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『ドクター・スリープ』の予告編がいよいよ映画館に流れ初めて、正直なところあれだけだとあんまり面白そうに見えないのですが、監督がマイク・フラナガンということで…フラナガン総監督のNetflixドラマ『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』は原案のシャーリィ・ジャクスン『丘の屋敷』にスティーブン・キングの『シャイニング』(キューブリックの、ではなく)をミックスした大変な力作でしたから、実はめちゃくちゃ期待してます。

『プリデスティネーション』の原作に描かれているのは映画版の前半だけなので映画オリジナルの後半の怒濤の展開にはただただ感服。

「このクソ野郎!二度とあおるな!56キロで走ってる時の制動距離は車何台分だと思ってる!6台分だ!およそ32メートル!ぴったり寄せてあおるんじゃない!交通安全の本を読んで勉強しろ!ルール違反は最低だ!去年は交通事故で5万人が死んだんだぞ!貴様のようなバカのせいで!交通安全の本を買え!」

『ロスト・ハイウェイ』

『ワンハリ』のブルース・リー 

町山智浩が以前語っていたところによるとタランティーノはブルース・リーがマンソンをやっつける映画を構想していたらしい。

タランティーノの嗜好を考えればそっちの方が自然で、じゃあなんでワンハリのリーがああなってしまったのかと考えると、一つはシナリオに意外性を与えるためなんじゃないかと。

8/8の事件当日に1カットだけリーのトレーニング風景が差し挟まれるので観る側としてはリーがシャロンを助けてくれるんだ!と期待する。リーと拳を交えたブラピが散歩に行ってしまうのもリーを現場に連れてくる伏線かなと思わせるところがある。

もう一つ考えられるのは物語の神話性を高めるためで、ブルース・リーは無敵の男という前提の上で実は彼と互角に渡り合った名も無きスタントマンがいたんだという、その夢物語のためにリーの偉大さをタランティーノは必要とした、説。

個人的にはシャロンの扱いもリーの扱いも不満でしたけど、ただそれは小馬鹿にしているんじゃなくて、単にタランティーノに配慮が足りないだけじゃないかなぁと思います。憧れの対象をオモチャにしてしまっていることの自覚があまりないというか…。

モータルコンバット再映画化するの!?

にわか さんがブースト

『工作』は、いい映画ではあるけど、あんまり好みじゃないなーと思った。確かに緊迫感はあったし、ラストもよかったけど、延々と駆け引きとか腐敗を見せられて、かなり長く感じた。もっとも、そこがこの映画の肝なので、そういう心理的なかけひきに興味がひかれなかったら、まあ、それは好みの問題としか言いようがない。
日本のみなさんにお伝えしておきたいのは、(って、へんな言い方だが、わたしは在日韓国人です)、ピョンヤンで仕事したことある人にとっては、イ・ソンミン演じる北の高官は、めっちゃリアリティあったということ。わたしも含めて、韓国の観客にも日本の観客にも伝わりづらいところだけど、ばっちりだったということですよ。

しかし、『アルキメデスの大戦』のプラモじみたCG大和はよく出来ていたなぁ。あの物語にはあの質感が必要だった。

『アルキメデスの大戦』が思いのほか良かったので『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』にもついつい期待しそうになる。これは危ない。騙されないぞ。

映画デートは経験がないんですけどゲームの『サイレントヒル』ファンの友達と『サイレントヒル リベレーション3D』を見に行ったら帰りに何を話しかけても口を開いてくれなかったことがあった。

デスストランディングのトレーラーから漂う伊藤計劃臭。

あれこれ言っておいてなんですが、ぶっちゃけ演出面に関しては擁護の余地が殆どなかったっすね、いぶきは…

ちなみに敵国に関して言えば、外交チャンネルが存在しないとちゃんと台詞に出てきます。明確には描かれませんが、未承認国家のため日本もその存在を公式には認めておらず、大使館も置かれていないというのは想像すれば分かることです。

