Hridayapoorvam (Malayalam/2025)を川口スキップシティで。 

半分以上の入り。サティヤン・アンティッカード作品なので、過激暴力は全くなく、多少エキセントリックでも常軌を逸したところまで行かない穏やかな人々のドラマ。65歳のモーハンラールが演じるサンディープの想定年齢は40か50か。心臓病を患っていたところ、天の配剤で事故により脳死した人間の心臓の移植を受け、その順調な回復期に起きたことごとを描く。プネー在住のマラヤーリの軍人だったドナーの家族と偶然のなりゆきから共同生活をすることになる。現実のこととして考えれば無理があるが、その未亡人と一人娘、どちらとも恋仲になる可能性が開ける。しかし紆余曲折の心の揺れの後、常識が勝ってまたコッチでの賑やかな一人暮らしに戻っていく。こんな平板なストーリーをモーハンラールと脇役陣の演技で観られるものにする。ギャグはケーララ人にはバカ受けだったけど、自分に理解できたのは半分以下。ファファを至高の俳優として賛美するマラーター人の映画好きが同乗して「熟年俳優でもいいのがいるんじゃ?」という問いにファファ原理主義で言い返すシーンが面白い。

Mohan Kumar Fans (Malayalam/2021)をオンラインで。 

KUBOを潰すシリーズはここまで全部面白かったけど、これは2時間しかないのにグダグダだった。適当な脚本で手を打つ一時期の悪い癖が再発したか。かつてはスターだったが、MoMaのようにスターダムを保てなかった老ヒーローが文芸的な作品で会心の演技をするが、市場の要請でその作品は早々と新作(その中にはKGFもある)にスクリーンを明け渡さなければならない。せめてもの抵抗で賞レースに参加するがそこにも各種のハードルがあって周りの人々が悪戦苦闘するというもの。映画界内幕物はどう転んでも面白いはずなのに、どんよりしてるのは第一に老残のスターを演じるのがシッディクのせい。もうこの人にポジティブな役や繊細な台詞は無理だと思う。ヴィナイ・フォールトの新進ヒーローは、この手のサタイアにありがちな、敢えて誇張することで実在の人物への批判ではないことにする戦略であまり笑えない。アーシフ・アリのゲスト出演、T・G・ラヴィに始まる渋い脇役陣をもってしても救えなかった脚本。KUBOの設定も色々無理がある中ででダンスシーンがあったのは救い。

Pada (Malayalam/2022)をオンラインで。 

KUBOは終始渋面を見せるだけの役だったがとても良かった。1996年に実際に起きた県行政長官人質立てこもり事件をモデルにしたポリティカル・スリラー。終末部分にモデルの実名とその後の運命などがテロップで出るので、再現性は高いのではないか。山岳トライブの土地利用権をめぐる法律が改悪され、その撤回を求めるマオイスト分派の4人がパーラッカード県のコレクターをその執務室で人質に取って立て籠もる。トリヴァンドラム州政府の総務長官をはじめとした対策室がとの攻防。立て籠もり犯側はコレクターを傷つけず、対策室も穏便な解決を優先させて無血開城を実現させる。一方で中央政府が派遣したNSGは現場に急行しつつあり、彼らは対テロ特殊戦術で犯人を皆殺しにする可能性があった。犯人側と対策室側が法曹関係者による仲介で、結局その場に県裁判所の裁判長が赴き執務室で開廷し、犯人側の要求を通す判決を下す。マラヤーラム語映画らしい、名前付きの登場人物の多い作品。こういうのを見てると、世界情勢がどう変わろうと、ケーララ人の左翼主義への信頼がしぶとく揺らがないのがよく分かる。

Bougainvillea (Malayalam/2024)をオンラインで。 

ジョティルマーイの11年ぶりのカムバック作、その夫アマル・ニーラドのものとしても久しぶり感があるが、もちろん目当てはKUBO。公開前からANらしいウルトラスタイリッシュなポスターに期待をそそられていた。そのポスターの雰囲気からギャング映画なのかと思ってたけど、意外にも古典的なサイコ(パス)・スリラー。原作が有名らしく、原作と比べてクサすレビューもちらほら。しかし大体決まりきったストーリー進行を丁寧に積み上げる心理描写は繊細で手が込んでいる。ファファでさえもテンションを積み重ねるための一つの道具でしかない。8年前の事故で記憶障害その他の精神疾患を患うことになった妻とそれを献身的に支える医師の夫がイドゥッキ県クッティカナムに住む。夫は先祖から受け継いだ邸宅も別に持つが、そこはファームハウスとしている。ある時若い女性の失踪事件に妻が関わった疑いで警察が彼らを訪れるというもの。最終シーンでジョティルマーイがシネイド・オコナーみたいな姿で登場し、そこからダンスにもつれ込む。そのダンスでKUBOが踊ってるのが至上のご褒美。

