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フォロウィング鑑賞。
アイロンがけしながら観たのであまり集中できてない。たいして長い作品じゃないからもっとじっくり観るべきだった…。それはそうと、ノーランはこれくらい小粒な作品をもっと撮ってくれていいよ😣
これって誘導されてたらどうするんだろうなと思ってたのもあってあまり驚きはなかったんだけど、わかりやすいし、面白いは面白かった。観察をしている方が観察されているとか、"観る"から抜け出せなくなっていくあたりが、窃視とはまたちょっと違うんだけどフェティッシュな見せ方だと思った。映像になんとなくデヴィッド・リンチっぽさを感じた、なんでかわかんないけど。
それと、あー、バットマン好きだったんだなーってわかったのが良かったですね☺️

ジョイランド わたしの願い鑑賞。続き。 

きっと家族の全部が嫌だったわけじゃない。だけど、妊娠が、本格的にこの家から逃げられなくなった絶望へと繋がってしまった。序盤の食卓と同じ構図がよその家族を入れる形を変えてもう一度あって、その時のいたたまれなさはちょっと笑えたし、なんならここで父親が家族の前で恥を受け入れるとかなんとかで柔らかい方向に向かうとかコメディ風な流れで丸くおさまるのかと思ったのに…。ムムターズの犠牲の上に成り立つ幸せ。みんなが知っていながら気づかないフリをして全部押し付けたから、壊れてしまった。ヌチが言及してくれたことだけが救い。
結婚してからも働いていい?それなら…と、最後に(あれが二人の始まりである)ムムターズの見せたあの屈託のない笑顔を持ってくるのもそつがない。本当にすごく良かった。ビバ周りのことなどもうちょっと書きたいけど、作品が良かったからこそショックも大きく、頭の中が整理できてない。たぶんそのうち感想を付け足す。

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ジョイランド わたしの願い鑑賞。 

素晴らしい作品だった。映像もストーリーも合致していて、納得できないことが一つもない。食卓の撮り方をはじめとして、映像から感情が具にわかる。男性陣の距離のある振る舞いに対して遊園地で見られたような女性陣の近さ、少しずつ削られていくムムターズの精神、ヌチが家族にぶちまける怒り、あるいは型破りなビバと彼女に惹かれるハイダル、その彼は家族のしがらみにがんじがらめで気も弱くて…、表現が全部良かった。パキスタンの映画ということで、国や暮らしが自分とはおおいに違っても、「自由に生きたい」の悩みとそこにかかる抑圧が全然遠くない。きっと誰にでもわかるんじゃないか、全然納得いかないことを飲み込まされて生きることの重圧は。

エストニアの聖なるカンフーマスター鑑賞。 

なんだこの緩さは!意味わからん!タイトルからして意味わからんけど、観ても意味わからんくてめっちゃ面白かった😂あらすじは間違ってないんだよ、メタルとカンフーに目覚めた青年が、修道院に入ってカンフーマスターを目指す。そのままだからこそ、実際観たのに「なんで?」しか言葉が出てこない😂これが俺の生きる道だ!と天啓を受けちゃった主人公が、ずっとめっちゃ良い笑顔してるのも面白すぎる😂
なんかこう…精神修行的な…?そういう側面が、カンフーにはあって…?だから、修道士というものは皆超強い。そんなわけあるか。ちなみに超強いカンフーより強いのは「超スーパーウェポン」祈りの涙。私が名付けたわけじゃなくて、「超スーパーウェポン」って字幕が出た。
正教会の修道院にはすごい棒術が使える長老とか、滞空時間がすごすぎるカンフーの達人がいっぱいいると学んだ。カンフーと滞空時間に何の関係があるというのかとか、考えてはいけない。

チャイコフスキーの妻鑑賞。続き。 

ピョートルの為に離婚してやってくれとみんなに言われて、ピョートルの為なら何でもしますとも言うけれど、離婚はしない。「何でもします」と「離婚しない」に、彼女の中では矛盾がない。
そういうところも怖いけれども、他の男との間に生まれた息子にピョートル・ペトローヴィチと名付けるのも、彼女の中にピョートルと家庭を築いて暮らしている幸せなヴィジョンがあるのもだいぶ怖い。しんどい狂い方だ。それでも、ピョートルにとっては悪夢に違いないけれど、アントニーナは悪妻と呼ぶにはピュアすぎるなぁという印象になった。悪意がないから。
ロシアが誇る偉大な音楽家が、時代や国によっては犯罪だし、今のロシアでも良しとはされていない同性愛者だった。ピョートルの性的指向は公然の秘密で、仲間も家族も知ってるし許されていて、アントニーナの家庭よりよほど互いに対する理解と受容がある。そういうところが、「同性愛は伝統的な家族という価値観を脅かすからよろしくない」みたいな今のロシアの政策に対するカウンターに感じられたのも良き。

