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Filmistaan (Hindi - 2014)をNTFXで。邦題は『映画の国』。 

物凄く評判が良く、しかも6月末日までの公開だというので(そういう予告がどこかに出るようになってるの?)、とるものもとりあえず見てみた。「ボロ泣き」とか「圧倒的感動」みたいな評言を目にしていたけど、う~んどうなんだろ。「映画の国」を題名にするからには、もっともっと映画的でシュールでドラマティックなものを期待したいところだった。海賊版文化についての言及の部分、パキスタンでは俳優が重んじられていないと淡々と語られるところなどが面白かった。映画好き民を刺激するそうした部分はいくつかあって面白いのだけど、うねるようなドラマがあるかというとそうでもなく、ちょっと弱いと思った。

〈芸道物〉の時代 ——「残菊物語」を中心として——
この論文に日本映画の主要な芸道ものタイトルが挙げられている。ありがたい。ただし『殺陣師段平』のように重要なもので抜けているのもある。
jstage.jst.go.jp/article/jjstr

『残菊物語』(1939)をYTで。 

印度芸道ものについて布教しようとしていながら、日本の同ジャンルでの著名作を見ていないことにハタと気づき、慌てて鑑賞。忘れないうちに書いておきたいが、主人公が東京に戻って晴れ舞台を踏むが、その演目がよく分からない。洋風の衣装が気になる。所作はほとんどカタカリ。レビューなど沢山あるのにどれを読んでも記載なし。ストーリーは折り返し地点前からくっきり見えてるけれど、その裏にある価値観が興味深い。若旦那としての地位を投げ打ち苦しみながら芸を磨く主人公だが、「役者の成功は家柄あってのもの」と諭されて古巣に戻る。そして都落ちして脇役を演じていた大阪の芝居小屋からも解雇され、旅回りへの参加を進められるシーン、はっきりと旅回りへの嫌悪感を表す。実際に一座に加わっても、「ちょっと見得を切るだけで大喜びするような客」と、大衆演劇の観客を見下す。騒々しい客席との交感によって高められる芸はないということか。明治の時点で歌舞伎はそこまで高級なものとなっていたのか。一方、ヒロインのお徳は、子守りの奉公女でありながら、菊之助の芸の良しあしをはっきりと見極めて苦言を呈したりもしている。

Kabir Singh (Hindi - 2019)をイオンシネマ市川も妙典で。 

オリジナルのArjun Reddyが186分でこれが172分。どこをどう削ったのか分からないけっど、まあほぼカーボンコピー。予想はしていたのだけど、2017年オリジナルと比べて衝撃度が低い。最初のシーンに驚きが全くないのは逆に吃驚という感じ。本日初見の日本人観客には感情移入のできなさに戸惑っていた人も多かった模様。しかしまあ、凡庸だからこそ浮かび上がってくるものもある。計算高いインド人にあってLove Failureというのがどのくらいのインパクトを持っているか。大学時代というものが人生の中でどれだけ特別なものか。学園生活の中での主導権(番長ステイタス)争いの激しさ&学年による上下関係の無意味な過酷さ。男からの、強引という言葉では追いつかない一方的な求愛を受けて、難なく恋に落ちてしまう乙女心というもの。スタイリッシュかつリアリティある本作でこういうのが登場するということは、これらは民話的なクリシェなのではなく、現実にあることと考えていいのだろう。それからオリジナルでのカーストをリメイクでどう読み替えたのか。

Hindi Medium (Hindi - 2017)を試写で。 

邦題は『ヒンディー・ミディアム』。字幕にいくつか不満。CMを州知事としていた。Hindi Teacherを国語教師としていた。どちらも、日本の観客にとっての理解しやすさを優先した意訳と言ってしまえるのかどうか分からない。「ヒンディー・ミディアム」の意味が明示されないのも問題。あと、ポスターデザインでHindi Midiumを示すのにஅだのறைの左側だの(あとテルグ語のబみたいなのもあった)、どう見てもタミル語でしかないものを洒落たつもりで使っているの、かなりイタい。よりによってHindiという語にこれを持ってきたのは、高度な皮肉にも見えて何ともいえない。ストーリーは、インド映画では時にある、「コテコテのユーモアでひとしきり笑かした後に、しみじみと考えさせる」フォーマットだけど日本人には強烈すぎて気持ちよく笑えない、というスタイルのコメディー。主人公の犯す不正が重篤すぎて、後から反省したところで許されるものなのかという、いつものあの感じ。これをあははと笑っていい映画じゃと他人に勧められるのは、血中インド人濃度がかなり高い人。