『KILL 超覚醒』は2023年9月ワールドプレミアだったけど、 

それから間もなく配給が告知した際には"インド映画史上最も残酷で血塗れ"というキャッチフレーズだった。しかしそれから2年が経つと、多分バイオレンスにおいてはさらにエスカレーションしたものが出てきて、もうそのキャッチフレーズは使えないものになったのではないだろうか。

Padmini (Malayalam/2023)をオンラインで。 

KUBOを潰すシリーズで。重たいものを見る気分ではなく、短く軽めのものを選んで。コッランゴードに住むマラヤーラム語の講師(詩集を出したりもしている)ラメ―シャン(34歳)と彼をめぐる女性3人の物語。センナ・ヘグデという新進監督の過去作も見なければという気になった。またコメディアンとしてサジン・チェルカイルも目を引いた。この人は根っからのお笑いというわけでもなくクリエイティブ系の人らしい。結婚式の夜に花嫁に駆け落ちで逃げられた男が、失意から立ち直り職場の同僚と結婚しようとするも、失敗に終わった初婚を法的に解消しなければならず、家庭裁判所出廷するために逃げた相手を捜しまわる。同時に、地元で寝具の輸入・卸売りをするお山の大将的な男が見合い周旋人を通じて出会ったキャリアウーマンに対して求愛する様子が描かれる。いかにもヒロイン然として登場したキャラクターが最終的に結ばれる相手ではないのが面白い。『マヘーシュの復讐』もそうだったけど、こういう田舎の狭い社会の中での人間模様を定型に陥らずにリアルに描くのは、マラヤーラム語映画の独壇場か。

Mahavatar Narsimha (Hindi/2024)を川口スキップシティで。 

観客は自分を含め9人。トレーラーの作画のヘナヘナさ加減で期待値最低ながら、勉強と思って見た。ホンバーレなせいかKGFやサラールを彷彿させる構図あり。明らかに子供向けではあるんだけど、ディティが夫を誘惑する場面から始まっていた。作画はこれまでに見たどの印度アニメよりも精緻で特に戦闘シーンは良かった。日本アニメの、風景はどんどん油絵になっていくのに人物だけが平たいというのと比べると、むしろこっちのほうがいいかも。しかし人物の顔はインドによくある不思議なデフォルメと陶器感。しかも階段の上り下りのような人間の当たり前の動作がロボットみたいにカクカクしている。ヒラニヤカシャプが自ら神であると宣言し、ヴィシュヌ派・シヴァ派の対立には蓋をするナラティブ。イメージで鮮烈だったのはブーデーヴィの造形と、ヴィシュワルーパム、そしてその後のプラフラーダの陶酔のシーン。最後にシシュパーラだったか何だったかが画面に出て、続編を暗示。それからアホービラムに始まるナラシンハの名刹が5~6(パキスタンのものも含む)紹介されていた。

Mayurakshi (Bengali/2017)をオンラインで。 

ウィッシュリスト解消計画の一環で観たけれど、そもそも何でこれをリストに加えたのかがもう思い出せない。国家映画賞ベンガル語最優秀作品賞を獲ったというぐらいのディスクリプションしかない。俳優陣は豪華だけど、文芸的なあまりに文芸的な一本。老耄を扱った作品ならば、GBSMやAstuなどの方がもっと刺さるものがあった。もちろんショウミットロ翁の芝居は見事で、芝居じゃなく本当にこんななんじゃないかと不安にさせるほど。もちろんブンバも。しかし、演技力も確かでいい脚本を呼び寄せる力も持っている実力派なのに、見ていてときめきのない俳優っているもんだというのを再確認。アメリカに住むバツ2男が、老父の加減が悪いとの知らせにコルカタに一時帰省する。かつて歴史学の教授だった父は明らかに認知症の症状を示し、執拗にモユラッキに会いたいと言う。それはかつての愛弟子で、息子の嫁にしたいと彼が熱望していた女性だった。このようにサスペンス要素は敷かれるが、劇的展開はなく、モユラッキは現れず、周囲の人間模様が描かれるだけ。「明日は明日の風が吹く」で終わるのだ。

