グランドツアー鑑賞。 

おおう…もっとコメディかと思っていたよ…。
1918年のナレーションとエドワードとモリー周りの設定×現代の映像なんかは変わっていて面白いんだけど、なんかちょっとオシャレ異国情緒感が鼻につかないでもない(これは私がアジア人だからかも)

さよならはスローボールで鑑賞。 

「おじさんたちが草野球してるだけ」という前評判は聞いていて、実際そのものなんだけど、こんなに面白いなんて。爆笑っていうのではないんだけど、ずっとクスクス笑ってしまうゆるーい空気(ただし球場の閉鎖/学校建設の話題になると少々ピリつく)が心地よい。全然その野球場に思い入れがあるわけでもない私がちょっと感傷的な気持ちにもなるし、でも中学校は必要だよなぁ…と思ったりもする、なかなか面白い体験だった。

ホーリー・カウ鑑賞。 

トトンヌが細っこくてすごく幼くみえて(設定としても18歳)、それでチーズ作りで1発当てられるかはともかく妹を育てなきゃならない状況で、無職だし、福祉はどうなってるんだろう?とかなりハラハラして、しかもわりとどうにもなってないし。牧歌的な柔らかい撮り方?美しい風景?とのギャップがすごかった。もしかしたら、トトンヌは妹をおいて、1人でどこかに行ってしまうつもりなのかもしれないと思った。

ナイトコール鑑賞。 

タイトでスリリングで面白かった!が、ジュリーの一人勝ち(?)と思うと、マディ可哀想だしちょっと悔しさもある。
その一晩、デモの夜だからこその、警察にすぐ電話が通じない/通報をためらう/群衆に紛れる/警察から暴行を受ける/発砲と市民の反応なんかの話の運び方が上手いなぁと思った。

旅と日々鑑賞。 

『夜明けのすべて』はおかゆみたいな優しさ☺️と感じたが、透明すぎてこれはもはやお湯…何を書いたらいいかわからない。と思ったものの、自分の「旅」という体験を振り返るといい映画だったのかもなーという気もしてくる。
シム・ウンギョンの透明感?清潔感?が冬パートの静謐さと白さにとてもよく合ってた。またべんぞうさんとの、飄々としながら間が抜けているみたいなとぼけたやりとりが面白くて、私は結構好きである。現実感はないけど。
以下、旅って私にとっては、という話。だいたいよし旅行に行こう!と思うのが、人間関係で疲れたり、自分はいろいろ要領が悪いなぁとか落ち込んだりした時で、いろいろ計画を立てて、旅先で全部が思い通りにいくわけじゃないし、迷子になったり、失敗をしたりもするけれど、家を出て目的のいくつかは果たして、無事に帰ってこれるなんて、自分、意外と人間として大丈夫じゃんって気持ちになる。この映画はその感覚をすごく思い出させてくれて、旅自体の特別さもあるけど、旅が組み込まれることで日常が上手く回っていくようになるって、なんかわかるなーと思ったのは良かった。

羅小黒戦記2 ぼくらの望む未来鑑賞。続き。 

誰かと誰かが争う時、割り切れない善悪や正しさがある時、答えは簡単に出ないし、作中でもそれぞれのキャラクターが悩んだり選択しながら生きているわけだけれど、そういうものにこれからシャオヘイも揉まれていくのかな?脳天気に何も考えないで幸せにという意味ではないけれど、健やかに育ってほしいー。美味しいものくれたらみんな良い人なのは親戚のおばちゃん目線でとても心配になります…傷ついてほしくない…けど、傷ついても立ち上がって強く生きてほしい。
あと吹替と字幕と両方見たんだけど、シャオヘイの同じ「うわぁぁぁ!」の言い方でも吹替は高い「うわぁぁ↑↑↑」でキラキラはしゃいでるようなかわいさがあり、字幕の方の声は(例えば飛行機見た時)低い「うわぁ↓↓↓」ですごいー!でかいー!って感じ入ってる様子がめちゃくちゃかわいく、結局両方かわいいですね。違いはあっても。

