Sri Krishna Pandaveeyam(Telugu - 1966)をDVDで。二回目。
字幕なしの3時間だが、結局全部見てしまった。50~60年代の全盛期テルグ神話映画の中でも際立つ特異な構成。マハーバーラタ中の余り知られていない逸話だけを特に選り抜いたような不思議。歌舞伎の一幕見の集成のよう。息抜き的なものも中には混じるのだが、マハーバーラタの敵側の人物が、どのようにして恨みを増幅させて開戦になだれ込むことになったのかを示すエピソードが目につく。そして叙事詩のハイライトであるクルクシェートラの大合戦は一切描写されないのだ。白眉はスヨーダナが集会場で醜態をさらして笑い者になるシーン。原典訳マハーバーラタ第二巻のP.352にわずか15,6行で記されているエピソードを膨らませ、独自の解釈を加えたもの。この描写の悪夢のような不思議な感じが癖になる。
Mouna Guru (Tamil - 2011)をDVDで。
リメイクであるAkira(Hindi - 2016)を先に見ちゃってたからストーリーは知ってたけど、先日見たDemonte Colonyのアルルニディがちょっと気になったので、遡って鑑賞してみた。やはりこれは主人公が男子だと、リアリティと劇中の出来事の不条理さが際立つ気がする。ソーナークシーも良かったが、キャラを女性にしたことで、平凡な主人公がメッセージ性を帯びた神話的ファイターに変わってしまう(しかしどちらの在り方も悪くない)。アルルニディはイケメンで表現力もあるが、カリスマスターになるタイプじゃなく、こうしたニューウェーブ系でこつこついい仕事をして行くのかも。ウマー・リヤズ・カーンの驚きの存在感は収穫。
Demonte Colony (Tamil - 2015)をHero Talkiesで。
お笑いじゃない本格スリラー、しかも日本のホラーの影響を受けてるというので期待して見たけど、あんまし怖くなかった。若者四人がホラーハウスに入り込んだことから呪いを被って恐怖を味わうというストーリー。主演のアルルニディ(おお、カルナーニディの親戚なのか)は結構イケメンだが、イケメンの恐怖にひきつった顔を見せられても、あまり背筋が寒くなる効果はないのだった。化け物屋敷の過去の惨劇には女性が絡んでいるにも関わらず、祟りを起こすのは男性だし、なんか非常に男っぽいホラーなのだった。薄汚いトイレで怪異が起きたりして、むさ苦しさが怖さよりも勝った感じ。先日見たMayaが、美しくも恐ろしいものになっていたのとは対照的。やはり祟るのも祟られるのも女性にやってほしいとは思う、個人的な好みとしては。
Indru Netru Naalai (Tamil - 2015)をTentkottaで。
タミル映画初のタイムトラベルSFという謳い文句もあったらしいが、多分嘘。絶対に1980年代にカマルハーサン辺りがやってるはず。2016年の豪華な「24」を見てしまった後だと、貧乏くさくモタモタした作りに思えてしまうのはやむを得ない。Visual Wonderで攻めまくる24と比べると、こちらはいかにもデビュー監督の生真面目さ(実際にはお笑いも多いのだが)が出ている。主演のヴィシュヌ・ヴィシャールは適役だが、こいつを140分眺めるのが楽しいとは思えない。サイドキックのカルナ―カランは絶好調。しかしあくまでもサイドキックなので全開にはできないのがもどかしい。コメディーシーンの可笑しみも、英語字幕では掴み切れないのは残念な点。
Jab Harry Met Sejal (Hindi - 2017)を汐留スペースFSで。英語字幕付き。
困っちまうリア充映画の典型。インド映画は一般に恋愛を描くことが下手で、多くの作品がいまだに一目惚れ+ヒーローによるヒロインへのストーキング求愛という黄金パターンを抜け出せていない。恋愛映画と言いながら、上映時間の8割がたが、家族の説得とか、恋敵との乱闘とか、親の決めた縁談を回避するとかのエピソードで埋められる。近年になってそういう周辺的な事象ではなく恋心そのものを描こうとする試みも現れ始めたが、一切のしがらみを外して主人公を自由にするために外国に舞台を措くということをやりがち。そして自由にしてみると、その先どうしたらいいのかが分からず、思わせぶりな台詞を口にしながら観光地ではしゃぐだけ(U指定は死守したいのでセックスはしない)。一言でいうと、製作者が考えすぎて何が何だか分からなくなっちまった作品か。
Mohenjo Daro (Hindi - 2016)をDVDで。
清々しいくらいにフォークロアの伝統にのっとった一作。制作側および批評家側がどのくらいそれを意識していたのかが気になる。平民の主人公がリーダシップを発揮するとか、圧政者、お姫様、貴種流離譚的フラッシュバック etc. 全てが教科書通り。1950年代のものと違うのは、衣装がタイツ系じゃないことと、魔術師が出てこないことぐらい。1950年代には大うけして、現代ではこれがボコボコにされることになった理由は何なのか。いつものように英語で書かれたレビューを渉猟していると、タイトルだけ読んでも、筆舌を尽くして本作を罵倒したいという気持ちがからくる饒舌さが凄い。ともかく、小賢しい感じの意識高い系作品が幅を利かせる昨今にあって、本作は意味があると思うのだが、批評家ではなく大衆はどのように受け止めたのか、本当のところが知りたい。