Aadhi Parasakthi (Tamil - 1971)をDVDで、たぶん10年ぶりぐらいの二回目。
やはりこの作品は1975年ヒンディーのJai Santoshi Maaとの繋がりを考えなければいけない気がする。ともあれ、テルグの黄金期の神話映画の洗練と荘重に慣れ親しんでいると、この作品の映像技法は素朴というか田舎臭いというか。特撮の怪獣映画を見ているような気にすらなる。どこまでも土臭く、またシヴァ寄りであるタミルの神話映画の特質が100%出ている。ただ、踊りはやはり見事なもので、途中のやや退屈な説話を我慢して見た後の、最後のジャヤラリターによるシヴァの降臨を招く踊りには息をのむ。まさに弾けるという感じ。シヴァリンガを再アクティベートするくだりの性的な隠喩も、ジャヤラリターがやると偉大なシャクティそのものに見えてくるのが凄い。最初見た時にはヘナヘナとなったジェミニのシヴァ神も、これはこれでありだと思えるようになった。
町屋の会で『カランとアルジュン』(Karan Arjun, 1995)を。
盛期ボリウッド様式のようなものを久しぶりに見た。輪廻転生が主テーマだが、神話との親縁性もあるとこのとだったが、アルジュナとカルナのツイストはストーリーライン上にほとんど認められず。むしろカーリー女神信仰が前面に現れるのだが、正邪のどちらもが女神を崇拝しているというのが面白い。華やかであるべきソングシーンが曇天の下で撮られているなど90年代っぽい大雑把さも。リベンジものとしては同じ監督のKhoon Bhari Maangの方が心に沁みる。ヒロイン女優のソングでのあられもなさには冷や汗が出る、この感覚は久しぶり。そのヒロインの一人、マムターがあられもなく迫るのを、サルマーンが逃げるでもなく受け入れるでもなく、微かにほほ笑むソングシーンの演出が奥ゆかしくて良かった。
SNS上の広告ポストには基本的に反応しないんだけど。うっかり見てしまったこれにはちょっと動かされた。
しかし、見たら見たでかなり心身にダメージが来そうな予感。
https://motion-gallery.net/projects/greenjail
これも数年前、インド映画封切りに当たって、プレス発表と一般公募観客の試写会とが同時に行われたことがあった。
インドのマスコミ人すら来ていた熱気あふれる会場。かぶりつきから数列はプレス用の指定席で、一般応募客はその後ろ。上映前に監督と日本のセクシー系アイドル女優との儀礼的なトークがあり、そのあと数分のプレス用撮影タイムがあった。後列の一般人の撮影はご遠慮くださいと言われた。しかし、それが終わると前列のプレス席はもぬけの殻、誰一人として上映のために残ってなかった。あの時来ていたインドのマスコミ人はどうだったか思い出せない。ともかく、大手配給が絡んだ、大掛かりなプロモーション戦略でこれだもんなあと思ったのだった。
劇場で売られているパンフが、封切り前は「プレス」と呼ばれるということを知ったのはそう古いことじゃない。
プレスと呼ばれている時点では、試写にやってくる関係者に配るために使われる。数年前に一度だけプレス製作の下請け仕事をした際に、そのあたりが呑み込めておらず、図表や統計資料をたくさん集めることが求められていると勘違いしてた。しかし、試写に来たマスコミ関係者が、映画を実見しての感想と資料的な素材から独自のレビューを書きあげられるはずもなく、プレスには惹句や粗筋、見どころチョイスまで、そのまま流用できるようなパッケージが求められているのだった。情けない気もするが、レビューの内容よりも、取り上げてもらうことが目標なんだからそうなるわな。一般の観客のレベルでも、SNSに現れる一言感想では、ボキャブラリー選択がチラシの文言にかなり影響されているのを知った。映画を広めたいなら、公式がしっかりしたテキスト情報を流すことが重要。まあ、劇場りパンフとプレスの内容が、いろんな事情から違ってることもあるんだろうけど。
TIFF「ヴィクラムとヴェーダ (Vikram Vedha)」(Tamil - 2017)を六本木TOHOシネマズで。
