Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
Mersal (Tamil - 2017)の続き。アトリ監督との相性の悪さ、流血描写にあるのではないかと思い至った。インド的バイオレンスに慣れきっている自分が違和感を持つアンバランスさ。主人公がドーティ―を脱がされるシーンは映さないのに、帝王切開手術は執拗に映像化するようなところ。子連れで見に行ったアメリカ人研究者がやはりショックだったと書いていた。
Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
どうもやっぱりアトリ監督とは相性が悪いわ。しかしキメどころが多く、ファン大喜びなのは良くわかる。悪いのはアジットファンである自分だ。マーダヴァ・プラサードのシネポリティクス理論の教材になりそうな典型的マス映画。MGRとの重ね合わせ、タミルのzhを誇る歌詞など、散りばめられた民族主義。昨年ぐらいから顕著になった反ヒンディーの各種の流れの中に位置づけられるのか。GSTに関する言及でモーディーのVJP政府支持者と険悪な関係になったことすら作品の一部に見えてくる出来すぎさ。パリのシーンでは電子マネーの普及を誇ってみたりしてなかなかいい感じに暴れていた。しかしパリのカフェで武装集団が乱入するシーンなどがあっても荒唐無稽には感じられないこのご時世も感じた。久々に存在感を見せたのはヴァディヴェールだったが、あのキャラはなぜ双子の秘密を黙っていたのか、いまひとつ分からなかった。
『バーフバリ2 王の凱旋』(Telugu - 2017)を試写で。
パート1には熱狂しきれなかったのだけれど、前半だけ見せられて宙ぶらりんになってるのを終わらせられるのが嬉しくていそいそと行った。前作で乗り切れなかったのは主にプラバースの風格不足によるところが多かったのだが、今作では明らかなほどに成長していた。野育ちの怪力息子と伝説の王とをきっちり演じ分けている。スターとしてAダッシュからAクラスに入ったか。何はともあれ、テルグ映画がテルグ映画のままで全インドに受け入れられるように作る、インド映画のままで世界に受け入れられるように持っていく、というラージャマウリの途轍もない野望とその達成度には頭が下がる。
Uru (Tamil - 2017)をTentkottaで。
ホラーかとも思ったがサイコスリラーだった。シャイニングをはじめとする各種の先行作からのイタダキが多いというのもあり、現地の評判は低かったという。カライヤラサンの芝居とスッキリしない結末でも点を下げたらしい。しかし後半に入って、導入ではまるで端役のように登場していたダンシカーが、見事な肢体でスクリーンを占有し、縦横無尽に暴れまわるのをあれだけ眺められるなら充分という気がする。実際、近年のアクション映画のヒーローでも、あそこまで繰り返し体を痛めつけられる(でも死なない)登場人物がいただろうかという程のボコボコぶり。体とハスキーボイスが資本のこの姐さんはさらに応援してこうと思う。
Pretham (Malayalam - 2016)をDVDで。
訳あって南インドのホラー映画を固め見する必要があって。ハッキリとコメディー・ホラーと宣言している作品。そのコメディーの部分が、やはり英語字幕では隔靴掻痒。またしてもManichithrathazhuを思わせる各種のエレメント。最近のマラヤーラム語ホラーには、そうすまいとしても引き寄せられてしまうManichithrathazhuの引力に逆らって、映像作家が何とかして違いを出そうともがいた結果のように見えるものが多い。本作での新機軸は、ほとんどすべての怪異が白昼のスタイリッシュなリゾートで起こるのと、スマホやTV、ラップトップといった電子機器がメディアとなって霊との交信が行われるとこ見られる濃密な情念の描出はなく、謎解きミステリに近い読後感。
Ezra (Malayalam - 2017)をDVDで。
