思える。プリヤンカ―やサンジュなどギャラの高い俳優を揃えることで徒に製作費を高騰させ、他は思い切り手を抜いたものに見える。オープニングからいきなり下品なアイテムダンス。チャランはベッドシーンまでやってた。原作から40年経った現在の皮相な部分のみをアップデートした、魂のこもらないリメイク。精力減退に悩むオイルマフィアのテージャはカリカチュアみたいだ。原作のバッチャンは演技が下手でも立ってるだけで絵になったが、逆にチャランは誠実に演技しようと努めているにもかかわらず絵として全然ダメ。唯一面白かったのはギャングの作業場のスラムを火の海にするシーンだけど、スラム破壊というのは別の意味で今日的にヤバいというのに思い至らなかったのだろうか。

Zanjeer (Hindi/1973)をオンラインで。 

歌詞のみ字幕なし。40年後のリメイクを見る必要ができ、それもなるべく早く見なければならないのだが、初見がヘタレなのは嫌なのでこれを先に。2時間25分を一気見。格子窓とカーテンの比喩は面白かった。バッチャンの演技は上手くない。ただ、立ってるだけで絵になる男だったのはよく分かる。圧巻はプラーン。あまり丁寧なキャラクター造形がされていないにもかかわらず、そのデカい顔で魅了する。「怒れる若者」映画の嚆矢で、この脚本は当時のボリウッドのロマンチック・ヒーローたちに軒並み断られたのだそうだ。幼時の惨劇のトラウマから最終的な復讐まで、今日のテルグなどの定型的な暴力映画のエッセンスの全てがある。ソングはパシュトゥーン風宴会ソングYaari Hai Imaan Mera, Yaar Meri Zindagiがダントツ。an influence of the Pashtun instrument rubab, and is danced to by men in the attan style.だそうだ。en.wikipedia.org/wiki/Pathans_

とある新進気鋭の映画研究者でトップセラーも出している人、 

ゴダールを、小津を、是枝を、侯孝賢を論じながら、インド映画だけは避けてるな。教養としての映画鑑賞術では歯が立たないことを分かっているのか。

Racha (Telugu/2012)をDVDで。 

チャラン出演作全潰しの一環で。懐かしい感じのするテルグの満漢全席。親父作品からの引用、自分の過去作からの引用、お色気、出づっぱりコメディアン軍団のお笑い(中にはPCで警報が鳴るレベルのものもあり)、過去の因縁と復讐、激悪のヴィラン、合掌して最敬礼する村人たち、何をやっても常勝のヒーロー像、ヒーローを引き立てるための百人超の群舞、素手・棒術・火器・巨大刃物での趣向を凝らした格闘、霊験あらたかな護符、女神の加護、インターミッションでのひっくり返しなどなど、手際よく盛りつけた大皿。この時チャランは27歳ぐらい、デビューから4作目。ともかく、テルグのスター俳優たるもの、優しい女顔でスリムというだけじゃダメで、デュエットでは男臭さを、格闘では殺気を帯びなければならない。前者はダンススキルでカバーもできるけど、後者に関しては持って生まれた素質に左右される。三白眼にしてみるだけじゃ神気は立ち上がらないのだ。その辺りでまだもがいている感じと、口角の上げ具合&顎の突き出し具合とが、やはり見ていて痛い感じがある。お膳立ての上で期待に応えようと必死な様子。

Adipurshの大騒ぎは何から来てるのか。 

考えられるのは、
①ボリは何でも否定(H右翼)
②プラバースが嫌い(テルグの他のスターのファン)
③ハヌマーンの見た目がムスリム的(H右翼)
④ラーヴァナの見た目がムスリム的(H右翼)
⑤ラーヴァナを演じるのがムスリム(H右翼)
⑥ラーマーヤナをゲームみたいな映像にしてる(H右翼から中道派まで)
⑦VFXがチャチ(誰でも)