Anonymous(UK - 2011)をYTで。邦題は『もうひとりのシェイクスピア』。 

ある種の芸道ものとして楽しく見られた。かなりの時間を割いて再現されるエリザベス朝時代の舞台の様子が素晴らしい。まさに演劇とは、コンセプトやストーリーではなく、役者の息遣いと雄弁、綺想を凝らしたビジュアル、インタラクションという言葉では追いつかない程に騒々しい客席との野卑なやりとりによって活性化されるものだというのがよく分かる。教養主義の誇示と中産階級の鼻持ちならない社交の場と化した現代の演劇とのあまりにも違う在り方が衝撃的。この芝居のシーンだけずっと見ていたかった。なんかこう、イギリス映画のエリザベス朝ものをもっともっと見たくてたまらなくなってきた。それに比べると、舞台の外で繰り広げられる宿命の物語はいまひとつパキッとしない冗長なものに思えてしまった。主役が誰なのか、誰に感情移入すればいいのか、絞り切れないためにノリが悪い。劇作家ベンか、オクスフォード伯か、エリザベスか、ロバート・セシルか。それにしてもシェイクスピア別人説というのは、学会の主流ではないものの、かなり根強くあるというのは初めて知った。

Secret Superstar (Hindi - 2017)を試写で。 

予備知識として、保守的なムスリム家庭の子女が、人前に顔を晒すことを許さない父親の束縛から逃れるために、ブルカを被ったユーチューバーとなるという話だと思っていた。しかし実見してみるとその束縛の描写にイスラーム性はない。子女の芸術活動を認めない、女児を忌避する、DV、中東移住、勝手に子供の結婚を決めるetc.は、すべてヒンドゥー家庭に置き換えても成り立つ。それに悪役性を一手に引き受けている父親は、妻にブルカを強いていない。パーティーに出かける時は空気を読んでリベラル風な服を着るように命じたりもしている(もちろん妻が自分で着るものを選べないのが問題なのだが)。娘に対しても、勉強しないとダメだと発破をかけたりする。このあたりは社会問題を特定のコミュニティーの問題に矮小化しまいとする巧みな計算によるものなのだと思う。それはいい。ただ、こういうお膳立てがあるならば、芸道ものとしてもっと魅せて欲しかった。歌が少なすぎる。それから歌の道においてヒロインが苦悶したり成長したりする余地がほぼいない。芸道ものだと思ったら母子ものだった!

NGK (Tamil - 2019)をイオンシネマ海老名で。 

セルヴァラーガヴァン監督作という以外前情報を仕入れずに臨んだけど、最近流行りつつあるように見えるポリティカル・スリラーだった。現地評はかなり厳しい。後半、特に結末の分かりにくさが原因だと思う。分からないから色々レビューを読んだけどどれもスルーしていて、要するにインド人にも分からなかったのではないか。NGKという主人公の名前はMGRやNTRを思わせるが、ラストのインタビューシーンではなぜかジャガンモハン・レッディを思い起こさせた。Mudhalvan、Iruvar、NRNM、Sarkarなど先行作品からの引用多数。高学歴で理想主義の若者が、変わらない現実に悶え、政治家の身分を得ることで可能になるショートカットに刮目させられて政界に進むという、地獄巡り系。前半はゾクゾクする面白さ。後半で不可解な靄に包まれる、モヤモヤした気分で終わる。全編通して特に重要なのは「シンパシー・ファクター」というやつ。主人公の属する政党がもろにDMKのもじり。ジャヤもカルナもいなくなったタミルの地では、政治風刺をオブラートにくるむ必要がなくなったかのよう。

