Vakeel Saab (Telugu/2021)を川口スキップシティで。
大体筋は分かってるし、タミル版のリメイクは数日前に見たばかりなので、緩い心構えで臨んだ。メッセージ映画としては50/100点ぐらい。ナーラーヤナ・ムールティの赤旗映画のウルトラ・デラックス版みたいな感じで、女性を性的な脅威から守ることよりも弱者に寄り添う弁護士先生を礼賛することに重点が移ってる。アジット版のリメイクだが、さらに増し増しになってて、オリジナルからの借用部は圧縮されて早回しに。「あんたはヴァージンか」というのも敵方弁護士が言うというのに変わってたし。北東州出身の3人目の娘はアディラーバード出身のトライブの女性に代わってて、この人が証言台に立つシーンがなく、従って例のグッとくるセリフもなかった。弁論の最後の英語のパワーフレーズもなかったし。全体にテルグの保守的な観客に配慮した作りになったか。本当に問題なのは、これを見た観客が「だから娘は独りで街に行かせたりできないんだ」と思ってしまわないかという点。たとえ性風俗産業の女性であっても、その意思を無視した性行為を行ってはならないというメッセージは伝わったか。
Jathi Ratnalu (Telugu/2021)を川口スキップシティで。
まあ予想通り早口の字幕になかなかついて行けず、しかもその字幕がところどころ消えたりしてた。ときどき出会うことのある「よく分からないけどなんか楽しそうだなチッキショー」というタイプ。マスト・アリーも出てきて、ハイダラーバード・ウルドゥー語映画を彷彿させるところあり、あるいはLadies Tailorの呑気世界を思わせるものもあり、新しいスタイルのテランガーナ映画の可能性を窺わせるものがあった。主演の3人のうちプリヤダルシはTelangana Baashaで定評があるのだという。カメオのヴィジャイDにいたるまで、全体にテランガーナ色の強いキャスティング。センサー付きで自動で水が出る蛇口の使い方が分からなくてまごつく田舎ものとか、犯罪再現ドラマで実物と全然違う凶悪な俳優が出て来るとか、下手なギャグで笑わせる。法廷のシーンでブラフミーが渋い演技をしていて唖然とするなど。最後のナヴィーンによる自己弁護演説は支離滅裂なそれらしいフレーズの寄せ集めで笑わせるものだったと思うが、それぞれのネタ元が分からずにやや不完全燃焼。
インド映画における「外国人向け」と言う雑な言い方に関してはどこかで一度書いておかなければという気になっている。
欧米諸国の映画チケット定価がインド国内のものよりも圧倒的に高いのは疑いようがない。つまり少数の動員でも売り上げが上がるということだ。だからどんな作品でもoverseas revenueは無視できないものになってるし、映画製作者が海外市場を意識してしまうのは当然だ。しかし海外市場の内実はNRIだと言うことは明記しなくてはならない。NRIの嗜好は国内のインド人とは多分微妙に違うものだろうとは思う。しかし欧米人がインド映画を全面的に受け入れているかのような誤解を与える言説はまずい。また映画館での興行と自主上映とを峻別する日本のような考え方はインドには全くない。欧米や中東でも、かなりの国が両者を分けてカウントしていない模様。この辺りを腑分けしていかないと、「世界に躍進するインド映画、日本はインド映画後進国」というような妙な上から目線の言説の跋扈を許すことになってしまう。
Mookuthi Amman (Tamil/2020)をオンラインで。
いやなかなかに楽しい時間を過ごせた。Kanchanaを思わせる騒々しいコメディーと、ナヤンターラの神々しさと、時事ネタを盛り込んだギャグ、アジャイ・ゴーシュ(最初の構想でハリハランだったという)の布袋様みたいなゆるキャラ感、それぞれがいい感じにミックスされてるし、ナーガルコーイルのむっとするような熱気(明らかにチェンナイのそれとは違う)合わさって、ビジュアルだけでも大いに楽しめた。欲を言えばナヤンの無双シーンがもうちょっとほしかった。中盤ではアンマンがティルパティのバーラージに対抗意識を燃やすところがあってウケたが、さすがに人気ナンバーワンの神様を悪役にできるわけがなく、その後にゴッドマンが登場し、大体先の読める展開に。「PK」を思わせる問答の果てに「神は皆の心の中にある」ときれいに〆た。出奔した父の回心と母の拒絶のシーンは「クイーン」か。ともかく、キンキラ神様装束でなくとも神としての存在感を出せるナヤンターラは大したもの。「Ammoru」のラムヤ・クリシュナンの鬼気の再現を追求することはせずに、神の威厳を表現した。
