Theeran Adhigaaram Ondru (Tamil/2017)をUSAPで。
歴史上のダコイト掃討作戦を題材にしたアクション。ともかく長くて前半の定型部分には飽きる(特にヒロインとのラブラブ・エピソードはヒロインの死亡フラグにしか見えず、その予感は的中する)が、本格的な作戦に入る中盤以降は釘付けになる。それにしても1995年ごろから2003年ぐらいまで続くダコイト襲撃の何とも言えない大時代感(フィクションだったらもっとリアリティ出せと怒るぐらい)と、捜査手法が基本的に熟練のプロによるマニュアル指紋照合というのが凄い。ハイテク捜査を過剰に演出する昨今のポリス・スリラーに物申す感じ。問題となったクリミナル・トライブへの執拗で具体的な言及には息をのむしかない。しかも悪は全て北インドから来るものとなっている。そしてそれが史実なのだからセンシティブさが増すのだが、映画批評界隈は本作をよくできたアクションとして激賞している。この空気感は記憶されるべき。カールティは相変わらず筋トレとは無縁のぷるんぷるんの体を晒してるが、格闘シーンになると筋肉とアクションのカッコよさとは無関係と知らしめる。
Maanagaram (Tamil/2017)をUSAPで。
カナがラージ監督の過去作を漁りたくなったので。どうした訳か字幕が読みづらかったため、所々因果関係が分からなかった。いわゆるハイパーリンク・スリラーで、レビューは絶賛のものが若干見つかるが、これまで目にしたことがなかった一本。「マドラスの日」というローカルな記念日に、チェンナイ市の暗部で起こるあれこれをまとめた(偶然に助けられて最後は悪が罰される)ニューウェーブ系。巧みだとは思うけど、こういうハイパーリンクは2012~15年頃のマラヤーラム映画界で散々に作られたのに付き合って、今更の新味はない(Super Deluxeを絶賛できないのも同じ理由)。もっさりしたサンディープとガリ痩せのシュリーが前面に出て来て、リアルなことこの上ない。シュリーの役柄には過去作品からの残像が混じる。Bクラス俳優を使い、脚本や演出の上手さを見せつける(=次につなげる)だけのために作った低予算映画という感じだけど、多くの時間を占める夜の街路の描写には、二年後のKaithiを思わせるものがあった。チェンナイ賛歌がフワフワした消費文明礼賛じゃなくて良かった。
Naan Mahaan Alla (Tamil/2010)をDVDで。
タミルニューウェーブが盛んだった10年前の作品。一見して前半と後半の乖離が酷く、失敗作と思った。冒頭シーンの惨劇がストーリーの主筋に絡んでくるのが遅すぎてお気楽な前半も楽しめず。ありがちな「途中で消えるヒロイン」も。だが当時のレビューを見ると激賞しているものも多く吃驚。その称賛はリアリティにあるというのだが、カールティが弛んだ体を惜しげなくさらすところなどは確かにリアルだが、最後の格闘では無敵の超人になってしまうのが画竜点睛を欠く。10年たってお勧めとは言えなくなってしまった。ただ、駄作と決めて捨て去るには惜しい部分も多い。惨劇の舞台となる南チェンナイの廃村(津波の犠牲になった場所という)の佇まい、仲良しになったギャングの人の良さ、子供に激モテの主人公を演じるカールティのハマり方、ごみごみしたスラムのリアルさ、少年犯罪グループの不気味なまでの戦闘力の高さとその説得力(実話というのはこの部分か?)などなどが捨てがたい。VJSは主人公の友人役で登場して何か一波乱起こしそうな感じを漂わせるが、何も起きずただの友人で終わる。
Jilla (Tamil/2014) をDVDで。
4年ぶりぐらいに見返した。今になってみると、妹役の二ヴェーダや下働きのタンビ・ラーマイヤ、婦人警官のヴィディユラーマンなど、贅沢な配置だったことが分かる。いわゆるお館様美学を打ち立てた上で、そのお館様がヴィジャイに首を垂れるという構造。しかしここでのお館様というのが、暴力的なのはいいとしても、歴然と反社という風に描かれている(まあ、マドゥライ市内で各種の会社を経営していることになっているが)。伝統的な農本主義の世界での大地主としてのお館様とちょっと違うというところに租借しづらいものがある。それで正義感の強い警察官が赴任するといきなり呼び出して逮捕をちらつかせるというプロットは『ダラパティ』と同じか。しかしどちらの場合も妻子はごく普通に家庭生活を営んでいて、極妻・極娘という自己認識がなさそうなところが不思議。ダンスが潤沢に配されているが、きっつい顔のアイテムお姉さん2人を配したソングなどに時代を感じる。太秦のロケではバックに日本人の女性だけを写すのが分かりやすい。歌詞はカンダンギ・サリーを歌いながら、画面にはそれが全く登場しないのが凄い。
