ドキュメンタリー映画『新宿タイガー』②
作中で1960年代後半から1970年代初頭の新宿にも触れ、「新宿タイガー」へとなったきっかけを話すが、そこはかなりあっけらかん。
自宅や彼の出生についてもあまり触れない、というか秘密主義のタイガーさんとしてはそこまで裸になれなかった。
けど、その分、彼に密着し、タイガーさんの目線の新宿を存分に見せてくれる。
タイガーさんが愛される理由の一つに誉め殺し、というかほとんどポジティブなことしか言わない。相手のいい部分しか見ず、それだけをひたすら語る。そりゃ、一緒にいりゃ気持ちいいよね。我ながら反省しつつ、タイガーさんから学ぶことがあった。
孤独で歳も高齢なハズだが、とにかく幸せに見える。こうした撮影・製作している監督のタイガーさんへの優しさが物凄い溢れた映画だった。
伝説の「新宿タイガー」さんに会う気分で映画を見るといいね。
ドキュメンタリー映画『新宿タイガー』
知る人ぞ知るタイガーマスクのお面を被り、奇抜なファッションで新宿界隈を練り歩く新宿名物の「新宿タイガー」さんのドキュメンタリー映画。
本人の映画館通いや生業の新聞配達、夜のバーでの美女たちとの一時と「新宿タイガー」に密着しつつ、彼と馴染みがある俳優・女優、バーのマスター、新聞配達の会社の代表取締役などを取材し、「新宿タイガー」の謎に迫る。
とにかくいろんな若手・中堅女優と知り合いで流石に羨ましく思える、が、ある意味それと映画鑑賞と仕事(新聞配達)とお酒しかないから、いわゆるフジテレビの日曜日午後二時のドキュメンタリーみたいな負の部分や辛気くささを排除し、タイガーさんへの愛で包まれたドキュメンタリーだった。
悪く言えばやや単調な構成ではあるが、それが“素”のタイガーさんを映していると思うと一映画人としてある種の幸せに見える。
『岬の兄妹』②
知的障害者の売春とか小人と知的障害者のセックスとか喧嘩で脱糞したうんこを投げつけるとか、テレビではおおよそ放送出来ない倫理なき底辺ワールド。
あそこまで底辺だとホームレスの方がマシというか、ゴミ箱あさりでホームレスと喧嘩するシーンとかおおよそ考えられる底辺がマシンガン乱発のように繰り出される。
それにしても、あの場合なら本来自治体や公共機関と相談すればなんとかなりそうだけど、主人公が頭が悪いだけあってそこまでの知恵はない、ということなのかな?
唯一、主人公の幼馴染みなのか警察官の友人がいるのに、その友人もそういう肝心な所が抜けている。というか、映画を見ている間はそこまでは思い付かなかったから、「相談出来ない」というのはある意味ナチュラルなんだね。
ある意味隣近所がまったく出ない、この無縁社会状態は『誰も知らない』の大人版なのかな。考えさせてはくれるので、やはり秀作かな。
『岬の兄妹』
左足が不随の兄が知的障害の妹を養っているがある日働いていた造船所をクビになり、食うものも困る、電気も止められる、家賃ギリギリの貧困に喘ぐ。兄は貧困を脱するために妹を売春婦にし、売春斡旋をする。
とにかく貧乏、ド底辺をとことん描いている。ボロいアパート、汚ない部屋、食べ方までどこか汚ない。内職をするもそれだけじゃ大人二人生活出来ず、背に腹変えられずの妹を売る兄。そこからさらに年寄りやミゼット、苛められっこ兼童貞とのセックスなどめくりめくド底辺ワールド。
手がうんこまみれになるなど「これは嫌だな……」というものがわんこそば状態で繰り出す倫理なき映画。監督はポン・ジュノの助監督務めた片岡慎三でこれが長編デビュー作。映像はしっかりしている。ド底辺は描けてる。強烈な物を見せつける才能はあるが、その強烈さは見る者の生理的嫌悪感にまで侵害して来る。
