個人的にはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督にすっかり感心してるので、今度の『Blade Runner 2049』はアタリだと思うけど、デッカードは街ハズレにいる。さてどちらにころぶのか。😉 https://eigadon.net/media/POUWXb_Ne6JE-6bB5ak https://eigadon.net/media/p1UK4JV78zUAa7LTuxo
メッセージ⑤(ネタバレ)
そしてUFOの扉が開いている約二時間の時間も映画の長さのことであり、これもシャッター開閉の隠喩と見なすことができる。ルイスは完全入れ替え制二時間もの「映画」を繰り返し見て分析することでヘプタポッドの言語を学び、人生の全体を見通せる記憶の形式を身につける。それは我々が映画を繰り返し見ることで他者の人生の顛末から自分の人生の意味や目的を学ぶことの比喩と理解できる。この『メッセージ』という作品も「映画(という体験)についてのメタ映画」の側面が色濃いわけだ。
さて、映画全体の回文性については、二回見て分かるのはせいぜい映画の前半と後半が対称構造になってるということで、目に付きやすいものは「冒頭の娘の記憶/ラストの娘の記憶」「大学の保安(SECURITY)の制服を着た警備員/米軍の保安部隊」「ウェバー大佐/シャン将軍」「銀色のボイスレコーダー/銀色の携帯電話」「車の接触事故/米兵同士の衝突」・・・こういった映画の対称性はアントニオーニの『欲望』を髣髴させる手間の掛かった作り込みだが、その意図まではまだまだピンと来ない・・・。
メッセージ④(ネタバレ)
よって『メッセージ』の宇宙船の白い窓ガラスは、杉本博司の写真作品の劇場シリーズの引用に間違いない気がする。この写真は映画の上映時間分だけ露光することで、映画の時間の全体を一枚のイメージに封印した作品。それに相当する映画の箇所がやはり講義の場面で、「ルイスがテレビの扉を開いてニュースを見始める、家に帰ってもテレビでニュースを見続ける、そして翌日誰もいない教室を経た後、研究室でニュースを見ていたノートPCを大佐が訪れた時に閉じる」、つまり「テレビの扉を開ける、ノートPCを閉じる」が杉本の写真撮影における「シャッターを開く、閉じる」に呼応しており、誰もいない映画館(無人の教室・UFOの内部)と白いスクリーン(ホワイトボード・UFO内の窓ガラス)それを撮影する杉本のカメラ(軍のカメラ部隊)のイメージが隠喩として重ね合わせてある。⑤へ https://eigadon.net/media/X9o-4_5K0vLq56BgQww
メッセージ③(ネタバレ)
今週は原作を読んでみた。ルイスがヘプタポッド語の学習によって娘が死ぬ不幸な未来の記憶を持つようになっても、そのままのとおりの人生を生きようとする理由を、小説では哲学的、科学的な説明に加えて既知の本の再読の例などを用いて丁寧に説明してある。映画では直感的な理解や愛で説明が省略されてる感じがするが、隠喩としては「本の再読」のたとえを「映画」におきかえて説明してるように思う。それは本も映画もそれにテレビゲームですら、一度見て知ってる内容をもう一度見たくなる(やりたくなる)ということ。つまり2回目以降の読書/映画鑑賞/ゲームプレイは、既に最初から終わりまでの「未来」を知りつつも、それをもう一度「生きる」行為と言えるわけだ。
さて『複製された男』では都会を跋扈する巨大な蜘蛛が登場するが、これは六本木ヒルズにもあるルイーズ・ブルジョアの彫刻「ママン」であるからして、ドゥニ監督は現代美術の引用が好きらしい。④へ https://eigadon.net/media/BzAkZYHqabQ0VaxmH-A
メッセージ②(ネタバレ)
そしてルイスは情報の到来によってテレビの「扉」を開くという象徴的な行為をする。もうここまでで「メッセージ」が「到来する(Arrival)」という邦題と原題の意味が説明済みだったわけだ。それもテレビ・電話・ネットこそが現代社会の本質的なものであると示すために、繰り返しニュース、PC、通話のシーンが描かれる。よってUFOとヘプタポッドも「知る/知らない者/メディア(空の器)/伝承」の隠喩であり、この映画は、ジョディー・フォスターの『コンタクト』と同様の「宇宙や時間、人生の全体性を知ったことで覚悟される愛(信仰)」の観客への講義(布教)だろう・・・。どうしたって「はじめに言葉ありき」の聖書の匂いを感じるのだ。