Aayirathil Oruvan (Tamil/2010)をDVDで。
ただし一部再生不可でスキップ。それにしても長大な、ゲップの出そうな特盛りだった。ごった煮感。前半と後半で別の映画みたいになる本作、一般的な評価は後半の方が高いようだが、前半の性的緊張をはらんだ男一人女二人の秘境行軍が面白かった。前半後半を通じて、フォークロアの特徴である尤もらしい捏造の神秘的世界が描かれるのだが、それの土台となる世界観構築はかなり雑。それからチョーラとパーンディヤをあそこまで敵対するものとして描くのは問題ないのか。あと、前半で一行を襲う土着(ベトナムという設定だが、アンダマンを思わせる)部族と後半のチョーラの末裔とが、どちらもインド映画が未開を描く時に用いるクリシェに則っていて区別がつかないという欠点も。クライマックスの、近代的火器で圧倒するインド陸軍がチョーラの末裔を蹂躙するシーン、どう見ても東インドの部族民を好き放題に狩る警察&民兵にしか見えない。全編を東インドのマオイストの物語として読み解きたくなる。リーマーの思い切りの良いセクシー演技は最高。MGRソングへのオマージュシーンはカッコ良かった。
Tholi Prema (Telugu/1998)をDVDで。
ソングシーンだけ字幕なし。歴史的ヒット作でPKの芸歴でもスターダムの足掛かりとなった一本。しかしすでに古色蒼然とした印象。1950年代のクラシックが古びないのと対照的。もろパクリの劇中歌とか、やけに老けた「ナウいヤング」が集まってする異性の品定めとか。無理の上に無理を重ねた冗長なストーリー展開も。PKのアンチが見たら冷笑が止まらないと思う。ただ、当時の若いもんにはバカ受けだったんだよな。ダンスとしょうもないギャグと付焼刃のアクションでミルフィーユになった中の、中産階級(どうもバラモン臭い)の若者の純情の描写がリアルなものに感じられたんだと思う。ただ、その純情の描写にしても、血文字を書いてみたり、それを窘められてしゅんとしたり、これが当時のリアリティだったのかと思うと、背筋がちょっと震える。ビーチのタージマハルは発想がぶっ飛んで凄いが、造作には張りぼてのやっつけ感が隠しようもなく、「ラスヴェガスとしてのテルグ」の夜明け前という感じ。スリムすぎるラヴィ・バーブを見られて得した気分。防虫噴霧の白い煙の中から現れるヒロインに吃驚。
天気の子(2019)をJPAPで。
SNSで「本作の主人公のような反社会的なキャラクターが許せず作品そのものを否定する観客が増えている」と読んで気になったので。で、見てみて拍子抜け。この程度のものが許せないなら、従順な飼い慣らされた社畜のトレンディードラマでも見とくしかないだろ、というものだった。社会の規範からの逸脱を志向する詩的なエクソドスにいちいち文句つけてどうする。まあメガヒット作品で普段映画を見ないような観客の目に触れるとそういうことも起きるのか。尤もらしい神事とか捏造された伝説とかが大きな顔して出てこなかった点で、前作『君の名は。』よりもずっと良かった。震災の傷痕文学だった前作とは異なり、これは東京という土地への美しいオードだと思った。どれほど壮大なビジュアル出会っても舞台は東京の区部のみ。主人公が後にしてきた離島ですらが行政上は東京。エピローグの長雨で水没するのはどうやら東京だけで、他の地方に被害は及んでいないようだ。前作ではまだ記号的だった東京のヴィジョンが、異様なほどの細部とこの世のものとも思えない光とに満たされて画面に広がる快感。積乱雲の上の永遠の晴天を造形する力強さ。
Asuran (Tamil/2019)をDVDで。