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チャイコフスキーの妻鑑賞。 

不幸な結婚の話だし、色も灰色だし、大変気が滅入る話だった。結論としては、結婚なんてすべきじゃなかった二人の物語。だけど、当時の社会だと、結婚せざるを得なかった二人ってことでもある。年齢とか性的指向を隠さねばならないとか。それは、(最後に書くけど)今見るには面白い話で、陰鬱だけど嫌いじゃない。
どちらにとっても不幸ではあるけれど、どちらも大変身勝手なのは素敵だ。素敵というのは、どちらかが特にかわいそうに見えたりしないという意味で。好意もない相手に執着されることもかわいそうだし、見返りの見込みのない相手に心酔するのもかわいそう。だけど、世間体と持参金目当てのピョートルと、ピョートルだけが目当てのアントニーナ、結局二人とも自分のことしか考えてないから、そりゃあ上手く家庭が築けるわけない。
ピョートルの弟や友人から彼とと離婚してほしいという話を散々された後、「まぁ、あんな有名な人がうちに来てくれたわ」で終わってしまう、会話の通じなさ。(あの時の義弟の顔!!!😂)

シビル・ウォー アメリカ最後の日鑑賞。続き。 

アメリカにとって(というか、日本人の私にとってもだけど)戦争ってたぶん他人事で、それを自分たちに引き寄せて考えるための映画なんだろうと思った。もちろん、その状況に麻痺して気にならなくなるジョエルやジェシーのような人もいるし、なんだかよくわからないけど状況に乗じてなにやら悪事を働いているっぽいジェシー・プレモンスの役みたいな人もいる。どことどこがなんのために戦っているのかいまいちわかんない作りになっているのも、より身近に感じさせるためなのかな、と。誰がどう悪いとかではなくて、遠い世界で起きていると思っている何の大義もないそれが、地元で起きてたらどう感じるか。とはいえ、そこが主題だとしたら、ジャーナリストを主人公にするって、基本的にはもっと広い世界を知ってる人たちのはずで、身近に置き換える相手としてはポイントがずれる気もするので、なんか読み取りを間違えてるかもしれない。

ここまで真面目に書いて、すごくどうでもいいこと書いちゃうけど、ジェシー役の人がかわいかった。

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シビル・ウォー アメリカ最後の日鑑賞。 

カメラマンとしての仕事ができなくなっていくリーと、逆に戦場に適応していくジェシーの対比がすごく印象的だった。死んだ目をしたリー。直接言葉があるわけではないから彼女の考えは想像するしかないんだけれど、その想像するしかない部分を考えるのが面白かった。
戦場に行った経験があって、悲惨な光景なんて山ほど見ているリーが、新米のジェシーにプロの姿勢を学ばせられるリーが、どうして今さらダメになっていくのか。やっぱりサミーの死が引き金になったのだと思う。そういう仕事をしていたって、所詮は遠い国の他人だった。自分の国で起きている戦争、目の前で死んでいくのは同胞だから。サミーの遺体の写真を消すところが私は好きだ。今まで、報道のための、言ったらただの商売道具だった写真は、恩師が映って初めてそういう目では見れなくなる。経験豊富なリーでも…あるいは経験豊富なリーだからこそ。

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ鑑賞。続き2 

良かった点としては、もうちょっとゴシック建築の方が好みというのは置いておいて、この映画はアーカムアサイラムポイントがたいそう高くて、そこは好き。なんか、アクセスしづらそうな島にある!ゲームのアーカムアサイラムみたい🥰「聖者の行進」で熱狂する患者たち!暴力看守!暴動!わーい!エイプリルフールに観よう!🥰
若くて嫌味なイケメンD.A.ハーヴィー・デント☺️実力あるけど生意気そうな感じが大変良いです☺️まぁ、検事出すからハーヴィーってことにしとけばいいだろと、足元見られてる気はする。顔の片側が傷ついてるっぽい演出までされては尻尾振ってありがたがるけど!かわいいねぇ☺️

作中のあの映画、フレッド・アステアのやつ?観たことあるけど、2回観て2回とも同じような感想しか書いてないし、今も正直言って覚えてないから、観たと正確に言えない😅
たしかねー、夜のセントラルパークで踊る(そこしか覚えてない)

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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ鑑賞。続き1 