一方擁護派は、
①プラバースが好き(テルグ人中心)
②ラーマーヤナは尊い(H右翼から中道派まで)
なんてあたりか。

いずれにしても映画の一本一本にタグで荒れ狂う、騒然とした時代になったもんだ。

Ponniyin Selvan 1 (Tamil/2022)がなぜそんなに良かったかというと、 

ただもうカラリとしているからなんだと思う。近世以前のタミルの爽やかで闊達な空気感。どろどろした人間関係や凄惨な戦闘の描写はあるが、カールティのキャラクターがそれら瘴気をすべて浄化してしまう。キン肉マンショーをする男がほぼいないのも画面の清澄さの理由。翻って最近のヒンドゥー教絡みのファンタジー小説(特にAmish Tripathiのもの)はなぜああもドス黒い色味を強調し、ボディービルダーが正面に描かれるビジュアルに走るのか、そして映画でもそれと同じ路線に走ったものが多数。あれが正調となってしまったら嫌だ。

Ponniyin Selvan 1 (Tamil/2022)をユナイテッド・シネマ、アクアシティお台場で。 

612席の巨大スクリーンが満席で95%がインド人。マニ・ラトナムに対してはクールに構えるようになってからずいぶん経つが、どういう訳か本作には見る前から大興奮。空前のスターキャストのせいもある。蓋を開ければ、ストーリーは水のように薄いのに新鮮な感動があった。SLB何するもんじゃい、SSR君露払いご苦労じゃ、ってな風格と軽みが共存。神懸かったところのないドラヴィダ民族主義的歴史ロマン。タイトルロールはジェヤム・ラヴィだが実質の主役はカールティ。「カールティ君の大冒険」的な諸国遊行譚にも読める。アイシュとトリシャはもっとビシバシと戦ってほしかった。タミルの戦士はもっと花で美々しく飾り立てて欲しかった。何でこんなに後味がいいかというとあれだ、ムキムキ誇示マンが出てないからだ。エンドロールも興味深く、ナスリーン・ムンニ・カビールが字幕翻訳の筆頭だとか、ビジョーイ・ナンビヤールがセカンドユニットの監督をしてるとか、いちいち驚き。予習は不真面目にしかしていかったので最終シーンで驚くことができた。

ハッピーログイン(좋아해줘 /Like for Likes、2016)をオンラインで。 

韓国文化院提供の映画特集で。久しぶりに韓流で平均以下のものを見たか。グズグズとかそういうのではないんだけど。韓流若手スターと「先生」と呼ばれる年上の有力脚本家、スチュワーデスとシェフ、芸能事務所の女性社員と聾者の作曲家、3組の男女の恋物語が最後に仁川空港で大団円という恋愛ファンタジー。それぞれの恋模様の動因がフェイスブック上でのライクだの友達申請だの公開範囲変更だので、FBへの依存ぶりが半端ない。現地ではマルチスターということでウケたのか。作劇上のアクロバットとして登場人物全員を空港に集めたかったのは分かるけど、余り上手くいっていない。SNSでお互いの現在位置などが分かってしまうというのは危険をはらんだものであるはずなのだけど、最後なんか俳優が自分の知名度を生かして恋人の情報を広く募り、別のヒロインが親切に通報してあげちゃったりしてるのはどうかと思った。あと、どちらも年下との恋愛をしている二人のヒロインの顔が似すぎているのも気になった。整形で皆同じ顔になっちゃう例なのか。シェフは飛行機でどこに行った?

Prem Geet 3 (Nepali/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

初めてのネパール映画、英語字幕付き。マナーングの絶景のもとで繰り広げられる(たぶん)17-18世紀ごろの物語。ヒマラヤの巨大盆地を支配する首長国の王子二人の争いと、そこに絡む過去に征服された小国の生き残りのリベンジ。OLさんみたいなヒロインよりも妹ちゃんの方が可愛い。主人公はメタル系のザンバラ髪で金髪メッシュ入りというのに首をひねったが、そういえばシヴァ神がそんな髪だったか。恋愛よりも血腥いアクションが売り物のようなのだが、その殺陣が、まず猟銃(のようなもの)、そして手斧というのが意表を突いた。あまり生々しくない振付はボリウッドを意識したものか。しかし銃と斧だけだとバリエーションが尽きて、最後の方は胃もたれがした。王位をめぐる争いは「バーフバリ」味、恋愛の方は「梁山伯と祝英台」味がした。ラージャグルの一族の息子にはシャクニ味も。非業の死を遂げたヒロインを抱えてヒーローが雪山に登っていくシーンには、サティーを失ったシヴァ神のイメージが重ね合わされた気がする。いわくありげな黄金のブレスレットがあまり生きてなかった。

