物質的な豊かさには意味はねーからな!
アイリッシュマンからはそんなテーマが浮かんだ。この映画のなかでは、リアル=金、社会的成功、人脈、といった物質的豊かさ。バーチャル=信心、友情、神、といった精神的豊かさ。
近代から現代になるにつれて、人は物質的豊かさを、「未来は明るい」という、精神的豊かさに変換することができた。
しかし、この先、多くの先進国では物質的豊かさの向上が望めなくなる。我々は価値観を改める必要がある。物質的豊かさでは無い何かを拠り所にし、新たなる精神的豊かさを生み出す必要がある。
物質的な豊かさに従い続けた場合どうなるのか?その慣れの果てがこの映画のフランクだ。若い頃、いかに自分が物質的に豊かだったか、を自慢する輩の末路は悲惨だと決まっている(フランクはそんな輩では無いけどね)。何故なら、どんなものであっても、物質は必ず無くなるからだ。
スマホゲームやネトフリがここまで流行っているのは、物質的な豊かさを望めなくなった結果だと言える。最近はみんなゲームやら映画やらドラマ番組の中に精神的な豊かさを求めているんだよね。きっと。
アイリッシュマン
うーむ。不覚にも涙してしまった。年老いたロバート・デニーロ(フランク)がアル・パシーノ(ジミー・ホッファ)の写真を見返すシーンで号泣。すごく良い映画でした。まさかスコセッシに泣かされるとはね。
映画の終盤、あれだけ時間にうるさかったジミー・ホッファでも、フランクには怒らない。そして、怪しいと知りながらも、ジミーはフランクがいるからという理由で、車に乗る。そして車の中で熱いハグ。フランク、お前が来てくれただけで充分だよと言わんばかりのホッとした様子のジミー(その後呆気なく殺されてしまうん辺りが、スコセッシ流って感じ)。ロバート・デニーロとアル・パシーノ熱い抱擁に胸が熱くなりました。このシーンは彼らじゃないとできない、というか、彼らのために用意されたシーン。涙なしには観れないよ。
ただのマフィア映画ではなく、人生の映画になってます。人は誰でも老いる。老いれば若い頃に羽振り良かったことなど関係なくなる。孤独に寂しく老人ホームで死んでいくのが現代人。スコセッシが意図していたかどうかは分かりませんが、映画の終盤は、繁栄を極めたアメリカ社会への批評になっていたような気がする。
@josejose あー。懐かしい。なんかあの映画のシャーリーズセロンにだんだん近づいている自分がいて笑えてきます
@mame8 確かにw。僕そんなにブレランに愛着ないんで、実はブレラン2049の方が好きだったりします。
エイリアン好きの僕としては、エイリアンのリブート版は今のところめっちゃ好きですね。
ファンサービスが過ぎてもあかんし、全然違うテイストになっても、これまたあかん。難しい問題ですねw
またまたダークナイトの批評を聞いた
@josejose チンパンジーをはじめとする動物は、いま目の前で起きていること(現実)を認識する能力は人間よりも優れている。
人間は、いま目の前で起きていることよりも、存在しないこと(仮想現実)を想像する能力が優れている。
ということだそうです。
出典 これもマル激で聞いた話ですが笑
またまたダークナイトの批評を聞いた
@josejose ですです。多分、人間の生理的にそうなんだと思います。チンパンジーと人間の違いなんかを比べるとそれがよく分かる。
またまたダークナイトの批評を聞いた
https://www.youtube.com/watch?v=tTg6NNBtuT8&feature=youtu.be&t=1070
これのダークナイトの話は面白かった。
悪魔とは人に現実を見させようとする存在なのかも・・・とすると、神は1つの仮想現実か。
金も国も地位も法も仮想現実。でも、愛も宗教も趣味も酒も仮想現実。全て仮想現実じゃんか!
つまり、人は人を支配するためには、仮想現実を構築すれば良い。
宗教者とかジョブスとか哲学・思想家は大きな仮想現実を作る。
一般人はもっと小さい(血縁とか地域社会とか恋愛とか)ものを作る。
仮想現実に属する側の主題は、良い仮想現実とは何か?より継続性のある仮想現実が良いのか?でもそれも分からない。人による。
人は仮想現実に属さないことは不可能だ。
何故なら、人は何かを考えている時点で何かの仮想現実に属してるといえる。しかし人は何も考えないことはできない。
瞑想すればできるけど、四六時中瞑想した状態でいることはできない。
そう考えれば、他人の仮想現実(思想も宗教も人種も)を批判する気も起きなくなる。
全てはどんぐりの背比べだ。
ダークナイトは映画自体よりも、その批評を聞くのが面白いw