Bharat(Hindi - 2019)をイオンシネマ市川妙典で見てきた。 

これは予習で原作を見ない方がよかったのか。ともかく大味。そもそも主人公の名前をBharatとした時点で、こいつは無敵で無謬で老いて萎れることなど全くない奴なのだ。原作の主人公のようにやがては巷間に朽ちて地の塩となるという未来の暗示はない。原作にあったセンチメントを盛り上げる要素はことごとく改変されていて、しかもそれがインドの風土に合わせた改良とは思えず。たとえば冒頭の別れのシーンのもたつき。そもそも父親役をジャッキー・シュロフにやらせること。あと、原作では、生き別れになった妹が、かつての愛らしさの片鱗も残さないくたびれた中年女として現れ、しかも言葉が通じないという無残さが胸を打つのに、あんなことになってるし。原作でのベトナム行はよく分からないお気楽航海記だし。冒頭の別れのシーンだけは現代史だったけど、それ以降のエピソードに時代精神はあまりない。同棲にまつわるエピソードは、いわゆる楽屋落ちか。前半の曲芸バイク乗りのシーンで観客の一人が変に長々とアップで映るのはなんだったのか。てっきり有名人(AB?)だと思ったけど。

国際市場で逢いましょう(韓国ー2015)をアマゾンで。 

今週末に見るBharat(Hindi - 2019)の原作だというので。まあ不純な鑑賞と言っていいだろう。エピソードごとにここはサルマーン版ならどう置き換えられるかとか予想しながら見てたし。発端になる興南(現在の咸鏡南道咸興市)のエピソードは、どう考えても現在のパキスタン領パンジャーブだろうし。現在地としての釜山の市場はやっぱムンバイだろうとか。儒教的価値観の中での家長の務めというのを10歳にもならないうちに背負い込んだ男の一代記。泣かせのポイントは波状攻撃で幾度にもわたってやって来るが、ラストの死者との対話のシーンがいい。死者の前で初めて素直になる人間というコンセプトがやはり好もしい。そして冒頭の市場を舞う蝶の意味が分かることになる。激動の勧告現代史というふれこみだが、この作品におけるソウルは離散家族再会プロジェクトの舞台であるという以外にはほとんど現れず、インパクトがない。これはユニークなスタイルだと思った。あと、老けメイクの上手さだ。ゴム製のマスクみたいな変なことになってる老けメイクを日頃見せられてるもんだから新鮮だった。

Elippathayam (Malayalam - 1981)をYTで。 

過去に映画祭で上映されたことがあり、その際の邦題は『ねずみとり』。日本語のレビューは僅かしか見つからない。動画は字幕なしだったが、淡々とネット上の字幕倉庫から拾ってきて乗っけてみたらピタリと合った。久しぶりに見たアドゥール・ゴーパーラクリシュナン作品。夜の闇が深く、虫の音や鳥のさえずりが際立っている。休み休みだけど何とか挫折せずに、主要登場人物5人の2時間弱を見ることができた(もう芸術映画には耐えられないんじゃないかという不安があった)。とある人からナーイルのタラワードの崩壊を描いた作品と示唆されていたのだが、前知識がなかったらナーイルだとは思わなかったかも。カースト言及は完全に封殺されている。シャーラダの女神のような存在感は凄い。現在は怖い系の小母さんになってしまったけど、本作中では大ぶりな怖い顔はそのままで、立ち姿の美しさが圧倒する。カラマナの芝居が見事なのは書くまでもなし。怯懦で無能で、共感能力のない旧時代の領主の末裔をこれでもかと見せる。特に召使女との無言のインタラクションが様々な想像を掻き立てて圧巻。

約1年ぶりにKaala (Tamil - 2018)をDVDで。 

英語字幕付きDVDをゲットしたのだけど、画質は明らかに低いので、スクリーンで見たあの感動を台無しにしそうで今まで封印してた。しかし、劇中に仕込まれた隠れたメッセージ的なものを検証する必要があって観ることになった。しかし実見すれば、思わせぶりな記号はさほど多くない。それよりも、破滅へと向かうストーリーのうねりの見事さに感じ入った。そしてそのキャリア中ではかなり珍しい、追い詰められていく落城の領主を演じるラジニの芝居の確かさ。最後の数分のあの幻想的なシーンの、音楽とぴったりシンクロした振付・編集の見事さは、何回見ても見飽きない。