Nerkonda Paarvai (Tamil/2019) をオンラインで。
テルグ版が上映されると聞いて、慌てて見た。テルグ版はヒンディーのオリジナルよりも、こっちから持って来てるんじゃないかという気がしているから。予想通り余計な枝葉がついて、オリジナルに20分プラスされた156分。公園とガレージでのよく分からない格闘と、いくつかのソング、それに亡き妻とのセンチメンタルなエピソード。しかしまあ、無理筋と思われたアクションの入れ方は上手い。オリジナルではバッチャンは認知症の初期症状らしきものを暗示していて、実はそれが一番のスリリングな要素だったりしたのだが、アジットの場合は双極性障害というのに変わってた。主役の女性のサブにムスリムとNE人というマイノリティーを配したのは原作に同じ。ヴィディヤのパートはどういう風に解釈していいのか悩む。出産という大事に望んで殉じた聖なる母性という扱いなのか。いずれにしてもあまり感心しなかった。法廷でのアジットの話術は見事。役名がバラット・スブラマニヤンというのは、スブラマニヤ・バーラティへのオマージュ。スーパーヒーローぶりの誇示とテーマとの危ういバランス。
Nainsukh (Dogri/Kangri - 2010)をVimeo有料配信で
48時間の中で2回見た。初回は人物相関関係が全く把握できず。細密画の画家にまつわる話だとしか知らなかったが、その画家ナインスクの有名作品を活人画のように再現するショットの積み重ねと、若干の説明的描写+瞑想的長回しだけでの82分。ジャスローターなどに残る遺跡を、往時の華やかな宮殿に見立て、活人画のように細密画を再現する手法で構成した映像詩。パラジャーノフを思わせるが、霊性ではなく乾いた感傷が込められた画面。廃墟を前にして映像作家が幻視した過去の情景を映像化したとでも言うような。小さいとはいえ宮廷でのあれこれの行事は優雅で、白い長衣をまとった男たちの仕草が雅やか。正面か横顔かのどちらかで写される人物像。ほんのわずかではあるものの歌舞音曲のシーンがあり、神寂た情趣があり非常に印象的。二度目のある程度背景を把握した上での鑑賞では、ナインスクと兄のマナクとの間で画業を巡っての確執があったらしいことが仄めかされるが、これは史実だったのか。ラージプートとムガルとの両細密画の間でのブリッジとしての側面も興味をそそられた。
Drishyam 2 (Malayalam/2021)をDVDで。
ケーララの兄ちゃんがどうしても見て欲しいと言ってきた。パート1から6年後という設定。実際の年月の経過に揃えたのかと思ったけど、前作公開は2013年だから、8年たってるはずなんだけど、2015年ヒンディー語版のことが念頭にあったのか。まずは次女の成長ぶり(あたりまえなのだが)に驚き、そして絵に描いたようなリアルな反抗期ぶりに笑った。全体の調子は苦渋に満ちたもので、一家がトラウマに苛まれ、また警察による再度の取調べの恐怖と隣り合わせで生きていることが克明に描写される。これは世の完全犯罪クライム映画のハッピーエンドに対する辛辣な批判となっている。この棘を抱えながら死ぬまでを過ごすことが、理由は何であれ人を一人殺したことの罰なのだという明確なメッセージ。トリックにはやや苦しい部分もあったが、それを劇中人物に「かなりリスキーだ」と言わせて、あらかじめ批判を封じる手腕。これほど苦悩に満ちたモーハンラールを見たのはChenkol以来の気がする。白骨はDNA鑑定できるが、遺灰になってしまったらそれはできないというのを後から調べて知った。
王と道化師たち(광대들: 풍문조작단、2019)をオンラインで。
韓国文化院の「韓国映画特別上映会」の第2回。前回の「世宗大王 星を追う者たち」が53分で接続不良で終わってしまい、ストレスが溜まっていた。道化師は賤民で奴婢であり、社会風刺をもっぱらとするものであるという設定(最初に登場するところでは詐欺団だが)。それが良民に取り立てられる代わりに不人気な王を讃えるための工作をせよと命じられる。広告代理店とイベントプランナーとエンジニアを兼ねたような仕事をする主人公。彼らが創意工夫して作る道具の中にはウォーキングマシンみたいなものまであって、史実ではないだろうが笑える。肝になるのは王の正当性を巡る問題で、これはいかにも儒教の伝統という感じ。一方で会盟の義という怪しげな儀式があり、これは国王をも拘束するだけの秘儀だというのが何とも言えない。
