マジカル・ガール
なんとなくブラック・コメディを想定して観始めたらスリラーだった。後から出てくる人ほど異常度が高いので、最後の人はああもうそういうポジションだから仕方ないですね... という諦めの気持ち。バルバラが家の外で人に会うときに耳を隠しているのが、修道女みたいなのね。でも実際は魔導士だから... あの先生は人生後半をバルバラに利用されつくしたんだなー。お気の毒にね。
バルバラはナチュラルボーン魔導士だから、魔法を発動させるタイミングに合理性がない。そこがサスペンスじゃなくてスリラーだった。隙間多めの話が得意な人向け。自分はそこはストレスじゃなかったけど、それだけ省略するなら90分で作ってくれないかな、と感じました。
ドラゴン・タトゥーの女(2011)
観終わってみればわりとあっけない話なんだけど(そろそろこうかな?みたいな気配を裏切ってくれない)、スウェーデンらしい風景・建物が目に心地よいし、リスベットから目を離せないしで、2時間半以上あるのにまったくダレなかった。ルーニー・マーラの清潔感は神がかっていますね... なんてきれいな横顔なんだ...
ミカエルはポスターでのイケメン具合に比べると、有能なんだろうけど精神的にはふつうのおじさんだった。まあいいんですけどね、てめーいくら向こうからきたからってそういうことしちゃうのかよふつうのおじさんだな!って腹立ちましたね。原作には引き続き登場するようだから、ふつうのおじさんなりにいいやつなんだろうけど。
余談ですけど、建物といえばミカエルが住むコテージがよかった、寝室とリビングの壁がガラス製の障子みたいなつくりでかわいかった。お金持ちのモダンな家は、光熱費...って思った。北欧なのに。
華麗なるギャツビー(2013)
あの有名な微笑みがギャグに見えてしまって、他にも吹き出しちゃうとこがいくつもあって… 自分には「ディカプー本当は笑わせようとしてる?」な映画だった。レッドフォード版がド正調な作りだったからおんなじことしても意味ないというのはわかる…
トビー・マグワイアは良かった、でも原作ではニックはノイローゼになるようなナイーブな人じゃなかったから、その辺の悪く言えば狡さあるような要素が出ていたらもっと趣があったんじゃないか。これは監督がそういう風に撮ったってことで、トビー・マグワイアが悪いってことじゃないけど。そしてエリザベス・デビッキはジョーダンのイメージぴったりだった。大っぴらに出さないけど自分勝手そうなところ(デイジーはミア・ファロー派なので、すみません)。
いろいろ意外で面白い映画だったけど、原作をねちねち読んでいる者としては、これ一本でギャツビーを済ませちゃうのはもったいない気がした。けばけばしくて面白いんだけどね。
複製された男
ぽんと出された謎を解くこと、あるいはジェイク・ギレンホールが好きな人向け。観た後で個人の映画ブログや掲示板やらを漁って、はあ、そういうことなんですか...と腑には落ちたんだけど、そういうテーマなんだったら別にわたし観なくてよかったなという気持ち。そちら方面でお困りのみなさんはご自分で対処して。巻き込まないで。
とはいえわけもわからず観ている間は一生懸命観ちゃいました。息苦しい画面、きれいな奥さんと恋人(特に奥さんがはかなげでよかった)、ジェイク・ギレンホールの演技、苦手になってしまいそうな高層マンション/団地群。
どちらのジェイク・ギレンホールでもあのマンションは維持できんだろ、と思ったんですけどどうなんですかね。
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
ジョン・ローン観たさで選択。人種差別の問題を取り入れた犯罪映画という点に新規性があったのかな、最後まで面白く観た。ただ、ミッキー・ロークが大変な有能クズで、わ~かんべん~でしたね... ミッキー・ロークのひどさに気を取られてしまってあまりジョン・ローンを堪能した気がしない。ただクズ氏の教会で泣くシーンがとても真に迫っていて、そこはよかった。悪気のないクズなのはわかった。
出てくる人出てくる人みんなタバコを吸うし、肩パッドがもりもりだし、合意がないのに服も脱がすしで80年代感がすごかった。麻薬の輸入元がタイっていうのも時代感ある(今だとアメリカ人にとってはメキシコだものね)。ということで今観るといささか時代遅れなところはあるんだけど、手加減のなさがすがすがしいクライム映画でした。
ストレイト・ストーリー
おじいさんが赤ちゃんのようなキラキラした目で嬉しそうに周囲を眺めているのを観るのが、こんなに幸せなものだとは知らなかった。広大なトウモロコシ畑、ウィスコンシンの森、植物の匂いがする映画。アメリカの田舎のちょっと変わった人たちが次々に登場するところがデビット・リンチ(というか『ツイン・ピークス』)らしい。
何度も星を見上げるシーンに「おじいちゃん目が悪いんじゃなかったの!」とツッコミを入れつつ、まあおとぎ話なんだろうと思っていたら、なんと実話ベース。すごい、アメリカ人はやってのける。助けあったりちょっとした会話でつながり合ったりが上手なのも、理想のアメリカぽさがあった。
『ラッキー』つながりで教わった映画だったので最後におっとなりました。
華麗なるギャツビー(1974年)
原作を誠実にたどる脚本で、読んだ後に観るときにありがちなコレジャナイ感がないことに好感(しかしニックはびっくりするほど脇役感のある人だった。勘違いがなくていいけど)。しかし最後のひねりによってもたらされる、あの夫婦の胸糞度がすごい! この胸のザワザワのきつさは『ラ・ラ・ランド』並み...
