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Jai Bhim (Tamil/2021)をオンラインで。 

2:39の長編だし、出だしではやたらとメモを取らなきゃいけない固有名詞続出で全然進まないしで、これは3分割鑑賞かなと思ってたら、中盤からガンガンに飛ばし始めて面白くてやめられなくなって一気見。実話がもとになっているだけあって、そんなに驚くようなウルトラCはなく、ファイルの山の中から調書を見つけて時刻の矛盾を突くとか、死体遺棄現場のタイヤ跡を特定するとか、地味な手法で証拠崩しをしていく。スーリヤのダンスやアクションは封印、華麗な法衣捌きがアトラクション。冒頭のシーンで、いきなりカースト名の読み上げ(8つも)があって度肝抜かれた。しかし抑圧側のヴァンニヤルは一度も言及されず。しかしカレンダーの図柄だけで大炎上するとは(もちろん意図的に取り込んだものなのだろうけど)。トライブの中には、定住して生活しているにもかかわらず、基本的な身分証明もなく、従ってクオータを申請するためのカースト証明書もないという状況があることが分かった。それから、これ見よがしでなくさり気なく女子のエンパワーメントも訴えられている。表題のスローガンは劇中には現れず。

Maanaadu (Tamil/2021)をイオンシネマ市川妙典で。 

ほぼノーマークの一作が自主上映と知り驚いたが、ヴェンカト・プラブ作品だと知り納得。しかし一旦上映が始まるとシンブ、それについでSJSへの拍手喝采もかなりのものだった。タイムループSFと聞き、予告編を見ただけで大体想像はついたけど、そのタイムループがだんだん狂熱的なテンポになっていくのに興奮。ハリウッド映画と違い、そこにいるのはシンブとSJSなので、形而上的で哲学的な方向には向かわず、あくまでも笑いと汗と血のほとばしるバイオレンスなのが素晴らしい。それにしてもシンブは相変わらずアクが強いというかアクだけでできてるような顔で、役に溶け込むと言うのは無理な役者だ。対するSJSがダヌシュコディという役名だったのはダヌシュへの当てつけか。タイムループの中に「胡蝶の夢」コンセプトを持ち込んだのはすごいけど、SJSの方が強制的に「その日の朝」に引き戻される契機が何なのかは不明。主人公はその死によって引き戻されるが何回ループしたのか。さすがにあれだけ繰り返されると飽きないだろうかと心配した。Venkat Prabh Politics。

僕の中のあいつ(내안의 그놈、2019)をオンラインで。 

前知識ゼロでコメディーとだけの認識で臨んだのだけど、これボディー・スワップものだったわ。しかもありがちな男女間の入れ替わりじゃなく、いじめられっ子のロマ男子高校生と裏社会の有力ドンというの。それで、そのノロマ高校生(中身はヤクザ)が休み期間に武術教室でフィットネスに励んだら誰もが振り返るアイドルもどきに変身するという少女漫画展開も。日本だったら間違いなくアニメになる素材を実写でやる韓国映画はすごい。高校生の正体を知ってなお仕え続ける舎弟の演技がおかしくて笑った。高校生がジャッキーンとなってからのアクションシーンは正攻法ながらなかなかにリアリティーがあって振付が上手いなと思った。学校内のかなりエグいいじめのシーンにはガクブル。女子高生がやはり武術を習って強くなったシーンをもっと見たかった。

グッバイ・シングル(굿바이 싱글、2016)をオンラインで。 

韓国文化院の韓国映画企画上映コメディ①として。疲れ切った頭にはコメディーがいい。落ち目女優が老後を考え子供を持つことを考えるが、既に閉経していて実子は望めず、養子も法的に難しいので、10代の妊娠をしてしまった中学生を一時的に引き取り、赤ん坊を自分のものにする約束で共同生活を送るというもの。マブリーがスタイリスト役というのは、要するに熊に可愛い芸をさせて意外性で笑いをとる好きじゃないパターンかと思ったけど、だんだんそうでもないことが分かってくる。最後はじんわりさせるという路線だが、それよりも、血のつながらない変則的な家族像というのがいいと思った。Kumbalangi Nightsのような深みはないけど。それから韓国映画、貧乏を描かせると上手いけど、その反動のような、現実感のない大金持ちワールドも結構よく出てくる印象。