Nanban (Tamil/2012)をDVDで。
2日がかりで見た。何でこんなのに時間がかかるのかといぶかしく思ったが、後から見たら3時間越えだったことを知り納得。オリジナルがどうしても駄目だったので、南インド版、それもシャンカル版を見ればスッキリ楽しめるおもた思ったのだけど、やっぱり駄目だった。悪いのは原作で、シャンカルではないのは分かってるが、なぜシャンカルがこのリメイクを手掛けたのかは謎のまま。後半の(劇的進行の見地からは)一番どうでもいいダンスだけは見ごたえがあったが。そのためのイリヤーナーという気がした。ともかく、賢げなメッセージ作品だ。そしてヴィジャイは物静かな変人な天才には全く見えない。脇の二人の演技が手堅いと余計に無理がある。そして悪役のイタさが辛い。暴力映画ならば誇張された悪役は楽しいのだが、そうじゃない作品であそこまでエグいと醒めた気分になる。一番イヤなのは、二回出てくるヒーローへの敬意の表現としてのズボン降ろし(Aruviでネタになってたやつ)。あれってオリジナルにもあったっけ?ラストシーンの絶景を南印のどこで置き換えるのか気になっていたが、あれは上手いと思った。
I (Tamil/2014)をYTで。英語字幕付き。
4~5年ぶりに見た。その後の『ロボット2.0』を見てからの再見だと味わいが増す。両作ともメッセージは極めてシンプル。まだルッキズムという言葉が大衆的に使われる前の作品だが、おそらくは人類が社会生活を始めた頃からあるであろう美醜に基づく差別や不平等を極端な形でこれでもかと提示して断罪する。舞台をモデル&広告業界に置いたのはハマりすぎ。そして極端に美を求める志向のグロテスクさを表すのに、目にもまばゆい美しさをこれでもかと突き詰めることにより、脳をジンジンに痺れさせる。シャンカル監督の蕩尽的なビジュアルにはもう充分な経験があるので驚かされないぞと決意して臨み、やはりその異常イメージの炸裂にキーンとなって打ちのめされる。インドでは広告業界は急成長産業で、数十秒の映像に溢れんばかりの資金を投入し、1秒当たりのバジェットも大層な額になるはずだが、シャンカルはそれを3時間ぶっ続けでやった感じがする。具体的な数字は分からないが。グロテスクな復讐が、ヴィジュアルとしてはかなり笑えるものになっているのも見事。トランスフォーマー・ソングはロボットの萌芽か。
Master (Tamil/2021)を二日に分けて。二回目。
相変わらず字幕は脳を素通りしていく。そのうち日本語字幕で見られるようになるだろうというのもあって。チェンナイ/ナーガルコーイル問題はやや整理されたが、それにしても簡単に行き来してくれるよなあという感じ。特にアンドレやの移動。センチメンタルな「クッティ・ソング」以外のソングは高速ビートで素晴らしい。特にエンドロールのお囃子がいつまでも耳に残る。で、やっぱり印象的なのはヴィジャイの裸だった。おあれはマニュアルに沿って人工的に作られた無個性なムキムキではなく、個人の歴史の証言としての体だったと思う。もちろんしっかりとトレーニングをしているが、むやみと盛り上げればいいというものではなく、あくまでもアクションを美しく行うための肉体の造成の結果としての体なのだと思った。
Manikarnika: The Queen of Jhansi (Hindi/2019)をDVDで。
邦題は『マニカルニカ ジャーンシーの女王』。前半はマキマキで話が進むので国際版なのかと思ったら、本国版と同じく二時間半あった。クリシュ監督因縁の作品なので、いい所を見出す姿勢で臨んだが、全体としてペラペラした印象。一般には評価の高いファッションが浮いていたのが一番の原因かも。特に下層女性までもがファブインディアみたいなのを着てた時点で興ざめ。この時代に存在したかどうかよく分からない「愛国・独立」の概念、および女性のエンパワーメントが二つの柱としてあり、例によってインドの歴史映画はその時代ではなく現代の関心を直接反映しているのだった。単独ヒロインのカンガナーは、これまでの現代劇のようにちょっと頭のネジのイカれた女性を演じれば魅力的だったが、女傑というには迫力が足りない。往年の大女優がやっていたらというのが見てる最中にも頭をよぎった。ラストシーンはさすがに金縛りに持っていったが、ポスター画像などまるで女子プロレスでどうかと思った。「Pazhassi Raja」を越える史劇はやはりまだない。