Vendhu Thanindhathu Kaadu Part I: The Kindling (Tamil/2022)を川口スキップシティで。 

ガウタム・メーナンとシンブのタッグ、2部作、1部だけで2時間 45分のギャングサーガと、ハードルの高い1本に思えたが、川口で観られるというので腰を上げ、実際にはスルッと楽しく見られてしまった。ジャヤモーハンの原作というのも理由かもしれない。故郷で色々あってムンバイに流れ着き、最底辺で蠢くうちに犯罪の世界にどっぷり浸かる、という定式通りのストーリーながら、シンブの芸達者のせいで飽きずに見られた。南タミルの僻地で暮らす鬱屈した大卒の動物的な体臭、ムンバイにたどり着いて異郷で一旦赤ん坊のようになってしまった無垢、見染めた女にまともな口もきけない奥手から、テラスでの逢引をするまでになる(それでも21歳だが)成長、それぞれをシンブは見事に演じていた。トゥラシのまさかのギャングのフィクサー役、デリー・ガネーシュのいわくありげな登場、ラウタルという役名の小男の刺客、などなど癖のある脇が飽きさせない。ニーラジ・マーダヴの役だけは謎が残る。後半で明らかになるのか。

こないだ書店で先月出たばかりの『韓国女性映画 わたしたちの物語』を立ち読み。 

高いからマーケットプレイスに出るまでは買わない。索引がついていないのはどうかと思った。「私は私を解雇しない(나는 나를 해고하지 않는다、2021)」「小公女 (소공녀/MICROHABITAT、2017)」を取り扱っていないのはどうかと思った。索引がついてないから本当に全く言及がないのかどうかは分からないけど。昨日見た「最も普通の恋愛(가장 보통의 연애、Crazy Love、2019)」だって、チャラチャラしてるけど女性映画だよなと。まあ、日本で劇場公開されたもの=自分の目に触れたものだけで外国映画を語ってしまえるという根拠なき思い込みの人が編者だからそうなってしまうのかもしれないけど。

最も普通の恋愛(가장 보통의 연애、Crazy Love、2019)を韓国文化院で。 

小さな広告代理店に転職してきた女性とその上司となった男との縺れる恋。どちらも1985年生まれ。キム・ジヨンより3歳下ということになる。男は「恋する惑星」のトニー。朝起きると部屋に見覚えのない物がある。女は服から化粧からフェロモンをまき散らして男に寄り掛かるタイプに見えて、実際は独り立ちしていて、もう愛を(というか男を)あまり信じていない。くっついたり離れたりの恋模様のナラティブは見事。そこにアットホームなオフィスでの裏に回ると薄ら寒い人間関係やネット中傷の問題なども自然と浮き上がり、現代を生きる物語の印象が強い。男女のどちらもが自分をさらけ出すのが泥酔した状態でというのが面白さであるとともに限界の感じもある。酒を悪魔化して扱い、実際に旨そうに酒を飲むシーンがほぼない某国映画ばかり見ていると、正体不明になるほど酔った勢いで愛を告白したりそのままお泊りになるような大都市30代独身ライフは、文明世界に戻ってきたような気にさせてくれる。職場で恋人の有無をしつこく尋ねたりするマイルドセクハラは普通に描かれていた。

The Ongoing Standstill In The Telugu Film Industry, Explained 

POSTED ONAUGUST 27, 2022 テルグ語映画界のストの話よりも、OTTの影響のトピックが面白い。パンデミック前と後とで、予想興収に占める劇場チケット収入が6割から3割に減少、OTTは「その他」から5割に増加。観客はOTTではちょっと冒険して普段見ないものにまで手を出すことができるが、劇場で観るものに関してはチケット代に見合っているのかをよりシビアに検討するようになったと。
filmcompanion.in/features/telu

