サーミの血-2
物語は妹の葬儀のため帰郷したクリスティーナがホテルの一室で捨てたはずの過去を回想するところから始まる。
サーミであることで差別を受けたエレ・マリャは名前をクリスティーナとかえウプサラへと向かう。生きる場所が違ってもサーミ人であることを忘れさせてはくれない。
名前を変えコルトを脱ぎ捨てても血からは逃れられない。
差別とは何か?
中でも一番怖いのは「視線」だ。いつでも周りを注意深く見ているその仕草が印象的だ。
多くの人がエレに感情移入するのは難しい。私たちは民族迫害されたことがないからだ。
しかしクリスティーナが多くを語らず、かわりに表情や視線で感情を表現しそこに少なからずとも観客は自身を重ねる余白がある。
エレと対照的な妹、エレの孫娘もまた対照的な立場だ。エレだけがサーミとの間で揺れている。二律背反を抱えたエレが救われる日が来るのだろうか。
サーミの血-1
<長いのでたたむし続くよ>
スウェーデンの北部にあるラップランドに居住する先住民族サーミ人のエレ・マリャが自身の民族に対するルーツについて差別のなかで普通であることを切望した少女の話
感想の前に...昨年から少しスウェーデン語を勉強し始めまして(ホントマジで少しなんですけどね)歴史も調べてみたらサーミ人という民族が各国によって迫害されたことをその中で知りました。
サーミ人はトナカイ遊牧民でサンタクロースが住んでと言われるラップランドの少数民族です。
20世紀に入るとスウェーデによる分離政策によって元々の差別に加えて問題が根深くなり..分離政策はサーミはスウェーデン人よりも人種的に劣っているという考えに基づいた法律。
こうしてサーミ人は土地を購入して住んだり、ほかの仕事に就いたりすることを禁止される。むろんサーミ語も禁じられスウェーデン語を強制される。子供たちは専用の寄宿舎に入れられ進学は許されない。
学術的調査として人前で裸にさせられ写真を撮られる。鼻の長さまで緻密に記録を取られる。
そしてこれらの民族差別が映画のテーマです。
@tacchan 思いやりの欠如がテーマであってすごく強いメッセージ性がある社会派映画ではないのが、私は素晴らしい点だなと。
バスの中で母親が「ありがとう」と言っていたらアーサーのその日はハッピーだったかもしれない。等々
"ほんの少しの優しさがあればその日一日を気持ちよく過ごせるよね。そういう気持ち皆んな忘れてるよね。"
という程度にメッセージにとどめているのが良いなと。
社会からこぼれてしまった人を悲劇的に扱うつかうのではなくて、アーサーという男が不条理によって奪われたと思っているものを、暴力で取り返そうとするちゃんとアメコミ枠におさめてると個人的には感じました。
つまり、めちゃくちゃ面白い映画ですよねー!
@tacchan 押井節満載のコメディでして今敏はめちゃくちゃ影響受けてる作品ではあります。
@tacchan 映画館で買った飲み物をほぼ飲めずに残すくらいには。飲み食いする余裕はなく..ホアキンが完璧すぎてちょっとあてられた感じ...です..。
物議を醸すわけだわと。
特に銃社会の国ではナイーブになるのも無理からぬという出来でした。
とにかく全てが完璧(個人的主観ですが)
アメコミからの脱却であり見事にアメコミです。
「キラーソファー」見たい。
襲わない時はなんかちょっとかわいいのがムカつくわーw
どうやら劇場ではなく配信オンリーの様子。
ですよね...劇場でやっても採算取れないよね...。
どこで配信なのかちと不明なのがまた見たい欲を煽ってきますな。
@tacchan ジョーカーみたらメンタルやられ突如無性に見たくなったのです。で、これ見ると「御先祖様万々歳!」がみたくなるという。。
#パーフェクトブルー を2年ぶりに再鑑賞。
定期的に見たくなり定期的に見る作品。
そもそも自分とは何か?
鏡にうつる自分は本当に自分なのか?
貴方を貴方とたらしめる確固たるモノとは?
