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アディオス・アミーゴ鑑賞。コロンビア西部劇。 

アメリカの西部劇だったりでせいぜいメキシコの革命あたりは見られても、コロンビアの映画を観るのは今回がほぼ初めてだし、コロンビアの革命…いやそもそもコロンビアの歴史を全然知らないなー…勉強しなきゃな…となった。監督の話とか聞くとよけいに。
最初の、記念撮影?からの銃撃で、ハラハラしたし、あれで心を掴まれた。行きがかりで旅の仲間が増えていく面白さ。謎の粉?でトリップ(あとその演技の仕方w)とか、精神世界で決着?をつけるとか、真面目な顔でちょっと笑えることするみたいなのがたいそう面白かった。
『続・夕陽のガンマン』みたいな絵面もあって、どこの国の人でもこういう画は撮りたいに決まってるよな!と思ったりして楽しかった。

死体を埋めろ鑑賞。ブラジルの映画。動物の死体処理を生業とする男の話。 

というあらすじから想像するのとは…、ちょっとねー、思ってたのと全然違った。好きな人には悪くないと思うけど…終末?黙示録?っぽい世界観は好きでもクトゥルフっぽいものって苦手なので私にはあまり刺さらず…。
積み重なる奇妙な雰囲気、馬が突っ込んでる車とか、ものすごく変で最高に良かったし、酒場で変な音が聞こえて…まではすごく好きだった。気持ちがちょっと萎んでしまったものの、カルト?の雰囲気とかも気持ち悪いし、ビジュアル面で色使いとか景色とかは美しくて面白かった。

士官候補生鑑賞。なんか、がっつり幽霊とか?も出てくるホラーでびっくりした。 

思春期の少年が軍隊学校でいじめにあって〜なホラーというより、彼を育てる母親が息子の変化についていけなくなる方向で、そこに「女のおまえにはわからない世界」との嘲笑や打ち解けられる相手のいない環境なんかが加わって心のバランスを崩していくみたいな話で面白かった。幽霊とかの要素はあるんだけど、なんとなく催眠っぽいなーとも思った。
Q&Aで「アメリカの映画だったらハッピーエンド方向の終わりにすると思ったのだが…」という話が出ていたけど、むしろ私が産んだモンスターだから私が(諸共)責任を取るというのは、アメリカ映画でもよくあったような感じがするし、ちょっと古いかなーと思う。
いろんなホラー映画を参考にしたというような話も聞けた。日本の映画をいろいろ(怪談・鬼婆・夢)挙げていらっしゃった。個人的には、ホラー演出としてはには『永遠の子どもたち』に似た印象を受けたし、内容的には『少年は残酷な弓を射る』と『フルメタルジャケット』を想起した。

大丈夫と約束して鑑賞。スロバキアの映画。 

山間の小さな村の佇まいや少年たち、中でもやはり主演のエニョ役の子が素晴らしく良い演技だった。
悪いことをしたくないし、悪いことをしてほしくない。自分の思いが、大切な人に届かないこともある。その人を盲目的に信じるには大きくなりすぎた。こういう環境で子どもらしくいるのも大人になるのも、また親の側の準備?覚悟?のできてなさも難しいなぁ。

冷たい風鑑賞。イランの映画。登山隊に起こった殺人?行方不明事件の捜査。 

ほぼ証言だけで進む、事件の捜査。設定は面白いんだけど、登場人物も多いし(馴染みのない名前が多すぎて)なかなか集中して見られなかった。
見えないものから人はどこまで想像できるのか。聞いたものから想像して欲しい(オーディオブックをコロナ禍でよく聞いたから)という監督の話が面白かった。
「冷たい風」の迷信?それに当たると許される罪だと、許されないなら死んでしまう。というような話、なんか日本の民話?にもあったような気がする。各国にあるんだろうか、当たると死んでしまう風系のやつ。

トラフィック鑑賞。東京国際映画祭にて。 美術品盗難事件。 

重かったー。重かったけど、観て良かったなー。「灰を捨てる」描写が、あー…あー…↓↓↓と最後腑に落ちるのがほんとねぇ…。
芸術を楽しむのにはある程度の余裕が必要で、食うにも困る人との格差に、映画を観るという行為自体に落ち着かない気持ちになる。こうしてナタリアたちの生活を見せつけられると、美術展での演説も大切なことを言っているように思うのに上滑りに聞こえてる。国には仕事はなく、国外でようやくついた仕事の給料は払われない。まともな仕事に就きたくても借金を重ねて回される悪事から逃げられない。せめてナタリア母娘は救われて欲しいんだけど、あの生活から逃げられるルートが見えない…。
1日の終わりにすごく落ち込む映画を観た、良い意味で。後からもうちょっといろいろ感情をまとめたい。