Action(Tamil/2019)をDVDで。
邦題は『アクション!!』。色々と問題ありげなビデオスルーで、同じ会社から出てる作品についてもいい話を聞いてなかったが、字幕は思ったよりはまともだった。作品自体は何とも言えない古臭さを感じさせる壮大なアクション。明らかなお色気要員扱いのタマンナーが疲れて見える箇所がところどころ。ロンドンと言いながら海が見える場所があったりする(アゼルバイジャンのバクーらしい)イージーさ。しかしクライマックスのラホールのチェイスシーンは迫真的だった。あれはどこで撮ったのだろう。名にしおうアクションのシーンは上手く撮れてた(特に高層集合住宅の壁でのもの)が、それ以外が、ハッキングにしろ、銀行の顧客データ獲得にしろ、出国チェック突破にしろ、面倒だしよく分からないからテキトーにそれっぽくした感が充満。ラホールの婚礼シーンは笑える。最後の航空機ストップのシーン、怪しい乗客が搭乗済みとの情報はどこで入れ替わったのか。管制塔にも潜入要員がいて掃除するふりして通信を断ったりできるのか。冒頭のVJS登場も限りなくチープで凄い。エンカウンターで〆るという感覚もどんなもんだろ。
『アル・リサーラ /ザ・メッセージ』(1976)をイスラーム映画祭で。
リビア、モロッコ、エジプト、サウジ合作。ムハンマドその人については影ですら映さないという幻術映画的な禁欲性と、全盛期ハリウッドの歴史大作風のエンタメ(実際に英語版で主役を演じたのはアンソニー・クインだったというし)が魔結合した不思議な207分。休憩ありだったので最後までスッキリ見られた。預言者が出てこないのは知ってたけど、アリーもまた、劇中には登場するのに剣の先しか映さないという気配り。こういう作品にありがちなんだけど、悪役扱いのキャラの方が個性豊かで魅力的なのはなぜなのか。特にヒンドの魔女っぽい演出が凄い。教団側で良かったのはビラール。それからイスラーム以前のアニミズム的宗教のトーテムが集まった旧カーバ神殿の秘宝館的佇まいにドキドキ。はっきり言えば非常に魅力的。そういう神さんを押し頂いて行進する際のどんどこ鳴り物にもワクワクした。難を言えば、ヒンド以外の女性キャラがあまりいなかったこと。教団内で女性がどういう位置づけだったのかを知りたかったが、宗教界の重鎮ともすり合わせるという慎重な製作では踏み込めなかったのか。
Baiju Bawra (Hindi/1956)をYTで。英語字幕付き。
あらゆる芸道ものの母とまで言われている名作、そしてSLバンサーリーがリメイクを製作中というので、早く見ようと思っていた。シェマルーの全編動画があったので勇んでみたのだけど、なんかかったるい。古典声楽的なものよりもフィルミーソングの方が威張ってる。そして権勢を誇る宮廷音楽家との対決という力の入るプロットに行くまでの道筋がどうもまだるっこしくて説得力がない。特にダコイトの女性のくだりとか。調べてみたらオリジナルは2時間45分あるはずなのだけど、YTでは2時間35分しかなかった。10分のカットが大きいのかどうなのか、DVDを買うしかないのか、しかしシェマルーDVDだと中身同じという可能性もある。終盤の悲劇に至る道筋も、ウィキペディア読んだら細かく書いてあったけどYTではバッサリ刈り取られてるし。ないし。ともかく本作は、事前に言われていた「古典ベースのミュージカルなどウケない」というのをひっくり返してヒットになったという。主演のバーラト・ブーシャンはその後も似たような作品に出たらしく、フィルモグラフィー追跡の必要を感じる。
Halal Love Story (Malayalam/2020)をSGAPで。
『ナイジェリアのスーダンさん』のザカリヤ監督の第二作目で、アマプラオリジナルのOTTリリース。保守的で信仰熱心なムスリムのコミュニティーが、安心して皆が見られる「コミュナル映画」を作ろうとする一部始終を描くコメディー。肌の露出や抱擁などはハラームなので写り込んではならない。またそうした条件をクリアしたうえでも、劇中のカップルは実生活のカップルでもないと安心できない。そこに、そんなの知ったこっちゃないのアート志向の監督が登場して起きるあれこれ。多くのレビューが本作をサタイアと評しているが、サタイアのサタイアたるところは、そのハラールなカップルを劇中および劇中劇中で演じるのがヒンドゥー教徒とクリスチャンであるところではないか。ただの人からちょっとした訓練を受け縁起の才能を開花させる妻役のグレース・アントニーが素晴らしい。インドラジットの痛い人ぶりは演技なのか素を活かしたものなのか分からなくて怖い。草の根イスラムにコカ・コーラ反対の左翼主義がブレンドするところに痺れる。性にまつわる夫妻のプライベートな会話に感銘。