前作でもアーサーを優しいとは思ってなかった私としては、今回、ジョーカーでいれば人気者であれると思っていたアーサーにも、実体もなく実際も知らないのに勝手にジョーカーなるものを崇めて自分で自分の信仰を破壊したバカな民衆にもザマーミロの気持ちだった。やはり、執着する者のない世界のジョーカーに面白みを感じない。
リーはねぇ…ハーリーン・クインゼル/ハーレイクインである必要を感じなかった。話題の人だからジョーカーがいい、そうじゃないアーサーに欠片も興味がない、アーサーはアーサー自身を見て欲しがっているのに!という、一番わかりやすい"熱狂する民衆"の形。だったらそれはもうパンチラインでいいんだよ…知名度ないからダメかぁ…。
ハーレイを使うなら、ミーハー止まりの女じゃなく、もうちょっとジョーカーを踏み台にのし上がるとか、利用して花開くような強烈さがあってほしかった。知的なところが見たいというか。今までもその後も、結局リーが何者にもならなさそうなのが残念。

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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ鑑賞。 

前作からしてそんなに好きじゃないので、ジョーカー部分(というよりアーサーの物語であるという部分)では安心したけど、ハーレイ部分では納得いってない。でも、ハーレイと思って観るのでなければ、まぁ別にいいかーって感じ。
ジョーカーであれば世間は熱狂する。我々のような弱者を踏みつけにしてくる社会を、ジョーカーという何者でもない男がぶっ壊してくれたぜ!きゃー!素敵ー!とは盛り上がる。作中では再現ドラマも作られたりしているようだし、ジョーカーが何をしたのか、何者であるか、どんな"気の毒"な境遇であったのかもみんなが知っている。みんなが知っているのに、誰一人としてアーサーには興味を持っていない。他ならぬ熱狂でもって、とことんアーサーを追い詰めて、ジョーカーであるアーサーを粉々にしてしまった。

悪魔と夜ふかし鑑賞。続き 

すげー催眠術の映像も見せられているから、催眠術にかかったデルロイの凶行にも見えるし、あるいはこの放送自体が催眠術にかけられて見た幻覚にも見える。まぁ、だから何だって言われればそれまでの話ではあるけど、小粒でも面白かった。
デヴィッド・ダストマルチャン以外はほとんど知らないキャストばかりだったのもこの作品に合ってて良かったと思う。

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悪魔と夜ふかし鑑賞。 

ファウンドフッテージ型だとは事前に知っていたのだけど、問題の映像を観るにあたって、なんの説明もなくスクリーンに映ったテレビを見る形で始まるのが意外で面白かった。あんなもん放送するな。
70年代のアメリカ、しかもテレビ番組なんて全然知らないんだけど、胡散臭い霊能力者(及びそれを暴く人と対決!)とかのオカルト方面、悪魔崇拝とか人民寺院みたいなヤバいカルトの流行、時代の雰囲気と映像の雰囲気がマッチしていて楽しめた。終盤、ミミズや頭が裂けたり?するのはちょっとやりすぎだけど、視聴率のためなら病気の妻をテレビに出すような人間なら、悪魔?に魂を売るようなことをしていてもおかしくないと思わせるような展開になっている。と同時に、番組の舞台裏としてちょっとずつ不安になるための種を撒かれていて(例えばクリストゥが死んだという情報は、みんな見たわけじゃなく聞いただけだし)、

少女は卒業しない鑑賞。
こういうのって、この中の誰かに"私"を感じるのが醍醐味というか、"私"がいればそれだけでもう100点!みたいな映画だと思う。
だから最初は図書館ガールに注目していたのだけれど、軽音部の部長さんの「本当はずっと内緒にしておきたかった、私だけのものにしておきたかった」がとても良かった。好きという気持ちだけなら、私だけのものだから。
余談:ただ、そこでモリサキ君が歌い始めたのが、個人的に(というかクラス的に)高校一年生の時の苦い?痛い?思い出のある曲ダニーボーイだったので、変に笑っちゃった。

犯罪都市 PUNISHMENT鑑賞。 

別の作品を観る予定だったけど、時間の関係で仕方なくこれに決めた…のだけれど、かえって良かったのでは?というくらい大満足😆
今回はフィリピンを拠点にした違法オンラインカジノを攻める。ただ単にマ・ソクト…つまりはマ・ドンソクのパンチを観る!っていうだけでも十分満足なんだけど(と1・2作目でも感想を書いた気がする)、強烈パンチはともかくそれ以外はリアリティを外していないというか、バカ映画のフォーマットだけどきちんと辻褄が合っているというか。見せ方もスッキリしてるし話がちゃんとできてて面白いのですごいなーと思う。ついでに相変わらずのイスさん周りとかボケや間の面白さが実に安定しているので、3を観てなくても楽しめた😅
トイレとか飛行機とか、相変わらず狭い場所でのアクションシーンが冴えていて気持ちいい。