ヴェトリマーランだし前評判も聞いてたので、心して臨んだ。キルヴェンマニの虐殺に想を得たストーリーだが、そこがクライマックスなのではなく、それを歯車の一部とした流血の連鎖を描く。流血ドラマには、ポンポン気軽に人を殺すものと、一人が殺されるまでに多くの緊張感あるシーンを畳み掛けるものとがあるが、Vada Chennaiは意外にも後者、Visaaraniも後者、本作はどちらかといえば前者か。人間ドラマはもちろんだが、俯瞰を多用した風景描写が凄い。主人公親子が彷徨う夜の原野が美しすぎる。画面から想像できる村の構造が、今読んでるフィールドワークの本そのままで、北村と南村の空気感が痛いほどわかる。1962年の事件が回想で語られ、15年後の1977年ごろ(貼られている映画のポスターからの年代測定ではそうなのだが、そうすると息子の歳が合わないからもう少し後か)の新たな抗争が現在時として展開する。武器としての爆弾はタミルでは初めて見たかも。マンジュには期待してたけど見せ場が足りない。シャクティヴェール監督のカメオには吃驚。ダヌシュの老けメイクはイマイチ。
Soodhu Kavvum (Tamil/2013)をDVDで。
4年ぶりぐらいに見た。VJSがほっそりしてるのには、分かっていても驚嘆してしまう。訳されなかった「チャトニですらこれをイドリと認めんだろうよ」が惜しい。7年後の今となってVJSとボビー・シンハ、ヨーギ・バーブ以外の俳優の使い捨てられ感が凄い。それにしても、タミルニューウェーブはニューウェーブとはいえ、強固な倫理観をもち、悲劇に終わる作品であっても、世の非情や不正に憤りを掻き立てるものが多いのに、タイトルが示す通りのこの作品の徹底したデモーニッシュぶりはどうだろう。特にそれほど動きがないカルナーカランというキャラクターを巡って周囲が旋回していき、最後にこのキャラが全てを手にするという構図。そして狸キャラCMにバースカルの演じる清廉潔白大臣が引導を渡されるシーンの何とも言えない快感。これをデビュー作でやっちまったんだから。ラストに流れるEllam Kadandhu Pogumadaが見事で、往年のMGRの曲の流用かと思ったのだけど作詞・作曲ともオリジナルと聞いて驚いた。BGMを含む音楽にも高度な諧謔が散りばめられていてお見事。
Agent Sai Srinivasa Athreyaの中で言及されたりしてた映画作品をあれこれと見てた。
特にBBC版「Sherlock」は見ごたえがあった。一回90分て、ほとんど映画一本なのを13本連続にするとか、はっきり言ってSW以上じゃん。下敷きになる歴史的フィクショナル・キャラクターがあるとはいえ、最初の2本ぐらいで「お馴染みのキャラ」を確立し、しかし謎解きしながらも、徐々にそのキャラ間の人間ドラマが深化していくというの、なかなかに凄い。公共放送でヤク中のヴィジョンを描くとかの部分も攻めてる。まあ腐女子入れ食いになるわな。ASSAがこれからインスピレーションを得ながらも、中二病方面に行かずにインド地方都市のリアリティに踏みとどまったのはすごいと思う。逆に中二病とヤク中的ビジョンに舵を切ったのが1: Nenokkadine (Telugu/2014) だったのかと改めて認識した。トラウマによる抑圧によって記憶が改変されるとか、Sherlockの最終エピソードにクリソツ。
Udta Punjab (Hindi/2016)をNTFLXで。
固有名詞のおかしい日本語字幕付き。邦題は『パンジャブ・ハイ』。マルチスター社会派映画。冒頭、パキスタンと書かれたジャージを着た人物が、国境の向こうからヤクの包みをインド側に投げ入れるシーンがあり、これはまたむくつけな、悪いものは全部隣国にひっ被せる手法かいと呆れたけど、解説を読むと実際にアフガニスタン、パキスタンとドラッグがリレーされ、玄関口のパンジャーブが最も麻薬に汚染されているという衝撃の事実。しかしまあ、ということはパキスタンのパンジャーブ地方も同程度に汚染されてるということなのか。カリーナーはスクリーンでしか見られない清楚な薄化粧。シャーヒドは実は得意技と言われてる狂気の演技。目が泳いでる感じが凄い。アーリヤーは不思議な女優で、細密画から抜け出たような繊細で華奢な美女の時もあれば、キーキー声のチンクシャにしか見えない時があって、本作では後者。農作業と薬焼けと監禁性奴隷生活でボロボロでガリガリになった姿が凄絶すぎる。神も仏もないアナーキーな世界の、乾き切ったリアルさが怖い。麻薬撲滅を唱える政治家の裏での麻薬王ぶりも。
Neelakasham Pachakadal Chuvanna Bhoomi(Malayalam/2013)をDVDで。
