『事故物件ゾク 恐い間取り』
「あったら」でなくて原作がそうなのかな。というか、そもそもホラーというジャンル自体がそうして、当事者を外から見るようなとこあるもんな。そうでないと他人事にして怖がれない。霊にも優しくて好かれるヤヒロくんみたいな設定を好ましく思ったのは、そういうところをカバーしてるようでちょっと安心したのもあると思う。あまりやるとホラーでなくなってしまうけど
実際の事故物件をエンターテインメント化したYouTubeとかがあったら、当事者の方がいるんだろ!となって見る気しないのに、こうしてフィクションぽくお祭り映画にされると喜んで観てしまうのだよなぁ…
『事故物件ゾク 恐い間取り』
かりんさんの家って事故物件じゃないよね?などと気になるところもあり、降霊シート?で男か女かしか選べないのも気になったりしつつ、かりんさんとやひろくんの接近スピードにも中年としては違和感があったりするのだが、私は結局整合性よりも、話の大筋が良ければ、あとはタイトルコールの画の良さとか音楽の良さとか勢いとか、そういうのを重視しているのだなと改めて思う
『狂覗』
↑のトークショーの文字起こししているサイトで監督が話している「教師が体育の時間に正しいと思って(持ち物検査を)やっているというのは、これは笑える」というのがもう共感できないな。そういうところが私のこの作品に対する面白がれなさに繋がっているのかもしれない
『狂覗』
終始生徒の顔がほぼ見えない演出は良かった。それぞれにどこかおかしい教師たちが生徒の荷物をひたすら漁った結果、結局なにも見えていなかった事がわかったり、見えても見ようとしなかったりというのは結構良いと思うのだけど、何が受け入れられなかったのか。
演技かな…なんかホラー的なんだけど、話はまったくホラーではないから、やけに大袈裟に感じる。あと意味を捉えきれない間が空くことが多かった。あと別に明らかになった事実は驚くべきことでもなんでもなかったし、それで何が言いたいのか掴めない。誰が誰をいじめているかというのが覆ったとして、ひどいいじめはあるわけで、だから何?という…。いじめや教師の見て見ぬふりや高校生の性の問題について問題提起しているとして、そのわりに最後あの関西弁の教師だけが死ぬのも不公平じゃないか? 現実の不条理だとしても、いやそこの不条理を見せられても…
『狂覗』
なんかこれはただの根拠とかの無い悪口だけど、『Sin Clock』といい、タイトルがダジャレ(ダジャレではないかもしれないが)の作品はどうも私にはだめなんじゃないかという偏見を持ち始めている。『狂覗』はなんと読むのか観るまで分かってなかったけど、調べたら「きょうし」だった。教師とかけていると思われる