『ROMA/ローマ』①
素晴らしい映画体験で、ハッキリ言って映画館で見て初めて意味をなす映画だった。
基本はメキシコシティの医者の家の女中目線の話で、主と女中の情事こそはないが韓国の『ハウスメイド』を少し思い出した。
不倫や暴力、少しグロがある割にはストーリーそのものは淡々としているが、それ以上に1970/71年のメキシコシティの風景から見る・感じとる情報量が多く、ストーリーよりもそっちが気になる。いや、むしろこちらを楽しむ映画である。言うなればピーター・グリーナウェイの『レンブラントの夜景』みたいにパノラマの70年のメキシコシティが味わえる。インフラが整ってない、ハリボテの小屋のような粗雑な住居も見られる郊外の様子は見所だらけ。
そんな中でのブルジョアの家庭不和や女中らの生活や恋愛を見る。
クリント・イーストウッド監督兼主演最新作『運び屋』②
イーストウッド節はセリフだけに非ず。
今回の作品ではやたらとスマートフォン、ケータイ(ガラケー?)、インターネットに対する言及が随所でちりばめられ、案の定、イーストウッドが演じるアールがやたら忌み嫌い、罵る。
その姿はかつての『ダーティハリー』のハリー・キャラハンにも被る。
が、これまでならそういうデジタルに対してイーストウッドのオレ流で通していたのを本作ではいくつか時代への“折れ”が見える。頑固なイーストウッドがインターネットを認め(全面的ではないが)、メールを必死で覚えようとする辺りにイーストウッドなりに現代性を取り入れている。
また、本作の最大のテーマは「過去への贖罪」と「罪と罰」。“過去”は主に家族をお座なりにして仕事に没頭した過去であり、主人公アールの家族とアールを演じるイーストウッドの自分の家族をダブらせている。大胆にもアールの娘役にクリントの娘アイリスに演じさせ、かなりの自虐、また自分の家族への贖罪を描いている。
終盤の罪の意識も秀逸で、その潔さは『ミリオンダラー・ベイビー』の終盤のあれにも通じるものがある。
クリント・イーストウッド監督兼主演最新作『運び屋』①
クリント・イーストウッド88歳にして、老いてなお盛ん! イーストウッド節がビシバシ、ズキュンと決まる!!
イーストウッドのセリフの大半がクズだ、クソだ、差別まみれのワルく、尖ってる。まるで、マカロニウエスタン時代の拳銃の乱射の如く、誰彼お構いなしに相手を罵る姿が痛快。
危険なブツを運び、その報酬として主人公の身の回りが潤うが、走り、潤う度にヤバい道にズブズブになり、麻薬捜査官にも目をつけられる。
その流れ、サマ、顛末が奇しくもマーティン・スコセッシの『グッド・フェローズ』や『カジノ』、『ウルフ・オブ・ストーリー』っぽくあり、スコセッシ風味をまぶしたイーストウッド節とも言えよう。
@tacchan
ありがとうございます。