4年ぶりぐらいに見た。感想はあまり変わらず。長らく豊かな先進国の若者たちが自分探しと称して放浪していた受け身のインド、それも端っこのケーララから、仕返しみたいに自分探し旅をおっ始める奴が出てきたのは痛快。同時にそれはインドの中で旅する主体となれる者と見られる対象となる者との差異を炙り出すものでもある。それぞれの立場は固定的で交換はあまり可能性がない。まあそれにしても前半のテンポの緩いこと。プリーでのお遊びの場面は見ててぐったり。マラヤーラム映画でしかあり得ないテンポ。渡り鳥のバイク野郎なので所詮は浅い付き合い。それをどう繋いで魅せるものにするかなのだが、答えは女性の魅力と映像美ということになるか。ただ景色の方はそれほどドラマチックには展開しない印象。最大のエネルギー噴出点であるはずのコミュナル紛争のシーンは、しつらえがセコくて緊迫感が足りない。ケーララから出発し、遠くへ行くほどワイルドでしかもシャレにならない情景が待っているというのはリアルではあるけどやるせない感じ。
Maari 2 (Tamil/2018)をYTで。
実際は同名のテルグ語吹き替えだが。北チェンナイのヤクザがヴァイザーグ港湾のヤクザに変わってた。If you are BAD, then I'm your DADの初出はどこなのか知りたい。サーイ・パッラヴィ、ヴァララクシュミ、トヴィノ・トーマスという興味深いキャストだが、いずれもブッ飛び方が足りない。特にトヴィノはポスターからもっとイカレたサイコパスを想像してたのに、平凡な悪役キャラだった。前作から設定を受け継ぎつつも、鳩とカージャルがいないので別の話。気のいいチンピラの日々是好日から一転して、結構流血があるし、マーリの人生行路もマジになってしまっていて、これ以上の続編はできない感じ。ダヌシュのカラーシャツと金鎖はいい。サーイ・パッラヴィのダンスも最高。個々のエピソードはいいのにつなぎ方に心がこもってない。裏切り者のコミッショナーが罰されずに終わるのはどうか。しかしまあ、争いから身を引いてオートドライバーになるというの、やはりこれもバーシャ。ラストで意味を持つ先代の息子との友情が説明されてない。Rowdy Babyだけ劇場公開したい。
Stree (Hindi/2018)をキネカ大森で。
邦題は『ストゥリー 女に呪われた町』。舞台はMP州だが、後から知ったところによればカルナータカのNaale Baa伝説に想を得たというホラー・コメディー。しかし軽くて薄い。これがスリーパー・ヒットだったとか、各種の映画賞を獲りまくったとか、ホントにもう最近のボリはよく分からん。まず、女が顔を歪めて絶叫するというホラーの常套句を裏返して男にやらせたことがキーだというのは分かる。それからうがった見方をすれば、暗くなってから男が独りで外に出るのはイカン、さもないと…という状況、インドのレイプ・カルチャーを裏返しにしておちょくってるのだと思う。ただ、そういう批評性は明確に炙り出されず、途中でどこかで消えてしまうプロットが多すぎて娯楽映画としては不発感が残る。たとえばルドラの語る「ストリーを避けるための4箇条」の最後の1項目は何なのかとか、女が主人公に作らせるラハンガーの意味とか、主人公の母親の娼婦の物語とか。結婚に至らずに若くして死んだ者を慰めるのに霊的な結婚式をするとかは中国にもある民俗だが、そうしたものの継ぎ合わせがあまり上手でない感じ。
Jallikattu (Malayalam/2019)をアジアフォーカス福岡国際映画祭で。
邦題は『ジャッリッカットゥ』。やはりリジョーは見逃せないと思ったので。VPNをかませば配信でも見られるけど、IMAX用のスクリーンで見られて良かった。予備知識は極力排して臨んだ。ジャッリッカットゥといえばタミルの政治的なアイコンだが、マラヤーラム語映画でこれをどう扱うのかという好奇心。見てみた結果、これは牛追い祭りとは無関係で、単なる比喩として使われているだけ。あるいは牛追い祭りの原初の形を示したとみるべきか。背景になるのが西ガーツ山脈のどこかの入植によってできたクリスチャンがマジョリティの村というのも神話性を演出する。それにしてもマラヤーラムのクリスチャンものというのは、なぜおしなべてマチズモとマス・フレンジーと暴力を扱うものが多いのか。そしてお約束のように女は淫蕩の翳りを持っている。クリスチャンのリジョーの作品でなかったらステレオタイプとして非難されてたかも。それにしても、娯楽フォーマットの中に魔術的リアリズムを取り入れた快作を撮ってたリジョーが娯楽フォーマットを捨てたのには、何とも言えない。