TUFS南インド映画特集上映にてAstu - So Be It (Marathi - 2015)。邦題は『あるがままに』。
アルツハイマーの老人がちょっと目を離した隙に行方不明になるというのは、GBSMそのままだが、病状の描写は本作の方が比べ物にならないほどに細やか。別に糞尿を垂れ流すようなシーンがあるわけではないのだが、老耄の悲しみを余すところなく描き尽くした感じ。自分の親のことが気がかりになるかもと予想していたが、なぜかむしろ将来の自分の発症が心配になってしまった。字幕の一部に「恍惚の人」というフレーズがあり、昭和時代の有名小説の造語パワーを再確認。それから、全く別の映画作品に出てきたastuという台詞の訳にしばらく悩んでいたのだが、気がつけば本作の題名だった。全く無関係なところでのコノテーションが、別の疑問を氷解させるというのは時々起こる。本作にはカンナダ語ネイティブのキャラが登場して、最後の決め台詞を口にする(それ自体はマラーティー語だが)が、その周辺性が胸に迫る。しかし前もって知っていなければ、カンナダ語が話されていること自体にすら気付かず終わった可能性がある。幸運だった。
Kaala (Tamil - 2018)をイオン市川妙典で。ファーストデー・ファーストショー。
パ・ランジットへの信頼から期待が膨れ上がっていた一作がだが、裏切られず。またしてもランジットは、タミルの地の外にタミル人を配置し、一見そうとは思えない抗争劇の中にダリト解放のメッセージを織り込んできた。さらには、南インドが得意とする『ラーマーヤナ』のドラヴィダ的読み直しを散りばめて、好戦的な仕上がり。「カーラ(黒)」には、ドラヴィダ人の肌の色、アナーキズムのシンボル、ダリトのサバルタニズム、スラムの汚濁などの様々な意味がこめられ、最後には物理的な(同時に抽象的でもある)攻撃の武器となる。ラームリーラ―やガナパティ・チャトゥルティ、ラーマーヤナ朗誦会が織り込まれ、そのいちいちがムラリGのカメラによって超絶的に美しく創出される。ラジニは孫も沢山いる正真正銘の老人役で、20歳の若い娘との恋愛遊戯のようなフォーマット的ポーションもなく、ひたすらに「カッコいいダリト」像をスクリーンに焼き付ける。ポーションは少ないとは言え、妻、かつての許婚、活動家の若いマラーティー人娘などの女性のポートレイトも好感が持て
Mahanati (Telugu - 2018)を川口スキップシティで。
いやもう自主上映がスルーされてしまったらしいのでどうやって見るべきかと頭を悩ませていたら封切り後三週間たってから奇跡の川口上映。期待の上に期待が膨らんでいた一作だったが、予想をやや下回る出来上がりだったか。やはりグラマラスな50年代(これは日本でもハリウッドでも、どこでもそうだった)の映画スターの肉厚な存在感を現代の(物理的にも)スマートな俳優が演る時に常に起きる問題だと思う。使い古された「スター誕生」のパターンを安易に取り込んで、その肉厚な大女優の濃い生涯を「愛だけしか目に入らず、愛に殉じた女」として、チャッチャとまとめてしまった感がある。そうは言っても、古映画の引用に満ち満ちた描写には、それだけで涙を誘うものがある。訳もなく感動したのは、クリシュ監督が演じるKVレッディ。実際の人柄を模したものなのかどうかは分からないけど、脚本を俳優に投げつけて怒鳴るタイプのおっかない感じと、いにしえの風格ある大監督の雰囲気が格好良かった。一方で、LVプラサードの神経質そうな見た目(これも伝記的に正確なのか不明)も良かった。
Aadhi (Malayalam - 2018)をDVDで。