Flow鑑賞。東京国際映画祭にて。猫のアニメーション。 

猫、水、自然、友情、生と死。セリフがないからってのもあるし、個性的でかわいい動物たち、映像も音楽も自然の音も美しいから、すごく癒される。そして、たいそう美しいけれども、どこか私を感じるような暗さもある。ベックリンの『死の島』みたいな。でもそこも含めて、不思議と癒される。
異種族間の友情にほっこり。猫の緊張や不安がすごくわかるし、最初、猫だけ(誰かの?)家で暮らしてるってとこも、猫だなーって思った。犬、いいやつなんだろうけど本当にアホって感じがして、とても犬らしくてかわいい。楽天的で空気読まずにぐいぐいくるとこがかわいいねぇ☺️

10セカンズ観賞。続き。 

なんか勝手な思い込みといえば、オズギュルのことをなぜか男の子だと思い込んでいたんだけど、女の子だとわかって(ストーリー的には生徒に手を出すとかダメなことはダメだし)だからどうってことはないんだけど、なんというか、ステージに上がっているのが女性だけということで、よりテンションが強まったような気がする。
最後、何がそんなに先生をキレさせたのかちょっとぼーっとしちゃって覚えてないんだけど、それはともかく、本来みんながオズギュルのことを考えねばならないはずなのに最終的にオズギュルそっちのけじゃん…っていうのもあって、そこだけちょっと弱い感じはした(あるいは私の読み取り不足)けど、全体的には満足だった。

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10セカンズ鑑賞。東京国際映画祭にて。我が子の退学をめぐって、母vsカウンセラー。 

あらすじを観た印象と全然違う😳なんか勝手に、苦労人のご家庭の優秀な子が名門校を退学になってお母さんが頑張るみたいな話かと思ってた私が悪いんだけど😅むしろ金持ちマダムvsカウンセラーの主導権争い。全身ばっちりブランドもので身を固めたお母さん。チェスボードのような床。ドアの前に毅然と立つカウンセラー。そういうものがいちいち緊迫感を高めてくれて、面白かった。
少しずつ手札を出して相手を削っていく。自信の揺らぎが、画面のぼやけ具合や回転でヒシヒシと感じられて、ただの話し合いなのにとてもスリリング。あのお母さんの、普段の貼りつけたような笑顔もさることながら、孤独や階級?につけこんだり、他人の弱みを見つけたりする時の肉食獣のような残忍な笑顔が大変素敵。それがあるのでよけいに、終始落ち着いて迎え撃つカウンセラーの態度も良く見えた。

ヴァチカンのエクソシスト鑑賞。
まさかの時のスペイン宗教裁判!\じゃーん!/だった!😆(違うよ)
面白かったー。なんで映画館で観なかったんだろう。そもそもスペイン異端審問が〜とか、司祭による(?)性的虐待は〜とか、全部悪魔のせいにして隠蔽するなんて、悪魔、便利!
悪魔を封じ込めた元修道院という、ああいういわくありげで陰気な佇まいのお屋敷、素敵!大好き🥰なんとなくだけどアモルト神父の回想で『コンスタンティン』を思い出した。
アモルト神父…ラッセル・クロウの風体はもうなんか神父に見えなくて最高だなーと思いました。ちょっと茶目っ気があってかわいい。カッコー。

まる鑑賞。続き。 

ミャンマー人のコンビニ店員ってのはいいとしても、森崎ウィンにそんなカタコトで話させる必要はあったのか…まぁ多少の意味はあったと思うけど、あまり良い描写には見えなかったかも。人当たりが良くてポジティブで、その人自身が実際どうなのかはともかく"一見能天気に見える外国人"モーさんという人を描いておいて「そうじゃないとやってられない」って言わせるの、意地が悪いというかもはやグロい、精神的に。というところは引っかかってる。
映画自体の話ではないので余談。途中で何度か会話が途切れて無音になったり、音が遠くなるシーンがあって、堂本剛が突発性難聴だっけ?そういうのを患ったことに掛けてる演出なのかな、でも「音楽を作る」と「絵を描く」は方向がまた違うから、なんか意味あるのかな?まで思ったんだけど、普通に機材トラブルだった模様。

