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にわか さんがブースト

ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!
DVDにて。普通のコメディ映画だと思って観ると、最後の急展開にあっと言わされると思う。少なくとも自分は、え?え?えーーー!?!こんな結末なんかい!!!的な。謎解きとかではありません。これは普通のコメディ映画です。でもなんか普通じゃないんです。
特に結婚して、結婚歴の長いおっさんが観ると身につまされるものがあるっしょうwww

『君の名前で僕を呼んで』のエンドロールはシネコン上映の新作洋画では稀に見る短さでもう終わってしまうのかと驚きが。10分越え当たり前のアクション大作が増えすぎて感覚が麻痺してる。

俺はメタルギアRAYで行きたいのでレディプレ続編あったらコナミぶん殴ってメタルギア出してください(要望)

ヒトラーorアイヒマンを邦題に含めると興行収入UPの業界ジンクスがあると言いますが本当なんですかねぇ

朝一で『クソ野郎と美しき世界』観たんですが、日曜だというのに客はまばらで、新しい地図の本格起動作にしてはチト寂しい入り。

でも演出陣共々のびのび作ってる感じは伝わってきたので悪い気はしなかったです。客ウケを度外視したインディーズ的な映画ならまあ、入りもこんなもんでしょ。

『ラッキー』見たんですが、こういう映画に良いも悪いも言えないので、感想としては今までありがとうございましたって感じです。

オンラインチケット導入。イメージフォーラムのツイッター公式アカウントが両論併記のつもりで否定派と賛成派のツイートを片っ端からリツイートしているんですが、利便性が向上するだけの事でこんなに反対意見が出てくるのかと軽い驚きがありましたね。

何が言いたかったかというと、 

『シェイプ・オブ・ウォーター』の悪役なんかは格好の例だと思うのですが、セックスとジェンダーが一致していると見られる異性愛者でさえ実際には自認という形でジェンダーの選択を余儀なくされており、これを無意識的に可能ならしめているものが性のコードで、コードに縛られているという点では異性愛者だろうが同性愛者だろうがなんだろうが違いはないわけです(異論もあるでそょうが私はそう考えています)

こうしたコードの存在が論点として前景化するのは性に関わる政治・運動の領域ですが、一方で生活者の日常においては自明の事として埋没してしまいがちで、そのことの齟齬はあるだろうと思います。
つまり、本人としては自然に振る舞っているだけの性の私的な領域が性の政治の領域に包摂されてしまったら、それはやはり不愉快だろうと。

ただ、特に性の分野で公と私の領域を完全に分離することは社会に生きる限りは難しいので、なんでしょう、まあ、様々な意見があって難しい分野だなぁと…情けない結論ですが。個人的にはできるだけ色んな立場の意見を聞けたら良いとは思ってます。

性の移ろいといえばコリン・ファレルが性的指向のあやふやな青年を演じた『イノセント・ラブ』、良い映画なんだけどあの繊細なコリン・ファレルを見たあとに現在の野獣系コリン・ファレルに目を移すと動揺する。

映画の話から逸れてしまうのであれなんですが、少し思うところがあったので手短に。

画面に映し出される像をある特定のものとして認識するには社会的なコードが先行していないといけないわけですが、ここで例えば女性の服を着て女性のような仕草をする人を単に女性として見るケースを考えてみると、それは女性は女性らしい服を着て女性のような仕草をするものとして、同語反復的にコード化された女性の概念に無自覚的に従ってることになります。

これは性差別と裏表になっていて、女装する人を単に女性として扱うことは一面ではその人を尊重することであっても、服装や仕草を含むジェンダーコードを強化する側面もあり、そのことが身体的性とジェンダーのギャップに悩む当事者の最大の悩み事である「男なら男らしく」「女なら女らしく」という呪いの言葉としてそっくりそのまま跳ね返ってきたりもする。

