これも数年前、インド映画封切りに当たって、プレス発表と一般公募観客の試写会とが同時に行われたことがあった。
インドのマスコミ人すら来ていた熱気あふれる会場。かぶりつきから数列はプレス用の指定席で、一般応募客はその後ろ。上映前に監督と日本のセクシー系アイドル女優との儀礼的なトークがあり、そのあと数分のプレス用撮影タイムがあった。後列の一般人の撮影はご遠慮くださいと言われた。しかし、それが終わると前列のプレス席はもぬけの殻、誰一人として上映のために残ってなかった。あの時来ていたインドのマスコミ人はどうだったか思い出せない。ともかく、大手配給が絡んだ、大掛かりなプロモーション戦略でこれだもんなあと思ったのだった。
劇場で売られているパンフが、封切り前は「プレス」と呼ばれるということを知ったのはそう古いことじゃない。
プレスと呼ばれている時点では、試写にやってくる関係者に配るために使われる。数年前に一度だけプレス製作の下請け仕事をした際に、そのあたりが呑み込めておらず、図表や統計資料をたくさん集めることが求められていると勘違いしてた。しかし、試写に来たマスコミ関係者が、映画を実見しての感想と資料的な素材から独自のレビューを書きあげられるはずもなく、プレスには惹句や粗筋、見どころチョイスまで、そのまま流用できるようなパッケージが求められているのだった。情けない気もするが、レビューの内容よりも、取り上げてもらうことが目標なんだからそうなるわな。一般の観客のレベルでも、SNSに現れる一言感想では、ボキャブラリー選択がチラシの文言にかなり影響されているのを知った。映画を広めたいなら、公式がしっかりしたテキスト情報を流すことが重要。まあ、劇場りパンフとプレスの内容が、いろんな事情から違ってることもあるんだろうけど。
TIFF「ヴィクラムとヴェーダ (Vikram Vedha)」(Tamil - 2017)を六本木TOHOシネマズで。
最初に文句から。字幕のレベルが低い。タミル語専門家の校閲を受けていないことが明らか。それからbucksを単純にドルと訳したりするあたり。どう考えたってルピーだぜ。天下の東京国際がどうしたのか。あと、字幕投影技術協力として文化庁がクレジットされていた。DCPに後付けで別プロジェクターの日本語字幕を投影したのか。映画自体はスタイリッシュなオッさんの揉み合いと哲学的問いかけの融合で言うことなし。劇中にMullai Nagar, MKB Nagarというスラムっぽい団地の名前が挙がるのだが、これが何と実在しており、いずれもフォート地区よりも北。つまり北チェンナイもの、さらに言えばダリト・コロニーものということになるか。団地の壁には何やら人物の巨大ポートレイトが書かれているシーンもあり、『Madras』と共通の背景であると考えられる。それほど高層でもない団地を上空から捉えたショットの不気味な美しさが印象的だった。
IFFJの二本目「マントラ(Mantra)」 (Hindi, English- 2016)を渋谷ヒュートラで。
トレイラーだけ見て陰気くさい文芸映画と思い期待せずに見に行ったけど、案外よかった。『モンスーン・ウェディング』でペド親爺だったラジャト・カプールが出てくるとつい猟奇的な展開をしてしまうがそれはなし。他にもLoevのシヴ・パンディットとか、『マダム・イン・ニューヨーク』のアーディル・フサインが渋い役で登場して嬉しい限り。都市住人の難しいエゴ、中年の挫折などをふんわりとした筆致で描き、好感をもったが、現地のレビューは恐ろしく低い、なぜななのか。長男がデリーで開いたレストランがヒンドゥー原理主義者の攻撃にさらされるシーン、それから主人公の仲間たちが中国とインドの格差について語るシーンが印象的。ジャールカンドからの貧しい上京者が見せた無償の男気がカッコいい。
Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
Mersal (Tamil - 2017)の続き。アトリ監督との相性の悪さ、流血描写にあるのではないかと思い至った。インド的バイオレンスに慣れきっている自分が違和感を持つアンバランスさ。主人公がドーティ―を脱がされるシーンは映さないのに、帝王切開手術は執拗に映像化するようなところ。子連れで見に行ったアメリカ人研究者がやはりショックだったと書いていた。
Mersal (Tamil - 2017)をイオンシネマ市川妙典で。久しぶりにフルハウスだったか。
どうもやっぱりアトリ監督とは相性が悪いわ。しかしキメどころが多く、ファン大喜びなのは良くわかる。悪いのはアジットファンである自分だ。マーダヴァ・プラサードのシネポリティクス理論の教材になりそうな典型的マス映画。MGRとの重ね合わせ、タミルのzhを誇る歌詞など、散りばめられた民族主義。昨年ぐらいから顕著になった反ヒンディーの各種の流れの中に位置づけられるのか。GSTに関する言及でモーディーのVJP政府支持者と険悪な関係になったことすら作品の一部に見えてくる出来すぎさ。パリのシーンでは電子マネーの普及を誇ってみたりしてなかなかいい感じに暴れていた。しかしパリのカフェで武装集団が乱入するシーンなどがあっても荒唐無稽には感じられないこのご時世も感じた。久々に存在感を見せたのはヴァディヴェールだったが、あのキャラはなぜ双子の秘密を黙っていたのか、いまひとつ分からなかった。
『バーフバリ2 王の凱旋』(Telugu - 2017)を試写で。