Doctor (Tamil/2021)をイオンシネマ市川妙典で。 

SKがシリアスに転じて(つまりストーキングをやめて)しかも成功したという一作。社会派なのかと思っていたが、レビューの多くはダーク・コメディーとしていた。SKとヨーギ・バーブ以外知ってる顔がほとんどいない(ヒロインですら誰か分からず)という意味で実験映画みたい。女児誘拐&人身売買の組織と対決する軍医という構図だが、軍医にする必然性は低い。終始むっつりしたSKは「シリアスごっこ」感がぬぐえない。幾つかループホールではないかと思ったのが、①警察にまともに仕事をさせるために高官の子女を誘拐するプロットがあったがあれはどうなったのか②後半で主役の一家の中のやや薹の立った女性を狂言誘拐するところがあったはずだがあれは何だったのか。イカれた警察官バガトをやったRedin Kingsleyはイライラさせられるが強烈、それに半端ラウディーをやったSunil ReddyとShiva Arvind(特に後者)が印象に残った。この監督、ヴィジャイの次作の担当だと言うが、若干不安にさせる。ミリンド・ソーマンがあんな風に出て来るとは落ちぶれたもんだ。

子どもたちは楽しい(아이들은 즐겁다、2021)をオンラインで。 

TIIF提携企画のコリアン・シネマ・ウィーク2021の配信で。ソウル近郊に住む9歳(後から調べて知ったのだが)の男の子の物語。トラック運転手の父とは血がつながっておらず、生みの母は入院している。新しい学校に転校してきて、すぐに仲間ができるが、一方で勝手に対抗心を募らせるメガネ君も。キャラがハッキリした同級生たちが立ち現れる。母の病は重くなり、仁川にある病院に転院し、学校帰りの見舞いはできなくなる。そこで彼はある休日に仲間たちと一緒にバスを乗り継いで仁川に向かうが、バスの行き先を間違えて田舎道を彷徨うことになる。程なく警察に保護された彼は望む通りに病院に行きつき、母の最期を看取る。特に成長物語とも言えない、スケッチの集成。全体としては悲劇の物語なのだが、それでも子供は合間を楽しむ。特に4人の子供が小旅行に乗り出す場面はドキドキした。現代の子供でスマホを使いこなしていても、あんなところでフッと間違えてしまうものなのか。文字がほぼ読めないという意味で9歳児以下の自分だったらどうだったろう、というのがやたらリアルに迫ってきた。

Sooryavanshi (Hindi/2021)をイオンシネマ市川妙典で。 

Covid19対策がなされてから初めての妙典、スクリーン2。端のぼっち席でやりたい放題した。会場は9割がた埋まってた。日本人はほとんど見かけず。それにしても、インド人観客のマナーの悪さ、ヒンディー語映画の時の方が目立つと思うのだが偏見か。ローヒト・シェッティだから期待値低めで行ってちょうどよかった。さり気なさのかけらもない、これ見よがしな宗教融和のメッセージと、ガキの戦争ごっこに近い長々しい銃撃戦。それに90年代のリバイバルだという古めかしいラブソング。昨日見たAnnaattheはディーワーリーの爆竹映画だったが、これはディーワーリーの花火映画、どっかんどっかん景気だけはいい。ゲストの2人ではADの方が威張ってる感じだが、キャラがメインのアクシャイと被っていて効果が薄い。RSはコメディアン枠だが、華やかさではキャスト中で一番。「某国がテロを繰り返すたびに観光業界もエンタメ業界も冷え込むではないか、アリー・ザファルもボリ映画に出られなくなってるじゃんか」と、作中で一番おもろい台詞を言っていた。一ことで言えば大味。

