『夜に生きる』。陰惨で最高。
出目と宗教に対するアウトローの勝ち目のない闘争を描くノワール版『エルマー・ガントリー』。
タイトルの「夜」を連想させる黒や闇より、KKKが火で照らす闇夜の光と聖に目覚めたエル・ファニングの純白の衣装が痛々しい背中と共にグロテスクな「秩序」を浮き彫りにする。白日の元に生きる俗世の禍々しさを見ていると、本作の夜はむしろ安全地帯に思えてくる。
考えてみれば大義の基の戦争を、身をもって仮初めの産物であることを知った男の物語なのだからこれは当然。『ザ・タウン』から更にシャープになった壁や車体への損壊描写への異様なまでの拘りが見えるカーチェイス&ガンアクションも、本作が描く「昼に生きる」世界の禍々しさの前には牧歌的にすら映る。
ギリギリ娯楽作の体裁を保ってきた流れで取ってつけたように起こる惨劇も、白々しさよりどうしようもない縁のようなものを思わせて恐ろしく感じたり。二組の父子の絆が生む惨劇と救済(『ゴーン・ベイビー・ゴーン』だ!)を経て来るべき大戦を「そんなもの無意味だ。起こるはずがない」と評して終わるラストの陰惨さは『ミスティック・リバー』並に重い
DVD『フリービーとビーン/大乱戦』
人種などへの偏見に満ちた発言を繰り返し、相棒のアラン・アーキンにも容赦なくヒスパニック系への偏見をぶつけるジェームズ・カーンがクライマックスの窮地で放つ「アミーゴ」の一言。締めるところ締めるアクション・コメディなんだよな~。
怒涛のカーチェイス前に描かれる二台のエレベーターを使った下降高低差銃撃場面が素晴らしい。アクションはやっぱ高低差の構図が大切なのよね。
容赦ないバイオレンス描写でも有名な本作だが二回繰り返されるトイレ銃撃場面は、きちんと相手が銃を握ろうとしてから主役コンビの銃撃が描かれてる点はもっと注目されて良い。町山智浩の本作の評価は大分バイアスが強いので要注意。
『Casa dell'amore... la polizia interviene』こと『Police raid the house of love』
これに比べたら『イザベルの呪い』も『Mania』もポルセリ入門編(ナニソレ?)に思える人骨考古学ニーチャンネーチャンたちの誘拐&悪魔儀式目撃受難劇。無理やりまとめたけど絶対ストーリー把握出来てない!英字幕で見てるからとかそういう問題ではない!!
自傷行為での性的興奮と三すくみの関係性への執着をレナート・ポルセリの作家性と取ることも出来るが、そんな考察してるとあっという間に一部で伝説的な鎖と“梯子”の攻防戦が始まるから思考停止するしかない。やたらと子羊や鶏が画面を跳ね回るのも狂ってる。
italo-cinema.deのレビューにあるとおり、本作が劇場で公開された事実があるとはとうてい思えない。『Mania』とかと一緒にBD出してほしい。
ザッカー『ゴースト/ニューヨークの幻』(90)についてブログに書きました。
http://blog.livedoor.jp/hktsunagetemiru/archives/50051221.html
というかほぼ脚本書いたブルース・ジョエル・ルービンの話です。いかにしてルービンはアカデミー賞に辿り着いたのか?
35mmフィルム撮り長廻し5本勝負という若手らしい大胆不敵な試みがユニークなL.A.舞台のネオノワール、ジョン・ホークスがしがない探偵演じるハウク『TOO LATE』
15)、Netflix題『手遅れの過去』のブログ記事を書きました。
http://blog.livedoor.jp/hktsunagetemiru/archives/50034729.html
夫人が下半身丸出しで出迎えるのはなぜか?
DVD『デリリウム』
冒頭の被害者、加害者、目撃者(店主の下品な表情のアップ!)の示し方とかストーリー上、必要なカットを撮ってるだけなのに心ざわつく違和感が全面に出ている異様さ。やっぱジャーロとしてもレナート・ポルセッリ作品としても異色としか言いようがない傑作だな。
ズタズタなカット割(演出というより各国別バージョン作成のための編集の作用と思われる)で描かれるミッキー・ハージティとリタ・カルデローニの妙ちきりんな夫婦会話と、相反する感情の工作を現す階段描写がクライマックスの展開を予見してる周到さに唸る。整合性無視の力技の狂気展開が評価されてる本作だが、少なくともポルセッリは感覚だけで本作を演出してはいないと思う(当たり前だ)。
事件の当事者三人が屋上に一旦集合してから地下室に向かうまでのやり取りも、ハイテンションな演技に隠れた冷静な演出プランが垣間見えて素晴らしい(階段降りの反復なんかもの凄く図式的)。
やはりこの味わいを『ジェイコブス・ラダー』的解釈で覆い隠してしまったアメリカ編集版は別物と考えたほうが良いよな(嫌いではない)。
シネフィル