絶対に自主上映@日本でみられるだろうと思ったのにスルーされた一本で、DVD発売を待ち焦がれた末にやっと鑑賞。物語は単純、しかし色々な考えが頭の中をグルグルしてまとまりきらない。概ね好評と思い込んでいた現地レビューも、後から検索してみると結構酷評しているものもある。理由は単純で、映画はパールクールの見世物ではないということ。世界にはその分野で神のような達人がいるのは確かだが、単にこの曲芸をそこそここなすだけの俳優の二時間半の運動会を見る意味があるのだろうかというのだ。一方で、マラヤーラム映画の若手俳優たちのアクション映画に対する敬遠ぶりには何か宗教的禁忌でもあるのだろうかと思えてしまうような現状で、望めば幾らでも気取ったお膳立てをさせることができるスター俳優の息子が、あえて体を使った路線に出てきたことには深く考えさせられる。自分だけじゃなく、映画界全体のことまで考えてのものだったのか。まあただ、この路線を第二作目まで引きずることは難しいと思わざるを得ず、アクションをやるにしても次回はどんな方向性で来るのか、非常に気になるところ。
Bucket List (Marathi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。
マードゥリーのマラーティー・デビュー作にして、Gulaab Gang以来4年ぶりの出演作で、期待もあったがスッキリしない一本。見ているとモワモワとEnglishVinglishやHow Old Are You?などが浮かんでくる。熟年主婦が、不慮の事故で死んだ20歳女性の心臓を移植で授かり、その20歳が実現できなかった願望リストを潰すことで自分自身を取り戻すというのだが、主婦の自己評価回復と死者への鎮魂とがきれいに縒り合されない感じがあって弱い。リアリズムなど吹っ飛ばして、最後にはマードゥリーに鬼神のように踊ってほしかった。バイク乗りにチャレンジのところ、おいおい、バイクはゆっくり走らすほうが技術要るんじゃいと突っ込まずに黙っているのが辛かった。それからピクルスだのMakeMyTripだのコマいスポンサーを画面に入れ込むところには泣けた。熟年女性が主人公の作品が増えるのは良いことだが、どうしてこうチマチマとした自己実現みたいな方向に行くのか、スカッとしたアクションとかやってくれても全然ウェルカムなのだが。
平方メートルの恋/Love per Square Foot (Hindi - 2018)をNTFXで。
ネトフリのプロデュース&ワールド・リリース映画ということで話題になった。いかにもちんまりとパッケージングされた規格製品という感じ。まずオンライン公開だからインターミッションというものがない、インターミッションに向けた中盤の大盛り上がりがないというのがズルっと来る点(仮に入れるならあそこ、という目星はついたが)。昔からよくある、住処確保のため仮面夫婦になる若い男女というシチュエーショナル・コメディー。アクセントとして現代的な要素をまぶしてみましたという趣き。クライマックスの先が読めてる感が大ブレーキ。もうちょっとドラマチックな作劇にできなかったか。ラストで登場する特別出演のあの人も、某有名作品と全く同パターンで二番煎じ、もったいない。
Raazi (Hindi - 2018)をイオンシネマ市川妙典で。
リアリズムとご都合主義センチメントとの配分が絶妙なスパイスリラー。メッセージや核となる愛国的決め台詞などは、こしこれが日本で日の丸鉢巻きした方々に言われたらドン引き確定なものなのだけど、インドなら十分有効と思わせるダブルスタンダード物件。アーリヤーは基本の作りがちんくしゃと思うのだが、角度によってはっとするほどの細密画美人になる。ヴィッキー・カウシャルも、ジャイディープ・アハラーワトもラジト・カプールも、皆印象的で、後から調べてみると1本や2本の過去作を見てるのに、なぜボリ俳優だと顔を覚えられないのか自分。上流階級のガーデンパーティーでのカクテルドレス風サリーから市場を歩くときの正真正銘のブルカまで、ヒロインのコスチュームの振れ幅に思うところがある。アーリヤーはついつい”2 States"と比較してしまうのだが、印パ国境を隔てても政治イデオロギーの激烈な対立がありながらも文化摩擦がないのが凄い。一方でインド国内でヴィンディヤ山の北と南で結ばれると文化ギャップで映画ができてしまうというのが、やはり驚くべきことに思える。
Shuddhi (Kannada - 2017)をDVDで。