最善の人生(최선의 삶、2021)をオンラインで。 

TIIF提携企画のコリアン・シネマ・ウィーク2021の配信で。地方都市に住む高校生のやり場のない鬱屈と、仲良しの3人組の間に忍び込む格差と憎悪を描く。無口な主人公ガンイと女王様タイプのソヨン、水商売人生に突き進むアラムのキャラの対比が鮮やか。3人は揃って家出するが、その行き先がソウルなのかどうなのか。ともかく、地方都市では女王様のソヨンが全く埋もれてしまうという皮肉な設定に演じ手がぴったりはまっていた。失意のソヨンとガンイはねぐらの中で衝動的に交わるが、直後からソヨンはそれを激しく後悔して、その反動でガンイを憎むようになり、子供じみた態度でそれを表す。この辺りの機微が痛いほどによく分かる。そして本当は一番ひどい人生を歩んでいるはずのアラムが、訳知りの世話焼きとして脇に回っているのが何とも言えなかった。

Annaatthe (Tamil/2021)を川口スキップシティで。 

評判が悪いと聞いていたけど、天晴なディーパーヴァリ大作だった。ヒロインはナヤンターラではなくキールティ。それなりの演技力がなければ務まらない役だった。神の遍在というか、いつも見守ってくれている神としてのラジニというのが、分かりやすく絵になっていた。悪役異母兄弟の確執はいまひとつスッキリしないものだったが。幼年時代の回想シーンを見ると、兄と妹はせいぜい10歳ぐらいしか離れていないのに、兄の昔の結婚相手候補(クシュブーとミーナ)が自分の息子たちを妹の相手にと勧めてくるあたり。二人とも80年代90年代のラジニ映画のヒロインだったことを思うと余計にアイロニーがある。ナヤンターラは『ビギル』での立ち位置とほぼ同じ。スキップシティでの上映は、そう断ってはいないが実質的に爆音上映で、まさにディーパーヴァリの爆竹のようだった。こればかりは、配信で見た場合には印象は相当違うと思う。シヴァ監督はカラフルで騒々しいけど理想的で架空の田舎を描くと素晴らしい。ラジニが自分でダップ太鼓を手にして演奏するシーンあり。コルカタのシーンはトラムがいい。

Alborada (Sri Lanka/2021)を東京国際映画祭で。 

パブロ・ネルーダのセイロン滞在時のエピソードを描くという事前情報のみで、爽やかなスチル写真にも惹かれて見に行ってみたが全然違ってた。実質タミル映画といっていいほどにタミル人が多く登場する。クライマックスまでは、植民地時代のセイロンに名誉領事としてたどり着いた、限りなく不良外人に近いチリ人の若者の、懶惰な社交界での生活と半端なオリエンタリストぶり、子供の夏休みが永遠に続くかのような無邪気な戯れを描き、ただしフランス映画のベトナムものほどに映像の鮮烈さはなく、微妙な印象だったが、微妙な印象だったが、クライマックスでヒリヒリとしたものに。エンディングで彼がトイレ掃除の用具を運び続ける描写は、彼がその後死ぬまで非難を受け続けることを暗示するのか。ただし、善と悪の二項対立にすには植民地は余りに複雑すぎるので、主人公に犬のように仕えながらもダリトのタミル人を差別するタミル人バトラーを配し、最後に彼に反撃させるが、それは象徴的なものでしかなく、彼が去った後には代わりは幾らでも見つかるだろうという皮肉。ウェラワッタが舞台という設定。