Theevandi (Malayalam - 2019)をDVDで。 

タイトルが汽車を意味すること以外、全く予備知識なしで臨んでみたら、吃驚のブラック・コメディーだった。田舎の舞台、思わせぶりな年代設定から、文芸的なドラマかと思ってたら、インド映画名物の喫煙フォビアと喫煙防止公共広告を盛大にパロったものだった。全編の7割近くが喫煙シーンじゃないだろか。しかし話が進むにつれてヘビースモーカーの主人公に更生への道しるべが見えてきて、要するに、普通の映画では冒頭の15~30秒ほどを使って見せられる公共広告を140分かけてコメディー仕立てにしたものなのだった。中盤辺りまで天晴れな反逆精神だと感心してたのが馬鹿だった。単純な禁煙成功譚では面白くないので、そこに田舎の人間模様を加えたのだが、話が回りくどすぎる気がした。ただし、離れ小島に住んでいる謎のミュージシャン二人組(ボブ・マーリーとラスプーチン)のシーンは良かった。主人公の生まれ年が1989年、つまり現在時点で29歳というのには何か意味があるのか。トヴィノは好演しているが、高校生役はさすがに無理筋。高校時代の喫煙シーンで煙草にボカシは皮肉か。

Maharshi (Telugu―2019)を川口スキップシティで。 

プレビューのために読んだ現地レビューがあまりに酷すぎたので(しかし初動の売り上げは大変に好調らしい)用心しながら臨んだ。しかし虚心に見ればまあ平均作ではあるのだ。常のごとく、神掛かったアクション、ミニスカのヒロイン、住宅展示場みたいな生活感のない豪邸、白人の旦那方を従えた富と権力の誇示、獣糞の匂いのしない田園、コテコテのダンスなどなどが散りばめられたクリシェのストーリー。年季の入った印度映画ファンなので、偉大なるマンネリに文句をつけるような青臭いことはしない。ただ、そのクリシェの中に息をのむような興奮の瞬間がほとんど感じられず、超低速で粛々と物事が進むのを見せられているだけで、やはりちょっと辛かった。GAFAに匹敵するIT企業のCEO室をド田舎の農村に置くというのは目の覚めるようなアイディアだけど(多分この部分のためにストーリー構築がされたのだと思う)、IT企業なんだから会議はオンラインですりゃいいじゃん突込みはあろう。ただそれが映画的には必要だったのは分かる。一方、収入の9割を村に寄付というのはちょっと違うと思った。

Jay (Filipino - 2008)を支給映像で。 

いわゆるクィア映画で、同時にテレビというメディアに対する痛烈な批判を展開する風刺作品。いうなればフィリピン版カメ止めなのだけれど、カメ止めの痛快さは全くない。よくできた作品だと思うけど、Aruviのようなものを見てしまっていると、ジャーナリズム批判の上にさらに何かが欲しい気分になる。

Padmaavat (Hindi - 2018)を試写で。 

邦題は『パドマーワト 女神誕生』。昨年に英語字幕付きで見た際にはかなり怒ってたな、自分。しかし興行師視線で見るならば、分かりやすい豪華絢爛に目が眩む体験が提供できる本作は、カタい牌と言えるだろう。歴史の視点を入れると、ジョーハル賛美はやはりまずいと思う。例えば、あれほどの集団自死ではなかったとしても、同様のことは戦国時代などにあったと思うが、日本映画がそれを賛美の切り口で描けるかどうか。むしろ原作となった文学作品のように、あくまでも三角関係のファンタジーとして突き詰めれば、あれはありかなという気もする。それから作中ではアラーウッディーンの鬼畜ぶりがこれでもかと描かれるが、衆道に関してだけは奴隷の一方的な片思いとしてスルーしているところが、インド大衆映画の限界という感じ。ラタン・シンが始終陰気臭い感じなのはなぜなのか。字幕にはところどころ不満あり。特に第一夫人と第二夫人への呼びかけに使い分けがなくて、あれでは第一夫人が誰の奥さんなのか分からずに終わる観客もいるのじゃないかという感じ。
eigadon.net/@PeriploEiga/13230