知り合いのイチオシというので見てみた。今日の女性の安全をめぐる問題に全力でコミットしている。ただ、正面からそれを言い立てるだけでは効果が薄いのでスリラー仕立てのリベンジものにした。ただ、その過程でリベンジの主体に感情移入できるかどうかはちょっと微妙なところ。リベンジの原因となった出来事の詳細が終盤まで隠されているため。その酸鼻を極めた事件そのものよりも、そうした犯罪を生み出す風土の描写に繊細さが見られた。それと、神話の詩句からの引用がカッコよくて震えた。欲を言えば、鈍色の陰鬱で影の多い映像ばかりでなく、どこかで一息つけるカラフルな映像体験が欲しかった。
Naa Peru Surya Naa Ill India (Telugu - 2018)を川口スキップシティで。
期待値が低かったが予想外に良かった。陸海空の三軍のうち、陸軍の人気がダントツという不思議の国インド。そして主人公は士官(候補生)だろうと予測していたのだが兵卒だった、これも驚き。一兵士が、前線であるボーダーに赴き、12億人を背にして自分が国を守っているという気持ちになりたいと切に焦がれる、というインドでしかありえない設定。台詞のいちいちが考え抜かれており、ゆっくり味わいたい内容だったので、時に三段になったりする字幕が歯がゆかった。どこまでもアッル・アルジュンの一人芝居で、ヒロインには活躍の余地がないのは明らかだが、それでもその造形には「アルジュン・レッディ以後」が感じられた。アルジュン・サルジャー以外のその他のキャストも実に勿体ないというか贅沢な使われ方。サティヤ・クリシュナンなんか、サーイクマールの娘役だと思ってたら奥さん設定で吃驚。悪辣な土地マフィアにすら愛国心があるという斬新なソリューションが凄かったが、そこから終盤にかけての展開がちょっと荒っぽかったのだけが残念。
Bogan (Tamil - 2017)をDVDで。
昨年のシンガポールで買ったディスク。怪しい英語字幕付き。結果的には「買っててよかった」だったのだが、実見してみると限りなく海賊臭のする1枚。馴染みのディスク屋の親父さんの顔が思い浮かんで心がかすかに痛む。Thani Oruvanの名コンビであるアラヴィンド・スワミとジャヤム・ラヴィの共演ということで注目を集めた作品だが、はっきり言って前作のイメージをそのまま流用してキャラ説明の手間を省いちまってる。その分楽しませてくれるなら文句は言わないが。スリラーみたいな顔しながら途中からオカルト要素が入り、無理の上に無理を重ねた展開ながら、それなりに楽しめた。『フェイス/オフ』のパクリだという情報があり、確かめに行ったら、言い逃れできない感じだった。神話映画に連綿としてある、「なりすまし」の演技を楽しむためにある一作。パクリを見つけて鬼の首とったみたいになるタイプの観客には向いていないい。コテコテメイクのアクシャラ・ガウダの起用だけは納得できない。アラヴィンド・スワミの蕩尽生活の描写なども含め、絵作りは安っぽい印象。
Aami (Malayalam - 2018)をDVDで。
この作品を中心に雑文を書く計画を立てていたので待ち焦がれていて、届いたその日のうちに一気見した。この作品がイマイチだった場合の雑文の構成なども考えていたのだが、杞憂に終わった。カマル監督先品として最上の部類に入るのではないか(ただし現地のレビューはあまり振るわない感じ)。トヴィノ・トーマスは驚きのキャラ設定。幼年時代を演じた子役の素晴らしさ。思春期を演じた新人ニランジャナの馴染み方。そして初産を境目にしてニランジャナとマンジュが入れ替わる余りのスムースさ。若妻が夫の手引きで娼婦から愛の技術を学ぶシーンの美しさ。まさかのアヌープ・メーノーンの男前ぶり。それから、カマラーの文学の中で見逃せない、召使たちをはじめとした下層の人々の短いながらキャラの経った描写に一々痺れた。ラストシーンで自らを象になぞらえる台詞が出てきたが、否応なしにOzhimuriを思い出した。あれは何か定型的な言い回しなどがあるのだろうか。唯一気に入らなかったのは、作中のイタリア人がちょっとどうしようもないくらいに品がなかったことか。また読むべき本が増えた。