私にはとても大切なあなた(내겐 너무 소중한 너、2021)をオンラインで。 

予備知識なく見て、障碍者ものと知って若干退いたが、お涙頂戴になるのをギリギリところで回避するクレバーな作り。母を亡くした8歳ほどの孤児の女児が全盲で聴覚障碍なら、それはヘレン・ケラーと同じ。見終わってレビューを読んでやっと気づくとはボケボケ。気づかなかったのは、生物的な快不快を超えた概念を会得するのが、ヘレン・ケラーとは違い割とすんなりと運ぶから。笑顔が可愛くて下の始末には困っていないというのは映画的な美化か。Bクラスの芸能プロダクションをやってるチンピラもどきの主人公を演じる俳優のチンピラっぽい芝居はひたすら上手い。主人公のキャラにはVikramarkuduがちらつく。そして見終わった後で、例によってオフスクリーンのイメージを見て落差に何とも言えない気持ちになるところまで含めて堪能。

Kummatty (Malayalam - 1979)を東京フィルメックスで。 

邦題は『魔法使いのおじいさん』。今年になってデジタルリマスターされた映像。最初に見たのは何十年前だったか。前半のイメージはかなり鮮烈だけど、後半のワンコの熱演部分は全く覚えていなかった。久しぶりのアラヴィンダン、寝てしまうのが怖かったけど、歌あり踊りありで眠くなることはなかった。あの茫漠たる平原はケーララのイメージじゃなく、むしろカルナータカのものだけど、ロケ地はどこだったのか、ちょっと調べただけでは分からなかった。上半身裸の老女は今にして思えばトライブの女性だったと分かるのだが、中盤にちょっと出てくる子供のテイヤムのようなのはどこのものか分からなかった。子供にとっては空恐ろしくもあり魅力的でもあるBogymanの小父さんは、同時に生身の人間でもあり、体調も崩すし、髭は床屋にあたってもらったりもする。それでも立ち去り際にはすごい魔法をかける。当時のものをそのまま使ったという字幕の監修者として伊藤正二氏の名前があってジーンとする。あの動物の面をつけた門付け芸には名前があるのか、それとも映像作家による創作なのか。

Churuli (Malayalam/2021)を東京国際映画祭で。 

一筋縄ではいかないと思ってたけど、今回もまた西ガーツ山脈の限界集落を舞台としている。カンナダ語の看板がかかる市のようなものが立つシーンだけが人工的なもので、あとは圧倒的な森林とそこにへばりつくようにして立つ貧しい家々。二人のへっぽこ刑事が迷い込んでいくのは、僅かな人間の住む寒村ではなく、螺旋状にうねりながら意志をもって息づいている大自然そのもので、その住人たちは意志持つ大自然の触手に過ぎないのではと思わせるものがあった。またしても「ラテンアメリカの孤独」の再現か。当初SFとも言われていた本作だが、実際はかなり独特なコメディー・ホラーとでもいうべきか。集まった村人たちがある瞬間を境に不気味な表情を見せたりするのは微かに怖いのだが、それは怨霊などではなく、地霊というか自然の一側面に見える。アート映画の中で、ユーモアを追求するリジョーの姿勢はあっぱれ。ともかく圧倒的な森林浴効果があるので、もっとゆったりしたシネコンのシートで再見したい。冒頭のシヴァ派の坊さんの話以外で朗読されるのは黙示録か。大自然と交感して共鳴する夢の世界。

私は私を解雇しない(나는 나를 해고하지 않는다、2021)をオンラインで。 

TIIF提携企画のコリアン・シネマ・ウィーク2021の配信で。これまでのオンライン上映と違い一週間集中上映。そのせいなのか何なのか珍しく抽選から外れた回もあった。しかし全部当たってたら逆に八方塞がりだったかも。ともかくこれは傑作。割と苦手なメッセージ系なのだけど、1時間50分の画面の詩的な美とヒリヒリする身も蓋もない現実とが、ミニマリズムのセッティングの中で突き刺さるほどに効果的。本社・下請け間の差別構造と、本社での男女差別、現場での男対女と地位の上下の入り混じった緊張関係、などなどが明滅するように入れ代わり立ち代わり現れ、そこに基本的ライフライが過酷な労働環境によって維持されていることも示される。そして最後にヒロインの孤独な戦いとその人生を回顧するモノローグがこの世のものとも思われない光の中で漂う。美しい女性を主役にしながらも、女性性をほとんど表出しないところが素晴らしい。ラストのこの映像は本当に良かった。
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Koozhangal / Pebbles (Tamil/2021)を東京フィルメックスで。 