一つ、「惜しい」と思ったのは、部屋に電気ストーブがあるんだから、火事とか起きてもおかしくなかったがそこまでの大技がなく、生理的嫌悪感侵害に留まっている。惜しいが、強烈さはある。
今やテレビにおいて連続テレビドラマはジャニーズのアイドル主演でも当たるかわからない。ましてやスキャンダルが起こるなら打ち切りや差し替えもありうることでリスクは大きい。
全国公開映画だってそこは同じかもしれないが、可能性としては撮り直しで切り抜ける手もある。
『マスカレード・ホテル』や『七つの会議』を「テレビドラマ臭い」と評しはしたが、これらのヒット次第では2020年以降の一大コンテンツとして「本来テレビドラマの企画を映画にしました」映画や「以前他局に先を越された小説原作ドラマを映画化リメイクしました」映画が主流になる可能性が高い。1990年から横行したテレビドラマの劇場版『◯◯ザ・ムービー』よりも、テレビドラマ版を見なくてもいいからまだマシなのかなー。
『12か月の未来図』4月6日より公開③
『パリ20区、僕たちのクラス』の系譜の今時の中学校映画でありながらさらに一歩いったのは、大人たちのわずかながらの寛容さにある。
子どもは学力的にはバカではあるが、それは「失敗」の経験からの心理的な行動にある。ただ怒る、怒鳴るだけでは子どもたちは単に「失敗」を経験するだけで前に進もうともしない。その揶揄を主人公フランソワの妹がさらっ言う。
以降、普通なら担任&校長面談になりかねない生徒らのあるとんでもない行為を容認する。一見あり得ないが、あれはフランソワの「失敗」学の学びなんだ。
さらにとどめのラストシーンもじわーっとくる。エンディングテーマのメリー・ホプキンの「悲しきの天使」がまた強烈に突き刺さる。この曲には在りし日の思い出や青春を意味したロシア民謡ベースの曲。哀愁を帯びたメロディーがカタルシスを増幅させる。
ブルジョワはげちゃびん中年先生VSクラスの大半アフリカ系のガチンコ中学校映画はリアリズムとヒューマニズム溢れ、『大人は判ってくれない』から『コーラス』、『パリ20区、僕たちのクラス』などオールタイムのフランス学校映画を見つめた傑作だ!
『12か月の未来図』4月6日より公開②
(つづき)
フランソワ以外の教師らはだいたいアラサーで、「臭いものには蓋」でいわば「ことなかれ主義」。フランソワも最初はそんな彼らと同調するも、ベテランの技か、彼のポテンシャルか、荒くれる移民系のクラスを徐々にまとめながらも己も少し生徒らに歩み寄る。この数ヶ月で生徒も教師も変わる。
フランソワは聖人君子ではないが、根には退学になったらろくな職にありつけず、ゆくゆくの生徒の将来を思う。そこにも『大人は判ってくれない』のアントワヌ・ドワネルがどうしても被るし、この映画はさらに『パリ20区、僕たちのクラス』の系譜でそこからの一歩である。いや、どこか「3年B組金八先生」よりな『パリ20区、僕たちのクラス』とも言える。思春期の子どもたちも異性に好意を持つし、先生らも、というかはげちゃびんの中年先生もまだまだ男なところも見せる。そこがおフランス流である。
監督が約2年間中学校を取材し、9ヶ月間に渡って撮影しただけあってとことんリアリティーなヒューマニズム溢れる超社会派中学校映画。フランスの教育・移民問題、大人、思春期の少年少女を描いた無印の傑作!!
