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「ボーダー二つの世界」を今日は見に行こうと思って時間調整をしながら仕事してた。

が、朝から喉が痛く...。
見事に風邪を拾ってしまい熱出てきたのでやむなく帰宅。

今日を逃すと見に行けないので悲しい。。

とりあえず原作本は買ってあるのでセル落ちするまでに本を読もう。

新文芸坐では「去年マリエンバートで 4Kデジタル・リマスター版」の上映はないのでご注意を。

新文芸坐での上映は下記の作品

「二十四時間の情事/ヒロシマモナムール」
「かくも長き不在」
「ラ・ジュテ」
「不滅の女」

shin-bungeiza.com/allnight.htm

アラン・レネ監督作品「去年マリエンバートで」が4Kで修復され、2019年10月25日よりYEBISU GARDEN CINEMAを皮切りに全国で公開。

10/19(土)には新文芸坐にてオールナイト上映が決定。

cetera.co.jp/marienbad4K/

見たい...がぁ....スケジュールが...厳しいかもしれん....。

「サタンタンゴ」渋谷でまだやってる。
上映時間438分か...。

業務じゃん。
ほぼ勤務時間じゃん。
残業ないだけちょっと早く帰れるね!レベルは些か悩む...。

「IT」が地上波放送11月8日に決定。

R-15なので該当シーンを削除してとのこか.....ふむ..。

なんだか..優しい世界になってそう(映画内が)...。

「IT THE ENDそれが見えたり終わり」が4DX with ScreenXで上映決定したのはちょっと嬉しい。

でも怖いなーー。

何が怖いって....足が届かないんですよ..椅子が高くて...踏ん張れないんですよ..揺れるとね...。

ワイスピ見に言った時は椅子から落とされるんじゃないかとヒヤヒヤしたもので。

itもなーー怖いなーー。

ゾンビランド公開されてから10年経ってるとかマジで怖い....もうそんなにたったの...嘘でしょ....

※見れなくなっていたので再toot
(2019.10.4)

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ご無沙汰してます。

近ごろ忙しさ倍とストレスフルなものの少し余力があった時にハロウィンやアスやアナベル(振り返るとホラーばかりや)見に行ったり。とはいえ、ほぼ映画は見てないです。

先月からシネマトゥデイ で毎週金曜にレイトショーと称しYoutubeで無料配信になったので楽しく見てます。過去の名作を無料で。

とりわけ、「そして誰もいなくなった」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」はまた見ることができて面白かったです。

編集長のなぜ今の時代に共感する部分があって。
たしかに昔は毎日のようにテレビで映画が流れ家族であれこれ言いながらみていた時代があったなと。
これも配信なんで賛否両論なんでしょうけど。

cinematoday.jp/page/A0006838

ここにたまに出没するかもしれないし、また当面来ないかもしれないしそんな感じです。
あ、池袋のグランドシネマサンシャインのポップコーン(塩)はマジで普通。TOHOシネマズの方が美味しいです。

「サミーミの血」を見た後と前では「アナと雪の女王」の見方が変わるね

サーミの血-3 

監督自身もサーミ人であり映画に登場するすべてのサーミ人役には実際にサーミに出自を持つ人たちを起用する徹底ぶり。

民族差別にたいする問題提起となるのは無理からぬものの映画は少女の回顧録としているところが良かった。

様々な差別の中で一番腹が立つのは「臭い(獣臭)」という直接的な言葉よりも「人類学専攻」なのと言いながらヨイクを歌わせるシーンだ。
ヨーデルとヨイクの違いもわからない彼女は好意からしたことだが、これこそ無自覚の差別だよなぁ。。

日本にもアイヌ民族の歴史があるが、日本人が本当の意味で正しく民族迫害を理解できるのだろうか。無理な気がする..。
人のことをどうこう言えるほどの立場でもない。
なぜながら私自身が無知だからだ。

もうホント無知は罪とはよく言ったもので己を恥じるばかりだ。

サーミの血-2 

物語は妹の葬儀のため帰郷したクリスティーナがホテルの一室で捨てたはずの過去を回想するところから始まる。

サーミであることで差別を受けたエレ・マリャは名前をクリスティーナとかえウプサラへと向かう。生きる場所が違ってもサーミ人であることを忘れさせてはくれない。

名前を変えコルトを脱ぎ捨てても血からは逃れられない。

差別とは何か?

中でも一番怖いのは「視線」だ。いつでも周りを注意深く見ているその仕草が印象的だ。

多くの人がエレに感情移入するのは難しい。私たちは民族迫害されたことがないからだ。

しかしクリスティーナが多くを語らず、かわりに表情や視線で感情を表現しそこに少なからずとも観客は自身を重ねる余白がある。

エレと対照的な妹、エレの孫娘もまた対照的な立場だ。エレだけがサーミとの間で揺れている。二律背反を抱えたエレが救われる日が来るのだろうか。

サーミの血-1 

<長いのでたたむし続くよ>

スウェーデンの北部にあるラップランドに居住する先住民族サーミ人のエレ・マリャが自身の民族に対するルーツについて差別のなかで普通であることを切望した少女の話

感想の前に...昨年から少しスウェーデン語を勉強し始めまして(ホントマジで少しなんですけどね)歴史も調べてみたらサーミ人という民族が各国によって迫害されたことをその中で知りました。

サーミ人はトナカイ遊牧民でサンタクロースが住んでと言われるラップランドの少数民族です。

20世紀に入るとスウェーデによる分離政策によって元々の差別に加えて問題が根深くなり..分離政策はサーミはスウェーデン人よりも人種的に劣っているという考えに基づいた法律。