難解な記憶、時間についての表現はこの映画が回文になってるという謎解きの後に分かるのかも知れないが、解けば解くほど(もうとっくに手遅れではあるが)グローバリズムへ教化されていく予感がする。これだけ難解でもドゥニ・ヴィルヌーヴが映画を撮れるのはハリウッド資本の目的に合致してるからだろうな、と。
メッセージ(ネタバレ含む)
いや~分かるようで分からない。回文になってると示唆されても一回じゃとても・・・映画全体がまるで夢のような、最初と終わりでエイミーのヴォイス・オーバーが入るから多分映画全体がエイミーの記憶なんだろうけど・・・いや、イアンのヴォイス・オーバーもあったな・・・『スプリット』のヒロインは過去のトラウマのフラッシュバックに悩まされていたが、こっちは未来の記憶のフラッシュバックだな・・・それも(ノン・ゼロサム・ゲームの場面では)過去から未来へも記憶が伝わるという・・・危機の解決の記憶シーンでは、むしろ中国の将軍のほうが何もかも理解しているように見えたがどういうことか?・・・ブレードランナーの続編がこんな難解映画になったらそれはそれでカルト間違いなしだけど、ボーダーラインを足して二で割ったくらいにしてほしい・・・。
@orange999 随分前に見ましたがラストシーンで泣きましたね。
@yu_yu 今日までガマンしてきましたが、監督の「ばかうけに影響を受けた」を聞いた時「うそつけ、影響を受けたのはプロメテウスだろ?」と即座に思ったくちですw
美しい星①(ネタバレ)
人生には良い悪いを含めて、幻想(人生の夢・思いこみ・オカルト・肩書き・イデオロギー)が必要だという話だなと。行きすぎた思いこみはマルチ商法の詐欺やバンドマンのかどわかしにあったり、妄想に取り憑かれて仕事を失ったりするが、一方で人を「いきいき」させて最後には家族を一つにもする。テーマは「寅さん」(さらには「ドン・キホーテ」)にも通じる、日常に埋没せずにあえて夢を見てバカを演じる生き方の推奨。
映画は「地球温暖化」だって人類みんなで見ている幻想かもしれないと説いている。言ってしまえば世の中はすべて幻想で出来ているわけで、それを信じるか信じないかのイデオロギーの戦いが火星人と水星人に代弁されて繰り広げられるが、その勝敗も思いこみに過ぎないと中身の無い赤いスイッチが象徴する。
美しい星②(ネタバレ)
スイッチを押されて幻想を解除された父親の末期がんという現実が露わになると、家族同士で現実の暴露合戦となり傷つけあってしまい、いかに幻想が大切なものであるかの気づきに至る。するとTV画面のアシスタント(!)からワンチャンスが与えられ、もともと(家族で海外旅行の)夢へ自覚的に乗っかることの大切さを知っていた母親の先導によって家族は態度を変える。他人の幻想を信じるか信じないかの受動的態度から、あえてその幻想に乗っかる自覚的な態度に変わることで、家族は父親の幻想にとことん付き合うことにする。(寅さんの前向きなノリに周囲が巻き込まれていくように)
ラストシークエンス。火星人としての父親が乗った宇宙船のコンピューターが言う「任務完了、ごくろうさまでした」が、幻想の力で家族を一つにした成果へのねぎらいと分かったとき、幻想の否定面と肯定面がうわっとねじれてメビウスの輪となり、感動に襲われる。
@Miyu いえいえ、とんでもない、そもそも新作のCWの記事は見ていらっしゃらなかったわけですよね。いらぬお世話でした😅 『美しい星』を楽しまれたようで何よりです。ちなみに自分も『ボーダーライン』が好きだと旦那さんにお伝え下さいw😁
@Miyu 『美しい星』を観にいきますか~。ちょっとだけエクスキューズさせてもらうと、私にはこの映画を「最高」と思うだけの理由、つまり映画に似たような家族の問題がありました。面白くないと感じた人はおそらく気を遣って沈黙してくれています。そういう映画ですのでよろしくです。😅 (未収載に設定してます。)