どこまでが現実でとこからが虚構なのかわからない曖昧な状態がラストまで続き、壊れていく自分と日常の演出がとてつもなく上手い。
誰の中にも色々な自分がいる。
そして自分なんてものは本当はないんだと実感する。
原作がありオリジナルでないものの大胆に改変され今敏ワールドに仕上がっている作品。
早すぎる死を痛む
もっともっと彼の作品が見たかった...。
@tacchan 私はSW見てないとか国民の義務を怠っているけど非国民?と先輩に言ってしまい、「怒ってもおかしくない発言だけどクレイジーすぎて脳みそ心配」と逆に死ぬほど心配されました。
@tacchan 反応遅れてすみません。
投下するインタンスを間違えたのかとやや焦り、映像作品(映画に特化してない)とストリーミング配信のマストドンを再検索しました。。
時々、つまらないと言ってしまう事もありますが、ぶっちゃけクソみたいな作品でも1つは面白いポイントがあると信じてそこを拾うようにという、スタンスなので一応気を使ってました。評論家でもないし砕けた感じも1人くらいいても良いだろうという。。身勝手な解釈ですが。
配信で鑑賞される方わりといらっしゃいますね。とても手軽だし過去作とか見れますし便利ですよね。
@yhlee 反応遅れてすみません。ありがとうございます。配信で鑑賞される方、結構多いですね!賞の資格としての定義が鑑賞者にも求められるのか、作り手と受取手では立場が違うし、人それぞれ捉え方が違う中で、好き嫌いで排他してしまうには難しい問題だなと思います。シネコンも良いですがミニシアター系も本当は増え、色々な人が作品と出会えるのも理想だけれど、それには多くの問題がありそれを解消というか補完してるのが配信というプラットホームという捉え方もあるなーと思います。
本は紙を想定して作ってるんだから電子書籍は本じゃない。美術館に飾られてない絵は絵じゃないのと同意義に。〇〇だから〇〇ではないで議論すると進まない問題なんだろうなー。という感じです。
また、年々映画館での鑑賞者が減りストリーミング形式での鑑賞者が増えているのを考えるとネトフリやアマプラが映画館を作っても行かない人も結局はいるんだろうな‥。少なくともそこでしか見られないといままでの映画館と同じで自分で好きな時間にという手軽さがないので、映画離れは解消されない別の問題が残りますが(震)
映画の定義が人によって違うのが一番の原因だとは思いますが、ぶっちゃけていうなら家の中に映画館があればいいんじゃね?(暴論)って思うのです。蛍族やポプコーンの匂いに悩まされないし(論点がずれてる)
私が引っかかってしまったのは、映画じゃないならネトフリでもアマプラでも映画どんで見たよ〜!なんて浮れてて申し訳なく不愉快にさせてしまった方々がいたらごめんなさい。場違い甚だしかったのか(滝汗)すみません。
映画館で鑑賞した作品だけ機会があればこちらにまた来させていただくかもです。
配信の形式だけを言うなら店舗に置いてない電子書籍限定も本ではないのと同じになりそう。映画館で上映されず円盤になった作品も映画ではないになる。。映画館でしか見ないのであれば映画鑑賞をしたとも言ってはいけないとも言えるようになってしまったりしないのだろうかと。
賛否でるのも当然だし理解できる。
ただ、こだわりが過ぎると自分達でコンテンツを狭めたりしちゃわないか心配。映画にも多様性があれば無名の監督作品とかみれる機会が広がるとかないのだろうか。私は見たいもの全てを映画館では見れない生活なのでネトフリがすごく助かるが、映画ではないなら映画どんでつぶやくってダメじゃんΣ(゚д゚lll)
ここ数日アカデミー賞でこの問題だ噴出しててどうなんだろうと考えるキッカケにはなったけど、映画館での上映のみが映画なのか賞を与える作品においてに対してなのか論点が今ひとつ。そもそもなぜネトフリだけを取り上げるのか。
お前の見てるのは映画じゃないからって思われてたんだとしたら(被害妄想)ここにはもう来れないや。
それにいまiゾンビめっちゃ面白いから海外ドラマもいいよ!(宣伝)
@yoshi49 見る(ฅ'ω'ฅ)
そっか。今度はキティ先輩がハリウッドですか‥実写には‥ならん‥よねぇ‥
「ハウス・ジャック・ビルド」が日本版は無修正完全ノーカット(R18+)で上映٩( 'ω' )و これはこれはヤバそう。
https://gunosy.com/articles/aGn4X?s=s