こうしてサーミ人は土地を購入して住んだり、ほかの仕事に就いたりすることを禁止される。むろんサーミ語も禁じられスウェーデン語を強制される。子供たちは専用の寄宿舎に入れられ進学は許されない。

学術的調査として人前で裸にさせられ写真を撮られる。鼻の長さまで緻密に記録を取られる。

そしてこれらの民族差別が映画のテーマです。

「ミッドサマー」ついに来年2月に日本公開か..よりによって2月とか皆んな自律神経乱れている時にとどめ刺しにやってくる...。

「キラーソファー」見たい。
襲わない時はなんかちょっとかわいいのがムカつくわーw

どうやら劇場ではなく配信オンリーの様子。
ですよね...劇場でやっても採算取れないよね...。
どこで配信なのかちと不明なのがまた見たい欲を煽ってきますな。

予告: youtu.be/46rmVBrD4Lg

を2年ぶりに再鑑賞。

定期的に見たくなり定期的に見る作品。

そもそも自分とは何か?
鏡にうつる自分は本当に自分なのか?
貴方を貴方とたらしめる確固たるモノとは?

どこまでが現実でとこからが虚構なのかわからない曖昧な状態がラストまで続き、壊れていく自分と日常の演出がとてつもなく上手い。

誰の中にも色々な自分がいる。
そして自分なんてものは本当はないんだと実感する。

原作がありオリジナルでないものの大胆に改変され今敏ワールドに仕上がっている作品。

早すぎる死を痛む
もっともっと彼の作品が見たかった...。

「ジョーカー」と「ジョン・ウィック・パラベラム」見てきました。

「ジョーカー」は何も語ることはないです。衝撃で何も言葉が出てこない。批評も目にしたくない。まだ自分の中に抱えておきたい。卵が孵化せず腐るまであっためおきたい。そういう気持ち。

「ジョン・ウィック・パラベラム」は相変わらず3作目になってもまだ君たちは学習しないな。犬がすべての始まりじゃないか。あ、ハルベリーとシェパードがめちゃくちゃ可愛かったので満足でした。

先にジョーカーみて正解だったな。
私の精神では後にしてたらメンタルが持ち直せないところだった...。

適切なインタンスを探しきれてなかったのかとやや焦りました。気にしなくて(インタンス間違いではない)大丈夫とご意見くださった皆様ありがとうございます。

で、ブロック・ミュート・鍵機能があるのとは別にマナー・ルール以外にやはり少しも配慮がないのはダメだぞと自戒しつつ、書いては消しを繰り返し結果うまく言えないなぁーけど、今は"映像作品"についてTootすることはないなという気持ちが変わらない。

気が向いたらそのうちまた突然Tootするかもなので、しばしさようならー。
皆さま良い映画ライフを送ってくださいねー。

本は紙を想定して作ってるんだから電子書籍は本じゃない。美術館に飾られてない絵は絵じゃないのと同意義に。〇〇だから〇〇ではないで議論すると進まない問題なんだろうなー。という感じです。
また、年々映画館での鑑賞者が減りストリーミング形式での鑑賞者が増えているのを考えるとネトフリやアマプラが映画館を作っても行かない人も結局はいるんだろうな‥。少なくともそこでしか見られないといままでの映画館と同じで自分で好きな時間にという手軽さがないので、映画離れは解消されない別の問題が残りますが(震)
映画の定義が人によって違うのが一番の原因だとは思いますが、ぶっちゃけていうなら家の中に映画館があればいいんじゃね?(暴論)って思うのです。蛍族やポプコーンの匂いに悩まされないし(論点がずれてる)

私が引っかかってしまったのは、映画じゃないならネトフリでもアマプラでも映画どんで見たよ〜!なんて浮れてて申し訳なく不愉快にさせてしまった方々がいたらごめんなさい。場違い甚だしかったのか(滝汗)すみません。
映画館で鑑賞した作品だけ機会があればこちらにまた来させていただくかもです。

あ、誤解なきよう申し上げると決して否定しているのではなくて、映画館での上映も映画だし、ネトフリ映画もコンテンツの1つとして映画というくくりでも良いのではと思うだけです。
映画館でしかあんなに凄い音響は体験でしないしお財布とにらめっこしながらホットドッグ(あえてポップコーンではなく)買うのも、始まる前の予告で次なにみるかワクワクするのも、映画館でしか体験できないことでとっても好きです。
行けることなら見たい作品全部映画館でみたい!(お金と時間と頑丈な体をだれか‥くだry)

配信の形式だけを言うなら店舗に置いてない電子書籍限定も本ではないのと同じになりそう。映画館で上映されず円盤になった作品も映画ではないになる。。映画館でしか見ないのであれば映画鑑賞をしたとも言ってはいけないとも言えるようになってしまったりしないのだろうかと。
賛否でるのも当然だし理解できる。
ただ、こだわりが過ぎると自分達でコンテンツを狭めたりしちゃわないか心配。映画にも多様性があれば無名の監督作品とかみれる機会が広がるとかないのだろうか。私は見たいもの全てを映画館では見れない生活なのでネトフリがすごく助かるが、映画ではないなら映画どんでつぶやくってダメじゃんΣ(゚д゚lll)

ここ数日アカデミー賞でこの問題だ噴出しててどうなんだろうと考えるキッカケにはなったけど、映画館での上映のみが映画なのか賞を与える作品においてに対してなのか論点が今ひとつ。そもそもなぜネトフリだけを取り上げるのか。

お前の見てるのは映画じゃないからって思われてたんだとしたら(被害妄想)ここにはもう来れないや。

それにいまiゾンビめっちゃ面白いから海外ドラマもいいよ!(宣伝)

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