邦題は『小石』。父が息子を学校から連れ出し、実家に逃げ帰った母を連れ戻すためにバスで出かける。途中のエピソードは、水瓶を3つも持って乗り込んでくる年配女性、父の吸う煙草が煙いと揉みあいを始める男、乳飲み子を抱えた不動の女性など。母の実家に着いてみると、母は既に置いてきた子供を心配して家に戻った後だった。母の親戚と掴み合いの喧嘩をする父。父はすぐに戻ろうとするが、息子は反抗心からバス代の紙幣を破ってしまう。逃げる息子を父は追い、捕まえて折檻する。そして家までの長い道のりを歩きだす。途中のエピソードは、鼠を捕って食べる極限の人々との出会い、教師のバイクに息子だけが乗せてもらう、父が怪我する、犬がついてくる、それぐらい。やっとのことで家に帰りつくと、妻は水を汲みに出かけたところ。泥の水たまりのような水汲み場で、自分の番が来るのを延々と待ち続ける女たちのショットで終わり。息子が口に小石を入れるのは、極端な渇きに襲われた時にそうすると、唾がでて渇きが和らぐからだと上映後のQAで知った。家には小石の山がある。

Jhini Bini Chadriya/ The Brittle Thread (Hindi/2021)を東京国際映画祭で。 

邦題は『もろい絆』。ヒンドゥー原理主義の声が高まるヴァラナシで、底辺ムスリムの織工がイスラエル人観光客の女性の案内をする。彼はその女性に恋心を抱くが、彼女はカジュアルに滞在を楽しんだ末に町を離れる。彼はしばらくして親類の娘と結婚する。一方でラーニーという名のキャバレーダンサーは、聾唖の娘をもつシングルマザー。卑猥な踊りを踊るだけでなく、RSSの有力者に体を提供することで娘に良い教育を受けさせようとする。彼女にべた惚れしてアッシーをするバーバーはぞんざいにあしらわれるが、それでもまとわりつくことをやめない。ある日彼女は男たちからレイプされてボロボロになるが、そこにRSSの有力者がやってきて体を求める。抵抗する彼女をRSSの男は打ちのめす。怒り狂ったバーバーはRSSの男を暗殺する。これがきっかけとなり、ヴァラナシの街はコミュナル暴力の巷と化す。職工は妻を救うために髭を剃ってスクーターで出かける。バーバーは警察のエンカウンターで殺される。ラーニーの娘はダンスを習い出す。

Mangalyam Thanthunanena (Malayalam/2018)をオンラインで。 

ニミシャ・サジャヤン固め見のプロジェクトの一環で。それにしても彼女は共演相手がどの作品もおっさん寄り。老け顔だからなのは分かるけど、いずれの相手も演技派ですごい。そしてほとんどの作品で危機に直面した女性を演じている。その中では本作はぬるま湯な方。チャッコーチャンにありがちなダラダラしたコメディー。相変わらずの借金を背負った無職青年の苦闘という設定。若干の捻りは、一時は湾岸で働いてそこそこの暮らしを立てていたが、訳あって帰国して休職中というもの。最後の解決はかなりイージーな、「それで解決ならもっと早くやっとけ」というものだった。その素直な解決法を取れないために、非現実的で馬鹿馬鹿しいあれこれに手を出すというのが笑わせどころらしい。まあでも十分に歪んでる。借金を返すために妻の金製品を売ろうとするが、母のものに手をつけるのは断固として拒む(マザコン)とか、妻の父の会社に勤めるのを嫌がる(妙なエゴ)とか、うべなえない。でもチャッコーチャンだから見られてしまう。久しぶりのシャーンティ・クリシュナに涙。