てっきりスリラーだろうと思ってたらホラーとのことなので慌てて鑑賞。ユダヤ教のオカルティズムであるディバック(死霊の憑依)を大胆に取り込んだ設定。現在では実質的にユダヤ人コミュニティーは死滅してしまったにも拘わらず、豊かなユダヤ文化の伝統が残ると言われるケーララならではのストーリーライン。この手の作品の醍醐味は憑依される人間の霊的変容の演技にあると思うのだが、本作でそれを演じた人は今一つ。力瘤の熱演は認めるがニュアンスと繊細さに欠ける。それから途中で現れる犬殺しのエピソードがループホールのようにも思える。そしてマラヤーラム語ホラーに宿命のように付きまとうのだが、細かいモチーフやエピソードにどんなに新機軸を編み出してみても、結局古典であるあのManichithrathazhuの焼き直しに見えてしまうという点。本作も例外ではなかった。ともあれ、一時期はタミルに押され気味で勢いのなかったマラヤーラム・ホラー、ここにきてまた製作が上向きになってきたかという印象。
Oru Mexican Aparatha (Malayalam - 2017)をDVDで。
タイトルは「メキシコの激情」か?調べること。色々困った映画。70年代の戒厳令時代に謀殺された若き左翼運動家と、現代の学園における左翼系学生リーダーとを重ね合わせるギミックがあるが、ロジカルにはほとんど意味がない。ただし、ビジュアルはカッコいい。学園内で万年与党状態の非共産党系自治会長に選挙で挑む共産党系学生の話。生徒会長というよりは番長に近いのだが、選挙には既成政党がガンガンに入り込み、代理戦争状態。しかし学内の生徒会運営に政策が入り込む余地が大してあるわけでもなく(万年与党のatrocityを許すな、などというスローガンがでるが、何のことだ?)、ひたすら力と力でぶつかり合うだけのマハーバーラタ状態。論戦ではなく夜討ち朝駆けだまし討ちでの実力闘争。こんなのどちらかに感情移入しようにも無理じゃないかと思うのだが、そこがインド映画なので、善と悪はビジュアルでもはっきり分かるようになっている。そしてショッキングなのはこれがけっして映像作家の未熟さからくる荒唐無稽なのではなく、リアリズムに基づいてい文字数
Premam (Telugu - 2016)を機内ビデオで。英語字幕付き。
二ヴィン・ポーリ主演マラヤーラム語大ヒット映画のリメイク。二ヴィンはこれによってスーパースターダムに肉薄したと言われている。しかし演技力以上にこの役にまず求められるのは、14,5のガキから30近い大人までを演じられる容姿である気がする。そういう意味ではナーガ・チャイタニアはテルグ映画界唯一の選択肢だったと思う。特にアタマ空っぽな14,5のガキのパートでの嵌り方はオリジナル以上だったかも。ほとんどオリジナルと変わらないものだったが、ヴェンキー伯父、ナグ父を無理やりに登場させたのはやはりテルグのテルグたる所以。シュルティが記憶喪失から回復したことを物語るエピソードはなぜか後退していて、あれでは初見の観客には意味が分からなかったのではないかと思える。それから長じた主人公の職業に今一つリアリティがないのもマイナス点か。
Jai Lava Kusa (Telugu - 2017)を9月26日、Carnival Cinemaにて。英語字幕付き。
現地レビューは押並べて芳しくないながらも、個人的には久しぶりのNTRジュニアのヒット。重度に神話映画からの引用を織り込みつつ、旅芝居への郷愁も併せて取り込み、一人三役という非リアリズム・ベクトルを恥じることなく、旧時代的ヒーロー中心主義の作品世界を展開した。ジュニアの芸をただひたすら誇示するために、3人のキャラが服装や髪形まで同じにするシーンあったり、それぞれのキャラが趣向の違うダンスを踊るソングが設定されていたり、至れり尽くせりのサービスぶり。ハリウッド的な映像術を至上のものとみなす現地インテリには受けなかったのはよくわかるが、せせこましいリアリズムや教養主義くそくらえな自分には嬉しかった。
Simran (Hindi - 2017)を9月28日、Golden Villege City Squareにて。英語字幕付き。
アトランタに住むインド系二世、30歳、離婚経験あり、ホテルの客室清掃担当の女性のポートレイト。開始後30分ぐらいまでは、自立していながらも童心も併せ持つ、ロールモデル的な大人の女性なのかと思わせて、途中から実はトンデモねえタマだということが明らかになる、悪い意味でのトリッキーな脚本。カングナー・ラーナーウトにはどうしてこう「不思議ちゃん」崩れな役柄が当てられるのか。実話に基づくものだというのだが、それを知っても、ヒンディー語のインド映画として何を表現したかったのか理解に苦しむ。インド系に限らない在米マイノリティ非エリート層の根無し草的倫理観を描きたかったのか。米国では、西~南アジア人のやや色白な肌のことを「オリーブ色」と表現するというのを知った。