『12か月の未来図』4月6日より公開①
パリの超名門高校の教師フランソワが己のうっかり提案でパリ郊外の移民系が多い地区の中学校に赴任し、3年生の担任になってからの一年間を映した映画。
タイプとしてはまさしくローラン・カンテの『パリ20区、僕たちのクラス』や『ぼくたちのムッシュ・ラザール』、『オーケストラ・クラス』のような今時のフランス語圏、フランスの中学校映画。これに教師側もキャラが強い。主人公のフランソワは超名門高校の国語教師というだけでなく、日本で言えば村上春樹クラスの国民的な作家の息子で、ブルジョワの世間知らずで皮肉屋で、やや独り善がりのはげちゃびん中年。どちらかと言えば嫌なタイプの先生で、そんな都会派はげちゃびん中年先生がクラスの8割がアフリカ系で落ち着きのない今時の15歳らの担任教師になってしまう。
フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』から約60年。学校の先生は生徒を怒鳴れるが生徒を叩けず、ちょっと問題があると保護者を学校に呼び出し担任&校長との面談や学校裁判のような指導評議会で生徒の退学の有無を決めてしまう。(つづく)
『七つの会議』3回目②
加えて、営業部の会議が警察の捜査会議っぽく見えた。チープなテレビドラマ版よりかはましだが、それでもコレジャナイ感が何回見ても感じる。重役会議はだいたいそんな感じだが、
裁判所や王室会議みたいな御前会議は流石にやり過ぎ。今の時代、あれなら親会社の社長は社長室からSkype出席じゃないだろうか?
あとやはり野村萬斎の演技は大袈裟すぎ。あんな喋り方をするヤツがいたらみんな殴りあいになるよ。
その点、片岡愛之助の表情や目の演技はさすがだった。香川照之もしかりだが、偶然にも歌舞伎役者二人の台詞以外の演技にこの映画は救われていた。
『七つの会議』がどうしてもテレビドラマっぽく見えてしまうのは結局は一つの中堅会社の話なのでスケールの問題もあるが、それなら会社の問題となる物が大きく、これを『空飛ぶタイヤ』みたいに刑事目線でやれば映画らしくなったが、原作があるからね……
『七つの会議』3回目
今回は見る前にNHKテレビドラマ版「七つの会議」を見ておいたので、それとの違いと映画版の良さとそれでも微妙に感じた部分がある。
今回の映画版は
営業一課と二課の違いを短時間で見せ、
ねじ六や経理課、カスタマー室のエピソードを若干コンパクトにしつつ、焦点であるネジの問題を1シーンで見事に見せて、後半の会社ミステリーをより面白くしている。
あと、テレビドラマ版にて随所で気になった人物をくっきり映せない点や会議室のチープさなどは流石に映画だからかクリアされ、くっきりとした映像に関しては改めて映画の力を見た。
しかしながら、今時の営業部の大きい会議でプロジェクター&スクリーン、パワーポイントを使わずに紙の資料のみでの説明というのが今時の会議にしてはリアリティーに欠ける。
『バーニング 劇場版』②
とにかく見た後のジワジワ込み上げて来る感覚が半端ない。ああ、これこそが映画だよ。
ベンがジョンスに突如打ち明けるビニールハウス燃やしがもちろん一番のヒントで「燃やす(バーニング)」とは罪悪感・うしろめたさのことである。
ジョンスにしては大学は出たのに職に就かずバイト生活で、小説家なのに未だに作品がなかったりもこれに当たる。
ヘミがいなくなった後にヘミの自宅マンションに行って大家にマスターキーで開けて中に入るのもそうだし、ヘミが飼っていたネコ(ボイル)も本来このマンションでは飼ってはいけないんだからヘミは違反行為をしながら飼っていた。さらには旅行前に他人に預ければいいネコをわざわざジョンスに頼むのも同じ。
この映画で起こる行動を「うしろめたさ」から考えると色々腑に落ちる。
傑作なり。
@tacchan
一般ユーザーならともかく、最近は映画会社や映画宣伝が平気で使っているのがハナにつきましたね。