Nizhal (Malayalam/2021)をオンラインで。 

本作公開の頃から忙しくなりすぎ新作を追えなくなり恨みのこもった一作。これを機に失われた3年のウィッシュリストを潰したい。主演2人の何やら沈痛な面持ちのポスターが気になり、同時にKUBOのふざけてんのか?というマスク姿もあって不可思議だったけれど、そういうことだったとは。コッチの裁判所に努めるベービが、知人の知人の子供が休暇明けの作文でリアルすぎる殺人事件の詳細を書いたという話を聞く。その知人の依頼で子供に会ったベービは本格的な調査に乗り出し、そのシングルマザーとの付き合いも生まれる、という話。ホゲナッカルの滝のシーンまでは非常に良かった。独特の雨の使い方も見事。しかし真犯人がゾンビみたいに登場するところからは急にバタバタしだしてロジックが追い付かなかった。つまり腰砕け脚本なのだが、沈痛なKUBOただ一人がそれを見ごたえのあるものにしていた。にしても彼はここのところスリラーばかりに出過ぎではないかと思った。コッチをたいそうリッチな大都会として描いていた。ホゲナッカルのホテルの設定でThe Tower Houseが使われていた。

Mad Square (Telugu/2025)をNTFLXで。 

MADの感想に書き忘れたけど、このシリーズ、少なくとも歌詞にはテランガーナ要素があるらしい。たぶんラッドゥはテランガーナ人。ラッドゥはキーマンなのにMADに加わってないのがかわいそう。その父役のムラリダル・ガウダはいい味を出していて、本作で出番が倍増。スニールはタイプキャスト。ナールネ・ニティンは相変わらず活躍は少ないのにポスターで最前面に来てたりする。ストーリー自体は、人気の出たシリーズにありがちな「ゴアの休日」で、主人公たちは既に学生ではない。ラッドゥが結婚式当日に相手に逃げられたのを慰めるために新婚旅行用に予約していたゴアのホテルに3人組と共に宿泊して、ほぼ理由にならない理由でその他の面々も合流して騒いでいるところに、ローカルギャングの取引トラブルが絡んでくるというもの。オルタナ系には珍しく、本格的アイテムナンバーが2つも入る。この監督は女性キャラに活躍させることが苦手なのではないかという疑念。アイテムの2人と言い、駆け落ち嫁といい、顔の見分けがつかない。前作よりもずっと評判は悪いが、ギャグの分かりやすさは増した。

MAD (Telugu/2023)をNTFLXで。 

前情報なしで観たけど、構造は『きっと、またあえる』(2019)と同じ。同作の舞台が超名門大学で、しかも話の聞き手の置かれた状況が洒落にならないのに対し、こちらは「寮の環境が良くないから工科大学をやめたい」という程度で、それに対する説得としての本編は人間同士の直の触れ合いがあってこその大学生活という真っ当なもので安心した。基本的にお馬鹿ギャグの数珠繋ぎで、笑えるかと言えばそれほどじゃないけど、こちらにとっては若者の生態を覗き見るという趣旨なのでそれは構わない。学園群像ものには、そうは言っても一人はヒーロー格としてスポットライトを浴びるキャラクターがいるのだが、本作ではそれが割と控えめで、「男は黙って~」型のバスケ達人として登場する。しかしこのキャラは硬派として登場しながら途中からフニャっとしたものになり、最後に大金持ちの息子と分かる。何じゃこれと思ったら、演じているのがジュニアの妻の弟であるナールネ・ニティンだというのが後から分かり、ああなるほどと思った。それ以外で冒頭に登場する学生の顔に見覚えがあるのだけれど分からずフラストレーション。

今年の独立記念日の超大作2本、 

『War 2』と『Coolie』、どちらも豪華キャストで話題をさらったが、肝心のストーリーが薄くてイマイチというのが批評家筋の評価のようだ。『War 2』はまだ見ていないけど、『Coolie』はローケーシュのこれまでの作品中で最も弱いストーリーだった。とはいっても、主要映画界からカリスマ性と実力を併せ持つスターを満遍なく引っ張ってきたという点で、『ジェイラー』には完全に勝っていた。腐ってもローケーシュ。

メモ:新聞記事スクラップ 

 熱い男の友情が「核」であるだけに、中華圏でも日本でも、登場人物同士をカップルだと妄想して盛り上がるBL(ボーイズラブ)目線のファンは多い。SNSにそうした内容の2次創作があふれる現象についての感想を聞くと、「本当に全く無問題(モウマンタイ)」と笑う。「小説も映画もヒットしたのは、そうした2次創作のおかげでもある。感謝しかない」

──朝日新聞
香港「九龍城砦」、広がる物語 エンタメ業界盛り上げたい 映画ヒット、原作者に聞く
2025年8月14日 16時30分

興収メモ:教皇+トワウォ+侍(6/24) 