パート1には熱狂しきれなかったのだけれど、前半だけ見せられて宙ぶらりんになってるのを終わらせられるのが嬉しくていそいそと行った。前作で乗り切れなかったのは主にプラバースの風格不足によるところが多かったのだが、今作では明らかなほどに成長していた。野育ちの怪力息子と伝説の王とをきっちり演じ分けている。スターとしてAダッシュからAクラスに入ったか。何はともあれ、テルグ映画がテルグ映画のままで全インドに受け入れられるように作る、インド映画のままで世界に受け入れられるように持っていく、というラージャマウリの途轍もない野望とその達成度には頭が下がる。
Uru (Tamil - 2017)をTentkottaで。
ホラーかとも思ったがサイコスリラーだった。シャイニングをはじめとする各種の先行作からのイタダキが多いというのもあり、現地の評判は低かったという。カライヤラサンの芝居とスッキリしない結末でも点を下げたらしい。しかし後半に入って、導入ではまるで端役のように登場していたダンシカーが、見事な肢体でスクリーンを占有し、縦横無尽に暴れまわるのをあれだけ眺められるなら充分という気がする。実際、近年のアクション映画のヒーローでも、あそこまで繰り返し体を痛めつけられる(でも死なない)登場人物がいただろうかという程のボコボコぶり。体とハスキーボイスが資本のこの姐さんはさらに応援してこうと思う。
Pretham (Malayalam - 2016)をDVDで。
訳あって南インドのホラー映画を固め見する必要があって。ハッキリとコメディー・ホラーと宣言している作品。そのコメディーの部分が、やはり英語字幕では隔靴掻痒。またしてもManichithrathazhuを思わせる各種のエレメント。最近のマラヤーラム語ホラーには、そうすまいとしても引き寄せられてしまうManichithrathazhuの引力に逆らって、映像作家が何とかして違いを出そうともがいた結果のように見えるものが多い。本作での新機軸は、ほとんどすべての怪異が白昼のスタイリッシュなリゾートで起こるのと、スマホやTV、ラップトップといった電子機器がメディアとなって霊との交信が行われるとこ見られる濃密な情念の描出はなく、謎解きミステリに近い読後感。
Ezra (Malayalam - 2017)をDVDで。
てっきりスリラーだろうと思ってたらホラーとのことなので慌てて鑑賞。ユダヤ教のオカルティズムであるディバック(死霊の憑依)を大胆に取り込んだ設定。現在では実質的にユダヤ人コミュニティーは死滅してしまったにも拘わらず、豊かなユダヤ文化の伝統が残ると言われるケーララならではのストーリーライン。この手の作品の醍醐味は憑依される人間の霊的変容の演技にあると思うのだが、本作でそれを演じた人は今一つ。力瘤の熱演は認めるがニュアンスと繊細さに欠ける。それから途中で現れる犬殺しのエピソードがループホールのようにも思える。そしてマラヤーラム語ホラーに宿命のように付きまとうのだが、細かいモチーフやエピソードにどんなに新機軸を編み出してみても、結局古典であるあのManichithrathazhuの焼き直しに見えてしまうという点。本作も例外ではなかった。ともあれ、一時期はタミルに押され気味で勢いのなかったマラヤーラム・ホラー、ここにきてまた製作が上向きになってきたかという印象。
Oru Mexican Aparatha (Malayalam - 2017)をDVDで。
タイトルは「メキシコの激情」か?調べること。色々困った映画。70年代の戒厳令時代に謀殺された若き左翼運動家と、現代の学園における左翼系学生リーダーとを重ね合わせるギミックがあるが、ロジカルにはほとんど意味がない。ただし、ビジュアルはカッコいい。学園内で万年与党状態の非共産党系自治会長に選挙で挑む共産党系学生の話。生徒会長というよりは番長に近いのだが、選挙には既成政党がガンガンに入り込み、代理戦争状態。しかし学内の生徒会運営に政策が入り込む余地が大してあるわけでもなく(万年与党のatrocityを許すな、などというスローガンがでるが、何のことだ?)、ひたすら力と力でぶつかり合うだけのマハーバーラタ状態。論戦ではなく夜討ち朝駆けだまし討ちでの実力闘争。こんなのどちらかに感情移入しようにも無理じゃないかと思うのだが、そこがインド映画なので、善と悪はビジュアルでもはっきり分かるようになっている。そしてショッキングなのはこれがけっして映像作家の未熟さからくる荒唐無稽なのではなく、リアリズムに基づいてい文字数
Premam (Telugu - 2016)を機内ビデオで。英語字幕付き。
二ヴィン・ポーリ主演マラヤーラム語大ヒット映画のリメイク。二ヴィンはこれによってスーパースターダムに肉薄したと言われている。しかし演技力以上にこの役にまず求められるのは、14,5のガキから30近い大人までを演じられる容姿である気がする。そういう意味ではナーガ・チャイタニアはテルグ映画界唯一の選択肢だったと思う。特にアタマ空っぽな14,5のガキのパートでの嵌り方はオリジナル以上だったかも。ほとんどオリジナルと変わらないものだったが、ヴェンキー伯父、ナグ父を無理やりに登場させたのはやはりテルグのテルグたる所以。シュルティが記憶喪失から回復したことを物語るエピソードはなぜか後退していて、あれでは初見の観客には意味が分からなかったのではないかと思える。それから長じた主人公の職業に今一つリアリティがないのもマイナス点か。