「空母いぶき」は原作がそもそも海戦と空戦の具体的な情況にほぼ特化した作りで、テンプレ的な国会前のデモや街頭ビジョンのシーンなどは原作を忠実になぞったものですが、それ以外の社会の動きに関しては映画オリジナルです。個人的にそれは蛇足だったと思いますが、ともあれその点を批判するのなら原作を批判しなければ筋が通らない。映画の問題点と原作の問題点は明確に区別する必要がある。サンドバッグにしたいだけなら別ですが。

ダークヒーローというと個人的には正義とか公共性とは無縁の、あくまで私的な価値観で物事を判断し行動する享楽的なキャラクターのイメージがある。
人々の暗い欲望の反映というか、普通の日常生活を送っていると決して成就されない悪事をあっけらかんと実行してくれる人。『ハンニバル』とか、『ハウス・ジャック・ビルド』とか、『ダークナイト』ならジョーカー。ピカレスクロマンの主人公タイプ。

でもこういうタイプもダーク「ヒーロー」と呼ばれうるのは面白いところで、象徴性を帯びているかどうかがヒーローと非ヒーローを分かつところなのかなぁと思います。
誰でもヒーローというのはあり得ないけれども、誰もが誰かにとってのヒーローではあり得るというのは、そのヒーローが他者の眼差しの中で他者の願望(善いものであれ悪いものであれ)を象徴するからなんじゃないでしょうか。
逆を言えば象徴性の文脈がなかったら正義の人でもヒーローとは見なされない、という(おまわりさんとか)

でもまた見たいとは特に思わない。

『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』はちゃんとエイリアンとヴァネッサ・パラディが戦っていたことに感動したし、宇宙手裏剣はスクリーンを突き破って深く心に刺さった。

『ハロウィン』、面白かったんですがナンバリングタイトルでない割にはキャラクターの説明が少なくて、『1』『2』だけではなくシリーズを一通り観ないと結局なんだかよくわからない。
こんな大胆な作りにも関わらず本国でヒットしたということは向こうでは相当このシリーズが見られているのか。配信はもちろんソフトにも恵まれない本邦の『ハロウィン』事情からすると羨ましい限り。

『ブラック・クランズマン』 

KKK構成員を時代や経済に置き去りにされた哀れむべきホワイト・トラッシュと喝破するスパイク・リーの慧眼。末端の連中が煽動に乗って暴走しても組織の上の連中は責任なんか取りやしない。当然、シャーロッツビルを頂点とするトランプ後に増加したヘイトクライムが念頭に置かれている。

逆説や皮肉を多用する複眼的な作劇は特定の人種や人物への安易な感情移入を許さない。それが良いイメージであれ悪いイメージであれ、人種に対する感情を乗せやすいステロタイプの撤廃こそが反差別闘争の核心だとスパイク・リーが理解しているからだろう。
悪い白人を倒すカッコイイ黒人の図式で客の溜飲を下げることは人種差別を肯定することなのだ。

だからこの映画はKKKの末端構成員を敵であっても悪ではなくそれぞれに家族や仕事がある生活者として描き出す。英断だと思うし、大変な力作だったと思う。

『アイ・フィール・プリティ』にファッションブランドの受付嬢が人を見た目でしか判断しない嫌なヤツ、という描写があり、これとほぼ同じシーンが公開中の『シンプル・フェイバー』にもあったんですが、あれはアメリカでは一種のミームというかあるあるネタなんだろうか。

にわか さんがブースト

パティ・ケイクス 

filmarks.com/movies/74455/revi

これ、劇場公開時から「ぜったいいいやつでしょ! 見たい!」って思ってたのに、もう近所だと初めから1日に1回だけとかで、見る時間を作れなかったんですよね。

いやもう、よかったです。最後のライブで思わず泣いてしまいました。ラップでスターになることを夢見る女の子の話なのですが、もっと一気に人気になっていくのかと思ってたらけっこうずっとうまくいかないんですよね。いろんなことがうまくいかないし、神のように崇めているラッパーからも貶されてしまう。でもそんなやるせない出来事をいくつもいくつも経験して、自分の本当の姿と向き合い、そして最後の最後に心の底からのライムを繰り出すんです! それが熱い! そしてそこまで自分と向き合う末に出てくるパティの言葉が、それまでの「それっぽい」汚い言葉ではなく、純粋な憤りと美しい愛なのがたまりません! そして黒人青年バスタードがかっこいい!

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