これはなかなか難しいところで、そもそも性の選択に内在する本質的な矛盾でもあるので容易に解決される問題ではないと思いますが、性の選択ではなく性の移ろいを肯定
することは、その点で非常に有意義なのではないかな、と思います。

『パリ行き』は 

演出意図としてあえて弛緩した空気感を強調していて、そういった日常性を細切れに差し挟まれるテロと対比させてクライマックスに向けての緊張感を高めていたので、そのあたりの技巧は見事だと思ったのですが…イーストウッドのプロテスタンティズムを基盤としたリバタリアン的な思想が強く出ていて、その点がちょっと受け入れがたかった。

『15時17分、パリ行き』は僕のツイッターTLの方では結構不評のようだったのですがこちらで概ね好評か。あんな大御所の映画なのに賛否両論で面白いですねぇ。ちなみに個人的にはう〜んて感じでした。

今年の『映画ドラえもん』を観たんですが、エンドロール後の来年度予告が真剣に解らなかった。どんな内容なんでしょう。

にわか さんがブースト

シークレット・マン 

やはり、「大統領の陰謀」を先に見ておけば良かった。それか、ウォーター・ゲート事件の全容について書かれた本を読んでおけば良かったと後悔。
この作品だけ切り出しても、事件全容の理解が浅くて消化出来ないと思ったから。あくまであの事件を切り出した一部分ですよ。そういう立ち位置の作品でした。でも、アクション以外のL・ニーソンが、久しぶりに見られて良かった。やはりこの人正義感の塊な役が似合います。
あと、字幕監修が小西克哉だった。懐かしい名前。今、何やってるんですかねえ??

にわか さんがブースト

ホラーの世界では大体引っ越しするとろくなことがない

@tacchan
OVA…確か渋谷TSUTAYAにVHS在庫があったと思いますが、デッキが無いので未だちゃんと見れてないんですよね…。
あの中で『絶滅の島』が映像化されていましたけど、原作とは違うオチになっていて。そういう拡張性の高さは映像を生業とする人には挑戦のしがいがあるところだと思いますから、『デビルマン』みたいにNetflixでシリーズ化してくれたら最高です。

『悪女』タイトル考 

主人公の女暗殺者の、自分に関わった人間はみな死ぬとの想い。自ら背負ったものではなく無理に背負わされたものだけれども、その自虐と自責の念から、自分は「悪女」だ、と。

@tacchan
構成は抜群に巧いですよね。『コロリ転げた木の根っこ』とか、よくよく思えば大した話じゃないものでも些細な伏線やドライなユーモア、簡潔にして明瞭なキャラクターの組み合わせの妙で読ませてしまうところがあって。
『老年期の終わり』もオチとしてはそれほど驚くようなものではないのでしょうけど、やはり非常に構成が練られていますし、なによりあの少ないページ数で巨視的なテーマを軽々と捌いたこと、そして描かれない出来事までをも読者に想像させる豊饒な語り口には初めて目にした時に本当に驚きました。

手塚先生は物語を隅々まで描き込んで(それでも描き切れないで)しまうので作品としてはもちろん素晴らしいのですけど、手塚漫画として完成されてしまっているので映像化にはあまり向かないようなところがあったりするじゃないですか。
藤子・F・不二雄先生は一見シンプルで間口が広く、あまり作家性を感じさせませんけど、例えば『ノスタル爺』ですとか、完成されているのにいくらでも想像の余地があるっていう境地に辿り着いてしまっているので、ストーリーテラーとしての再評価のためにもどんどん映像化して欲しいですねぇ。

『老年期の終わり』、渋すぎて厳しいかもしれないけれども『メッセージ』以上に実写長編映画で観てみたいSF[のひとつだなあ。

『悪女』のPOVアクション、『ハードコア』の比ではなかった。『ハードコア』は『ハードコア』で好きなんたけど、ことアクション演出に関しては技術的にもアイデア的にも軽々と超えてしまっているので、ちょっと不憫に思う。

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