Malik (Malayalam/2021)をオンラインで。 

何かクライムスリラーらしいという曖昧な前情報で鑑賞したが、実際の事件に基づくポリティカル・スリラー。ただし、政界の動きはバックグラウンドでしかない。モデルとなったムスリムの集住村はBheemapallyというらしい。過去に警察と暴徒とのもみ合いで鎮圧のために警察が発砲し死傷者が出た場所。ここではないが、似たようなムスリム村に行ったことがあったので、ただならないリアリティーがあった。一人の男の30年超の人生行路を演じるファハドは見事としか言いようがない。ニミシャはじめ脇役もそれぞれが適材適所。多くのレビューがゴッドファーザーやカマルのNayakanになぞらえていたが、むしろSRKのRaesを思い起こさせた。結局政治化+警察には勝てないのだ。ただ上記作品群のように主人公を英雄化するアングルはほとんどなく、老いて物理的に縮んだようにすら見える現在の姿が凄味をもって描かれた。字幕がなぜか読みづらく、幾度となく停止+リワインドしての鑑賞だったが、これはストーリーを知ったうえでもう一度最初から通し見したい。久しぶりに見るジャラジャ―に涙。

Chola (Malayalam/2019)をオンラインで。 

2019フィルメックスで『水の影』の邦題で上映されていたのを必要に迫られてやっと。一本も見ていないシャシーダランを、なぜかグロ映画を撮る監督と思い込んでいたけど、そういう意味では問題なかった。Kappellaとかが描いた問題の大本はこれだったかと今更ながらに眼が覚めた。ニミシャとジョジュの演技は鳥肌もの、共同プロデューサーにジョジュと共にカールティク・スッバラージが加わっていたと知り吃驚。後半でのヒロインのやや不可解な行動は、錯乱からというよりはある種のストックホルム症候群だろうかとも思ったのだけど、後から監督のトークを読んで、もっと身も蓋もない理由だったのだと知りどんより。それからレビューを漁るうちに、ラーマーヤナと関連付けるものに当たり、膝を打つ。最初と最後に現れる尤もらしい寓話も、最後に大地が身を震わせるというのを考えれば確かにそうだ。ただ、寓話という考えが浮かばないほどに、キリキリするリアルさが全編を貫いている。特にクライマックスの圧倒的な水の存在感。源氏の宇治十帖のもの恐ろしい滝の音」というのを久しぶりに思い出した。

Kunju Daivam (Malayalam/2018)をYTで。 

素人臭い英語字幕付き。ジヨー・ベービ作品なのにThank Godで始まる。前半は田舎で育つ純朴な少年のあれこれを童話調に描く。汚れた大人と純粋な子供の対比と、子供が初めて直面する死が基調。後半で、優等生ながら難病を持つ9年生の少女が現れ、6年生の主人公が腎臓移植を助けるために奔走する。「物の分かった」大人たちは少年の奔走を空回りと見て、鎮めようとするが、彼は矯められることがない。金の工面はできた者の、腎臓の提供者が見つからずにいるところに、名乗り出たのはデカい図体を持て余した万年子供のシブだった。きれいな良い話だったのだけれど、今一つ食い足りない。つい比較してしまうのはManjadikuduで、こちらも子供の純粋と大人の不純とが対比的に描かれたものだったけど、そこにはもう後戻りのできない大人の已むに已まれぬ事情があったし、自分の力ではどうにもならぬことがあるのを初めて知る子供の消沈があった。前作2 Penkuttygalとは違い社会の抱える問題は前面に出てこず、これは児童を描いた児童映画と言っていいものなのかと思った。

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