メッセージ⑤(ネタバレ)
そしてUFOの扉が開いている約二時間の時間も映画の長さのことであり、これもシャッター開閉の隠喩と見なすことができる。ルイスは完全入れ替え制二時間もの「映画」を繰り返し見て分析することでヘプタポッドの言語を学び、人生の全体を見通せる記憶の形式を身につける。それは我々が映画を繰り返し見ることで他者の人生の顛末から自分の人生の意味や目的を学ぶことの比喩と理解できる。この『メッセージ』という作品も「映画(という体験)についてのメタ映画」の側面が色濃いわけだ。
さて、映画全体の回文性については、二回見て分かるのはせいぜい映画の前半と後半が対称構造になってるということで、目に付きやすいものは「冒頭の娘の記憶/ラストの娘の記憶」「大学の保安(SECURITY)の制服を着た警備員/米軍の保安部隊」「ウェバー大佐/シャン将軍」「銀色のボイスレコーダー/銀色の携帯電話」「車の接触事故/米兵同士の衝突」・・・こういった映画の対称性はアントニオーニの『欲望』を髣髴させる手間の掛かった作り込みだが、その意図まではまだまだピンと来ない・・・。