ファントム・オブ・パラダイス
DVDにて。デパルマのミュージカル映画です。
この映画は、当時の最新の「カメラワーク」を次々とぶちこんだ、教科書のような映画(by町山智浩)とのこと。
劇中、音楽が途切れずに流れていて、それに合わせて画面が流れるように切り替わるので、知らず知らずのうちに画面の中に引き込まれていた。これがデパルマの成せる技なのか(あまり深くはわかっていません。)。
現代のミュージカル映画によくある「映像に音楽を入れた映画」ではなくて、本作は「音楽に映像を入れた映画」だった。
怪人が最後まで哀れに報われず死んでいく様は、切ないです。
エンディングの曲が良い。
「なんの取り柄もなく、誰からも愛されないなら、死んだ方がマシだから、燃え尽きて死のうぜ!」
いやぁ素晴らし良いネ
アンダー・ザ・シルバーレイク(サブカル好き閲覧注意)
帰りの電車でハッと気づいた、自分なりの解釈。
劇中のあるシーンにおいて、この映画の強烈なメッセージ性が明確に伝えられる。
それは何か?
映画、音楽、芸術、ゲームとか、所謂サブカルは虚構に過ぎないのに、そんなもんに群がって、解釈を一生懸命やって、一喜一憂して、お前ら現実の世界では何もしてねーじゃんwwwバカじゃねーの笑?というものだ。
解釈の難しい映画をあえて提示し、「ほらわかんないでしょ?笑。」と言っておきながら、「実はこんな下らないオチでした!!!お前らの人生の貴重な時間を無駄にできてメシウマーwww」というサマは中々痛快だった。
この映画を真面目に解釈しようとした時点で、映画監督の術中にハマっているというwww。正にアリ地獄のような映画だ。
こういうのを「メタ映画」というけれど、この映画は、極めてストレートなメタ映画だと言える。
この映画監督は、売れない時代が長かったから、観客とかハリウッドの業界関係者に対する憎しみが積もってるんだろうな。
一見謎の映画のようであって、実はかなり分かりやすいのではないかwww。
@yoshi49 ポスターカッコいいっすね!
ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
やべえ。クッソ面白かった。マイケル・ベイにこんな映画が撮れるのか!
実話に基づいたシリアスな犯罪を、マイケル・ベイお決まりの盛り過ぎ演出で魅せる。
終始一貫したコメディ、バカ丸出しで、筋肉バカが、バカな欲丸出しで、犯罪で人生を失敗する過程を描く。
この映画の登場人物たちは盲目的になんとなーく「成功したい」と言う欲望を持っている。これって俺の周りにいる奴らと全く同じなんだよね(不謹慎にもちょっと共感)。そう言うクソどもを最高に茶化してバカにしている映画なので、結構考えさせられた。
成功に向けて努力するっていうのは一見美しいことだけど、この映画を観ると「成功する」こと自体がすげー滑稽にみえてくる(登場人物がみんなバカだからだがwww)。
マイケル・ベイ自身成功者、リア充、最後は必ずハッピーエンドな評論に値しない商業映画を撮るクソ監督の象徴のように言われているけれど、実は映画を撮る行為自体が大好きなだけなんじゃないだろうか?
成功するか失敗するかなんて知らねーし。面白い映画がただただ好きなんだよ!それの何が悪い!
マイケル・ベイを大好きになれる映画。
〈イージーライダー〉
〈マッスルショールズ〜黄金のメロディ〉
①
マッスルショールズのフェイムスタジオはリック・ホールが創設した60・70年代の音楽シーンで一世風靡したスタジオ
デュアン・オールマンがスタジオミュージシャンとして参加していた時期があった
60年代アラバマは人種差別主義の州知事のもと超保守的風土の地域だったが
フェイムスタジオはごく普通に黒人を受け入れて宥和していた
レストランに黒人ミュージシャンを同行させてもいた
ところがヒッピースタイルのオールマンだけは、食事に同行させるのをためらったんだそうな
ドゥエインは川べりの掘っ立て小屋で独居していたそうだ
この逸話でヒッピーが南部でひどく嫌われていたことがわかる
「イージー・ライダー」で袋叩きに遭ったり、突然撃たれたりした理由が裏付けられた
南部では
ヒッピーは異人種どころか異星人扱いだったのだ
②へ
@batman_736 ただのクモ変質者だなw
暴力脱獄
明日に向かって撃て!繋がり。ポールニューマンの最高傑作は、問答無用で暴力脱獄。
主人公ルーク(ポールニューマン)は、人間にも自分にも完全に絶望し、世の中のルール、価値観に心底ウンザリしてしまった男。人間も世の中もクソだ。しかし、クソをクソだ!なんて、そんなこと分かり切ったことをいくら言ったところで無意味。自分自身の主張も思想もが何も無い男。もはや彼はずっと笑っているだけ。
ルークは、自分の居場所など、もうどこにも無いことなんて分かりきってる。塀の内も外も同じ。彼が脱獄を繰り返す理由は、逃げるためではない。俺の気持ちを少しで良いから分かって欲しい、という、彼に残された唯一の主張のためだ。。。と思う。
僕は、この映画は、ただ単に権力への反逆を描いたものには見えなかった。1960年代の人達にとっては、反逆の映画なのかな?僕はその世代ではないから、反逆してやる!って気持ちには全然ならないんだよね。
なんかこう、肩の荷を下ろせるというか、主張も伝統も社会も金も全部いらねー。人間にとっての唯一の救いは、人間同士が、互いの気持ちを分かり合おうとすることだけなんだなだと勉強させられた。