Cloud クラウド鑑賞。続き。 

結果としてはヨシイは助けてもらった立場なんだけれど、「ここが地獄の入り口かぁ」というのは誰も彼もに命を狙われることじゃなく、サノ君に捕まっちゃったことだと思う。誰よりもやばいヤツがべったり張り付いて離れない。
アキコがポンコツなのかエスプレッソマシンがポンコツなのか…と思ってたら、ちょっと仕事してくれるエスプレッソマシン、好きw

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Cloud クラウド鑑賞。 

前半は話は面白いけどヨシイが嫌いだなーと思いながら、後半は話が嫌い(というか銃撃戦が面白くない)けどヨシイが面白いなーと思いながら観た。巻き込まれて「えぇぇ…何なのぉ…」となっている人を観るのが好きだけど、ヨシイの反応は薄い…反応が大きすぎるとコメディになっちゃうから、あれくらいの薄さがちょうどいいのか。まぁ、巻き込まれにしてはハードすぎるというのもあるし。
日常が奇妙なルールで変化させられる。今まで観たことある黒沢清映画で変化といえば幽霊が発生するとか殺意に目覚めるとかだったけど、今回の場合は「ヨシイへの執着」がみんなの従うルールなのかな。関わった人を狂わせていくというか、関わった人が勝手に狂っていく?基本はヨシイへの恨みや憎しみ、妬み。しかし、ヨシイを助けるサノ君の行動もヨシイへの執着であるように見えるし、どのライバルも蹴落として、自分こそがただ一人ヨシイの味方であると思わせたサノ君の一人勝ち、ってとこが気持ち悪くて良かった。

荒野に希望の灯をともす〜医師・中村哲 現地活動35年の軌跡〜鑑賞。
「見捨てちゃおけないから」というだけの理由でどこまでもできる人が世の中にはいる。それだけで心が震える。ああいう場所で診療所を開いて医師として人の命を救っているというだけでもすごいんだけど、地域全部を救おうというその行動力や貫き通す意思の力に頭が下がる。
別に土木工事の技術者でもない、言うなれば素人が、荒野に水路を通した。大地が潤い、砂漠は緑あふれる土地に。働く場所ができ、祈りの場所も、学ぶ場所もできて、人が集まり、産業も発達(再興)する。すごい以外の言葉が出てこない。すごい。

スオミの話をしよう鑑賞。 

びっっっくりするほどつまらなかった。笑うところが一つもない。嘘、一箇所笑った。
おじさんたちがみんな自分の「スオミ」をスオミに押し付けているっていう話なんだとは思うけど、スオミ自身が薄すぎて何も感じないんだよね。ハリボテみたい。誘拐ってわりに緊迫感も全然ないし。なんかもっと…なんだろう…『天国と地獄』とは言わないけどさぁ…。無理だよなぁ…。
長澤まさみにいろんな格好させたいだけかな。もちろんそれで満足みたいな映画もあるけど、特別思い入れもないので、なんだろうなこれ…。
スオミってフィンランドのことだよなーとは思っていたのに、予告でフィンランドのこと1ミリも出てこないし、イントネーションも違うからただの人名かーと思ってたけど、やっぱりフィンランドだった。そうだったところで何なの?って思うけど。
スオミさんは子どもの頃から憧れてたわりに、歌であがってるのが観光地ばっかかで薄い…お父さんの国で暮らしたいというか、それはせいぜい観光なのよ。笑った一箇所というのは、私も旅行で観てきたわー、ウスペンスキー寺院。というところ。

ポライト・ソサエティ鑑賞。 

ロンドン×南アジア系(インド系)の映画といえば私の中では『ベッカムに恋して』があって、あれから20年くらい経った今、ロンドン×南アジア系(こちらはパキスタン系)のご家庭はこんな感じなんだーというのが面白かった。サッカーくらいでガタガタ言われてたのが、スタントだって!女の子たちが自由にめちゃくちゃするのって、良い。結婚式で花嫁とその妹が大立ち回り。バカみたいで大変良いと思います。
スタントアクション!というわりにぬーんとしたワイヤーっぽい感じがぬるすぎて玉に瑕ではあるんだけど。いきすぎちゃう思い込みと、それに付き合う友人たちのボンクラ感といい、イギリス映画っぽい(と私が勝手に思っている)たまらないゆるさ。いじめっ子ポジション?のコヴァックスが結局仲間に入ってるのもなんか好き。
ゆるくてバカなのは好き嫌い別れるだろうけど、あなたの苦労は私には関係ない!と、勝手に品定めするとかキモすぎる!の怒りの回し蹴りが気持ちいいからやっぱ好き。

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映画ドン-映画ファン、映画業界で働く方の為の日本初のマストドンです。

映画好きの為のマストドン、それが「映画ドン」です! 好きな映画について思いを巡らす時間は、素敵な時間ですよね。