ギャツビーは夢に生き過ぎ、取り戻してもべつの不幸が待っていただろうと想像するくらいには自分も嫌な年寄りになってしまった。あれかな、自分が嫌な年寄りになったことを確認するためにアメリカ人はギャツビーを読んだり観たりするんだろうか?
ギャツビーの家は想像の3倍くらい馬鹿みたいに豪邸だったし、虚しいパーティーもたいへんにお金がかかっていることはよく伝わってきた。ギャツビーばかだなあ...と可哀そうになる豪奢な暮らし。ピンクの三つ揃い、似合ってましたね。
ボーダーライン
ケイトは見る人なんだなー。原題はそのまんまなんだけれど、観る側としては邦題のほうが舞台がぐるっと回る感覚があってよかったかも。配給会社グッジョブ。
麻薬カルテルおっかない、でもやっぱり「追い求める男」の狂気やばすぎですね? そしてそれを利用する上層部おっかない。彼は狂ってると思うけど、だんだん魅力的に見えてくるのが怖かった。そういうのは後ろめたくなる。
そういうストーリーは別に、ヴィルヌーヴ監督のここが好きポイントのひとつ、引きの画がひろくてひろくてとても気持ちよかった。やってることは殺し合いなのに世界はうつくしいんですよ。
ケイトの地味だけど骨格が整ってる美しさがよかった。そして「すてきなブラを買え」って言ってくれるFBIの同僚がよかった。まああれは女のファンタジーかもですけど。
みかんの丘
戦争の中で生き死ぬ人たちの話なのに、「みかん」とか「ゆで卵」とか「肉の串焼き」とか奇妙においしそうだし、登場人物はたいてい実のある肉体労働をしているかものを食べている。とにかく生きるサイドに重きを置いた撮り方なので、観るのが苦しくなくてありがたかった(主人公は死に囚われてもいるのだけれど)。戦争の虚しさを伝える映画。大声ではないからこそ入ってくるものがあった。
出てくる人たちがみんな味わい深い顔つきで見入る。イヴォを演じた俳優さん、もうお亡くなりになっているのね... かっこいいお爺さんだった。かっこいいお爺さんがかわいいミントグリーンのキッチンでお茶を入れるし、ダイニングテーブルにはつやつやのミカンが入ったボウルが載ってるんですよ、よい...
父を探して
台詞がないので画面をぎろぎろ見ていなければならず、途中で集中力が切れてうっつらしてしまった。商業主義や自然破壊についての描写が幼いころ読んだ絵本と変わらなくて、そこでちょっと退屈しちゃったかもしれない(世界の問題はいっこうに解決されず、山積みになっていくだけなのかもしれない)。
うたたねから覚めて「お父さんは? 見つかったの?」とわたわたしたけれど、たぶんお父さんの捜索はキモではなかったんだろう。少年が途中でお世話になる人たちの正体が明らかになる流れはなかなかだった。萩尾望都ぽいといえるかもしれない。
労働者階級の服装が鮮やかなのとか、デモとパレードの中間みたいなアレとか、南米みが溢れていた。少年が旅立つぽつんとした駅と、乗客をはるか遠くへ運び去っていく列車は『百年の孤独』のマコンドのイメージ。
アマデウス ディレクターズ・カット
サリエリ! なんというマゾ!って最初思ったんだけど苦しめて喜んでもいたような... すごい愛だった。愛じゃないか、妄執かもしれないけれど、そういう感情が存在する可能性があるということを実感した。いいものを観せてもらった。全編モーツァルトの音楽が流れるのでみずみずしい気持ちになるし、18世紀の風俗を体験できるし、そういう要素が好きなら確実に面白い映画。
配役もキャラが立っててどの人も目が離せなかった。ヨーゼフ二世の皇帝ぶり、モーツァルトの軽薄(最高にイライラさせられる)と音楽への情熱、アマデウス夫人の愛くるしさ。
あと本編には関係ないと思うんだけどサリエリの甘いもの好き設定がかわいかった。来客のたびに違う甘味を愉しんでいたのかわいくないですか。
ラストエンペラー/オリジナル全長版
ジョン・ローンの美しさを愛でる大長編。美しいけれど籠の鳥、志があっても何の結果も出せない操り人形、利用され続ける人生。牢に入って出て、お迎えが来るまで生き続けたの、ほんと偉かったね... という気持ち。台詞は中国語で日本語字幕が付くと思い込んでいたから、全員英語で話すのは面食らったけど(坂本龍一はもうちょっとイントネーションがんばれ、って感じでしたね)。
紫禁城から出る前後の、溥儀と2人の夫人のたたずまいが美しくてはかなくて、「高貴な」生まれの人の哀しさがあった。第一夫人があんなに華やかにきれいだったのにあんな風になって、映画~って思ってたら史実のほうがきつかったりする。時代が近すぎて、いいも悪いも簡単に言えないところがあり、さらにジョン・ローンを愛でるしかなかったりしたのだった。