最初に文句から。字幕のレベルが低い。タミル語専門家の校閲を受けていないことが明らか。それからbucksを単純にドルと訳したりするあたり。どう考えたってルピーだぜ。天下の東京国際がどうしたのか。あと、字幕投影技術協力として文化庁がクレジットされていた。DCPに後付けで別プロジェクターの日本語字幕を投影したのか。映画自体はスタイリッシュなオッさんの揉み合いと哲学的問いかけの融合で言うことなし。劇中にMullai Nagar, MKB Nagarというスラムっぽい団地の名前が挙がるのだが、これが何と実在しており、いずれもフォート地区よりも北。つまり北チェンナイもの、さらに言えばダリト・コロニーものということになるか。団地の壁には何やら人物の巨大ポートレイトが書かれているシーンもあり、『Madras』と共通の背景であると考えられる。それほど高層でもない団地を上空から捉えたショットの不気味な美しさが印象的だった。
IFFJの二本目「マントラ(Mantra)」 (Hindi, English- 2016)を渋谷ヒュートラで。
トレイラーだけ見て陰気くさい文芸映画と思い期待せずに見に行ったけど、案外よかった。『モンスーン・ウェディング』でペド親爺だったラジャト・カプールが出てくるとつい猟奇的な展開をしてしまうがそれはなし。他にもLoevのシヴ・パンディットとか、『マダム・イン・ニューヨーク』のアーディル・フサインが渋い役で登場して嬉しい限り。都市住人の難しいエゴ、中年の挫折などをふんわりとした筆致で描き、好感をもったが、現地のレビューは恐ろしく低い、なぜななのか。長男がデリーで開いたレストランがヒンドゥー原理主義者の攻撃にさらされるシーン、それから主人公の仲間たちが中国とインドの格差について語るシーンが印象的。ジャールカンドからの貧しい上京者が見せた無償の男気がカッコいい。
Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
Mersal (Tamil - 2017)の続き。アトリ監督との相性の悪さ、流血描写にあるのではないかと思い至った。インド的バイオレンスに慣れきっている自分が違和感を持つアンバランスさ。主人公がドーティ―を脱がされるシーンは映さないのに、帝王切開手術は執拗に映像化するようなところ。子連れで見に行ったアメリカ人研究者がやはりショックだったと書いていた。
Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
どうもやっぱりアトリ監督とは相性が悪いわ。しかしキメどころが多く、ファン大喜びなのは良くわかる。悪いのはアジットファンである自分だ。マーダヴァ・プラサードのシネポリティクス理論の教材になりそうな典型的マス映画。MGRとの重ね合わせ、タミルのzhを誇る歌詞など、散りばめられた民族主義。昨年ぐらいから顕著になった反ヒンディーの各種の流れの中に位置づけられるのか。GSTに関する言及でモーディーのVJP政府支持者と険悪な関係になったことすら作品の一部に見えてくる出来すぎさ。パリのシーンでは電子マネーの普及を誇ってみたりしてなかなかいい感じに暴れていた。しかしパリのカフェで武装集団が乱入するシーンなどがあっても荒唐無稽には感じられないこのご時世も感じた。久々に存在感を見せたのはヴァディヴェールだったが、あのキャラはなぜ双子の秘密を黙っていたのか、いまひとつ分からなかった。
『バーフバリ2 王の凱旋』(Telugu - 2017)を試写で。
パート1には熱狂しきれなかったのだけれど、前半だけ見せられて宙ぶらりんになってるのを終わらせられるのが嬉しくていそいそと行った。前作で乗り切れなかったのは主にプラバースの風格不足によるところが多かったのだが、今作では明らかなほどに成長していた。野育ちの怪力息子と伝説の王とをきっちり演じ分けている。スターとしてAダッシュからAクラスに入ったか。何はともあれ、テルグ映画がテルグ映画のままで全インドに受け入れられるように作る、インド映画のままで世界に受け入れられるように持っていく、というラージャマウリの途轍もない野望とその達成度には頭が下がる。
Uru (Tamil - 2017)をTentkottaで。
ホラーかとも思ったがサイコスリラーだった。シャイニングをはじめとする各種の先行作からのイタダキが多いというのもあり、現地の評判は低かったという。カライヤラサンの芝居とスッキリしない結末でも点を下げたらしい。しかし後半に入って、導入ではまるで端役のように登場していたダンシカーが、見事な肢体でスクリーンを占有し、縦横無尽に暴れまわるのをあれだけ眺められるなら充分という気がする。実際、近年のアクション映画のヒーローでも、あそこまで繰り返し体を痛めつけられる(でも死なない)登場人物がいただろうかという程のボコボコぶり。体とハスキーボイスが資本のこの姐さんはさらに応援してこうと思う。