@baba_8988 バーバーさん、ニセシネフィルゲームをツイキャスで復活させようかと思ってるんですが、参加いかがですか? やっぱり声出しNGでしょうか?
今夜24時から「夜明け告げるルーのうた」の感想ツイキャスを行います。ふぇのっちくん主催なんで、みんなよかったらふぇのっちくんのライブに集まって下さい。聴いてね!
http://twitcasting.tv/jumping___jenny
レディ・イン・ザ・ウォーター
おれは、この映画自体が揺籃だと思う。興行的に失敗し、ラズベリー二部門を受賞し、ありとあらゆる艱難辛苦をシャマランが舐め、やがて「ヴィジット」「スプリット」を生み出すための痛々しすぎる、破られてしかるべき青年期の理想をつめた卵の殻だ。
この映画の、書き割りめいた“悪”の記号めいた貧相さを思い、それと「スプリット」の触れれば皮膚から血の滲む、痛々しくもリアリティ溢れる“悪”を比較してみて欲しい。この神々しい理想を掲げ、それを粉砕されることによってしか、その後のシャマランはなかった
この映画自体が、「中年になり、苦々しくも微笑ましく思い返す、血気盛んな青年期の理想」のようだ。なんたる痛々しいおとぎ話。これを書いているいまでも胸が痛む。ずっと痛みつづけるだろう。世界はどうして、このおとぎ話のようには変わらなかったのだろうか。
「スプリット」を観て、その文学性に激しい興奮を覚えたのだけれど、この映画にしてからそのすべてが文学的で、その上でこれは映画でなければ描けなかった映画、なんだ。シャマランの才能が文学に行かず映画に残ったことに、世界はもう少し感謝していい
レディ・イン・ザ・ウォーター
頭がおかしい。シャマランのことじゃない。世界の方だ。だからこの善人しか出てこない、優しさに満ちたダークファンタジー版「アメリカの夜」は、世界を変えはしなかった。これほどまでに真面目で真摯な声が届かなかった。その残酷な事実に声を失う。
ものを創ることは自分を晒すことだ。それにしたって限度がある。この映画におけるシャマランは無垢な魂を晒けだし、大声で叫ぶ。おとぎ話は真実だ。物語には信じる価値がある。生まれた人すべてに目的がある。なんたる美しい“声”だろう。なんたる勇気だろう。
ひょっとしたら“映画”というのはこの一本で終わってよかったのかもしれない。美しいラストショットと共に、すべての映画が終わってよかったのかもしれない。だが、そうはならなかった。なぜかって決まってる。おれたち観客はそれほど美しくはないからだ。
シャマラン、映画はやっぱり娯楽なんだよ。真剣10代しゃべり場のスタジオじゃねぇんだ。おれたちはありとあらゆる依存物に染まりつつ、この俗悪さに満ちた世界にオモテではぶつぶつと文句を言いながら、ウラではあらゆる悪徳に賛美の叫びを上げてるんだ。
おれは映画を憎んでなんかいないぞ!