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羅小黒戦記2 ぼくらの望む未来鑑賞。 

相変わらずかわいいなー!というのと、ほんと戦闘がかっこいい。それに新登場のキャラクターがメインに来ても面白いって、シャオヘイの魅力と物語のパワーが強い。
一作目を見直してからもう一度観た。前作は「行かない・行きたくない」というのを無理やり連れて行かれる物語で、今回は同じ道を行きながら決定的に意見を違え「行かない」選択をする、そしてそれを翻して共闘する物語。シャオヘイの成長を感じる。成長といえば、師匠が全然こっち(ルーイエとシャオヘイのパート)に来ないの。師匠は師匠でやることがある(ナタとゲームとかな!)ってのはそうなんだけど、 2人のこと信頼してて大丈夫って思ってるから、みたいな感じが、すごく好き。

フランケンシュタイン鑑賞。続き。 

真面目な感想を他にも書くと、私はこれを二人で一人という話として考えているけど、家族・親子の話ともとらえていて、北極探検の船長が良いアクセントになっているように思う。船長はまるで支配的な父親像そのもののように船を支配している。頑なに前進を求めて、不満のある船員を威圧する。しかし、彼は船員からの支持を失ってはいない。すげー怪物を目の前にして、船長が攻撃を止めれば、船員たちは怯えてはいても攻撃は控えるくらいには。船長はヴィクター&創造物との会話を経て戻ることを決断できる人間で、支配的ではあっても我が身を省みる能力があり、言ってみれば息子の声を聞ける(聞けるようになった?)父親で、だからこそ船員も従うのだと思う。この船とフランケンシュタイン家が、うまく機能している家族とそうでない家族を表しているようにも思えた。

余談:他にも好きー🥰と思ったのは、赤い手袋、赤いシーツ、ヴィクターを訪れるエリザベスのドレスの赤(コルセットの締め具合がまるで解剖図のように見える)→ヴィクターが足を無くしてからは青いシーツのフェーズに入るとか、色使いも凝ってて気持ちいい。

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フランケンシュタイン鑑賞。ギレルモ・デル・トロの! 

支配的な父親、虐待されて育った子ども、虐待の連鎖。ヴィクターの傲慢さや倫理観の欠如は怪物的であるし、怪物の側が生まれたての純粋さ(あと盲目の老人との交流による成長)故に人間の良心を備えているように思えること、よってまるで二人揃って人間として完成されるような、二人で一人のような物語。そういう物語のパーツが、大変美しいこだわったビジュアルの中で展開されて、満足度が大変高い。満足といえば、単にオスカー・アイザックのことめっちゃセクシーだなーと思っているので、脱ぐの担当がもっぱらヴィクター(と怪物)だっていうのが美味しかったです。程度の低い感想だ!

爆弾鑑賞。 

取調室周り、タゴサクと、彼に相対する面々の緊張感あるやりとりは大変面白かったし、事件自体もなかなか面白かった。
でもその他の警察関係者や一般市民がバカばっかに見えてちょっとなぁ。タゴサクじゃないけど、そんな人たちばっかりなら死んじゃっても良くないですかぁ?って、うっすら思ってしまうくらいにはバカに感じる。類家の頭の中を観客に繋げるためにわざとそうしてるのかもしれない。
タゴサクって、カリスマ性が無いだけでわりとジョーカーのエッセンスが詰まってると思う。というか、誰かのために事件を起こしたということを除けば(そこは私のジョーカー像ではないので)、悪い意味で人を見る目があったり、計画立案と実行する頭があったり、無邪気な道化っぽいところ、過去が無い男である(ここが一番好きなところ)とか。クイズ出すのはリドラーだけど。

死のキッチン鑑賞。 

映画がダメとかじゃなくて、私の体力がもうダメだった笑 初めの方は結構覚えてるし、最後も起きてたけど、肝心の?復讐部分の記憶がない…。
とにかく料理が美味しそうで、美味しそうだからこその怖さ…怖いはちょっと違うか、執念深さ?を感じた。

パレスチナ36鑑賞。 

今なお続く諍いのその発端。知ってたけど、ほんとイギリスがカス。その老獪さと、結局考えてるのは自分のこと(自国の運営)だけなんだな…という絶望感。子どもの視点が入ってるのがまたしんどいし、ドラマチックでつい気持ちが入ってしまう。序盤だったか、女性たちのデモ行進もあって、フランス革命みたいだなと思った。
エンディングのバグパイプが気になる。

遥か東の中心で鑑賞。 

映画作り×(映画の中身と共通のテーマの?)家族からの逃走×マヌケなの絵画盗難計画。西洋人の考えることはわからん!(うちのおばさんでも描けるぞ?)な西洋のモダンアートに対するコメントに笑ったけど、それはそうと冒頭とラストのアニメーションがちょっと印象派みたいなタッチなのも面白かった。
作中で制作中の映画も父親が娘を殺す話で、冒頭のアニメーションもそうだったり、自己犠牲の彼女のラスト(空想?)がああいう感じなので、アニメーション部分が作中作なのか現実なのか境界が曖昧で不思議な感じがした。
シリアスとコメディの振れ幅が大きいの、私は嫌いじゃない。