教皇:11億
トワウォ:5億
侍:10億
x.com/moviewalker_bce/status/1

興収メモ:鯨が消えた入江
劇場公開1週間で観客動員が1万人を突破
x.com/march_film_0303/status/1

Coolie (Tamil/2025)を川口スキップシティで。 

R指定にビビって臨んだが、大したことなかった。チェンナイの集合住宅の主みたいな初老の男が、旧友の葬儀でヴァイザーグを訪れるが、遺児にけんもほろろに追い返される。旧友は殺害されたと推測して犯人探しを始めた彼は、ヴァイザーグ港湾を仕切るギャングのボス・サイモンに接近を試み、その過程で中ボス・ダヤルによって逆に弱みを握られて死体処理の仕事に就かされる。その処理方法というのが小学生の夏休み工作みたいでモヤる。ローケーシュらしい混乱させる脚本。またしても外国に売るための臓器摘出話が出てきて、実際にそういう事件があったのか気になった。サウビン・シャーヒルはほとんどゾンビみたいな役で、ナグを喰う勢い。ウッピはえらくカッコよく見せ場をあてがわれてた。アーミル・カーンはもうちょっとシャープに演出されても良かったはず。過去譚の因縁がよく分からなかった。回想シーンでのラジニとサティヤラージの若作りは上手くいってた。この労働者のリーダー像は何か元ネタがあるのかどうか調べること。スターキャスト過ぎて自重で沈んだ作品。MVPはアイテム出演のプージャー。

我在這裡等你(台湾/2024)をNTFLXで。 

英語題名「A Balloon’s Landing」、邦題「鯨が消えた入り江」。原題の意味は「ここで君を待ってる」。オタク女子の一部からの熱烈な推奨文言と、同時にLGBTQ当事者から「クィアベイティング」だとする痛烈な批判が目に入ったため。蓋を開けてみれば、『イル・マーレ』と似た構造で、男二人、香港と台湾をつなぎ、若干の時空の捩れを含んだ超自然的な空間移動がキーとなるファンタジーだった。張國榮への熱いオマージュも。「やり直し」で不幸な運命を修正するという点ではタイムリーブものの要素もある。そうしたテーマが見えてくるまでの1時間超は少女漫画のBL版のようなふわふわした描写が続く。そもそも作家をやっている主人公があんな中学生みたいなふわふわである点でリアリティーがほぼない。犬のエピソードもご都合主義。事故キスも学園ものコミックじゃあるまいし。90年生まれの監督の鄧依涵は多分そういうものをたっぷり養分にして育った人なのだと思う。劉俊謙はいつも自分がいい角度から撮られることにばかり腐心して演技をしていないように感じられた。范少勳の方が芝居をしていた。

Bagheera (Tamil/2023)をYTで。 

ヒンディー語吹替え版。オリジナル160分に対して127分になっている。アーディク監督作の全点制覇、苦しかった。ミソジニーをこじらせた男がサイコパスとなり、通報アプリを開発して不実な女を殺しまくる。基本的にそれだけ。カットされた30分強はソングだったのか、もう少し丁寧な因果関係の説明だったのか。Sigappu Rojakkal(1978)以来の使い古されどこかで見たようなプロットの連続。そしてやはり一瞬だがアジット萌えのカットがあり。デビュー作では不完全燃焼だったビジュアルにおける極彩色悪趣味、夜の人工照明への偏愛、三次元の実写にマンガ的な効果を付け加えること、ビザール愛好、デモーニッシュな悪ふざけ、沈黙を恐れるかのような高原状態の騒々しさなどなど、GBUでの完成に向かって着実に進んでいることが分かる。メインの時代設定は現代だが、そこはかとなくレトロな感触もある。プラブデーヴァの七変化は、一人の人間の変装だという設定の中で最大限に振れ幅が取られていて、結構巧い。サーイ・クマールは無駄遣い。女優たちのお色気衣装に監督のニヒリズムを感じる。

Anbanavan Asaradhavan Adangadhavan (Tamil/2017)をオンラインで。 

シンブが一番肥えていた頃のもの(ただし翌年のChekka Chivantha Vaanamではあまり気にならなかったが)。全体的にドヨンとかったるい。よくこんなものにシュレーヤーとタマンナーが出演をオーケーしたもんだ。女に惚れて足抜けしようとしたギャングが最後の人仕事で捕縛され、脱獄したのはいいが女のもとには戻らずドゥバイに高跳びしてその地でドンとなる。しかし30年後の彼はチェンナイで暮らしていたところで若い女に惚れる。前半はレトロなマドゥライギャング映画のパロディー、後半はほとんどつながりのない老人と若い女のロマンス。主人公の名前すら変わっている。シンブの弛みきった外見から老人ロマンスに舵を切ったのかと思えるほどだが、終盤に今度は変に風呂敷を広げていって、どうすんだこれと思っていたらPART2の文字が出て引っくり返った。しかしこれは絶対に後半は放棄されていると思う。ストーリーはあり得ないレベルで崩壊してるけど、画面のビジュアルのグラフィックなセンスは色んなものを先取りしてた。

もっと見る
映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。