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まる鑑賞。 

予告から、世にも奇妙な物語にありそうな話…という印象を受けたから、救われない方向の話だったら嫌だなと思ってたんだけど、そうはならなかった。惑うのもまた良し!という点では、爽やかさを感じられる映画だった。青年期の青臭さを引きずったまま、何事もなしてない中年を迎えつつある?突入してる?大人の青春のような。惑っても良いと言われて目が覚めるみたいな。なんて言ったらいいかわかんないけど。柄本明演じる、謎の先生の、茶室のシーンがすごく好き。まんまと仙厓義梵をWikipediaで調べてしまった。ゆるふわ絵、描いてる!w

ボルテスV レガシー鑑賞。 

映画がつまらないとかではなく単に睡眠不足なんだけどだいぶ寝ちゃったので、感想を書けるほどしっかり観てない…ごめんなさい。しかし、合体シーンはもちろん、でっかいロボットのアクションの映像は全体的にすごくかっこよかった。というか、そのシーンかっこいいから、人間が演じてる部分が安っぽく見えてしまうw今の(日本の)特撮をめっきり見ていないのでどんなものか比べたりは全然できないんだけど、特に悪役側のコスプレ感やストーリーの古臭さはいなめず、ちょっと笑ってしまうところも…。
でもほんと、ロボットらへんはめっちゃ力入ってるから!

破墓/パミョ鑑賞。 

宗教ってほどじゃなくてもご当地信仰や習俗の描写って異文化を感じられて好きなので、祈祷の舞・音楽や風水師、陰陽五行のあれこれがいっぱいで面白かった。霊的なものの描写が序盤は控えめなのが良い、後半でがっつり武将出ちゃうけど。デカいし。火の玉がとんでもない劫火!ああいうのは、なんか初めて見たような気がする。怖いのに魅入られちゃうような描写も良かった。地球の裏側までひとっとびで行けるのに、招かれないと入れない韓国の幽霊も良い。良い/悪い土地とかもだけど、そういう怪奇現象の側にもルールがあるのって好き。(万能だったら怖いからさぁ!)
100年前の陰陽師…そんなマロみたいなやついるか?とか、関ヶ原の戦いで殺された将軍(将軍?!)とか、時系列の把握しづらさ?ツッコミどころ?がないわけじゃないんだけど、全体的に満足度がとても高かった。俳優陣の演技力のおかげだ。見ごたえがある。
「パミョ!」なんてことはやってないけど、改葬はそういえばやったことあるわ。しょう抜き?とかいって、お経あげてもらった。あれもまぁ、外から見ればよくわからん儀式だなぁ。

フォロウィング鑑賞。
アイロンがけしながら観たのであまり集中できてない。たいして長い作品じゃないからもっとじっくり観るべきだった…。それはそうと、ノーランはこれくらい小粒な作品をもっと撮ってくれていいよ😣
これって誘導されてたらどうするんだろうなと思ってたのもあってあまり驚きはなかったんだけど、わかりやすいし、面白いは面白かった。観察をしている方が観察されているとか、"観る"から抜け出せなくなっていくあたりが、窃視とはまたちょっと違うんだけどフェティッシュな見せ方だと思った。映像になんとなくデヴィッド・リンチっぽさを感じた、なんでかわかんないけど。
それと、あー、バットマン好きだったんだなーってわかったのが良かったですね☺️

ジョイランド わたしの願い鑑賞。続き。 

きっと家族の全部が嫌だったわけじゃない。だけど、妊娠が、本格的にこの家から逃げられなくなった絶望へと繋がってしまった。序盤の食卓と同じ構図がよその家族を入れる形を変えてもう一度あって、その時のいたたまれなさはちょっと笑えたし、なんならここで父親が家族の前で恥を受け入れるとかなんとかで柔らかい方向に向かうとかコメディ風な流れで丸くおさまるのかと思ったのに…。ムムターズの犠牲の上に成り立つ幸せ。みんなが知っていながら気づかないフリをして全部押し付けたから、壊れてしまった。ヌチが言及してくれたことだけが救い。
結婚してからも働いていい?それなら…と、最後に(あれが二人の始まりである)ムムターズの見せたあの屈託のない笑顔を持ってくるのもそつがない。本当にすごく良かった。ビバ周りのことなどもうちょっと書きたいけど、作品が良かったからこそショックも大きく、頭の中が整理できてない。たぶんそのうち感想を付け足す。