Karthikeya 2 (Hindi/2022)をイオンシネマ市川妙典で。 

大作Brahmastraよりもヒットしているという口コミ。出だしのアニメは超ダサ。冒頭の図書館の資料泥棒はいただけない。てっきり犯罪者と思ったら立派な教授のキャラだと言うんだから。ニキルも例によって何だこいつなのだが、途中から俄然良くなっていく。アヌパマはもちろん可愛い。ヒーローをリードする部分が多いのは意図した脚本か。公然的な部族とか、お宝を狙う悪の実業家とか、雑なプロットは逆に安心感。思わぬ作品でドワーラカーを見せてもらい、ゴーヴァルダン山やその他の風光明媚な北インドの風景が楽しめるロードムービー展開は素晴らしい。ただアヌパマの爺様が出てきて瞳孔開いた状態で怪しげな古代超科学を言い出すあたりからちょっとヤバヤバに。最後はクリシュナが託したアンクレットが地底神殿からヒーローの手でサルベージされ、それがパンデミックに終わりをもたらすって、どうやってだあ。いやそれはいいんだが、合理主義者のヒーローが完全にビリーバーになってしまったのが残念。続きもありそうな終わり方だったが無理な気がする。エンドマーク前に落とし前。

王家衛のあの人気って何なのか。 

その昔、同時代作家として公開されていた頃は、本当のHK映画ファンは彼とは距離を置くというような空気がなかったっけ。ちょこっと見ただけのニワカが王家衛がイイとか言ったりすると鼻で笑われるような。

Rajanna (Telugu/2011)をオンラインで。 

今から11年前の作品だが、思っていた以上に古色蒼然としたものを感じた。表向きの看板は独立闘争愛国映画だが、テランガーナ映画であり、ナクサル映画的でもある。史実よりもファンタジーが勝った造りで、ご都合主義がストーリーを動かす。ナーガールジュナは後半から登場。その登場シーンの3分の1は独立運動末期の英国との戦い@MH①。残りが独立直後、HYD藩王国末期のラザーカール+ヒンドゥーの大地主との戦い②。約10年後の娘の戦いは、生き残った大地主との戦い➂。②のラザーカールが一番無茶苦茶に描かれているが、レビューを読むとまだ生ぬるいという評価もあった。シュウェータの悪役は衝撃的で、てっきりOzhimuriでの演技が評価されてのものかと思ったが、こっちのほうが前年だった。それにしても一番しぶとい敵に女性を配置したいとは何だったのか知りたい。それにしてもニザームの治世を憎むと必然的にムスリムを憎む描写になるのはテルグの約束事だが、描写が雑で、本当に関心がないことがよく分かる。ナーガールジュナの演技は最初ふにゃふにゃで憂慮したが、最後は入魂で安心。

Ghillli (Tamil/2004)をオンラインで。 

必要に迫られて観た。ストーリーは知ってるのでサクサク観られるかと思ったけど166分は長かった。しかしオリジナルのOkkaduは171分ある。そんなに長かったっけ。本作がイコニックなブロックバスターだったのはなんとなくわかる。まず音楽のキャッチ―さが高ポイント。コメディーも現地観客には堪らないものだったと想像できる。ヴィジャイは今よりもずっと色黒でビックリ。裸の上半身を晒すシーンもあり、昔の方がフレキシブルだったのかと。テラスが連なる屋上や隠れ家の灯台のシーンは、オリジナルの劣化コピー感が強い。オリジナルとの違いで印象的だったのは、泥をすぐ洗う悪役、悪役の母親の影が薄いこと、ヒロインからの愛の告白がないこと。ヴィジャイの個性に合わせて、よりコメディータッチを加えたのは理解はできるが、それで面白くなったかどうかは疑問。村での逃走劇もオリジナルではビジュアル・ワンダーだったが、こちらではメリハリがなかった。灯台からの飛び降りも沢山あるアクションのひとつという感じでポエティックな美しさはなかった。アクションの振り付けも不自然さが目立った。

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