Master (Tamil/2021)を川口スキップシティで。
館内の治安はまあまあ許せる限度内。本作でもローケーシュ・カナガラージの癖が面白かった。それは意地でもロマンス描写に時間を使わないぞというのと、主人公が抱えたトラウマを、通常のタミル映画のような親切仕様フラッシュバックでえ丁寧に描かないというの。VJSはこれまでのヴィジャイ映画の最凶悪役か。アンドレヤのキャラの位置づけは不明ながらカッコいいシーンがあって良かった。シャンタヌ・バギャラージの面変わりに驚く。チェンナイなのかナーガルコーイルなのかよく分からない場面あり。ヴィジャイはもしかして初めて本格的に脱いだか。ボリウッドの人造速成筋肉の塊と違って非常に美しい仕上がりだと思った。子供たち以外にも、意識的に背の低い俳優が集められたのか、俯瞰撮影の工夫があったからなのか、屹立するヒーロー像が強調されていたように思う。最後のメッセージ「子供たちが武器をとることがないように1人で戦う」は素晴らしいが、ある一線を越えてしまった犯罪者は、犯罪の理由がその生い立ちにあろうとも死ななければならない、というリアリズムも示した。映画からの引用多し。
Iraivi (Tamil/2016) をDVDで。
@PeriploEiga カンナギが前面に出されたのは、結局「カンナギがconsortではないから」に尽きるのかも。コーワランはいかなる意味でも神格化はされなかったから。ケーララならバガワティになっていた。タミルでなら単独神としてアンマンというのもあったが、アンマンにはあまりに色がつきすぎていたため避けられたのか。
Iraivi (Tamil/2016) をDVDで。
3年ぶりぐらいの2回目。以前見た時に何らかの感想を書きなぐったと思ったのにどこにもない。せんじ詰めれば女性の受難を描く作品であるのだけど、それをTVシリアルのようなメロドラマにするのではなく、男たちの破滅の物語として描いた点が素晴らしい。ただ、SJスーリヤのパートはこれでもかと言うぐらいに執拗にイタくて、ちょっと息苦しくなる。登場するほとんどの男たちが犯罪を犯すのだが、犯罪を犯すのと引き換えに守りたいものというのが、やはり冷静な目で見るとそれに値しないものであることがハッキリ分かる。まあそれにしても、この入り組んだ筋の中心をなす「カンナギと悪魔」というのが釈然としない。現代のタミルのヒンドゥー教信仰ではカンナギというのはややマイナーな女神のはず。美術品を買いあさる外国人に対するアピールなら、カンナギと言うよりは「チョーラ朝のブロンズ」などと言うはず。そして古代のカンナギ物語には、「悪魔」に代表される怪力乱神の類はほとんど出てこないのだ。このあたり、映像作家がカンナギに込めたメッセージを知るためにもう少しレビューを漁らなければと思った。
Sufiyum Sujatayum (Malayalam - 2020)をUSAPで。
監督が死んだというニュースから入った作品。カンナダ語を話す住人もいる西ガーツ山中の村にやって来る若い男。スーフィーとのみ名乗り、アザーンで美声を聞かせるが、祈りの最中に息を引き取る。その男と過去に愛し合い、今は見合い結婚をしてドゥバイに住むスジャータが葬儀に駆け付け、その過去が明かされるという物語。久しぶりに現れた本格的イスラーミケイト作品。まず、風景が霊的なオーラを帯びているようでびっくりする。山奥のようでいて、俯瞰になると美しい平野のようでもあり、どこまでが実写なのか分からないが、言ってみたくなる景色。うっとりとしたいい時間を過ごしたが、批評はかなり厳しいものが多かった。123分しかないのにかなりゆったり感じた、そのテンポが批判されたのか。まあしかし、ムスリム・ソーシャルから一歩踏み込んだ霊的な語りの試みは評価したい。それと何をやっても絵になるアディティ・ラオ・ハイダリのあれこれと、ムスリム音楽の煌びやかさに点が甘くなるのはある。スーフィーが練習したりしている旋回舞踊は、ケーララにも実在するのか?