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ジョイランド わたしの願い鑑賞。 

素晴らしい作品だった。映像もストーリーも合致していて、納得できないことが一つもない。食卓の撮り方をはじめとして、映像から感情が具にわかる。男性陣の距離のある振る舞いに対して遊園地で見られたような女性陣の近さ、少しずつ削られていくムムターズの精神、ヌチが家族にぶちまける怒り、あるいは型破りなビバと彼女に惹かれるハイダル、その彼は家族のしがらみにがんじがらめで気も弱くて…、表現が全部良かった。パキスタンの映画ということで、国や暮らしが自分とはおおいに違っても、「自由に生きたい」の悩みとそこにかかる抑圧が全然遠くない。きっと誰にでもわかるんじゃないか、全然納得いかないことを飲み込まされて生きることの重圧は。

エストニアの聖なるカンフーマスター鑑賞。 

なんだこの緩さは!意味わからん!タイトルからして意味わからんけど、観ても意味わからんくてめっちゃ面白かった😂あらすじは間違ってないんだよ、メタルとカンフーに目覚めた青年が、修道院に入ってカンフーマスターを目指す。そのままだからこそ、実際観たのに「なんで?」しか言葉が出てこない😂これが俺の生きる道だ!と天啓を受けちゃった主人公が、ずっとめっちゃ良い笑顔してるのも面白すぎる😂
なんかこう…精神修行的な…?そういう側面が、カンフーにはあって…?だから、修道士というものは皆超強い。そんなわけあるか。ちなみに超強いカンフーより強いのは「超スーパーウェポン」祈りの涙。私が名付けたわけじゃなくて、「超スーパーウェポン」って字幕が出た。
正教会の修道院にはすごい棒術が使える長老とか、滞空時間がすごすぎるカンフーの達人がいっぱいいると学んだ。カンフーと滞空時間に何の関係があるというのかとか、考えてはいけない。

チャイコフスキーの妻鑑賞。続き。 

ピョートルの為に離婚してやってくれとみんなに言われて、ピョートルの為なら何でもしますとも言うけれど、離婚はしない。「何でもします」と「離婚しない」に、彼女の中では矛盾がない。
そういうところも怖いけれども、他の男との間に生まれた息子にピョートル・ペトローヴィチと名付けるのも、彼女の中にピョートルと家庭を築いて暮らしている幸せなヴィジョンがあるのもだいぶ怖い。しんどい狂い方だ。それでも、ピョートルにとっては悪夢に違いないけれど、アントニーナは悪妻と呼ぶにはピュアすぎるなぁという印象になった。悪意がないから。
ロシアが誇る偉大な音楽家が、時代や国によっては犯罪だし、今のロシアでも良しとはされていない同性愛者だった。ピョートルの性的指向は公然の秘密で、仲間も家族も知ってるし許されていて、アントニーナの家庭よりよほど互いに対する理解と受容がある。そういうところが、「同性愛は伝統的な家族という価値観を脅かすからよろしくない」みたいな今のロシアの政策に対するカウンターに感じられたのも良き。

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チャイコフスキーの妻鑑賞。 

不幸な結婚の話だし、色も灰色だし、大変気が滅入る話だった。結論としては、結婚なんてすべきじゃなかった二人の物語。だけど、当時の社会だと、結婚せざるを得なかった二人ってことでもある。年齢とか性的指向を隠さねばならないとか。それは、(最後に書くけど)今見るには面白い話で、陰鬱だけど嫌いじゃない。
どちらにとっても不幸ではあるけれど、どちらも大変身勝手なのは素敵だ。素敵というのは、どちらかが特にかわいそうに見えたりしないという意味で。好意もない相手に執着されることもかわいそうだし、見返りの見込みのない相手に心酔するのもかわいそう。だけど、世間体と持参金目当てのピョートルと、ピョートルだけが目当てのアントニーナ、結局二人とも自分のことしか考えてないから、そりゃあ上手く家庭が築けるわけない。
ピョートルの弟や友人から彼とと離婚してほしいという話を散々された後、「まぁ、あんな有名な人がうちに来てくれたわ」で終わってしまう、会話の通じなさ。(あの時の義弟の顔!!!😂)

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映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。