雌鶏鑑賞。 

一羽だけ毛色(羽毛色)の違う雌鳥が出てくるせいか、人間の生活と鶏の考えに実際には何の関係もないはずなのに、妙に思慮深い?哲学的な?鶏に見えてしまって、それは私が勝手に主人公の鶏に(人間の)感情をのせてしまっているだけなんだけど、そういう自分の見方も含めて面白かった。単に動物の動きと人間の反応が笑えるのももちろんあるんだけど、1日の最後にしては眠くならずに楽しく見れた。
脱走計画…何度も失敗するけれど〜という盛り上がりにボレロが使われていて楽しかった。最近よく遭遇する。

ポンペイのゴーレム鑑賞。 

映画というか、舞台の収録。難解ーというのと、まぁ普通に疲れていたので、だいぶ寝てしまった…。映画が悪いんじゃなくて完全に私が悪い。
いろいろな言語やコミュニティに属して迫害されてきた歴史。

老人と車鑑賞。 

老いる。様々なものを手放していく。閉じていく世界で、偶然出会った他人と、お互い深い話をする。妻への思い、毎日車を洗う。妻の体を洗った思い出。そういうものが重なり合う作りが丁寧でよかった。
息子と娘、介護・ケアやお金の問題も、ちょっと方向や重さがうちとは違うんだけど、孫の立場で色々やったことがあるので個人的にいろいろ思ったよね…。

私はフランケルダ鑑賞。 

私の物語は私が書く!と、生き抜くためにフィクションが必要とされる話のミックス、それに円環構造なんて、嫌いになるわけない。クリエイターの命を素材にできているみたいな映画。ティム・バートンがネバーエンディングストーリーを作ったらこういう感じなんじゃないかみたいな絵面。グロかわいいヴィジュアルもストップモーションもだし、悪夢だって悪いものじゃないってストーリー自体も。そこにメキシコっぽい(?)カラフルさも加わって、目にも楽しい。

波鑑賞。 

とにかく怒りのパワーが強くて圧倒された。けれども、抗議活動によって、また活動した後の、被害者が責められたり、フーリアの気持ちが置き去りにされて戸惑ったり苦しんだりというのも描かれていて、大変重みのある映画でもあった。
家父長制に対抗、シスターフッド。他人の証言を集めるうちに気づいた自分の気持ちと、相反するような"被害者"になりたくないという気持ち。フーリア個人の問題としては決して勝利とは言えない結末。もやもや?不安になるたび?くっつけたガムが、最後に文字通り爆発するのがなるほどなーと思ったし、なんならもっと爆発してもいいと思う。
不思議の国のアリスみたいだなーと思っていたら、監督も後からそう言ってた(不思議の国のアリスのように寓話的・抽象化した物語にした〜)し、そういう表現として他人の行動に振り回されたり、自分の思考に迷い込んだりのファンタジー部分?も面白かった。

マザー鑑賞。 

マザー・テレサ。前半ちょっと疲れが出て、寝てしまった…。まだ誰もが知る「マザー・テレサ」ではない頃、その野心の始まりを描くっていうのがまず意外だったし、監督が彼女に見ているものが反逆児・自由・パンク精神という話も面白かった。
ヨルゴス・ランティモスの映画みたいな変なダンス?シーンがあった。
監督のQ&Aで「あの小麦粉を吹きかけた子どもは彼女が本当に欲しかったものかも、本当は母親になりたかったのかも、あるいはあれは誘惑・悪魔なのかも。彼女は野心を優先したのだけれど」というような話をされていて、弟子にあたる若い方が自分にはない経験をしているのと、誘惑や悪魔かもしれないし〜みたいな内容に『薔薇の名前』も思い出した。

ガールズ・オン・ワイヤー鑑賞。 

ファン・ディーだってできる限り従妹の力になっていたし、家族にも援助をして、体を削って頑張っていたのに、ティエン・ティエンのことで責任を感じてしまうって、気の毒。というか、それぞれに頑張ってあの生活から抜け出して、まともに生きてきたはずなのに、カス男のせいで台無しになる人生が本当に気の毒…。

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