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てか『ビューティフル・マインド』ってディーキンスだったんだな…

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、字幕が戸田なっちすぎる(「コトだ」「ワン公」)

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』のマーティは、『宇宙戦争』のトム・クルーズばりに"見る"人だ

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の間違った1985年で、ビフに撃たれても弾が当たらないマーティは、つまりイーストウッドな訳だ

スピルバーグ(だけ)ではなく、ゼメキス、ジョー・ダンテ、クリス・コロンバスのアンブリン魂に育てられたという感

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティの父ジョージ、数多のフィクションのキャラクターの中でも群を抜いて超絶キモすぎる。あとアラン・シルヴェストリは最高

普通の願望言いますが、オクジャ、映画館で見たいなぁ

昨日『バック・トゥ・ザ・フューチャー』見てて思ったんだけど、やっぱりディーン・カンディあんまり好きじゃないかもしれん

『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』あとチャールズとハンクの会話で「ジキルとハイド」が出てきたりとか…こういう"接続"の手捌き…

廣野由美子『批評理論入門』読んでたってのもあるんだけど『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』でエリックが「フランケンシュタインの怪物」と自己紹介するシーンぞくっとしたな。含むところありすぎ…

アポカリプスの次のダーク・フェニックスって、またジーンの暴走ものなんだね…結局それなのか

『X-MEN:アポカリプス』理想のメンバーを集め、彼らの能力を引き出してあげて、それぞれの好みを把握しつつ衣装をデザインしたり、豪華な劇場を作って晴れ舞台をセッティングしたりするアポカリプスは敏腕プロデューサーだ("No more idols!"と叫んで自らがプロデュースする!)

『X-MEN:フューチャー&パスト』も『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』も収容所のシーンから映画が始まる

『X-MEN:フューチャー&パスト』例えばエリックとセンチネル輸送列車のシーンの描写とか絶対違うよな。エリックはすでに乗り込んでなきゃいけないし、短くてもいいからエリックがいかに素早く行動し乗組員を誤魔化しながら移動するかを見せる車両内のカットがなければいけない。のだけど、ブライアン・シンガーは、ああいう風にエリックの超能力がいかんなく発揮される姿で済ます、というかそれをこそ描きたいんだろうな

『X-MEN:フューチャー&パスト』例えば"X"の扱い一つとっても、確かに要所要所では外してないけれど、我慢が効いてないというか、「流し撮り」って感じだし、最大級の見せ場たるラストの過去と未来のカットバックの演出や編集にも享楽が無い…で、おそらく一番激しく思い入れがあるのは、エンディングの学園シーンで、あのまじでしつこいジーンとローガンの切り返しがソフトフォーカスなのは、ブライアン・シンガーがむせび泣きながら撮ってるからじゃないかと思わせるくらい

マシュー・ヴォーンに比べてブライアン・シンガーにはフェティシズムが足らんなぁ…(『X-MEN:フューチャー&パスト』見てます)

『昼顔』ラストの緑の光の点滅、見てる時に、あーここまでやるのか…まじで勘弁してくれ…もう限界…という気持ちになった

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