昨日書いててどうしても思い出せなかったニュー・ジャーマン・シネマの初期の傑作、「下部ババリアの人間狩り」(Jagdszenen aus Niederbayern, Dir. Peter Fleischmann, 1969)だ。胸のつかえがおりた。
goethe.de/ins/jp/ja/kul/sup/ze

Varathan (Malayalam-2018)をD V Dで。 

予備知識なしで臨んだけど、終盤20分ぐらいのところでやっとストーリーの道筋がわかるまでのあれやこれやが上手い。「御洒落なくして映画なし」のアマル・ニーラドがこんなのを撮るとは。ファハドにとっては初の本格的アクションではないだろうか。アクションではあるけど、やはりファハドなので頭脳プレーが混じる。そしてありがちな荒唐無稽アクションではなく、細っこい体から繰り出される必殺技は、家族を守るための本能によって増幅された力だということが分かる演技と振り付け。滑り出しでは心霊ホラーのようにミスリードするけど、真にホラーなのは田舎の人間の狭量さと独善だという、田舎礼賛がデフォルトのインド映画としては珍しいテーマ立て。昔に見たニュー・ジャーマン・シネマの某作を思い出したのだが題名が出てこない。田舎の問題と重ね合わされて、女性に対する暴力も語られる。親族の女子がこっそりデートするのを許さないモラル・ポリシングと、余所者の女性ならば何をしてもいいという暴力が同居する怖さ。ここまで嫌らしい田舎の描写も珍しい。アマル・ニーラド社会派化か?

Newton (Hindi - 2017)をDVDで。 

もうちょっと愛想のある作品かと思ってたけど、ガチな映画祭アイテムだったわな。主人公の名前の真の意義を説く上司のセリフから始まり、ダーンダカラニャがラーマとシーターの隠棲所だったという伝説の開陳に至るまで、含意あるテキストが縦横に埋め込まれる。主人公は選挙執行委員で、ルールを死守する四角四面野郎として描かれる。ある種のASDの話かとも思いかけたけど、多分違う。ベタベタだが、主人公はインドの民主主義/選挙制度のメタファーなのではないかと思う。そしてアートマ・シンはインドのズル剥けの現実、マルコは大地を踏みしめて立つ民衆の代表か。76人しか有権者がおらず、しかも多分全員が文盲の部族民、選挙民は立候補者を誰一人として知らない、それどころか選挙の何たるかを分かっていないという状況、現実主義者から見れば、確かに命を賭してまで投票を敢行する意義はない。「でも、やるんだよ!」の主人公の姿を理想と見るか滑稽と見るか、映像作家はどちらとも言っていない。ラストで鉱物資源採掘最高潮の村でほとぼりが冷めた各キャラの人生が続いていく描写は最高にブラック。

Joseph (Malayalam - 2018)をDVDで。 

マラヤーラム映画界名物の中年ぽっと出ヒーローであるジョジュ・ジョージの主演作。似たような例では、Salt ‘n Pepperで妙な人気が出たバーブラージが引っ張りだこになり、調子にのって主演作まで行ったけどそれはさすがに鳴かず飛ばずで、またいつもの定位置に戻ったというのがあった。ただ、ジョジュについては、ブレイクのきっかけとなったAction Hero Bijuでの演技と浸み出るような魅力が別格感を持っていた。60歳に近い元警官が命がけで暴く組織犯罪というストーリー。その一連の犯罪に、主人公のパーソナルヒストリーが重なっているというのが特徴。重なり過ぎなのが問題と言えば問題。独り暮らしで酒浸りの元凄腕警官というのはややクリシェ的だがやはり上手い。回想シーンでは恋に落ちた若者として登場して、ばっちり唇を合わせるキスシーンまであって、無理感があるものの微笑ましい。欲を言えば、取り巻きの中年警官達をもう少し活躍させて欲しかった。Vaasthavam以降パッとしなかったパドマクマール監督に復調の兆しが見えたのが何よりも嬉しい。

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